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suspension
すみません、一国語を他国語で認識するというのは難しいですね。 気障な漫談家みたいに、置き直おさないでそのまま使うのが一番みたいですね。 でもどうしても、日本語に置き直さないと、解釈が不十分なのです。 どうかお助けください。 以下の文章です。 パラマハンサ・ヨガナンダというヒンドゥ思想の大師のバガヴァッド・ギータの中の文章です。 大師のご趣旨は無論、この文章とは反対のことを述べておられるのですが、この文中の“suspension”という語は実は、重要語のひとつです。 これを、http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej2/71571/m0u/suspension/での解説とは違う意味(乗っていない、ここからは汲み取れない意味)にとりたいのですが、間違いになるでしょうか・ 私はこの“suspension”を“非特化”、或いは“非固定”と受け取りたいのですが、間違いでしょうか? どうかお教えください。 "By this disruption of the natural external activities of the faculties of consciousness, and by their ultimate suspension in samadhi, surely all the rites (activities) of the family of consciousness will be annihilated."
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No1.です。 <“漂う”、“止まっている”、つまり“何か、特定な事にくっつかない”、“何かをしない”というような状況のことばでしょうか?> suspend は今の場合は単に samadhi という状態に「とどまる」という意味です。(とくに宗教的意味がある単語/用法というわけではありません)samadhi という状態は心が「空中に漂う」ような状態でしょうから、suspend という単語を用いるのが相応しいわけです。
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- zatousan
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こんにちは、No1,2様のような大達人のご回答がある中で無謀にも素人が回答します。 僕もバカバットギーターは読んだ事があり、ネット検索したら、この文章は第一章の正に、友や親族が別れて戦う大決戦の最中の文章ですね! By this disruption of the natural external activities of the faculties of consciousness って、要するに「戦いの事」か、、natural external activitiesだとか何とかいうので何のことかと思ったら、、、。 http://www.heiligeteksten.nl/Some%20quotes.htm となると、やっぱり、ここは質問者さまのように、 >私はこの“suspension”を“非特化”、或いは“非固定”と受け取りたいのですが、間違いでしょうか? と、取らないと筋が通りませんね! 三昧状態で、とてもできません。 ジーニアスには、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (精神的に)どっちつかずの状態 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ と、載っていましたよ。 そう解釈してよいのだと思います。 、、、念のため他の回答者様のご回答も待ってください。
お礼
zatousanさんありがとう御座います。 そうですね。大体理解できてきましたので、御礼をして締め切ろうと存じます。 ありがとう御座いました。
- KappNets
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難しい分野の用語ですが(下記参照)、suspension in samadhi とは samadhi (ある心の状態) の状態にとどまっている状態を指すようです。 samadhi の意味や suspension in samadhi という言い回しは下記にあります。 http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20081212052129AAp1iN4 注:suspend (=cause to float) は英単語としては(他の意味もありますが)宙ぶらりんで漂っているような状態を指します。"in" がついているので samadhi の「状態で」「漂っている」という風に理解します。
お礼
ありがとうございました。 勉強になりました。
補足
KappNetsさん、早速にありがとう御座います。 “samadhi”は日本語で言うと“三昧”の語源となっております。 他をいっさい空っぽにして、いわゆる宗教的法悦、恍惚という状況なんですね。ですからこの本でも、他の箇所でいう場合は、“in ecstasy”とか言っています。 禅でいえば、無我ですか。ちょいとこのごろ、言葉を度忘れして。 お回答の教えで、“漂う”、“止まっている”、つまり“何か、特定な事にくっつかない”、“何かをしない”というような状況のことばでしょうか? よく考えて見ます。ありがとう御座いました。 なにとぞよろしくお願い申しあげます。
お礼
「空中に漂う」ですか、そういう語感なんですね。 まぁぱらまはんさ・ヨガナンダ先生がお書きになったろうが、刊行者のマザー・センターの高い意識の方のご編集であろうことが理解できます。 確かに、「空中に漂う」というのはよく引用されているのです。 所謂、何かキリスト教で、幽体が離脱した経験の聖者さんがおられるそうで、空中から自分を見ている経験なんです。 日本語でいうと、肉体離脱っていうのでしょうかね。 英語での状況ニュアンスと日本民族のちょいとの違いもありましょうし、修行の違いもありましょうが、いっぺんにはすぅっと入らないものですね。 どうも度々ありがとう御座います。