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薩長に利益誘導はなぜなかったか?
明治維新後、薩長出身者じゃないと出世に関わると聞きました。 現代風で考えると、有力な政治家が多い地域は優先開発されやすいと考えますが、鹿児島山口は決して日本を代表する県ではありません。そうしなかったのはなぜでしょう。 予算のかなり多くを軍備に回さないといけなかったり、大正の時期まで借金の方が多くかなり困窮した財務状態だったりなどで東京など限られた都市に集中投資しないといけないなどでしょうか。 よろしくお願いします。
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- caesar-x
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地域にではなく、人脈に金が流れたからです。 現代でも、地域開発にお金が流れるのは、 地域を開発するのが目的ではなくて、 地域開発を名目に国庫からお金を支出させて それをゼネコンのような大企業に落札させる、 地元の孫受け土建企業に仕事を割り振るなどで 選挙の支持固めや、 古い時代ならば見返りに直接賄賂をもらうためでした。 明治期の薩長閥の時代は、こういう面倒なことをせずに もっと露骨に腐敗が可能であったので、 地方振興という隠れ蓑が必要なかったというだけです。 また一方で、地方でも地方の利権をめぐる 贈賄関係はあって、ヒエアルキーがありました。 これらはすべて個人利益のためであり、地域奉仕は主眼ではないのです。 だから鹿児島や山口を日本で最先端の県にする必然性もないし、 理由もなかったのです。 薩長閥はそれよりも、もっと手っ取り早い獲物を狙って活動してました。 井上あたりは民間銅山を掠め取ったり、山県は業者結託、 黒田は払い下げに便宜をはかったとか、ダイレクトに賄賂をもらってます。 これの一因としてはジャーナリズムと司法の未発達、 民主主義の自浄作用が働かない構造などがあげられますが、 選挙で審判を受ける必要がないわけですから、地元還元の必要もないということです。
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お礼
間接的な賄賂が必要なかったから開発が不要という事ですね。なるほど納得しました。 故郷愛的考えで開発しようとは思わなかったんですかね。私が鹿児島山口出身だったら、なんでもっと開発してくれなかったんだという気持ちになるかも。