明治維新と安倍晋三総理大臣
明治維新の原動力となったのは、やはりなんといっても薩摩と長州が輩出した人材だと思います。また、明治から大正の時代を担ったのも、維新の動乱の中から生き残った薩摩と長州の人たちですよね。この人達の功罪は別にして、また、私利私欲に走った輩がいるとか、さらには個人的な「好き・嫌い」の問題も別にして、評価されてしかるべき面はあると思います。
そこで歴代の内閣総理大臣を調べてみると初代伊藤博文(明治18年)から、第18代の寺内正毅(大正5年)までは、出生地別に見ると、前半は、山口県と鹿児島県の「たらい回し」ですが、9代以降はほぼ山口県一色という感じです。(大隈重信と西園寺公望を除く。)第19代の原敬(岩手)が平民宰相と言われた理由が、この歳になってやっと分かりました。(笑)
何故、歴代総理大臣を調べてみる気になったのかというと、ふと、現在の安倍総理大臣(第96代だそうです。)も山口県のご出身ではないか、と想い出したからです。調べてみると、やはり「山口県」でした。そんなこと、調べなくても、当たり前だろう……なんて笑わないで下さい。政治や歴史は、まったくのオンチなのですから。
また、19代以降では、山口県出身者が4人(田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)に対して、鹿児島県出身者は1人(山本権兵衛=第2次内閣、第16代総理大臣を経験している。)です。
そこで質問の一つは、安倍晋三氏の総理大臣就任というのは、明治維新の原動力となった長州閥の恩恵を受けているといえるのでしょうか?それとも、単に彼の実力なのでしょうか?あるいは他の要因があるのでしょうか? ということです。
もう一つの質問は、上記したように、19代以降の総理大臣で鹿児島県出身者は山本権兵衛(第2次内閣、すでに第16代として総理大臣を経験している。)だけです。山口県に比較して少ないように感じたのですが、これは西南戦争で西郷隆盛が負けたこと、紀尾井坂の変で大久保利通が暗殺されたことと関係があるでしょうか?それとも、単に鹿児島県出身者に総理大臣になれるような人材が出てこなかったというだけことでしょうか?
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