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日本はどうして発展できたのか?
こんばんわ。 最近幕末~の日本史について学んでいるのですが、 幕末~明治維新、そして戦争を体験して敗戦、そして高度経済成長を短期間でとげていった日本のすごさに、新ためてびっくり、そして疑問がわいてきます。 日本は元々まずしかったはず、なのにここまで発展できたのはどうしてなのでしょうか?日本史の本を読んでいると、いろいろな時代に偉人がでてきます。こういう人たちが他の国より多く出現したから成功できたのでしょうか? また、他の国(にたような環境としてアジア)はどうして日本のようにならなかったのでしょうか?
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こんばんは。 ご質問の文章を、「幕末~明治維新、第2次世界大戦の終戦~高度経済成長の終わりの2つの時期が短期間だった」と解釈してよろしいのでしょうか? 上記のように解釈して話を進めます。 一言で言うならば「内戦などがなく、政治が安定していた」でしょうね。 同時期の他の国々は内戦状態にあったと思いませんか?上記2つの時期共に中国は内戦状態ですよね。 それに比べて日本は、明治維新期に「西南戦争」があった以外に内戦はないですよね。そう言う状況下で国家・国民が一体となり「富国」のために突き進んだ結果だと思います。 まぁ、日本国民族と言う民族が、「他(の文化・文明)を吸収しやすい民族だから」という捉え方もありますが。。。
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- tar0
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ここにない見方なので少し書いてみます。 No.8のご意見の補足にもなると思います。 実はぼくも、ちょっと前に似たようなことを考えました。ぼくの場合は高度経済成長限定ですが。 こんなに経済がガタガタになった今こそ、いったいどうやって高度経済成長を成し遂げたのか、知っておくべしと思ったわけです。 で、ぼくが今信じている答え。 高度経済成長の企画・立案者は、ウイリアム・ドレーパーJr.というアメリカ人だった。 終戦直後、アメリカをはじめとした戦勝国は、日本からがっぽり賠償金をとって、いろいろ縛りをかけて、アジア最低レベルの国家として存続させようと考え、そのとおり作業を進めていました。生かさず殺さずの経済レベルといっていいでしょう。 この方針を180度転換し、日本を経済大国とした方がアメリカの国益にかなうと考え、そのとおり実行したのがドレーパーでした。1948年春のことです。 当時の日本経済の超インフレ体質を転換させたジョセフ・ドッジ、彼を日本に送り込んだのもドレーパーです。 ドッジ・ラインがよくも悪くも効をそうし始めた頃、朝鮮戦争が起こりました。ここで米軍に大きな需要が生じます。ドレーパーの敷いたレールに沿って、アメリカはこれらの大半を日本に発注します。これが朝鮮特需というやつです。 サンフランシスコ講和条約もやはりこの線で、つまり、日本に経済的な負荷をかけない形でまとめられました。 こうして、日本は高度経済成長のための助走に入ったのです。 ドレーパーがいなければ高度経済成長はなかった、とは言いませんが、ドレーパーが行ったようなアメリカの世界戦略の転換がなければ、高度経済成長はなかったといっていいように思います。 ドッジ・ラインがなければ、おそらく朝鮮戦争の頃の日本にはまともな為替レートもなく、したがって貿易が成り立たず、朝鮮特需もありえなかっただろうと思われるからです。 もちろん公職追放の影響もあったとは思いますが、こと経済に関する限り、この時期の日本には、戦略的に政策を立てられるような人物は、まったくといっていいほどいませんでした。 ちなみに、ドッジ・ライン当時の蔵相は池田勇人ですが、どうやら彼はドッジの不肖の弟子だったようで、ドッジは出来の悪い子を世話するように彼の面倒をみています。所得倍増計画を見れば彼のレベルがわかりますよね。首相がそんなことを言えば、インフレになるのが当然です。 補足として、なぜドレーパーが、日本を経済大国としようと考えたか書きます。 一言で言えば、蒋介石が毛沢東に勝てないことがはっきりしたからです。 それ以前、アメリカはアジアにおける共産主義封じ込めに、蒋介石をあてにしていたのです。ところが彼があてにならないことがわかってきた。じゃあ、代わりを物色しようとしたとき、リアルな選択肢が日本しかなかったのです。 すでに占領下においていて、アメリカの言うままになる日本には、輸出国としての実績があり、また、地政学的にみても非常にいい位置にある。まずここを経済的に安定させ、共産主義の入り込む余地をなくし、次には、ここを東南アジアと経済的にリンクさせ、東南アジアをも経済的、政治的に安定させようとドレーパーは考えたのです。 だから、風が吹けば桶屋が儲かる風の言い方をすれば、毛沢東のおかげで高度経済成長が実現したということになります。 日本人の勤勉さといったようなことを、ぼくは否定するつもりはありませんが、勤勉ならたいていどこの国でも高度経済成長を実現できるか、というとそうではないと思っています。 ドレーパーの戦略と、アメリカの単独占領、中国の内戦、朝鮮戦争といった幸運が、大きく作用していることはまちがいないようです。
お礼
お返事ありがとうございます。やっぱりアメリカの影響は大きいですね。 私も今回質問したみたいに、他と比較して「どうしてこうなったんだろう?」と考えるのが大好きです。歴史の授業もこういう形式だったらもっと楽しかったのになあとツクヅク思います(--。 今回の質問ですごく印象にのこったのは、確かに日本人の勤勉さとか地理的要素とかアメリカの情勢、世界の情勢が日本に追い風になったというのは良くわかったのですが、他のアジア諸国と違っていた点が一つあるとするならば、それは日本は大事な時期に国を二分するような内紛・内戦をしなかったからだと行き着きました。だから漬け込まれてぐちゃぐちゃにされなかった。けんかせず、一致団結すること、これってそういえば歴史の教科書の最初のほうで出てきた聖徳太子がいってた「和」ですよね。そうおもうと日本史の教科書ってすごいドラマだなあとおもいました。 日本はこれから激動の時代に入ったとしても、和の心とか、知恵とか生かして発展できたらいいなっておもいました。そういうことを発展途上国のひとにも伝えるべきではないかともおもます。 お返事どうもありがとうございました
- cse_ri2
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いい質問ですね。(^^) 完全な回答ではありませんが、部分的には過去の質問でいろいろと 考察していますので、参考までに読んでいただけるとありがたいです。 『日本はなぜ(半)植民地にならなかったの?』 No.9 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=274013 『日本の転落と愛国心の欠如』 No.14 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=303822 『私の思想に意見をください.』 No.9 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=588609 『何で日本は、ロシアや中国に勝てたのでしょうか?』 No.5 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=618281
お礼
お返事ありがとうございます いろいろチェックしてみます(^^v
- genmai59
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専門家ではないので、詳しくは知りませんが、江戸時代の日本の都市経済は非常に発展していました。江戸は世界一人口が多い都市で、当時のロンドンやパリに比べて衛生状態がよく、訪れた外国人はその清潔さにびっくりしたそうです。 このあたりのことは、石川英輔氏の「大江戸えねるぎー事情」「大江戸りさいくる事情」(講談社文庫)などに詳しく掲載されています。 また、「和算」は西洋の数学に劣らず、独自に複雑な幾何学の研究が行われていましたし、科学でも大野弁吉などが当時の世界に負けない発明をしているそうです。欧米の学会に発表していないので、認められていなかっただけですね。 ということで、当時の日本の文化程度は相当高かったと思われます。だから西洋文明が入ってきても、すみやかに吸収できたと。そして、国民全体の文化程度が高かったのは、260年の平和があったからでしょう。 それから、偉い人がたくさん出てきたのは、ひとつには文化程度が高くて教養を身につけられる土壌があったこと、もうひとつは激動期で、そういう人が必要であり、また、そういう人が活躍できる時代であったからだと思います。 いまの日本にあまり偉い人がでないのは、平和だからでしょう。いまの発展途上国にも、偉い人はかなりいると思います。
お礼
お返事ありがとうございます。 そうですね、発展途上国も、これから発展したときに偉大な人が国外でも有名になるんだとおもいます。 260年間の平和ということですが、やはり明治にしても江戸時代にしても政変や飢饉など大変な時期は何度もきたようですね。それでも他に比べると、政権がくずれるほどのことはなかったからこそ、発展できたんだとおもいます。やっぱり平和って大切だなあと思いました
- kamin
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専門ではないので、詳しいことは分かりかねますが・・・。 日本がペリー来航後も他国のような植民地化とされず何故か独立を保ち続け、しかも経済的に力を持ち始めたのは、やはりアメリカの戦略によるものであって、偉人が出たとか日本人の忍耐と努力の賜物とは一概に言いきれないとは感じます。 アメリカは、日本を植民地(この呼び方には異論のあるところかとも思いますが)とするどころか富国強兵策を支援し、強国となることに協力しました。その理由として、シベリア鉄道の開設や極東の開発に乗り出すロシアの南下政策を防ぐためであったと思われます。日本が弱小ではロシアの支配下に置かれ、太平洋側とヨーロッパの両方をにらむ強大な大国となってしまいます。そんな事態を防ぐためにはアメリカにとって、日本が内政の安定した親米国であることが望ましいわけで、経済支援をすることによって将来的にはアメリカへの献金、そしてアジアへの足場として利用するための戦略だったと思われます。また、日露戦争でもイギリスは日本に支援したのは、ロシアのアジア(太平洋側)への南下政策を防ぐ必要に迫られていたからです。 また、大戦後、敗戦国である日本にGHQは憲法の改正を求めます(非の打ち所の無い平和憲法です)。アメリカは政策を転換してロシアとの冷戦を長期化し、強国であるヨーロッパとの分断を謀ります。一方すでに日本は、憲法の改正、民主的な教育を施されており、アメリカの民主主義に添った政策を取ってアジアへの足場として基地を明け渡し現在に至るわけです。 つまり、日本が経済的・科学技術的に繁栄を見たのはやはり欧米諸国の意図によるところが大きいと考えられます。確かに日本があらゆる技術の取得に柔軟で驚くほど器用であったことは認められますが、その支援と契機を与えたのは他でもない欧米列強です。 一方のアラブ諸国が分裂しているのは、アメリカ・イギリス・フランスが干渉して分断しているからです。1989年の湾岸戦争にしても、アメリカがクウェートを支援したのはイラクがペルシャ湾に面する国面積を増やすのを防ぐためです。もしもイラクが強国となりアラブ諸国が統一されてしまったらどうなるでしょう。資源国である強国は、ヨーロッパやアメリカ、そしてその属国である日本を脅かす存在になることは間違いありません。なので、イラクが一つにまとまる可能性は何らかの形で掣肘されることになるでしょう。 今、自衛隊派遣が憲法改正に抵触する大きな問題となっています。GHQが日本に定めた平和憲法のはずが、今こうしてアメリカの都合によって変えられようとされています。この間まで「絶対反対」の声が優勢だったのに、「やっぱり自分の国は自分で守るべきなのだから、自衛隊の派遣も一概に否定するのは甘い」という世論もよく聞かれるようになりました。このように日本人の思考はアメリカの政策によってかなり左右されているわけです。
お礼
おへんじありがとうございます。 そうですね!確かに日本は欧米の意図にうまい具合にのって発展できたのだと思います。アメリカが今の憲法をつくったのに、都合が悪くなったら解釈をかえさせてでもっというかんじはすごくしていやですね。ところで、日本とおなじようにロシア南下阻止のためにアメリカが動いた国はあると思います。たとえば、トルコ。トルコにもアメリカからたくさんのお金が流れたけれど、あまりうまくいかなかった。朝鮮半島もロシア南下にとっては日本より近く重要だったと思えます。だけれど逆に朝鮮戦争ということになってしまた。 この質問を通して、色々な方にアドバイスを頂きわかってきたことは、カミンさんのご指摘のとおり日本は勤勉とか器用などといった国民性だけで発展できたのではない、そこに列強の思惑があったんだということがわかってきました!ただ、そういった思惑はほかの諸国にもむけられていた。だけど日本はそれをうまく立ち回って、国益をできるだけ損なわない方向へもっていっていた。という政治、そして一致団結して富国にまい進する国民性があったからできたのではないかとおもえました。 イラクやアラブ諸国はカミンさんのおっしゃるとおり、資源や地理的なことで日本以上に難しい状況なんだろうなあっと思えます。そして日本も今までのようにアメリカだけを番犬さまにはできないようですし、大変な世の中になるのかなと思います。みんながバランスを取ってよい世界に慣れたらいいなと思う今日この頃です
川勝平太の 「文明の海洋史観」 などを読んでみると面白いかもしれません。
お礼
こんばんわ。 おへんじありがとうございます。 そういえば、川勝へいたさん、以前学校でビデオを見た記憶があります。すごく面白い世界史観でわくわくした記憶があります。たしかペストはモンゴル帝国とともにひろがったとかいってた記憶が・・・。 川勝さんの話はダイナミックですきです。 本参考にしたいと思います。 アドバイスありがとうございました
こんにちは。 いま直感的に思うことを挙げると、 幕末から明治にかけて近代国家に進もうと決断できたのは、 1,日本特有の地理的要因 列強である大国が「欧米」に存在したこと。 東アジアの大国である隣国の清が、その欧米列強の圧力に屈そうとしていた事実があったこと。 2,天皇制が継続していたこと 君主制が権威の側でずっと続いており、 権力側である幕府という存在は可変的であったかもしれません。 他国に見られるように、その国のあり方を一から変化(革命)せずともよかったと思います。 実際、「大政奉還」も幕府側と倒幕側で解釈が表面的にせよ違っていますよね。 戦後日本が高度経済成長して経済大国になれた要因は、 1,当時の国民(臣民)の精神的支柱であった天皇制を存続できたこと うまいタイミングで天皇の全国行幸もあったし、 マッカーサーと吉田茂(私はいまの日本の事実上の建国者は彼らだと思っていますが…)の個人的な信頼関係が大きかったと思います。 2,日米安全保障条約により、共産圏からの軍事的脅威を免れることができたこと。 これは「米国は日本の番犬様です」といった国会答弁にも現れていると思います。 実際、憲法改正して安保条約を破棄して独力で国防に当たるとなると、国家予算の中で国防費はかなりの割合になると思います。(現在でもそうですが) その国防費の分、日本は社会のインフラ・国民生活の向上に力(資金)を投じてこれたのかもしれません。 *あと、幕末~戦後にかけて共通した要因として、思えることは、 優れた(といってよいほど)指導者や、偉人がよいタイミングで出てきたという偶発的な原因以外にも、 これらの人たちをみる国民一般の教育水準の高さがあると思います。 識字率が明治時代に100%に近い水準まで達したのですから。
お礼
こんばんわ。おへんじありがとうございます。 ご指摘のとおり偉人がいい具合にぽこぽこ現れたことは日本にとってすごくよかったことだとおもいます。 ところで、どうして日本にはそんなにぐっとタイミングでぽこぽこ現れることができたのでしょうか?ご指摘のとおり、日本人の識字率がたかったからそのような素地ができてたのかなあとおもえるのですが、ではなぜ、日本はそんなに識字率がたかかったのかなぞです。江戸時代は士農工商でほとんどが農民ですよね。農民は意外に激貧ではなかったと言う話をきいたことがあります。一揆ができたのも実は商品作物である程度潤っていた人たちが起こしてたということも聞くと食べる程度はあった。。とは想像できます。でも教育までも農民にうけられていたのでしょうか?明治になっていきなり全国津々浦々で教育運動でもおこったのでしょうか?明治維新の立役者はほとんど士族出身ですよね。江戸時代、藩が日本中あってそれぞれの藩の政務を取り扱っていた一部の武士が教養があったからなのか。。新たな疑問がわいてきました。調べてみます♪お返事ありがとうございました。
まあ自信はありません。と言っては回答する意味もないのですが。 もともと日本は「鎖国」をして自国の経済(農業・工業)を守っていたわけです。自国の製品が売れなくなると日本経済は終わってしまいますから。 明治維新になってもまだそれに似た状態は続きました。そのため、「貧しい」というような状態が続いたのです。 それを終わらせたと言っても過言でないのが第2次大戦です。 結局負けたわけですが・・・戦費もものすごく高くつきその時は戦時国債(借金)を発行しました。 その借金を、日本政府は帳消しにしました(インフレになってしまいましたが・・・)。 これにより対外的には日本の経済は立ち直り、外国製品や技術を取り入れることになり、発展していきました。占領統治したアメリカ軍兵が持ち込んだ製品から日本は出発した感じですね。
お礼
こんばんわ!!!! えーーーー!!と今かなり興奮してしまいました >結局負けたわけですが・・・戦費もものすごく高くつきその時は戦時国債(借金)を発行しました。 その借金を、日本政府は帳消しにしました(インフレになってしまいましたが・・・)。これにより対外的には日本の経済は立ち直り、外国製品や技術を取り入れることになり、発展していきました。 ↑ これって初耳でした(もっとしっかり勉強せねば!!)これってどの大臣のときにおこったことなのでしょうか?!! でもよくチャラにできたものですね。それだったらアルゼンチンもすればいいのに。。いや、アルゼンチンはチャラにしましたよね?(@@。では日本はその後 ぐっとタイミングで?朝鮮戦争がおこったからよかったのかなあ。 いろいろ興味がわいてきました。しらべてみよっと
- briony
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日本って本当に貧しかったのかな?と思います(個々の町民のことではなく、国です)。 金銀財宝を海外に輸出し、また工芸品やいろんな物産の輸出もありましたが、今みたいにGDPとかGNPとかはかる基準があったら、日本はそれほど貧しかったともいえないのではないかと、感じます。 それが、市民に繁栄はされていなかったでしょうけど。
お礼
こんばんわ。 お返事本当にありがとうございます 私も激貧までではなかったようには思います。 実は農民は、新田をちょこちょこ内緒で開発し、年貢には乗らないようにして」蓄えていたとか、金銀がとれてた(でも開国する頃はもうなかったけど)とか聞くと、どうしようもない貧乏ではなかったようにおもいます。 ただ清や朝鮮、またヨーロッパの国に比べたら月とすっぽんっていうかんじがしてました。(明治はじめごろ)でもそういう国っていっぱいあったはずなのに、どうしてこうなったんだろうなあ、なんて不思議です。 島国というならばスリランカやニュージーランドやオーストラリアもあるのに、、??とかおもいます。
- kyuhka
- ベストアンサー率12% (9/75)
概念的なことは分かりませんが・・・ 戦後の高度経済成長についてはマネジメントのうまさだそうです。詳しくはピーター・ドラッガーの本を参照に。まあ、簡単に言うと的確な人材と資金を効率的に配分等々・・・。
お礼
こんばんわ このドラッカーという人、支持者がたくさん居るようですね。ぜひ読んでみたいですが、、むずかしそう。。。本屋で見たらチェックしてみます。 お返事ありがとうございました!
- jujuta
- ベストアンサー率16% (31/192)
ザックリと私の思うことを知ってる範囲で書きます: アメリカのペリーが日本にやってきて、結果日本は 開国させられました。このことを司馬遼太郎は「日本 はアメリカに強姦されたようなもの」といったらしい です(未確認情報)が、ボクもその通りだと思います。 ここに、現在も続く欧米服従の原点があると感じます。 注 私は決して、”強姦”という言葉を女性を蔑視する 意図で用いたわけではないことをお断りさせて頂き たいと思います。あくまでも自分がこの分野の知識 を得た本の中で、紹介されていた言葉をここに記載 したものです。どうかご気分を害されませんように。 ここで日本はネイティブアメリカンや中国のように 抵抗して貞操を守る=戦争をして国を守る、ことを 選択しませんでした。強姦=侵略されても戦争を回避 したわけです。当然、嫌々だったです。だから日本は 太平洋戦争で堪忍袋の緒が切れたわけです。 要するに、日本は欧米列強が強かったから、それを 真似て自分たちも強くなろうとした。でも心の底では 決して納得はしてない。むしろ屈辱感でいっぱいです。 欧米に追いつき追い越せ、という気持ちとこんな奴ら の真似をしなければならないという葛藤がありました。 なので日本国民”全体”が激情的になって戦争して、 まあ結果的に負けました。(ちなみに軍部が勝手に戦争 したわけじゃないんですよ、よくそういう責任転嫁する 人がいますが)しかし負けたら当然悔しいですよね? だから、軍事力がダメなら経済戦争だ!ってことで。 アメリカ人の学者でもいますよ、「日本は経済戦争 を仕掛けている」という論文を書いた人(すいません 名前は忘れてしまいました)が。面白いですね。 だから日本のGNPが世界第二位と聞くと、関係ない 人でも我がことの様に喜ぶし、公害も黙殺された訳で。 こうやっていっぱい苦労して、日本はアジアで最初 に近代化しました。しかしその犠牲もとても大きく、 自衛隊のイラク派遣論争に見るように、世界情勢から 判断することが、未だにできない国家のままですね。 日本の精神的独立はいつくるんでしょうかねー? お役に立てましたか?私見なので確認して下さいね。
お礼
早速のお返事感激です。 司馬さんの本もぜひ読んでみたいと思います。 日本は強姦されたとのことですが、その司馬さんの本ぜひぜひよんでみたいです。それにしてもあの当時西洋列強はアジアを強姦しまくっていますね’(嗚呼表現が。。(^^:)彼らがもう少し強欲で無かったならば、、なんてことをおもってしまいます。 世界情勢からいまだに判断できない国、という部分は 私は「かつては世界情勢を見極めて判断してきた国が第二次世界大戦敗戦から、経済優先で、いつの間にか判断できなくなった国」かなあなんて思っています。 でも第二次世界大戦以降は経済成長の争いだったようにも思えるので、いつまでも軍に力をいれなかった(入れれなかった)日本の選択は良かったのかもとおもいます。ただこれからはまた新たな方向性(?うまくいえませんが)に向かっていっているのかなあと思います。 最近になって日本史はおもしろいなあとおもえるようになりました。もっともっと勉強してみたいです
お礼
お返事ありがとうございます !! そういえば、日本って内戦が・・・・・ほとんどない!!そうだ!!そういえばそうでしたね!! 朝鮮もあのころは甲申政変とかいって確かにもめてた!清も!東南アジアでもそういう内紛あったような気がします(しらべてみます) 最近日本史の本を読んだあとに、イラクにニュースをきくと、「このイラクにもこれから西郷どんや伊藤博文みたいなのがどんどんでてきて日本みたいになるんやろうか?」なんて思っては「でもなんか無理っぽい」と思ってしまっていたのですが、多分その違いは内紛なのかもしれませんね。イラクも早く一つにまとまれるといいな。