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歴史上の自害方法。中国、朝鮮、日本を比べてどういう手段で行う傾向が多いか?
注!残酷な単語が並ぶのでグロいと思った方はご遠慮ください。 私自身、面白半分ではない真面目な質問です。 あらゆる本やネットでもはっきりわからなかったので…。 タイトルの通り、漢文の項羽の「すなわちジケイす」(漢字わからない!)など、古代中国から自害方法はさまざまあります。 朝鮮でも日本でも頚動脈および首自体を斬るのが共通していますが、 なぜか日本人は「切腹」が多い!? 武士に限らず、茶道家の千利休まで切腹したと聞いてビックリです!! でも、現在の反日デモで切腹を図った韓国人がおりました。 英語辞典に「Harakiri」って単語もありました! さすがに戦国~幕末の刀レベルなら斬首可能ですけど、項羽の時代の剣って…どんな作り? あの頃の中国は剣より弓矢が武器としてメインだったのか? 香港映画なども金城武さんが弓矢使ってるシーンあり、『LOVERS』の飛刀(フェイダオ)はマイナーな武器だと思いますが…? 朝鮮も高句麗王「朱蒙王」(ヨン様の太王四神記「広開土王」の先祖)は、弓の名手として軍の先頭に立って戦ったらしい。 でも弓矢で自害は無理でしょうね?他人が射ったら自害じゃないし。 数年前のNHK正月ドラマの「大化の改新」では鎌足(V6岡田)が、 蘇我入鹿に矢を放ちましたが、致命傷になってなく結局剣で殺された(はっきり記憶ない)? じゃあ大化時代の日本は剣と弓矢どっちがメインなんだ!? それからこれは死刑や自殺関連話ですが、 西洋はギロチン台という物を作ってマリー・アントワネットなど斬首していましたが、 東洋では同時代に人間の手で斬首のパターンを続けてます。 ギロチンはシルクロードを通じて伝来しなかったのでしょうか? 銃で死ぬ方法は西洋が先に銃を発明したからだろうけども…。 現在も日本の警察官が銃で自殺した事件は何度も聞きますね…。 なんかメチャクチャですが、「バカの壁」を書いた養老さんの続編?「死の壁」を読んで真剣に考えてるんです。 間違えないでほしいのは「自殺法」ではなく「自害法」について、という前提です。 どなたか参考になるエピソードを教えてください。
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- shizumo
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西洋では自殺はキリスト教で禁じられていますから、基本できません。ある例では、圧倒的な敵に少数の部下を率いて決死の戦いを挑んだ騎士団がいましたが、この行動が「自殺的要素が高い」とされて教会は埋葬をしませんでした。カミカゼ的な戦いは宗教的に禁じられています。 死刑の方法ですが、火あぶり、曲げた立ち木や馬に四肢を縛り付けばらばらにする、血管を開いて血を抜き取る、吊るし首、斬首、磔、石投げなどがあります。 火あぶりはかなり一般的で、放火容疑者や異端者など宗教裁判などで使われました。ジャンヌ・ダルクがそうですね(ちなみに彼女の罪は男装をしたからです、魔女だったというわけではありません) 四肢をばらばらにするのは重罪で王族の暗殺、国家反逆などに使われました。 血管~は痛みもなく死ねるので自殺などでは使われます。ロビン・フットは寝ている間にこの処置を施され殺されます。 吊るし首、これは非常に良く行われました。これは窒息で死ぬのではなく、足元の台が外れた時落下して首の骨が折れるのです。首の骨を折れやすくするためにロープはきっちりと閉めず、少し緩めておきます。 ただし、罪状によってはつま先立ちにさせたままゆっくりと窒息させることもありました。 斬首、これは通常、斧で行います。場合によってはエキュゼキューショナルソードという首切り専用の両手剣を使うこともあります。 斧の場合はまな板のような首のせ台に首を置いて斬られます。剣の場合は平民は膝をついたまま、貴族は立ったまま首をはねられました。 立ったままの相手の首を水平に斬り飛ばすのは非常に難しいものでした。罪人は自分の首を一撃で落としてもらうよう首切り役人に「チップ」をはずみました。西洋人も粋なことをします。 と、いうものの、やはり一撃では死なず数撃になることもありました。 すべての処刑は公開です(したがって犯罪を犯すとどのような結果があるか子供の時分からわかります。現在の死刑はブラックボックスの中で行われるので原因と結果がわかりにくくなっています) この日は市が立ちお祭りのようになりました。見学人は処刑人が一撃でしとめると、拍手喝さいですが、しそこなうとブーイングの嵐です。 磔 有名どころはキリストです。 石投げは主に姦通罪にたいしてです。これはまだイスラム圏でも厳しいところは残っています。これは参加型の処罰法とでもいえるもので 中世ではかなりの重罪(強姦とか、殺人までは行かないが)に対して行われました。市民は憎しみを込めて石を投げつけ自分の手で制裁を行えます。 ギロチン。これは他の方もいわれてますが、一撃で死ねる人道的なものでギヨタンという医者が作りました。本来は正義の柱 Bois de Justic 刃の重量は40kgありました。 中国では、絞首刑より斬首刑が重罰だした。中国人は、遺体を傷つけられることを嫌い、首斬られるなどして体が分かれていると、生まれ変われず、永遠の亡者になると考えられていました。地位や身分のある人の場合、「斬首の後、首と胴を縫い合わせて葬った「り、「戦で首をとられた遺体に、藁などで頭部を繕って埋葬した」りしました。 逆にヨーロッパでは、斬首刑のほうが軽い(?)罰でした。斬首刑のほうが苦痛は少ないとされていたのです。イギリスのエリザベス朝では"貴族は斬首刑、一般人は絞首刑"だった。
- pri_tama
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>朝鮮でも日本でも頚動脈および首自体を斬るのが共通していますが、なぜか日本人は「切腹」が多い!? お腹を切っても簡単には致命傷に成らない事をあえてやる事によって、死のうとする人の意志の強さ、あるいは死に到る原因を作った人物への恨み等の感情を見せ付けると言う意味があります。 ただし、江戸時代になると完全に形式化して(余程の人物でもなければ、傷が致命傷に成る前に意識を失ってしまう。自殺する方法としては非合理的)、そもそもお腹に刃物を刺す事すら止めてしまい、介錯人が首を切る事により絶命に到ります。 逆に言うと、死を命じられた人に「切腹と言う強い意思が無いと達成できない事をやり遂げた立派な人」と言う名誉を最後に与えて死なせると、日本的な優しさの発露かなと思います。 なお、介錯には凄い技術が必要(首の皮一枚残して切断する)な様で、当時の藩お抱えの剣術家等が名刀を用意して担当したようです。 (失敗して切り落とせなかった場合などは、責任問題に波及する事も…。) >さすがに戦国~幕末の刀レベルなら斬首可能ですけど、項羽の時代の剣って…どんな作り? 日本の戦国時代でも、戦場で使用される近接刃物(短刀)って切れ味よりも、丈夫で重くて分厚い物です。要するに鉈みたいな刃物です。 長く戦場を駆け回っていた項羽の様な人物が、力いっぱい鉈のような刃物を首に振るえば、首が千切れ飛ぶかは微妙でも、確実に絶命には至ると思います。 (切れなくても、首は折れるでしょう…。) >あの頃の中国は剣より弓矢が武器としてメインだったのか? 銃火器が登場するまでは、戦場での本気の戦いを想定した軍隊では主流の武器は飛び道具です。(弓矢 or 投石) >でも弓矢で自害は無理でしょうね? 和弓の様なロングボウで自害は流石に困難ですが、中国やヨーロッパ等で用いられる弩(クロスボウ)での自殺の例(発射口を自分に向け足で引き金を引く)は有ったかと。 >西洋はギロチン台という物を作ってマリー・アントワネットなど斬首していましたが、 >東洋では同時代に人間の手で斬首のパターンを続けてます。 >ギロチンはシルクロードを通じて伝来しなかったのでしょうか? ギロチンが開発されたのはマリー・アントワネットの時代(江戸時代の後半)ですよ。シルクロードを経由しなくても、出島のオランダ人商人から当時の状況を幕府等は認知していたようです。 (夫のルイ16世が刃を斜めにする様指示し、そのお陰で完成しました。自分が指示した物で殺されるのは、歴史の皮肉としか…。) あと、大掛かりでかなり高価な物(当時のフランス市民の年収の倍以上)ですから、フランス革命後の様な人道主義(死刑囚と言えど苦しまずに刑を執行すべきとの考え)が無いと使用する意味が有りません。 (日本人的感性かも知れませんが、後に人道主義が日本に根付いた後では、斬首の様に執行時、辺りに血潮をばら撒くものより、絞首刑の方が人道的と判断された様に思います。)
お礼
ありがとうございました。 申し訳ないですが、自分で質問したくせに お答え頂いた文章にビビッてしまい…(情けない!!) お礼のみでコメントをとどめさせてもらいます…。 私がバカでした!反省!
- bismarks05
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まず冒頭に 養老氏の作品を読むとバカが深刻化します。 つまり、読むべき著作ではない、ということです。 それについてはここでは述べませんが、 養老氏はかなりトンデモ話を平然としますので、疑似科学の部類もあると思ってかなり疑うことをお勧めします。 少なくとも歴史家で養老氏を評価した専門家を知りません。 渡部某氏との対談記事でも両人が『知ったか』で歴史を語っていたのでビックリしました。あれで日本の政治文壇に居られるのだから、日本は三流政治だと納得できます。 さて、自決・自刃・自害の方法は多種多様です。 質問者は、支配者階級の自刃・自決だけで考えている(局所的な事例だけしか思いつかないのが養老レベル)ようですが、 文化性・民族性によってかなり方法が違います。 それらをある程度特定しないと回答できない話ですので、できれば特定することをお勧めします。 死生観に関する問題は、民族性・宗教性の範囲もあり総合的に語ることができるほど簡単な話ではありません。(民俗史の範囲なら可能かもしれませんが) 世界共通するのが、”首を落とす”ことの重要性でしょう。つまり”斬首”は復活のありえない方法として重視されたようです。 まず「切腹」ですが、歴史的には鎌倉時代に完成したと言われています。ただし、人類の自殺方法としては歴史が浅いものです。 自殺といっても、自らの意思で死ぬ自殺、直接自身を殺害する自刃で意味も若干変わるでしょう。 さて、非常に古い時代の大陸では自決方法は切腹などよりも過激なものが多いようです。 というのも殺傷力のある武器がない時代ですと、どうしても自決する人間が苦しむことになってしまいます。 ギロチンは人道的見地から、”簡単に楽に死ねる方法”として開発されたわけで、昔は自決は大変に苦痛を伴う難しいものだった、と考えるべきでしょう。 ところで、質問者の文章において >「自殺法」ではなく「自害法」について、ということですが、 自害とは、”自分で自分のからだを傷つけて死ぬこと。自刃(じじん)。自殺。”であり、自害と自殺は同義です。 したがって、区別することは不可能と言えるので、これについては回答できません。 さて、中央アジア史の牧畜社会では自殺方法としては、 袋に踏めて馬車・戦車で轢死させる方法がもっとも尊厳ある死に方です。 他の死に方よりも確実に一瞬で死ねる方法だったから採用されたのでしょうが、これは自害ではなく自殺と考えるものでしょうか? ぶっちゃけ、養老氏のトンデモ世界では、自害・自殺の分類が行われているのかもしれませんが、質問者の意図がわかりかねますので、補足を要請します。
お礼
ありがとうございました。 申し訳ないですが、自分で質問したくせに お答え頂いた文章にビビッてしまい…(情けない!!) お礼のみでコメントをとどめさせてもらいます…。 私がバカでした!反省!
補足
すみません。 養老さんを信用しきっていた私こそ「バカの壁」を越えるべきですね。 「死の壁」を読んだ後、メールした友人と大河ドラマの話題になったのが疑問の発端です。 要するに、質問の要は『時代と国による武器の頑丈さ』です。 明日の朝までにその質問タイトルで再質問するので、 できたらそちらにご回答ください。 自害方法にまで疑問をでかくしてしまい、混乱招いてごめんなさい!です。
- buchi-dog
- ベストアンサー率42% (757/1772)
質問者さんはいくつか勘違いしているようですね。 ********************************************************************************************************* 1) 切腹のみでは自決できない 日本の近代史上、一人で切腹して自決に成功した人として、乃木希典大将がいます。 乃木大将は、明治天皇の大喪の儀の当日に夫人と共に自決しましたが、まず夫人の心臓を突いて絶命させた後、 「短刀で古式に則って実際に腹を切り、その後頚動脈を自ら切って」 死亡したはずです。 腹を本当に切ってから、自分の手で更に頚動脈を切るというのは信じ難い精神力を要することですが、乃木大将はそれを成し遂げています。 切腹と言うのはあくまで儀式であり、腹を切った後に別な者が首を落とす「介錯」とセットになって、初めて自決の手段となりました。例えば、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地に侵入して総監室で腹を切り、三島の同志が首を落としています。 江戸時代、切腹と言うのは「武士が、武士の身分を保ったまま、罪を恥じて自決すると言う形式を取った死刑」であり、 「武士の身分を保ったまま自決する形式」 であることに大きな意味がありました。 江戸時代の切腹と言うのは、実際は A) 切腹するものは、沐浴して裃をつけて正装する。 B) 短刀または扇子を「四方」という木製の台に載せて切腹者の前に置く。 C) 事前に打ち合わせを行い 『短刀で腹をタテヨコ十文字に切った後に介錯するか』 『短刀を取って腹に突き刺した段階で介錯するか』 『短刀に手を伸ばした段階で介錯するか』 などを決める。 時代が下がるに従い、『扇子に手を伸ばした段階で介錯する』ことが増えたようです。 と、あくまでも「首を落とすことで絶命する」ものでした。 大東亜戦争の敗戦後、「切腹のみ」で自決した陸海軍将官が2名います。 阿南惟幾 陸軍大将 (陸軍大臣) 大西瀧治郎 海軍大将 (軍令部次長) 阿南大将の自決は「昭和天皇の宸襟を悩ませたお詫び」、大西中将の自決は「多数の特攻隊員の後を追い、責任を取った」とされていますが、いずれも介錯なし、医師の手当てを一切拒んで切腹しました。 その結果、半日以上言語を絶する痛みに苦しみながら、最終的に出血多量で死亡しました。 大東亜戦争の戦中から戦後に自決した高級軍人は少なくないですが「拳銃で自決」が普通です。なお、サイパン島で玉砕・自決した陸外軍将官(南雲海軍中将、斉藤陸軍中将、井桁陸軍少将)は、「軍刀で切腹する作法を取り、軍刀を腹に当てるのを合図に部下が後頭部を撃って『介錯』したようです。 サイパン肉弾戦―玉砕戦から生還した参謀の証言 (光人社NF文庫) 平櫛 孝 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4769824947/ なお、銃を持っている場合に最も確実な自決方法は「銃口を口にくわえて発砲する」ことで、後頭部を吹っ飛ばすかブチ抜くことができますので確実に即死できます。 将校の場合は拳銃を使いましたが、一般の兵が小銃で自決する場合は、「小銃の銃口を口にくわえて、足指で引き金を引く」方法が取られたようです。 東條英機大将や、ドイツのベック大将は、銃口を口にくわえるのではなく、「心臓を撃つ」(東條大将)、「拳銃を頭の横に当てて発砲する」(ベック大将)といった方法で自決を試みましたが、いずれの場合もそれだけでは死ねず、東條大将は米軍の軍医の治療で命を取りとめてしまい、ベック大将は他の者に銃でとどめを差されています。 ********************************************************************************************************* 2) 西洋での死刑の方法は、『魔女』『異端者』(人間でないと看做された哀れな人)の処刑を除き (A) 絞首刑 (B) 斧で首を斬る が普通でした。 (A)の方法は、特に技術が要りませんので広く行われ、 「罪人を良く見えるところで大木や建物に吊るし(絞首刑にし)、死体を鳥がついばんで腐敗するに任せ、見せしめにする」 ことが、政治犯の処刑や、山賊の処刑などでよく行われたようです。 (B)の方法では、罪人を横にし、熟練した「首斬り役人」が重い斧を振り上げて首を断ち切る、と言う方法で行われましたが、この方法は「首斬り役人」がいないと出来ません。(A)の方法ほど「手軽」ではなかったようです。 また、首斬り役人の狙いが外れることもあり、この場合は死刑になる者の苦痛を増すことになりました。 (B)の方法を発展させて「首斬り役人が重い斧を振り下ろす」のを「錘をつけた刃が高いところから落ちてくる」ことに置き換え、「処刑の不手際による被処刑者の苦痛の軽減」を図ったのが「ギロチン」です。 この処刑器具は「人道的」なものとされ、フランス及びその影響を受けた国では20世紀後半まで使われていました。 発明されたのが19世紀後半ですから、「シルクロードを通って東洋に伝わる」ことはありませんでしたが、フランスの植民地だったベトナムやニューカレドニアでは使われていたはずです。 *********************************************************************************************************
お礼
ありがとうございました。 申し訳ないですが、自分で質問したくせに お答え頂いた文章にビビッてしまい…(情けない!!) お礼のみでコメントをとどめさせてもらいます…。 私がバカでした!反省!
お礼
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