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日本人は 死んだのでしょうか
話し合いが出来ない。 話をしていても 知識とそれをめぐる意味のない言葉とを並べるだけである。 意味のある話をすると 逃げて行く。あるいは はぐらかしをしながら 話のすり替えの術にかけては 玄人裸足だと言わんばかりになっている。 もう死んだのでしょうか? こうやって 死んでいくのでしょうか? 生きている人は もう いないのでしょうか?
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- owlsjp
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bragelonne さんがいくら論議しようと話し合おうと 自分の世界観と実際の行為振る舞いに反映させなければ、社会になんの影響も与えることもないだろうと思われますので(というより捻じ曲げると返って悪影響を与える)、ご自分の頭のハエを這い払うのが先決でしょう、目に映る問題は すべて自分のことでもあるのです. まあ、日米安全保障条約の解消については、当事者たちが残らず死に絶えて、カルマが消滅してから つまり100年を目安に考えればよいでしょう. 個々の人が気づいた上で処置を施していかなければ何の意味もありませんからね. > これぢゃ話にならない。 全くその通りですね、というわけで さようなら.
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
> 身の周りの生活範囲を死から起き上がらせ そこで安定した井戸端会議を民主的に自由に日々いとなんでいける世の中にするという《沖縄人から見れば えげつない態度振る舞い》をとる道もあり得ます。 つまり、日米安保条約のことも含め、積極的に生活環境を変えていくべきという私が導き出した理念に『賛同』したということですかね? > ★☆ いくら水面が揺らいでも深い部分では動じないから という考えを前提とした上で(そんなことは全くないと思うのだが) ☆ この命題について しっかりと研究してみてください。決して 精神主義に流されないようにというのが 留意点でしょう。 精神と心理とは 如何にちがうか等々が焦点になるでしょう。 やはりそこだけを突いてきましたね、他は回答しないで(笑 自分を含め他者の精神が「水」で出来ていると言う前提に依って成り立つ思想です。 例えば空気を含めた物質のように「熱」が奥深くまで伝わっていくという考え方もできるわけです. > ☆ この命題について しっかりと研究してみてください。 その言葉はそのままそちらにお返しいたします. > ☆ この命題について しっかりと研究してみてください。決して 精神主義に流されないようにというのが 留意点でしょう。 そうです、だから 「深いレベルでの精神は穏やかだから大丈夫」と考えないで実質的に社会環境を変えていくのも、「精神論」を述べるのと同じくらい、場合によってはそれ以上に大切だと言っているのです。 自分自身が精神論を述べているのに、自分と他者の意見ををすり替え、反転させ、まるで相手がそれを述べている、とでも言いたげな、狡猾なやり方ですね. 外道.いつもの通り、変わりありませんな. もう引っ込みがつかなくなってしまって、体裁を取り繕おうと必死になってるんですかね?
お礼
これぢゃ話にならない。
補足
★ つまり、日米安保条約のことも含め、積極的に生活環境を変えていくべきという私が導き出した理念に『賛同』したということですかね? ★★ (No.25) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 生き返るためには駐留米軍の撤退と、日米安保条約の解消をしなければなりませんね。 そうすれば、些細なことで「警察呼ぶぞ」という人間も少なくなり、正直に生きられるようになるんでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これですが これは 《理念》ではなくて 具体的な政策です。しかしながら 特に国際関係の場では 一つひとつの政策が必ずしも一定であることはむつかしいし その必要もないところがあります。情況や情勢を受けとめつつ 対処していかねばなりません。《安保解消》の一事をもって総合的な政策やまたその理念であると言うには あまりにも範囲や考えが狭すぎます。つまりまだ定まりません。 ということを伝えると同時に いささかでも理念にかかわるようなことを述べてお応えとしようとしたものです。それ以上ではないようです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分を含め他者の精神が「水」で出来ていると言う前提に依って成り立つ思想です。 例えば空気を含めた物質のように「熱」が奥深くまで伝わっていくという考え方もできるわけです. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《熱》のたとえで説明できれば それはそれでよいのです。ほかのたとえもあるでしょう。問題は 内容如何です。違うのか。違うのなら どう違うのか。これを明らかにするのが 批判――自由な批判――というものです。 ★ 自分自身が精神論を述べているのに、自分と他者の意見ををすり替え、反転させ、まるで相手がそれを述べている、とでも言いたげな、狡猾なやり方ですね. ☆ (1) 精神主義に流されないようにという留意は むろん 自戒でもあり一般論でもあります。 (2) 《自分と他者の意見ををすり替え、反転させ》――たぶん 課題を挙げて《研究してみてください》と言ったのが いけなかったようですね。その上から述べる言い方がいけなかったようですね。ところが この場合は そのように奮起をうながそうとしたというのも ほんとうのところです。そんなことくらいは 分かる方だと思っていました。 つまり こういう暴露話が出てくるから 応答を控えたのです。《これぢゃ話にならない》でしょう? そちらからも そういう言葉が返ってくることになるでしょう。 ★ 外道.いつもの通り、変わりありませんな. ☆ 《外道》ったって ぢゃあ あなたは ブッディストですか? だいたい 自分の思想の内容に自信がないときには 自分の思想以外のものを《外道》だの《野蛮人》だの《不信者》だのと言う片向きがあります。 現代のブッディスムは かなり外との交流はあるようですが――比較思想などという研究も進められているようですが―― 一向に不必要ななぞを残しています。《ブッダは 神(絶対者)か?》あるいは《仏性は 普遍的なものか?》について明確な答えを出せないでいます。 このブッディスムにうつつを抜かしている部分によって 日本人は死んだという側面もおおきいでしょう。 ★ もう引っ込みがつかなくなってしまって、体裁を取り繕おうと必死になってるんですかね? ☆ だいぶ取り繕えたでしょう? もっと 《引っ込みがつかなくなる》ようにしてください。そうすれば いろんな方面の相手も対話に応じざるを得なくなるでしょう。 井戸端会議をお続けになるつもりはありますか? (むろんここでは 質問と回答との情報交換です。規約にしたがったものです)。
- maimaisus
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maimai.susです。 >☆ 《裕福》の問題に限定されているということでしょうか? 裕福と言うより、「物質的な事」や「生活環境」と言った方が正確なのかも知れません。 今の日本は昔に比べ、急激に経済や物質的な事を中心に動いているように思います。 それによって、価値観も急激変化し、取り残された価値観や対応していく価値観が存在し、その歪みがそう感じさせるのではないでしょうか。 他の先進国は、そう言う意味において日本より色んな意味でバランスが取れていると思います。 もちろん、例外はありますが。 >☆ というのであれば 独我論についても説明する必要が生じます。 私の考える、独我論とは、芸術家や、科学者、職人と言った人達が何かを極める為や造り出す為の確信であったり、決めごと、思考であると考えます。 しかし、何かを極めたり造り出す為には、それなりの犠牲も存在しその犠牲の一つに、《話し合いが出来ず 死んでしまった》状態があてはまるときがあると思います。 まあ、この場合は、死んでいるからではなく、生きているからこそ話し合いが出来ないのですが。 しかし一番困るのは、一流大学出て要領良くて偉くなって自分は、他の人間とは違うって勘違いして、人の話聞かない人とか、変な特権意識持ている人かな。 悪い意味で、勉強や金儲けの職人が存在すると言う事かもしれないですね。 正しく生きようとするのは、能力とは別の問題だとおもうし、それなりの人がそれなりにしてもらわないと、世の中、上手くいかないよね。
補足
なるほど。maimaisus さん よくぞ説明してくださいました。ご回答をありがとうございます。 ★ 正しく生きようとするのは、能力とは別の問題だとおもうし、それなりの人がそれなりにしてもらわないと、世の中、上手くいかないよね。 ☆ これは この質疑応答の途中でも出てきたと思いますが ○ ヨリ原始心性 / イリ歴史知性 / ヨセ超歴史知性 ☆ の問題ですね。《ヨセ》はつねにふつうの人間市民の心のあり方の上を行こうとするもので 精神をあたかもそばだてて心理的に忙しくしており 要するにガリ勉キャピタリストになるという分析です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし一番困るのは、一流大学出て要領良くて偉くなって自分は、他の人間とは違うって勘違いして、人の話聞かない人とか、変な特権意識持ている人かな。 悪い意味で、勉強や金儲けの職人が存在すると言う事かもしれないですね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 妙なことに 意見が合いましたね。 ★ 私の考える、独我論とは、芸術家や、科学者、職人と言った人達が何かを極める為や造り出す為の確信であったり、決めごと、思考であると考えます。 ☆ 字数の関係で引用を打ちきっていますが これは予期していませんでした。となると この場合は 一時的もしくはその仕事の遂行のための方便としてのもののようですね。 わたしは こうも考えていました。つまり 独我論というのは (1) ひとは 他のひとのことを何一つとしてほんとうには分からない。 (2) 言葉をとおしてわたしは ほかの人と話をする。互いの意思疎通のために最大限 話し合うことに努める。 (3) ただし わたしの心の内については ついぞ一切 ひとには明かさない。明かしても無駄である。ひとは互いに分かり合えるわけがない。 (4) つまりは 外面における経済生活などについては開かれているが 内面の問題については一切 鎖国政策である。 ☆ というのが 独我論だと思っていました。もっと通俗的に言えば ○ わたしは あなたに《こんにちは》とあいさつを交わすけれども それは《外面における社交は引き受けているけれども 内面にかんすることは一切 触れたまうことなかれ。その点よろしく》という意味だ。 ☆ という考え方かと思っていました。どうですか? ★ (要約) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 経済生活の変化につれて 価値観がゆらぎ ひずみを受けている。経済活動に徹して価値を追求するものであったり それに背を向けて人びとの援助を頼りしかも声高に主張を繰り広げる他方の極としての価値観であったり またそれらの間で 右往左往せざるを得ないような動きを余儀なくされている多くの人びとがいる。 ただし ★ 他の先進国は、そう言う意味において日本より色んな意味でバランスが取れていると思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いくつかの点でより一層明らかになってきました。ありがとうございます。ただちにどこまで進め得るかは分かりませんが こうして日本の特異な問題点も出てくるかも知れません。 とりあえず こういったところでしょうか。
- maimaisus
- ベストアンサー率8% (6/75)
maimai,susです。 >○ 相対主義 あるいは 独我論 ☆ ここらへんに一つの要因があるのではないでしょうか。 一理も二理もあると思いますが、それよりも、私は今の日本人は裕福になりすぎ便利さや物の価値観が変わってしまい、その中で何も気付かずそれに溺れている人が多いように感じます。 そう言う意味では、価値観が独我論に通ずるところがあるのかも知れません。
お礼
そうですね。 格差社会と言われる限りでは 貧困にあえぐ一部の層の人びともいます。その人たちの情況をも合わせて捉えた上で ご自身の見立てをさらに詳しく説き明かすことはできるでしょうか? ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私は今の日本人は裕福になりすぎ便利さや物の価値観が変わってしまい、その中で何も気付かずそれに溺れている人が多いように感じます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《裕福》の問題に限定されているということでしょうか? 昔から――その当時は 社会の一部分の人びとですが―― 金持ちはいました。社会が全体として 経済的にゆたかになったという情況を捉えていますでしょうか? それなら おっしゃるように先進国におおむね共通の問題になりますし 《話し合いが出来ず 死んでしまった》人びとがそれらの国々に多くなって来ていることになります。そう見ていいでしょうか。 そしてこのゆたかであるという問題は ★ そう言う意味では、価値観が独我論に通ずるところがあるのかも知れません。 ☆ というのであれば 独我論についても説明する必要が生じます。 つまりは おおよその原因をも明らかにしておいて 死の状態から抜け出ることを考えたいと思います。 このような手順を踏んでこの問い求めをすすめてまいりたいと考えますが どうでしょう。
- owlsjp
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死んでいる生きている というのは抽象的な表現で、結局日本人が活性化しているか、精神的に衰退つつあるか という問題はやはりあると思います。それは町を往く人々の表情を見ても明らかだと思いますが。 いくら水面が揺らいでも深い部分では動じないから という考えを前提とした上で(そんなことは全くないと思うのだが)、例えば沖縄の米軍基地をそのままにしておき、いまだ悲鳴を上げているかもしれない いわゆる人質になっている土地にいる人を放っておいてもかまわない というのは全く えげつない 態度振る舞いです。 いずれにしろ、日米安保条約 を解かない限りは日本の「戦後」は終わりません。
お礼
かつてヱ゛トナム戦争のときには ○ ヱ゛トナム人は毎日死んで行っているんだぞ。おまえら放っておいても構わないのか? ☆ と言って叫んでいた人びとがいました。 身の周りの生活範囲を死から起き上がらせ そこで安定した井戸端会議を民主的に自由に日々いとなんでいける世の中にするという《沖縄人から見れば えげつない態度振る舞い》をとる道もあり得ます。 ★☆ いくら水面が揺らいでも深い部分では動じないから という考えを前提とした上で(そんなことは全くないと思うのだが) ☆ この命題について しっかりと研究してみてください。決して 精神主義に流されないようにというのが 留意点でしょう。 精神と心理とは 如何にちがうか等々が焦点になるでしょう。
- maimaisus
- ベストアンサー率8% (6/75)
maimai,susです。 私は別に有識者ではないのですが。 bragelonneさんに対して言えば、mowlsjpさんと同意見。自分の事棚に上げて人の事とやかく言うのもどうかと言った処だね。 質問に対して言えば、生きていると言う事の実例がないと答えに困ると言った処でしょうか。(質問に対して率直に答えようとするならば。) あえて言うなら、日本人とか関係ないと思う。 そして、生きているとか死んでいるとかの問題でもないと思う。(変な表現の質問はどうかと) まあ、皆さん話が全く伝わらない訳ではないので、思考や、感性などの接点の問題が大きいのではないでしょうか。
補足
たとえば 【Q:《オタク》は 他者性を避けているか】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5021239.html で回答を得て考えた結果ですが ○ オタクという傾向は ひとつのコトに没入するとしても 必ずしも ここで言う《話し合いが出来ない》のではない。 ○ じゅうぶん話が出来るのだし おまけに創造力を宿していて 一見狭く見えるその没入している世界を突き抜けて社会的な事業にも発展することがある。 ☆ と思われます。 話し合いが出来ないのは わたしの考えでは ○ 相対主義 あるいは 独我論 ☆ ここらへんに一つの要因があるのではないでしょうか。 以上の課題について研究してみてください。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
No.47に対しての補足: >考え方において反対の側からの投稿のようですが 「反対側」にいると言う表現を使うということは、自分がどちらかの側に偏っている、という自覚があるということを表明していますね. つまり、ブラジュロンヌさんの言い方を借りれば(本人が理解しやすいから)イリ ではなく、ヨリ側にいるということです. 真ん中の道を歩いている人は、左右どちらにいる人にとっても、「反対側」にいるように見えるんでしょう。真ん中の道を歩いていれば「反対側」にいる人など事実上存在しません. と、言うわけで自分でヨリ側にいる と白状しているようなものです. >有識者のみなさん! かれは わたしの質問をあなたがたに投げかけているみたいですよ。 いいえ、違います、質問者さんの質問とは内容が全くと言っていいほど違いますよね. むしろNo.48がまさにそうです.
補足
★ 「反対側」にいると言う表現を使うということは、自分がどちらかの側に偏っている、という自覚があるということを表明していますね. ☆ わたしの見解に対する《反対側》という意味です。それ以外に 意味はないし 問題も起きません。 ★ 真ん中の道を歩いている人は、左右どちらにいる人にとっても、「反対側」にいるように見えるんでしょう。真ん中の道を歩いていれば「反対側」にいる人など事実上存在しません. ☆ No.47を受けて書いたわたしの文章は ○ わたしが 《真ん中の道を歩いている人》である ☆ ことを前提として言っています。主観としてそのように表現するのは 一向にかまわないわけです。まちがいがあれば その箇所を挙げて理由とともに指摘するのがよいでしょう。 そのわたしの《反対側》というのは 左右のどちらかにいる場合でもよいのですが その真ん中のわたしの見解を 根拠なしに批判する側という意味です。このことの内容がいま問題になっているのですから 追い追い見ていきましょう。 その真ん中の道というのは むろん 《イリ》というふつうの歴史知性の立ち場です。互いに対等な――したがって自由に批判し合える――イリという自己表現の過程を歩むという意味です。この自由は まったくの自由です。 自由をいまだ知らないということもないでしょうが ややもすると自分や自分の信奉している人ないし思想に閉じこもるとすれば それは 《ヨリ》なる心性です。 自由をいいことにして 社会力学を自由に駆使して多少の強引さはゆるされるだろうと踏んでの《人を導く》つまり《寄せる》という思想と立ち場が 《ヨセ》なる超歴史知性です。ヨリ心性をあたかも従え そこに築いた優勢のもとに社会的な力関係において イリをも圧倒してしまう政治力を形成しています。このとき イリや ヨセに くにゆづりしています。 何でもかんでも目をつけたことについては 既成事実をつくることが初めにあり ここに作られた或る種の秩序をいいことにして 有力な基盤を築きます。むろん イリからのふつうの批判を もしそれがみづからの体制保守にとって危険なものであれば 封じ込めようと働くでしょう。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >有識者のみなさん! かれは わたしの質問をあなたがたに投げかけているみたいですよ。 いいえ、違います、質問者さんの質問とは内容が全くと言っていいほど違いますよね. むしろNo.48がまさにそうです. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《No.48がまさにそうです》ならば それは《わたしの質問》であるのだから 《わたしの質問をあなたがた(有識者ら)に投げかけているみたいですよ》で合っているぢゃないですか? こういうひどい勘違いがあったので 応えなかったのですが どんどん明らかにして行っていいのですか?
- owlsjp
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捻じ曲げてきましたか、これは確信犯です. >何やら雲行きがあやしくなってまいりました。 自分が優位的立場にあり、尚且つ自分は悪くないよ、とアピールするかのような狡猾な文章ですね.「雲行きがあやしくなって」きたのは自分の無理解もしくは「自己顕示欲」が為すところでしょう. >《政権を担う者が自民党だけなら 社会は将来必ずどんでん返しをつうじて明るい世界に出ていく》ことが《分かっている》と言ってよいか? そんなことは一言も言っていません。何処から持ってきた文章ですか?曲解にも限度があります. >★ 人間には《破滅願望》がある。これの影響はちいさくない。どう考えるか? これも自分で部分を切り取って編集した文章です。☆と★ の記号の意味がだんだんなくなってきました.内容からして、もはや議論でさえなくなってきました. >☆ これは 想定です。《人間存在が 善であるとすれば》という想定です。 性善説、これが 幼い. どちらでもないから. >つまり悪は 最初に想定した善の部分的な欠落という意味になります。以上のような定義において 善悪という言葉を使っています。この悪を伴なうものを 特に精神にかかわらせて 病気と言いました。 >善の部分的な欠落が 悪である。 >悪を伴うものを~病気と言いました。 完全矛盾です。 >ひとを寄せるためにアマテラス公民になるならば――つまりアマアガリするならば―― それは 病気であり アマアガリ症候群と言ってよいと考えます。 ~であるなら~である。←勝手な想定とそれに基づいた独断。こんな文章ばっかり(笑。 ヘリクツを自分でこねくり回していますね. > ★ 復讐 ☆ も 相手の自由意志を踏みにじるなら 善に損傷を与えますから 悪であり それをおこなおうとする精神は病いにあります。 まさしくbragelonneさんがここでおこなっている事ですよね. >社会の二階からその上からのまなざしによって人びとを寄せるという思想は すでにその《ヨセ》という発想において 善から逸脱しています。(むろん想定においてです)。 そうですか、でもそれと私が書いた文章とどう関係してくるんですか??? >★ 一次情報と二次情報 ☆ につきましては どちらでもその得た情報内容について 《イリ》の知性のままに活用するなら 問題はないと考えます。善から逸脱するようなかたちで寄せるために利用すなわち悪用するなら 問題です。 いえ、二次情報は何処まで言っても自分で確認したものではないから、それを元に判断したり行動したりするのは誤りです.参考程度に考えるなら話は別ですが. >むしろおのれのこの歴史知性を曲げてしまう――つまりは 自己の神格化というアマアガリに向かってしまう――なら そのことによって 善が欠落していきます。 ~なら、~である。(笑 bragelonneさんのことですね. > ☆ これらは ふつうのイリなる歴史知性にとって 影響は受けたとしても それによって左右されるものではありません。 影響を受けても 左右されない が矛盾している.あ、実質的な自分の行為振る舞いに左右されないと言う意味か?なんかすでにヘリクツの領域だな. > このような悪の状態に陥るときには 生活環境なり親との関係なりが 問題の原因なのではないかとの見方が出されることがあります。表層的な見方です。 それで、実際のところどうなんですかね、一人暮らしは寂しいから嫌なんですか? > ☆ これにつきましては その後のやり取りの中ですでにひととおりの扱いが出来たと考えます。安全保障だけで と言いますか 安保条約を外すというだけで あとはよきに計らえというのは あまりにも分からない提案ではないでしょうか。 そんなことは言ってませんよね、もしかして他人を怒らせてエネルギーを得ている精神病の方ですか? > ★ 直面している状況にたいして、自分の意思、理念を反映させようという思想を持つ ☆ ことを わたしもしていますよ。 では、ここでも反映させてください. >★ 病気 ☆ は 善と悪の定義のうち 悪から出るものと規定して使っています。 悪というものは 善 が欠落したものだと言っておきながら、「悪から出るものと規定して」とのことで、これも矛盾ですね. > ○ 他者の自由意志を 上からみづからのもとに寄せ 踏みにじることは 善に傷をつけその傷のぶんだけ悪である。 悪というものは 善 が欠落したものだと言っておきながら、「傷をつけたから悪である」が矛盾しています. >ひとの意志の自由を侵すかまたは自分の自由意志を抑えるかすることを伴なっています。つまり悪をともなっています。 善悪の定義が一定でなく、その場その場で変わっています. ★と☆の使い分けも一定の基準があるわけでなく、ときに相手の文章をそのまま切り取っていたり、自分で編集したりしています. 記号を用いるならその記号の意味をあらかじめ明らかにし、そして変えるべきではありません. それから、善悪の定義づけをはっきりさせてください、できるのであれば. 個人の意思を踏みにじるのが悪であるそうで.それなら、No.37 において 「私が書いた文章、発した言葉は私の体の一部分、分身です.それを分解して部分的に取り上げられるのは気持ちよいものではない」と言っているのに、かまわずに自分の都合(あるいは正義の名の下に)で無視し続けるのは相手の気持ちを踏みにじっている、つまり悪ではないですか. もう一度だけ言います.私が書いた文章、言葉は私の体の一部分であり、分身です.記号を用いて切り取り、それについて論じるのは止めてもらえますか? 「総論的、総体的な」 文体 でお願いします. そうでなければこちらもさらに非合理を示すことで対応しなければならなくなるかもしれません. それからひとつ疑問が. bragelonne この名前の読み方と意味、由来を教えて下さい.
補足
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 志を同じくする日本人の方だと思ったものが違っていたと ひとこと言ったまでですよ。おかしいですか。そのとき否定なさらなかったのだから わたしから一言出てもおかしくないはづです。それだけのことです。 さて ほとんど全部 前二回のわたしの応答の中に 今回の補足要求に対する答えがあります。 まづその前に ★印をそのまま用いて owlsjp さんの文章を要約したのですが もし間違っていたなら その旨をおしえてくださってもおかしくないと思いますよ。そして今回も 違っている・そんなことを言っていないとだけ指摘しておられる。 要旨を取ってそれにもとづいて応答してはいけないのなら 問答は出来なくなりますよ。むろん字数を節約するための方便でしたが そのままを引用して応答する場合でも けっきょく要旨をくみ取って応えているのですよ。誰でもいつでも そういうものではないですか。 ○ (No.44補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 善悪の定義 また悪に属するという病気の定義 ☆ これは 想定です。《人間存在が 善であるとすれば》という想定です。 善である《存在》には したがってその自然本性としての特には《自由意志》があります。意志の自由――そうすると おのれの自由とそして他者のそれとの関係の問題になります。 自分の自由意志が善であれば ひとのそれも同じくです。もしひとの自由意志を無視して ひとをおのれの意志のもとに従わせようとするなら――《寄せる》なら―― それは 善を無視しており傷つけており その傷ついた部分として 悪が発生します。つまり悪は 最初に想定した善の部分的な欠落という意味になります。 以上のような定義において 善悪という言葉を使っています。この悪を伴なうものを 特に精神にかかわらせて 病気と言いました。 ひとを寄せるためにアマテラス公民になるならば――つまりアマアガリするならば―― それは 病気であり アマアガリ症候群と言ってよいと考えます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これで ほぼ全部に答えていますよ。 ○ 善(つまり自然本性としての存在・特には自由意志)の傷・損傷・欠落 この部分を悪という。 ○ この悪から アマアガリという病気ないし症候群が出る。 ○ 相手の自由意志をおのれの意志によって寄せる これは意志を傷つけることです。早い話が 市長候補が並らび立ったとき 相手を暗殺しておのれが市長におさまることは 悪であり精神が病んでいます。 ○ bragelonne :ブラジュロンヌと読みます。『三銃士』の一人にアトスという元伯爵がいます。その息子です。第二部が『二十年後』 そして第三部が『ブラジュロンヌ子爵』という題名です。 ☆ 特別の由来はありません。ただその名前を借りたそれだけです。三銃士と友になり 銃士に加わって大活躍をするダルタニャンは好きです。ちゃんちゃんばらばらの世界です。 * 善悪については はじめの定義で たしかに話が変わって来ます。人によって まちまちです。言われる前から定義をしていますし しかも想定なのだと言っていますから 批判は (1) この想定じたいについて 妥当性に欠けると明らかにするか (2) 想定にもとづく推論にかんして その間違いを指摘するかしてもらえればよいはづです。じゅうぶんに自由な対話の場はととのっているはづです。そのどこから ★ 精神病 ☆ の話題が出てくるのですか。 * ★ 影響を受けても 左右されない が矛盾している. ☆ とは言えません。海面に波が立っても 海は全体として左右されているとは言えません。心もそのようです。イリ歴史知性もそのようです。アマアガリを敢行するヨセ超歴史知性は 海面に立つ波とその風です。言うなればこれが――つまりこの心の深さが―― 安全保障装置のようなものです。つい忘れてしまって 見えなくなっているだけでしょう。どうですか。
- owlsjp
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No.44からの連続投稿となります. >積極的な方策のことなどですね 次の一手は。 No.25 が答えです. これしかあり得ないと考えます. 個人の問題でなく、社会的な方策という意味において、これ以外のことがあるなら具体的に挙げて下さい.もちろん、その前段階として取り組まなければならない問題もあると思いますが、それはNo.25 に記述したことを達成するためのものでしょう. もし個人の問題と社会的な問題は別々に考えられるものではありません と言うなら、「ならばNo.25 を個人の問題に応用して考えてください」 と言っておきます. とにかく、スサノヲとアマテラス は兄弟姉妹ですから、そういった思想「のみ」でしか物事を考えられず、抜け出られないということは、イザナギとイザナミのように独立した自分の世界を創るというレベルに達していないということでしょう.いわば親に対する子供の視点であるということです. 最後に. 直面している状況にたいして、自分の意思、理念を反映させようという思想を持つものは病気である という主張をしていると受け取りました. つまり お前はバカである とか異常であるとか 頭がおかしい と罵っているも同然だと考えて良いでしょう. それは 窮鼠猫を噛むの言葉どおり、逆上しはじめ、本性を現し始めた証しでもあると言えます.それに応じたらこちらも同類となるので、残念ながら罵りあいになるようでしたらここは潔く引くしかないと思われます.それが自分のためでも在るので. 上方に「アホ言う奴がアホなんじゃ」という言葉があるのを知っていますか。他者に対して○○○と言ったり、あるいは思う人間は、自分がそのまま○○○である という法則を表している言葉です.もちろんそれがすべてにおいて当てはまるとも思いませんが. もしbragelonneさんが他者に対して病気だと言い放つなら、それは自分が病気であることの証明ではないですか. 実際に人間の言い合い、口論においても、相手の一言だけを部分的に切りとって、あげあし取りよろしくそこを責め立てる精神病者がいますが、そういった人間は辟易するものです.ああいえばこう言う人間に対しては放っておくしかないと思われますが.仮に「そんなことはない」と主張したところで、「反応も自由だと考えます」などと開き直るところから考えると、自覚がないだけで、やはりそうなのです. 言葉は丁寧だが、実質的には「何を言っても自由だろ、何を主張しても別にいいだろ」と言っているという事になります. それとも確信犯 快楽犯なんですかね.やっぱり。
お礼
つづいてですね。 そうですね。直前のご回答への応答でひととおりお応えしていると考えますが いかがでしょうか。 ★ No.25 が答えです. ☆ これにつきましては その後のやり取りの中ですでにひととおりの扱いが出来たと考えます。安全保障だけで と言いますか 安保条約を外すというだけで あとはよきに計らえというのは あまりにも分からない提案ではないでしょうか。 ★ 直面している状況にたいして、自分の意思、理念を反映させようという思想を持つ ☆ ことを わたしもしていますよ。 ★ 病気 ☆ は 善と悪の定義のうち 悪から出るものと規定して使っています。 善と悪にかんしましては あくまでも想定において話をしています。想定の限りでは 妥当な推論であると確信しています。――ですから その推論や想定に対して批判をたまわればさいわいです。 ○ 他者の自由意志を 上からみづからのもとに寄せ 踏みにじることは 善に傷をつけその傷のぶんだけ悪である。 ☆ と言いましたが この意志の自由を互いに対等に保つことは 並大抵の思考や努力によっては かない難いところがあります。 言いかえると ひとの考えること・為すことは 多かれ少なかれ ひとの意志の自由を侵すかまたは自分の自由意志を抑えるかすることを伴なっています。つまり悪をともなっています。 この意味では ひとはみな ★ 確信犯 ☆ であるでしょう。 ★ 快楽犯 ☆ はただの趣味の問題からくる犯罪です。上の避けることのむつかしい確信犯の問題とは切り離してあつかうべきでしょう。むろん 一般的な犯罪をおこなう確信犯というのも あります。
- owlsjp
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>半ば放っておけば将来は明るい方向へどんでん返しすると分かっていますが なるほど、魚の群れがいっせいに向きを変えるがごとく、「全体意識」で判断できれば社会が存続するために間違った判断を下すことはないという意味において、真の民主性 が実現されていれば、人間社会に災禍が訪れることはないと考えられますからね。逆に、一部の人間が愚かな判断を下してしまうとアトランティスが示すような滅びが待っているんでしょう.つまり、そうならない可能性も人間たちの選択次第で十分ありえると言う意味において、 ☆分かっていますが との記述は誤りでしょう. むしろ、ほとんの人間に「破滅願望」があるかもしれないというふうに考えると、人間が死ぬことを受け入れ、滅ぶのを待っているのと同じように、人間社会においても滅びによる浄化と再生を 深層意識の中で 真に望んでいると私は考えます.しかし、沈む船であれば、私はそれから下船し、永遠に生き続けます.それはある意味、恐怖と紙一重ですが 芯の強さがあれば耐えられると思います.むしろ充実した生となるのではないでしょうか. ☆はてさてこの先 日本人のたましいの行方は 如何あいなりましょうか? ◇この問いは、個人が発するものとして正しいですか. ☆半ば独り言ですから――と分かる性格の発言ですから―― 反応も自由だと考えます。 ◇これは少し苦しい言い訳かな ☆苦しいも何も 言い訳である以上に 物言いですよ。 ○そうです、物言いに対しての物言いですから、「わざわざそのように言うなら」それにたいして私の反応も自由と「あえて言います」。いかがですか? で、結論から言ってしまえば 個人がおのおの、直面した問題に対してどのように振舞うかが世界に影響を与える唯一のものであり、個人が社会の動向を考えるのは欺瞞であるということです.もちろん、それが自分の切実な問題として目前に提起されているなら、社会の動向を考えた上で、それを実際の振る舞いに反映させるならその限りではないと考えます. >★ 記紀 ☆ はご存じのように いわゆる体制の側からの史書であるという揺るがざる見方も 一方につまり主流にあります。でも古事記は 言葉で体制の側に合わせていますが 心意気は スサノヲ市民のものです。 この「揺るがざる見方」は一般常識、一般論ですね。私の揺るがざる見方を述べれば、どのような書物であろうとそれが後世まで残るようなものに思想、理念が入っていないことなど考えられません.これは他者の揺るがざる見方 ではなく、自分自身の揺るがざる見方です.というか、揺るがざる見方 という表現を使うなら、それは「自分自身の」であり、ほかのいかなるものでもないはずだと思うのですが.そうであってこそ 揺るがざる ものになると考えます. 特に、古事記はやはり思想書でしょう、質問者さんが記紀を基にして載せた記述を読んでも、そう思います.私は記紀などは全く読んだことがないので. >《いま・ここなる〈わたし〉としての存在》が それだけで《善》だとしますと もちろん、それだけでは「善」とは言えませんね. >アマアガリは 病気であり 善からの逸脱として悪です。 なるほど、自分の力で『自分の世界』を作ったアマテラスやスサノオなど(あるいはイザナギ、イザナミか)は、その行為がアマアガリであって「悪」なんですか. >その存在形式からの逸脱です。 先住する神々が創った存在形式から抜け出ることが悪とするなら、人間が親から自立して生活し、自分の世界を作っていくことも悪だ ということになります.まあ、腐母性社会においては、娘が死ぬまで親と同居 あるいは離婚して子供だけ連れて戻るというのが主流になりつつありますね.嘆かわしいことです. >《自然と人間と社会》という世界へイリして その歩み( base =基礎)とともに歩むことが善だとすれば その善に損傷を与えることになるヨセは 善が欠落したぶん 悪です。 善悪の定義がまだまだ 甘っちょろい ようです.自立できていない証拠です. 自然と人間と社会が基盤 ですか... 眼に見えるものだけが基盤であり、それが善だと. >★ 復讐 ☆ する心は 自分の心に イリなる《自然かつ文化》の歩みを築けなかったと告白しています。 そうです、転生にまつわる理念を受け入れられないでいると そうなります. >悔しいからと言って その心をつまり単なる気持ちを 実行に移していいかと言えば いけませんとなります。アマアガリ症候群です。 悔しい気持ちを単なる憂さ晴らしとして実行すればよろしくありませんが、それと「アマアガリ」とはイコールではない、つまり直接の関係はないでしょう.それに、『今この場所で』自分の世界を築くことは下るわけでもアガルわけでもないと思いますが. >つまり われ考えるゆえにわれありの《経験思考とその努力 あるいはそれらの元にある理性》を神とすること またみづからがその神となること これが アマアガリという病気です。 書物やマスメディアで得た知識(いわば二次情報)とそれに基づいた判断によって人生を生きていくのが真のビョーキでしょう(実際に肉体的にも病気になる)。 逆に、自分の経験した事象(一次情報)によって思考し、それに基づいた判断によって人生を生きていくのが 真人間 としての在り方ですよね. >むろんアマクダリしてくるのは ことの必然です。 社会全体の部分、部品としての必然という訳ですね.破滅、消滅していく運命の中での.結論を言ってしまえば、クダルのもアガルのも病気です. 個人的なアドバイスとしては独身であれば、母親との癒着を止め、一人暮らしすることをお奨めします.既婚であったとしても同様です.いかがですか.
補足
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 何やら雲行きがあやしくなってまいりました。一つづつお応えしてまいります。 ★ 《政権を担う者が自民党だけなら 社会は将来必ずどんでん返しをつうじて明るい世界に出ていく》ことが《分かっている》と言ってよいか? ☆ すでに前提条件が架空の話になっています。次につづく疑問とともに考えます。 ★ 人間には《破滅願望》がある。これの影響はちいさくない。どう考えるか? ☆ たぶん 一時期にこの願望がいわば過半数を超えたとしても 起き上がりこぼしのように立ちあがるでしょうというのが 前問でのわたしの答えでした。これは いまの段階で 非武装中立をなお掲げているとしてその社民党がもし政権を担ったなら 振り子がその極としての破滅の方に振り切ってしまうかも分かりませんが そうでなければ(自民党政権であれば) そう心配することもないだろうという意味です。 ただし今は 自民党単独政権ではなくなっています。 ★ この「揺るがざる見方」は一般常識、一般論ですね。 ☆ そのとおりです。《揺るがざる見方》という言葉が ここではまづかったようですね。特に反論はありません。 ★ 善悪の定義 また悪に属するという病気の定義 ☆ これは 想定です。《人間存在が 善であるとすれば》という想定です。 善である《存在》には したがってその自然本性としての特には《自由意志》があります。意志の自由――そうすると おのれの自由とそして他者のそれとの関係の問題になります。 自分の自由意志が善であれば ひとのそれも同じくです。もしひとの自由意志を無視して ひとをおのれの意志のもとに従わせようとするなら――《寄せる》なら―― それは 善を無視しており傷つけており その傷ついた部分として 悪が発生します。つまり悪は 最初に想定した善の部分的な欠落という意味になります。 以上のような定義において 善悪という言葉を使っています。この悪を伴なうものを 特に精神にかかわらせて 病気と言いました。 ひとを寄せるためにアマテラス公民になるならば――つまりアマアガリするならば―― それは 病気であり アマアガリ症候群と言ってよいと考えます。 ★ 復讐 ☆ も 相手の自由意志を踏みにじるなら 善に損傷を与えますから 悪であり それをおこなおうとする精神は病いにあります。 《自然と社会》に入りして 一人ひとりの自由意志のもとにその歩みをいとなみ見守ろうとするのは はじめの想定の善を活かすことだと考えます。この自由意志を 社会の二階からその上からのまなざしによって人びとを寄せるという思想は すでにその《ヨセ》という発想において 善から逸脱しています。(むろん想定においてです)。 ★ 一次情報と二次情報 ☆ につきましては どちらでもその得た情報内容について 《イリ》の知性のままに活用するなら 問題はないと考えます。善から逸脱するようなかたちで寄せるために利用すなわち悪用するなら 問題です。 ★ 独身・既婚 独り暮らしかどうか 親とのつながりの濃い薄い ☆ これらは ふつうのイリなる歴史知性にとって 影響は受けたとしても それによって左右されるものではありません。むしろおのれのこの歴史知性を曲げてしまう――つまりは 自己の神格化というアマアガリに向かってしまう――なら そのことによって 善が欠落していきます。 このような悪の状態に陥るときには 生活環境なり親との関係なりが 問題の原因なのではないかとの見方が出されることがあります。表層的な見方です。
お礼
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (α) bragelonne さんがいくら論議しようと話し合おうと 自分の世界観と実際の行為振る舞いに反映させなければ、社会になんの影響も与えることもないだろうと思われますので (β) (というより捻じ曲げると返って悪影響を与える)、 (γ) ご自分の頭のハエを這い払うのが先決でしょう、 (δ) 目に映る問題は すべて自分のことでもあるのです. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (δ)は 誰にとっても いつでもどこでも そうであるかも知れないし そのときでも 直接にかかわることではないかも知れません。つまり (δ)だけを言っても 話は定まりません。 (γ)は このようにあなたに対しておこなっています。 (β)は 読み手の――つまり あなたご自身の――問題です。書き手のわたしには何のかかわりもありません。 (α)は 失礼な言い草を承知で言うならば maimaisus さんに影響を与えたと思いますよ。あなたに対してだって ここまで極めて強い影響を与えたことでしょう。 あまりにも強いので 一たんしりぞいて静かに情況と影響とを把握しようということでしょう。でも ★ さようなら。 ☆ とはっきり言われれば それぢゃあと――すでにそういう姿勢は取っていますが――受けとめるでしょう。つまり最近次のような内容の回答を受け取りました。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 躊躇わずに人を殺すことを、まるで忘れてしまった時代の作品なんだろうと、僕は思います。別な書き方をすれば、愛が無いんですよ。 ブラジュロンヌさんは、躊躇せずに人を殺すことができますか? できなければきっと、何時までたっても内面と外面は総合できない気がするんですが、どうでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これに従うならば 《さようなら》をそのまま受け取って あなたをそのまま《ころす》ことにするのも 《愛》であると考える世界観もありうるように思われます。 みなさん! みなさんにも この考えについて検討していただけませんか? maimaisus さんは どうお考えですか?