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日本人は 死んだのでしょうか
話し合いが出来ない。 話をしていても 知識とそれをめぐる意味のない言葉とを並べるだけである。 意味のある話をすると 逃げて行く。あるいは はぐらかしをしながら 話のすり替えの術にかけては 玄人裸足だと言わんばかりになっている。 もう死んだのでしょうか? こうやって 死んでいくのでしょうか? 生きている人は もう いないのでしょうか?
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- owlsjp
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> ☆ これは無理というものです。これほど妥当な見解を述べる人間は そうざらにはいません。 いや、だからその勘違いを正してください、妥当な見解どころか矛盾している ということを自覚してください。 >変わるわけがないぢゃないですか。これからもさらに 寄生虫ぶりを発揮していきますよ。 ああ、自分がいわゆる 人やモノに憑くヨリ であることを認めましたか。少しは進歩したじゃないですか。 >期待していてください。 いいえ、社会全体、世界のためにも止めてください。迷惑ですよ~
- littlekiss
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こんばんは、bragelonneさん。 ★ 『PIECES OF A DREAM』CHEMISTRY ☆ どうちんとかいう人? 英語で書けばいいと思っているその考えが気に喰わない♪ どうちんとかいう人…ですか? ( ̄^ ̄)しらんけど… ほでも トンチンカンとかいう人には 少々こころあたりが… あわわ)))))) それって もしや… あ・た・し ッテカ?! ワォー☆ |(◎◎)| 相変わらず 言いたいい放題だね!! 毎度のことだから めげない (*^^*)v シャキーン-☆ 門前の小僧です。 で、その考えが気に喰わないって? ああ、バレてタカ (-_-;)uuu… うーんと、深く深く深く潜ってひっぱりあげてもってみたのよ♪ 【QNo.4444319 心汚いものに接したとき】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4444319.html 【QNo.ほにゃらか形而左右学 檻と機械】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3403691.html 【QNo.3227680 ほにゃらか形而左右学 世界】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3227680.html 【QNo.167029 あそびましょ~♪】 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa167029.html もる??? もしや… (|||_|||) ゾゾゾ))))) ナゾぞな POISONなんて落としちゃいませんてば。ご安心を。 ただ、ほのかな香りは残ったかも? (|||_|||) ゾゾゾ))))) ナゾぞな 夏にご用心といったところでしょうか。 『Love Somebody』織田 裕二 MAXI PRIEST http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND9560/index.html
お礼
littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ MAXI PRIEST ☆ って何なの? ひとの名前ですか? 日本語を使えって! とは言うものの 漢語だらけでしょうけれど。 ★ 夏にご用心といったところでしょうか。 ☆ なんぢゃこりゃ? 榊原いくえ? ★★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ リカちゃん人形~♪ お人形あそびしましたね。そうそう、服を着せ替えて遊んだり、髪をクシでとかしてゴムで止めてみたり~♪ ハサミをまだ上手く使えもしないのに『リカしゃん~♪チョキチョキしてあげましゅからじっとしててねぇ、ブチッ☆』|(@@)|ギョェッ~~~!!と、幼いわたしの横で母の叫ぶ声がぇ、、、、、あれは、クリスマスの次の日の朝の出来事でした。いまも覚えています・・・・ほんとうに、こんなこともありました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ リカちゃんは 初めは へそがあったのに一年後からは無くなった。それは何故か?という質問が出ています。知っていたら 答えてあげてください。 ★ POISONなんて落としちゃいませんてば。ご安心を。 ☆ 英語を使えばいいと思って! $(^-^)$vイェ――イ! あっ まちがえた。
補足
★ ただ、ほのかな香りは残ったかも? (|||_|||) ゾゾゾ))))) ナゾぞな ☆ このあたりは 分からなかったからか 触れていませんでしたね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ どうちんとかいう人…ですか? ( ̄^ ̄)しらんけど… ほでも トンチンカン・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 村の鍛冶屋ぢゃあるまいし。 ★ 相変わらず 言いたい放題だね!! ☆ ぎゃくですよ!! ★ ああ、バレてタカ (-_-;)uuu… ☆ バレるようになるかも?とは思ったが そうなるという確証はなかった。 ★ うーんと、深く深く深く潜ってひっぱりあげてもってみたのよ♪ ☆ これも ナゾぞなもし。 なぞの言いたい放題だべ。
- owlsjp
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>☆ わたしがそう言った場合には きちんと理由を示しています。たとえばNo.12では 岩井克人の定義によって発言しています。 で、No.14に展開していって、結局「お前も他者のことを死んだ と言っているじゃないか」って開き直ってますよね、そのことを指しているのです。つまりNo.12から引き継がれた結論がNo.14で出ているではないですか。 > 自分で自分の発言に対して つっこむようになりましたね。進歩ですね。引用はしません。 私ですか? というやつですね、これは特に進歩というわけでもないでしょう、逆に質問者様は今回の質問でかなり退歩し、落ちましたね、苦し紛れで墓穴堀まくり、みたいな > ☆ 笑っちゃいますね。と言うと かちんと来ますか? というか、下世話なへつらい笑いを浮かべるしか対応の仕様がなかったのですね、哀れです。 で、やはりこれだけはシツコク(笑)言わせてください! 質問者様は寄生虫であり、自分の問題を他者に投影しているコドモであり、他者と自分の区別があいまいである人格障害であり、腐臭を放つ汚水です。そういう意味での「影響」があるのは認めます。 が、しかしそれは悪い影響ですので 全体のレベルを著しく下げているのは質問者様であり、自覚し、反省し、変わるのを みんな待っているのです。 No.62の補足とお礼に対しての投稿は明日かあさってかな...
お礼
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 ★ ・・・つまりNo.12から引き継がれた結論がNo.14で出ているではないですか。 ☆ これはですね。No.14は はっきりとその回答の文章が まづいですね。No.12とは切り離せます。たとえ字面だけの問題だとしても 明らかに自滅に到る自己矛盾を述べています。 ★ ・・・逆に質問者様は今回の質問でかなり退歩し、落ちましたね、苦し紛れで墓穴堀まくり、みたいな ☆ これは そうだとしてもかまいませんが 老婆心から申せば ふつうは 事例とその理由を添えるものです。レッテル貼りが先行しています。肩は凝らないたちなのです。何とかパスという貼り薬は要りませんよ。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 質問者様は寄生虫であり、自分の問題を他者に投影しているコドモであり、・・・ 全体のレベルを著しく下げているのは質問者様であり、自覚し、反省し、変わるのを みんな待っているのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは無理というものです。これほど妥当な見解を述べる人間は そうざらにはいません。変わるわけがないぢゃないですか。これからもさらに 寄生虫ぶりを発揮していきますよ。期待していてください。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
No.12とNo.14 の回答と補足のやり取りにおいて、 bragelonne が 「お前も私のことを死んでいるといっているじゃないか」などと言い訳、言い逃れをしていましたが(そうではないって?いや、大体そんな感じです、どうでしょう?と一応聞いてはいるけど。)、他者がどう言ったかは別として、自分が他者に対して「死んでいる」と言い放つ、あるいは思うことで自分が死人であると言うことを証明している ということは認めるわけですね。 で、No.12とNo.14 の回答を一言でまとめると、人間は 自分の心的世界を外的世界に投影して見る ですね。 もう一度言いますが、上方の言葉で「アホ言うやつがアホなんじゃ」というのがありますが、これは他者を罵ったり、批判したりすることがまさに自分が克服すべき、気づくべき課題であるという真理を表す言葉です。これは特にbragelonneには確実に当てはまるものであると思います。 私ですか?いえ、私は「罵っている」わけではなく、これはこうだ、と事実を観じたままに表現しているだけです。あるいは他者への投影の可能性あるかもしれないという自覚があるかないかの違いは大きいです。 bragelonneが認識をゆがめ、自分を他者と世界に投影しているのとは対照的に。 自分の気づきの問題にしてしまっては人生が面白くないって?はい、面白いばかりでもおかしいですね。「面白くなければ嫌」というのは、傲岸不遜にして精神がコドモだからです。 それでは単純な循環を繰り返すばかりで世界の生成発展はないはずだって?いや、階層、次の段階という概念がありますので、それで世界が行き詰まることはないと考えられます。 部分を切り取り、ああでもないこうでもないとヘリクツを言い回し、他者を辟易させ、対話を結果として壊しているのは質問者ですよね。あ、そうではないとやはり言いますかね? で、これだけは何度も言いますが質問者は 石ころ ですらないとして、では何かといえば、それは腐敗した汚水であり、腐ったゴミであり、その匂いの「影響力」があるのは間違いのない真理であるように思われます。周りにも腐臭を撒き散らし、精神を腐らせ、伝播させていくという意味において。 それは 「ぢゃ」とか「まづは」とかいう言わば「濁った」文体、品性のない文章にも顕れています。 No.62の補足に対しての回答は近日中にしますかねえ、突っ込みどころが満載なんで... で、その前に★と☆の記号の意味をはっきりさせてください。
お礼
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 ○ 汎例 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ : 回答者の発言を引用。 ☆ : 質問者の発言。 ★☆ : 回答者の発言を質問者が要約して掲げる場合。 ★★ あるいは ☆☆ : それぞれの過去の発言からの引用。 ▲ あるいは ◆ : 第三者からの引用。 ○ : 質問者の発言のうち 鍵語となるような文章。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ ・・・他者がどう言ったかは別として、自分が他者に対して「死んでいる」と言い放つ、あるいは思うことで自分が死人であると言うことを証明している ということは認めるわけですね。 ☆ わたしがそう言った場合には きちんと理由を示しています。たとえばNo.12では 岩井克人の定義によって発言しています。 自分で自分の発言に対して つっこむようになりましたね。進歩ですね。引用はしません。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ で、これだけは何度も言いますが質問者は 石ころ ですらないとして、では何かといえば、それは腐敗した汚水であり、腐ったゴミであり、その匂いの「影響力」があるのは間違いのない真理であるように思われます。周りにも腐臭を撒き散らし、精神を腐らせ、伝播させていくという意味において。 それは 「ぢゃ」とか「まづは」とかいう言わば「濁った」文体、品性のない文章にも顕れています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 笑っちゃいますね。と言うと かちんと来ますか? 次回を待ちます。
- owlsjp
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> ★☆ (δ)について:いいえ、自分の世界観に影響をあたえるのは、間違いないです.よって自分が直接関わっていることでもあります。 ☆ これは そうです。そうですが 具体的に応答する中身が それだけでは定まらないという意味です。 うん、だから具体的に応答せよ とは最初から言ってないよね. > ★ 切り取り、編集し、自分の都合のよいように応答を繰り返してきた ☆ これは少々乱暴な考えを申せば 対話はいかに民主的で自由なと言っても そういうものです。切り取られた部分 編集を受けた部分を全体に広げてさらにさらに受け答えをしていけばよろしい。 「対話」なのに「全体に広げてさらに受け答えをしていけばよろしい。」これはそもそも「対話」ではないですね。 それに、★ ←この記号はもともと相手の文章をそのまま切り取って使うときに用いていたのではないですか? もし編集するなら、★とは違う記号を用いるか、最初に断りを入れるべきです、なにより、他者が見ている、影響力があるなしに関わらず、基本的には当事者同士での対話であり、その場その瞬間でのやりとり、人間関係を損なうようであれば、社会的にも悪しき影響を与えることになるからです. > 話し合いの席に就くということ・対話を閉ざさないということ――もっと言えば あいまいな箇所は 相手に有利に解釈して進めるなどなど――が大事です。 いえ、有利にも不利にも解釈すべきではないですね、真実のみが基準となります。 > ○ 精神力 ☆ が必要です。でもこれは けっきょくその対話について行くということ・その問題を互いに解決の方向に進めていくということ これを行なっていけば身につくものです。 そうです、自分が劣勢になっているからといって真実を捻じ曲げてごまかそうとするのは精神薄弱である証拠でしょう. > ★ なんならとことんやりましょうか?捨て台詞を吐かれたら黙っていられないので。 ☆ これまでは とことんやっておられなかったのですか? もうどこか――わたしの考えを受け容れざるを得ないので――投げやりな応答であったのではないでしょうか。 はい、やってませんね、正当な話し合いで「負けた」からといって、卑怯にして狡猾なやり口で捻じ曲げてきたbragelonneが言う台詞とは思えませんが。 > ☆ これには一理あるという意味です。特に個人的な問題であるよりも――と言っても 個人がおこなう決断とその行為なのですが―― 社会政策といった問題として一理あるはづです。日本ないし極東の安全を保障するために 沖縄県民を《殺す》という政策を取らねばならないかどうか そういう問題において実際上 一理あるかに思われます。 ああ、墓穴掘りましたね、一理もなにもありません。 > この質疑応答の場を全体として捉えてその《平和》を優先させることが あなたを放っておくかどうかよりも採らねばならない方策であるか こういった事柄が考えられます。(微妙な問題があります。どこまで乱暴な言葉を使ってむしろそれによって適切に応答しうるかなどなど――つまり それは 規約との関係です―― 思案しなければならないことがあります)。 まるで、自分が正義であり、善であるとでも言いたげな文章ですね、完全に逆ですよ、精神の奥深いところには影響を受けないから ほっとけばよいという えげつない 考え方を持っている人間が社会を悪くし、真の平和を実現させる変化を止めているのです。 したがって、 bragelonne のような人間たちが、改心し、悔い改めれば社会は良くなっていくだろうと考えられます。 さて、No.49の補足についてですね。 > ★ 「反対側」にいると言う表現を使うということは、自分がどちらかの側に偏っている、という自覚があるということを表明していますね. ☆ わたしの見解に対する《反対側》という意味です。それ以外に 意味はないし 問題も起きません。 それなら、寄生虫的(ヨリ的)な見解、生き方が正しいと思っているということですね。実際の態度振る舞いはともかくとして。 > ★ 真ん中の道を歩いている人は、左右どちらにいる人にとっても、「反対側」にいるように見えるんでしょう。真ん中の道を歩いていれば「反対側」にいる人など事実上存在しません. ☆ No.47を受けて書いたわたしの文章は ○ わたしが 《真ん中の道を歩いている人》である ☆ ことを前提として言っています。主観としてそのように表現するのは 一向にかまわないわけです。まちがいがあれば その箇所を挙げて理由とともに指摘するのがよいでしょう。 はい、だから主観としてそのように表現するなら、自分が真ん中にいれば事実上反対側にいる人間など存在しない、そこが間違いですと言っているのです。「反対側」にいると思っている時点で主観的でなく、そこら辺を自分でもよく解っていないんですよね。 でも、開き直り、居直って 「一向にかまわない」などというということは、もうほとんど投げやりなんでしょうね。 >その真ん中のわたしの見解を 根拠なしに批判する側という意味です。このことの内容がいま問題になっているのですから 根拠は示していますよね。 >追い追い見ていきましょう。 うーん、完全に「自分が優位」であることを装った気取った文章です。 > 自由をいまだ知らないということもないでしょうが ややもすると自分や自分の信奉している人ないし思想に閉じこもるとすれば それは 《ヨリ》なる心性です。 これは記紀をそのまま、あるいは部分的に受け入れている質問者にそのまま当てはまります。 > 自由をいいことにして 社会力学を自由に駆使して多少の強引さはゆるされるだろうと踏んでの《人を導く》つまり《寄せる》という思想と立ち場が 《ヨセ》なる超歴史知性です。 これはまさに捻じ曲げ、歪めて 「雰囲気」で相手を納得させよう、自分が正しいと思い込ませようとしているbragelonne のやり方ですね。 > >有識者のみなさん! かれは わたしの質問をあなたがたに投げかけているみたいですよ。 いいえ、違います、質問者さんの質問とは内容が全くと言っていいほど違いますよね. むしろNo.48がまさにそうです. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《No.48がまさにそうです》ならば それは《わたしの質問》であるのだから 《わたしの質問をあなたがた(有識者ら)に投げかけているみたいですよ》で合っているぢゃないですか? あーあ、混乱しているようですね、No.47を投稿した時点で、「有識者のみなさん! かれは わたしの質問をあなたがたに投げかけているみたいですよ。」と発言していましたよね?それに対して投稿したのがNo.48 です。 まあ、でも混乱し、認識力が危うくなっているのはbragelonne 対話を捻じ曲げて応答しているからなんでしょう、怖いですね、自分の振る舞いが確実に次の瞬間から作用し、良くも悪くも新たな自分を形成していく。 > こういうひどい勘違いがあったので 応えなかったのですが どんどん明らかにして行っていいのですか? と、いう訳ですので混乱し、右も左も中央も(笑) 解らなくなっているのは質問者様ですね。どうぞどうぞ、「自分の無智」を明らかにしていってください。 で、No.58の締めですね。 > owlsjp さん だいじょうぶですよ。 気持ちも晴れて こころに切りがついたのでしたら だいじょうぶですよ。 えーと、相手が混乱している、もしくは人格障害である、あるいは智を振りまき、それのみを自分の存在意義として感じているが故に対話を捻じ曲げた確信犯が 言う台詞ではないですね。 > みなさんも ありがとうございました。さらに精進して この種の質問をもしつつ まいりたいと思います。では。 というか、悪影響を与えないために控えたほうがよろしいかと思います。まあ、迷惑かけても自己主張したい、あるいは寂しくて相手して欲しいというのであれば無理にどうこう言えませんが。 しかし、質問者様はやはり 映画で言えば脇役にもなれないエキストラであり、石ころですらなく、何の実力も影響力もないように思われます。 以上です、大変失礼しました。
お礼
みづからの負けを認めることも 大事ですよ。 勇気が要りますし それによってひとが一倍大きくなります。 わたしが自分の負けを認めるべきときにに認めなかったことがありますか。説明せよと言われて 説明をしなかったことがありますか。分からないところは分からない 知らないことは知らないと言ってるぢゃないですか。 何が不満なのですか? ひょっとして こんなに有益なことを言っているわたしが 世間の片隅に埋もれていることが 不満なのですか? そういう世の中のあり方をまづ受けとめてください。そこからものごとは始まります。ぼちぼちまいりましょう。いいですか?
補足
owlsjp さん 神は細部に宿ると言いますが どうも枝葉のことをあなたは大きく取り上げる傾向が 部分的にあるように思いますが どうですか? それにいわゆるレッテル貼りが多い。 ★ しかし、質問者様はやはり 映画で言えば脇役にもなれないエキストラであり、石ころですらなく、何の実力も影響力もないように思われます。 ☆ 何を言ってんだか。わたしは 《エキストラ》にもなれない役立たずですし たしかに 《石ころですらなく》 しかもどういうわけか 《実力があるように》見られる場合があり 《影響力もあった》と言われる場合が起きています。 もっと現実を見ましょう。もし《影響力もないように思われます》のなら ★ というか、悪影響を与えないために控えたほうがよろしいかと思います。 ☆ と言う必要もないでしょう。良いほうの影響力はないけれども 悪いほうのはあるという論理ですか? あなたにとっては悪で ほかの人にとっては善であったとしたら どうしますか? ★ まあ、迷惑かけても自己主張したい、あるいは寂しくて相手して欲しいというのであれば無理にどうこう言えませんが。 ☆ ぢゃあ 放っといてください。いままで長いあいだやり取りしていて これが結論ですか? わたしは《さびしい》ですが 《相手して欲しい》と言ったおぼえは金輪際ないですよ。わたしの文章を無視する人に対しては はっきりとお引き取りくださいと言っていますよ。何人もいますから。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > owlsjp さん だいじょうぶですよ。 気持ちも晴れて こころに切りがついたのでしたら だいじょうぶですよ。 えーと、相手が混乱している、もしくは人格障害である、あるいは智を振りまき、それのみを自分の存在意義として感じているが故に対話を捻じ曲げた確信犯が 言う台詞ではないですね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 何度もこのように言われてしまっては あなたも面目が丸つぶれですね。 ★ 人格障害である ☆ この言葉は 削除の対象ですよ。 あとは これまでのやり取りで明らかになっていることのようです。一点取り上げましょう ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ > 話し合いの席に就くということ・対話を閉ざさないということ――もっと言えば あいまいな箇所は 相手に有利に解釈して進めるなどなど――が大事です。 いえ、有利にも不利にも解釈すべきではないですね、真実のみが基準となります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《真実》というのは 特に哲学の方面では どこまで行っても 一人ひとりの主観としての真実なのです。だからこそ 一つひとつの事柄を取り上げて 互いに共通の認識を得ようと対話をします。 それには その真実があいまいである場合 その解釈は 相手の有利におこなって 相手に尋ねていけばよいのです。一つひとつ 部分的にでも 問い返し答え合いつつ 共通の理解を得て行きます。 《切り取られた部分 編集を受けた部分を全体に広げてさらにさらに受け答えをしていけばよろしい》。 一歩一歩ですよ。 あなたは それを レッテル貼りによって妨げていると言われても仕方ない部分がありますよ。 ★ 真実のみが基準となります。 ☆ 当たり前です。だから対話をしています。どこかに何か《真実》という木の実が ものとしてあるとでもお思いですか? そういう物差しが はっきりと存在しているとお考えですか? すべて互いの主観をしっかりと むしろさらけ出して相互理解にこぎつけるのです。木の実は 固定しているのではなく つねに動態でありその過程なのです。 レッテルを貼りたければ いくらでも貼ってもかまいませんが――ただし褒めたことではありません―― その先を進めていかねばなりません。 ★ 真実のみが基準となります。 ☆ から自分の主観真実は 具体的にじつはこれこれなんですと明確に述べることが われわれのおこなう仕事なのです。はい これが物差しですよと言ったって・またそのことばかりを言っていたって 始まりません。 ★ これはまさに捻じ曲げ、歪めて 「雰囲気」で相手を納得させよう、自分が正しいと思い込ませようとしているbragelonne のやり方 ☆ このようにほんとうに受け取ったのですか? それは もはや反論が出ないと認めたからではないのですか? もしそうでないなら(つまり反論があるのなら) そのことを述べるはづです。それが 対話です。
- littlekiss
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うーんと、想像してみた。 『え~こんなのも数学なの~ (・・;)』 http://juku-ru.shinsyou.com/syuugou.html 『PIECES OF A DREAM』CHEMISTRY http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND12814/index.html
お礼
littlekiss さん ご回答をありがとうございます。 ★ 集合 =『え~こんなのも数学なの~ (・・;)』 ☆ おしえて!! おせーてぇ!! ★ 『PIECES OF A DREAM』CHEMISTRY ☆ どうちんとかいう人? 英語で書けばいいと思っているその考えが気に喰わない♪ ★ うーんと、想像してみた。 ☆ で答えは出たの?
- owlsjp
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◇ 真ん中の道を歩いている人は、左右どちらにいる人にとっても、「反対側」にいるように見えるんでしょう。真ん中の道を歩いていれば「反対側」にいる人など事実上存在しません. これを説明すると、非常に単純なのですが. 例えば、道、あるいは橋を渡っている人がいるとします。 真ん中を歩いていれば、両側、つまり左右どちらにいる人にとっても 反対方向 に見える これは容易に想像できませんか? しかも、反対側にいる人よりも、事実上大きく見える(目立つ)、従って両側の人からの批判、やっかみもどちらかにいる人間よりも強く受けるのです。 そういう意味で半端な人間では真ん中を歩くことは出来ないでしょう。
補足
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 脇にある家やそこにいる人びとあるいは空を飛んでいる人びとは別として ★ 例えば、道、あるいは橋を渡っている人がいるとします。 / 真ん中を歩いていれば、両側、つまり左右どちらにいる人にとっても 反対方向 に見える これは容易に想像できませんか? ☆ どうなんでしょう? 歩いて向かう方向は 同じでも反対であっても構わないということでしょうね。 だとすると 真ん中と端っことで 見方が変わって来ますか? 端っこを歩く場合は 真ん中の歩く人は自分たちにとって反対側にいる・反対方向に見える のですかねぇ? ★ しかも、反対側にいる人よりも、事実上大きく見える(目立つ)、従って両側の人からの批判、やっかみもどちらかにいる人間よりも強く受けるのです。 ☆ 《反対側にいる》という表現がまだ飲み込めません。ただし 端っこにいる人から見て まん中を歩く人は ★ 大きく見える(目立つ) ☆ かも知れません。人によると思いますが。 ★ 従って両側の人からの批判、やっかみもどちらかにいる人間よりも強く受けるのです。 ☆ どうでしょうか? 道や橋のどの部分を通ろうと批判は しかるべき内容であるならば 誰であってもしてもよいし するべきでしょう。ほかの不必要な批判はしなくてよいし するべきではないでしょう。まして 《やっかみ》は 放っておきましょう。 真ん中にいれば たしかに《批判を より多くより強く受けがちである》のですが ひとによっては――つまり批判をする側もされる側も ひとによっては―― 端っこや隅にいても がみがみ言ったり 批判を一身に浴びることもありがちです。 ★ そういう意味で半端な人間では真ん中を歩くことは出来ないでしょう。 ☆ そうですね。今回(つまりこの質問としましては) このように《半端》かどうかといったような 人間の鑑定なり人格の評価までを扱ってはいないのです。 半端であっても人格(つまり 一般に妥当な判断力を持っていること)を保っているなら かまいません。問題は たとえ人格を――公の表向きでは――りっぱに保持していても 《話し合いが出来ない》のなら 《死んだ状態である》ことになると捉えています。そのような死をあつかっています。 わたしが――早い話が―― どれだけ批判や非難をこの場で受けようとも このように話しあいをつづけていれば ここでは 死んではいないと規定しています。その逆の場合を問題にしているわけです。 ですから この《まん中と端っこ》の問題は その意味では扱っていないと このNo.60のご説明で分かりました。どうでしょう?
- littlekiss
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こんばんは、bragelonneさん。 読み返してみたけど、よくわかんない。 ● 真ん中の道を歩いている人は、左右どちらにいる人にとっても、「反対側」にいるように見えるんでしょう。真ん中の道を歩いていれば「反対側」にいる人など事実上存在しません. ↑ そうかな? ≪両面性が必ず存在する≫という説がある。 ↓ 【進化ダイナミックスにおける自己・非自己循環原理の探求】 http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~murase/gyoseki/g4-8.pdf
お礼
littlekiss さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ちょうど今 owlsjp さんとのやり取りで 質問を締めると言ってしまったところですが さすが OKwave の場ですね。そう言えば何万人くらいが参加しているんでしょうか? ただし 哲学にはあまり多くないでしょうかね。 さて ★ ≪両面性が必ず存在する≫という説がある。 ☆ とのこと。同じ一つのものごとを見るにしても おおよそ互いに正反対の二つの見方があるということでしょうかね。たぶんそうでしょうね。 引用された文章については 少々乱暴に言ってしまえば ○ 道を歩いている人びとだけに限らないかも知れない。 ○ 道を行く行列を 脇の家並みの家の中から見ている場合。 ○ 空を飛んでいる場合もある。 ☆ あとは その回答への返答としてわたしは書いていますので その箇所も参照してみてください。 一たんこれでお応えとしまして 残したところの ★ 【進化ダイナミックスにおける自己・非自己循環原理の探求】 ☆ については 補足欄にてのちに応答させていただきます。(ほかの質問のほうを先に応えておきたいという考えからです。あなたの参照サイトの文章が長いので あしからず)。
補足
★ 村瀬 雅俊:【進化ダイナミックスにおける自己・非自己循環原理の探求】 ☆ (1) 《自己・非自己》というのは《内・外》ということのようですね。 (2) 《外》における二つのものごとの交わりにおいて変化が起こる。 (3) そのような外における変化が 内においても起こり得る。 (4) 言いかえると 外の《非自己》が 内に入り 《自己》との交流に及ぶ。 (5) おのれの主観内面において(ないし精神=身体の内部において) 《自己》と《非自己》とが互いに言わば弁証法的過程を進み行く。 (6) 従って その言わば衝突は やがて高次の《わたし》を形成していく。 ただし 次の結論には疑問を持ちます。 ▲ (村瀬) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、その効果には両面性が必ず存在することを、忘れてはならない。一方では、それは学習として生物機能に不可欠な過程である。ところが、他方では、それはトラウマの形成を促し、精神ばかりでなく身体へ、さらには生物自体の運命にまで影響を及ぼしかねない。 脳科学は、意識レベルを超えて無意識レベルへと積極的に展開していくことが、必要なのではないだろうか。 (最後の 6.おわりに の箇所) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《他方の側面》はないと考えます。 ▲ トラウマの形成を促し、精神ばかりでなく身体へ、さらには生物自体の運命にまで影響を及ぼしかねない。 ☆ こんなことになるのなら ひとは・そしてその身体=精神のはたらきは 黙っていない。つまりそんなことはしなくなる。はづです。 言いかえると たぶんですが この《非自己》としての外にあった要素 これを内面に受け容れるというのは おそらく認識としてまでだと考えます。精神の胃袋で消化してもいいのですが 排泄物として新たに認識し直せばそのまま棄てると考えます。 この意味での――つまり 多面で精神=身体にとってわるい影響を及ぼすという意味での――両面性の一面はないと考えます。 以上すべて わたしの憶測による受けとめと判断です。 それにしても ▲ 村瀬 雅俊:電磁波と生体への影響 というように 電磁波の研究は進められているのですね。これが 人体に起こる電磁波であればと期待します。(以前からのわたしの望みでしたね)。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
>☆ (δ)は 誰にとっても いつでもどこでも そうであるかも知れないし そのときでも 直接にかかわることではないかも知れません。つまり (δ)だけを言っても 話は定まりません。 いいえ、自分の世界観に影響をあたえるのは、間違いないです.よって自分が直接関わっていることでもあります。特に、たしかに「今ここに」存在していることを実感できている人間にとっては。虚人に限ってはそうではないでしょう. > (γ)は このようにあなたに対しておこなっています。 No.48とNo.49とNo.54 に対して、答えられる箇所のみでなく、すべてに回答をしてから言ってください. > (β)は 読み手の――つまり あなたご自身の――問題です。書き手のわたしには何のかかわりもありません。 ★や☆を使って切り取り、編集し、自分の都合のよいように応答を繰り返してきたのはご自分ですよね、これはやはりあなたの問題なのです、自覚してください. > (α)は 失礼な言い草を承知で言うならば maimaisus さんに影響を与えたと思いますよ。あなたに対してだって ここまで極めて強い影響を与えたことでしょう。 残念ながら何の影響も受けていません. > あまりにも強いので 一たんしりぞいて静かに情況と影響とを把握しようということでしょう。 いいえ、違いますね それは自分でもよく解ってるでしょう? なんならとことんやりましょうか?捨て台詞を吐かれたら黙って入られないので。 > 躊躇わずに人を殺すことを、まるで忘れてしまった時代の作品なんだろうと、僕は思います。別な書き方をすれば、愛が無いんですよ。 この言葉はhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5032985.html におけるNo.18の補足欄にて認めることが出来ましたが、何処から持ってきた文章なのでしょう? > ブラジュロンヌさんは、躊躇せずに人を殺すことができますか? できなければきっと、何時までたっても内面と外面は総合できない気がするんですが、どうでしょうか。 この文章は このサイト「教えて!goo」でも検索できませんでした、何処から持ってきた文章か教えてもらえますか? >☆ これに従うならば これに「従う」必要はないかと思われますが. 躊躇わずに人を殺すことが「愛」であるという主張を理解しないで他者がそう主張するからといって、それをそのまま受け取るのですか. >《さようなら》をそのまま受け取って あなたをそのまま《ころす》ことにするのも 《愛》であると考える世界観もありうるように思われます。 もしブラジュロンヌさんが「黙っていてそのままにする」それは逃げた、と言うことですよね、No.48とNo.49とNo.54 に対して無回答であるように。黙っていることを「愛」であるというように主張する、非常に狡猾な文章です. とにかく、No.48とNo.49とNo.54 に回答してから意見を言ってください. でなければ、それこそ愛とかどうどか理屈をこねないで黙っていてもらえませんか?
補足
owlsjp さん ご回答をありがとうございます。 もう行ってしまわれるのかと思っていました。ていねいなご返事ですね。 ★☆ (δ)について:いいえ、自分の世界観に影響をあたえるのは、間違いないです.よって自分が直接関わっていることでもあります。 ☆ これは そうです。そうですが 具体的に応答する中身が それだけでは定まらないという意味です。 ★ 切り取り、編集し、自分の都合のよいように応答を繰り返してきた ☆ これは少々乱暴な考えを申せば 対話はいかに民主的で自由なと言っても そういうものです。切り取られた部分 編集を受けた部分を全体に広げてさらにさらに受け答えをしていけばよろしい。 話し合いの席に就くということ・対話を閉ざさないということ――もっと言えば あいまいな箇所は 相手に有利に解釈して進めるなどなど――が大事です。これには 直前の maimaisus さんの言葉ですが たしかに ○ 精神力 ☆ が必要です。でもこれは けっきょくその対話について行くということ・その問題を互いに解決の方向に進めていくということ これを行なっていけば身につくものです。 ★ なんならとことんやりましょうか?捨て台詞を吐かれたら黙っていられないので。 ☆ これまでは とことんやっておられなかったのですか? もうどこか――わたしの考えを受け容れざるを得ないので――投げやりな応答であったのではないでしょうか。 ▲ 躊躇わずに人を殺すことが愛・・・ ☆ これは 【Q:人間の内面と外面とは 総合されうるか】の回答No.6です。 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5006413.html ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ これに「従う」必要はないかと思われますが. 躊躇わずに人を殺すことが「愛」であるという主張を理解しないで他者がそう主張するからといって、それをそのまま受け取るのですか. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これには一理あるという意味です。特に個人的な問題であるよりも――と言っても 個人がおこなう決断とその行為なのですが―― 社会政策といった問題として一理あるはづです。日本ないし極東の安全を保障するために 沖縄県民を《殺す》という政策を取らねばならないかどうか そういう問題において実際上 一理あるかに思われます。 この質疑応答の場を全体として捉えてその《平和》を優先させることが あなたを放っておくかどうかよりも採らねばならない方策であるか こういった事柄が考えられます。(微妙な問題があります。どこまで乱暴な言葉を使ってむしろそれによって適切に応答しうるかなどなど――つまり それは 規約との関係です―― 思案しなければならないことがあります)。 ★ とにかく、No.48とNo.49とNo.54 に回答してから意見を言ってください. ☆ ということだそうで それぞれの場で 対処しましょう。
- maimaisus
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maimai.susです。 >わたしは こうも考えていました。つまり 独我論というのは そうですね、別に芸術家や職人とか関係なくそう言った傾向は見られるかも知れません。 今は昔と違い、物があり便利なので、家族と暮らすより一人で暮らす方が楽な位の世の中なので、人との関わりあいの必要性の重要度が薄れており、そう言った部分の弱質化は必然の流れなのかも知れません。 その分、職人(スペシャリスト)の種類や数は昔より増えていると思います。オタクと呼ばれる方々もの部類だと思います。 そう言った事を踏まえて考えると、今の日本人に一番必要なのは、色々な意味での精神的な強さやあり方ではないでしょうか。 ってbragelonneさん言いたいんですよね? あとは、具体的にどう答えを出すかですが・・・。
お礼
maimaisus さん ご回答をありがとうございます。 もう引用・復唱をせずお話を端折りますが 結論として ★ そう言った事を踏まえて考えると、今の日本人に一番必要なのは、色々な意味での精神的な強さやあり方ではないでしょうか。 ☆ そう来ましたか。つまり ★ 色々な意味での精神的な強さやあり方 ☆ のほうに着目しましたか。なるほど。簡潔で便利ですね。たぶん ○ ひととの交流が厚い薄いにかかわらず 相手の見解や世の中の思潮を受けとめ一たんは《かかわり》を持った上での 精神的な強さやあり方 ☆ と受け取りました。これなら その人の独立自尊が 狭いものにはならないし空回りもしないと思われるからです。 ★ あとは、具体的にどう答えを出すかですが・・・。 ☆ これはおっしゃるとおりです。つまりここでのことに引き寄せるなら そういう具体的な質問を提出して見解を聞くということになるでしょう。この ○ 日本人は 死んだのでしょうか。 ☆ はあまりにも広く漠然としています。と言っても 昨今の事情は そのあいまいな表現でも互いにその情況が分かるようになっていると思ったわけでした。 独我論の方にはその半分の鎖国政策をも解いてもらって すすんで行きたいと思います。 いろいろ失礼なことを言いまくってしまって申し訳ありませんでした。そういう性格であることはあまり変わらないと思いますが これからもご批判やらご叱責をたまわりますようお願い申し上げます。 ひとまづこちらからは ありがとうございました。
お礼
★ いや、だからその勘違いを正してください、妥当な見解どころか矛盾している ということを自覚してください。 ☆ おせーて!! 指摘してぇ! 批判してたもれ!!!! わたしは 柔軟ですよ。どこからでも攻めてください。 だから レッテル貼りはやめましょう。くだらん!! ★ 世界のために ☆ になりましたか。わたしも 出世したもんです。