※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大都市の道路から裸足が消えたのはいつ頃です。)
大都市の道路から裸足が消えたのはいつ頃か?
このQ&Aのポイント
大都市の道路における裸足の存在は、江戸時代の絵巻物『熈代勝覧』に描かれていることがわかる。
明治初期になると、道路の舗装が進み、裸足の人は減少していった可能性がある。
しかし、裸足で歩く人が一切いなくなった時期は特定できない。
『熈代勝覧』は、19世紀初頭の江戸日本橋近くの通町筋を描いた絵巻ですが、多くの「振売り」が描かれています。
絵が小さくて分かりにくいですが、それでも7,8人は「裸足」です。
「裸足」に注意して見れば、駕籠かきにも武士の従者にも「裸足」の人がいるようです。
おそらく明治初期でも裸足で歩く人が居たと思います。
「裸足」が消えたのはいつ頃だとは、もちろん断定できないでしょうが、小説でも外国人の紀行文でもよいですから、「裸足で歩いていた」という話はありますか。
道路が舗装されるに従い、裸足の人はだんだんいなくなった、ということでしょうか。
何かヒントはありませんか。
よろしくお願いします。
熈代勝覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%88%E4%BB%A3%E5%8B%9D%E8%A6%A7
お礼
再度のご親切な回答ありがとうございます。 こんな素晴らしいサイトがあるのですね。 これまた、面白い話の連続で読み出したら止まりません。 明治の雰囲気を肌で感じるような気がします。 脇道に逸れてしまいますが、同年5月に、大相撲幕の内力士26名の体格についての記事があります。 「身長順:大砲196.0 cm 体重順:梅ノ谷150.0 kg 」[ 時事]、とあって、尺貫法のはずですが、後で調べてみます。 本題に戻って、処分者数は、多分188名でしょうね。 署別の人数が正しいと思います。 それにしても一ヶ月余りでこれだけの違反者がいたということですね。 見逃した数の方が多いでしょうから、もっと多くの裸足の人が往来を行き来していたことになります。 改めて、洛中洛外図を見ますと、けっこう裸足の人を見かけます。 また、山本作兵衛氏のユネスコ記憶遺産「炭鉱画」には、裸足の鉱夫が描かれています。 大正・昭和の時代でも、炭鉱では裸足の労働者がいたことに驚かされます。 わらじ代が払えないという理由だけではなく、力仕事には、裸足が向いていたのかも知れません。 今回もお陰さまで歴史を楽しむことができました。 感謝申し上げます。