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シンプル イズ ベストは本当か
20世紀の現代美術や建築、車や広告などのデザインを見ていると、 表現が時間と共にシンプルになっていく傾向が見られます。 たとえば、 ダダイズムがミニマルアートになる流れ。 T型フォードがフェラーリF40やTOYOTAプリウスになる流れ。 ガウディが安藤忠雄になる流れ。 幾人かの個人的な思い入れで生み出されていた表現が、 時間を経て、世間に広まり、多くの人の 様式化された表現となっていくのは理解できます。 ○ しかし、それがなぜシンプルになろうとする 方向に向かって進むのでしょうか。 ○ シンプル イズ ベストという価値観は 時代を問わず普遍的なものでしょうか。 表現がシンプルになるに従い、 表現の是非が、表現結果を対象とするのではなく そのコンセプト(思考方法や発見)やストーリー(理由や動機)を 対象とするようになりました。 表現は言葉による補足を前提とした、 シンボリックなプレゼンテーションでしかない。 (つまり難解だったり、感情移入を排除する表現になる) 哲学について素人ですが ウィトゲンシュタインの論理哲学論考を読んで ミニマルアートの彫刻を見ているような芸術性を感じました。 その一方で、シンプルさゆえの難解さも感じ、 哲学の世界にも同じような傾向があるのだろうかと考え、 投稿させていただきました。 漠然とした質問ですが なにかヒントを与えていただけたらと思っております。
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>漠然とした質問ですがなにかヒントを与えていただけたらと思っております。 という部分について答えてみたいと思います。まず、 ○「20世紀の現代美術や建築、車や広告などのデザインを見ていると、表現が時間と共にシンプルになっていく傾向が見られます」 というおはなしですが、「表現が時間と共にシンプルになっていく〔ように見える〕傾向が〔感じられます〕」という書き方のほうが妥当ではないでしょうか。というのも、僕には芸術や技術の分野が、日増しに表現が複雑化しているように思えるからです。 たとえば、 ダダイストたちがコラージュでは満足せず、モンタージュを愛好したように、ミニマリストたちは、作品としてのモンタージュでは満足せず、その作品が展示される空間、時間、明るさ、広がり等を作品に取り込みます。 つまり彼らは、作品外の世界をモンタージュするのです。ですから、作品を見る側としては、そのモンタージュが崩れないかたちでの鑑賞を余儀なくされます。こういう仕方の好みは分かれるとは思いますが、作品観賞の点では間違いなく複雑化しています。 つぎに、T型フォードからフェラーリF40、そしてTOYOTAプリウスになる流れですが、外形的には美的フォルムに、力学的要素が加味され、さらに経済性が加わるというふうに、一見しただけではシンプル化しているように見えますが、間違いなくその形態決定のプロセスは複雑化し、目には見えない要素が加味されています。 まるでメカニカルな機構を持ったロボットよりも、シンプルそうに見える生体のほうがはるかに複雑なのと同じようにです。その生体の複雑さは、 建築を見れば明らかになります。ガウディの作品に多用されるタイルや彫刻は、代替が可能です。けれど、コンクリートの打ち放しは、一回きりのものです。あの御仁は、模型でもそうですが、補修を絶対許しません。しくじったら、解体してやり直しです。 また、スラブのはらみ設定やパラペットの鋭角な直線など、生コンクリートという物性が、硬化と養生の後にどのような変形をもたらすかをよく考えた上で決められています。見た目にはシンプルですが、型枠はとても精密に、そして複雑に組まれます。 その複雑化のプロセスが、目には見え難いのではないでしょうか。 そして哲学も同様ではないでしょうか。書物が満足に行き渡らない時代、通信手段も無いなかでは自ずと思想の広がりには時間がかかります。人間の寿命はあまりに短い。けれど20世紀を迎えると、その寿命に対して新しい思想の広がりのほうが、圧倒的な速さを持ち始めます。戦前に教育を受けた方にとって、現代はいったいどんな世の中に映るのでしょうか。世代間、あるいは生まれも育ちも違う人種、民族のなかで、誰もに支持される思想というのは、形体こそシンプルではあっても、その応用が身近なところで再現されるものでなければ、たちまち偏見となってしまうでしょう。 道徳や宗教、文化に根差していた言葉は、やがて科学や構造主義という方法に置き換えられてゆき、古い時代の思想との間に生じる様々な葛藤を加えつつ、それゆえより多様化した複雑な体系を、目には見えないところで構築していっていると思います。 どうでしょうか。僕にはそれほどシンプル化しているようには見えないんですけど。
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- kkk1024
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こんばんは。 皆様の意見をあまり理解できていない、哲学素人です。 また、車や美術についても質問者様が書かれていることがさっぱり分かっておりませんので、印象のみを書いていきます。 >幾人かの個人的な思い入れで生み出されていた表現が、 >時間を経て、世間に広まり、多くの人の >様式化された表現となっていくのは理解できます。 質問者様が書かれています「様式化」が多数の目に晒されることにより、表現が洗練、研鑽されていっていることを指していると解釈しました。 より多くのものに理解できる表現になっていくという意味にとらえました。 >○ >しかし、それがなぜシンプルになろうとする >方向に向かって進むのでしょうか。 「表現」自体が表現者の思惑に関係なく、他者との意思疎通が目的であるということだと思います。 自分が何かを「表現」する際には、必ず他者の「理解」を求めていると考えます。 他の回答者様が書かれております「内実」は別なのでしょうが、すくなくとも外観はシンプルになる方が他者の理解を得やすい。 本能的に他者の理解を得ようとするため外観はシンプルになるということでしょうか。逆に複雑になるものについては他者の理解を求めているものではなく、別の目的があるというふうに感じました。 >○ >シンプル イズ ベストという価値観は >時代を問わず普遍的なものでしょうか。 製品、建築物、文章という表現「目に見えるもの」については「他者の理解」を前提に考えれば普遍的なものであると私は感じます。 複雑にしたり冗長にすれば理解を得るのに時間がかかってしまう。 仮に時間的制約がないのであればシンプルにする必要はないでしょうし、そもそも「他者の理解」自体の必要性も見いだせるかどうか… 人生という限られた時間において「シンプル イズ ベスト」は普遍的だと感じます。 恐らく的外れでしょうが以上です。
お礼
それが相手の理解とセットになっているというご指摘は そのとおりだと感じました。 表現を表現者の側でばかり考えていたようです。 私が子どもだった時代に比べ 人間の会話もシンプルになっているように思います。 たとえば「私はそういうキャラだから」というような発言は 昔はありませんでした。自分を「キャラ」という シンプルな記号に置き換えることで コミュニケーションをシンプルにして 理解を得やすくしているのかもしれませんね。 では、その質が低下しているかと言えば、 それはまた別の問題なのだろうと思いました。 大変参考になりました。 ありがとうございます。
表現がシンプルとか複雑になる、のはエネルギーの捕え方なのかと思っ てます。哲学は領域も広く複雑難解とも言えるし、「E=mc^2 哲学 は科学の詩」叙情詩か序実詩か?、誰が云ったか不明ですが、これもシ ンプルな表現ですね。 芸術や思想にエネルギーを込めたり、意識や心を揺さぶられて美しさと か愛しさとか人生感が変えさせるエネルギーが確かにあると思います。 関わりのバランスや利便性が良いことを優先するか、個別化、差異を意 識して表現されたものか。表現され方にも、受け入れ方もタイミングで 新鮮に感じたり深さが分かったり、大きく左右されることであると思 う。 量の多いことが豊かさの象徴で個性の獲得法であった時代があったり、 質を求めることが確信させるものや差別化させる目的基準となったり。 量は客観的な要素。測定値や時間の経過(歴史)など数値で示しえる。 質は主観的な要素。タイミングやパターン、感覚的なもの。 量は僅かでもシンプルイズベストというなら質を追求した主観というこ とであるかも。その主観も↓ >幾人かの個人的な思い入れで生み出されていた表現が、時間を経て、 世間に広まり、多くの人の(共有しうる)様式化された表現となっていく・・・ 正にそういう結果になったのと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 E=mc^2のようにシンプルなものには 美しさを感じますね。多くの人にそういう感性があって、 様式化された結果、全体としてはシンプルな様相に なったということでしょうか。 美術で言うと、ローマ時代には どちらかというと豪奢で複雑な表現が好まれたようですが そのころは複雑なものに美しさを感じる人が多かったの かもしれないですね。
おなじではない。 簡潔なものへと変化しようという流れ(情報の集積・収束) 複雑なものへと変化しようとする流れ(情報の分化・拡散) 哲学に限定して見たとしても、双方・並存して、あります。 複雑なものは、単に信仰される傾向にあり、 単純なものは実生活に直接影響を与えるものです。 例)カントとヘーゲル 静の哲学・動の哲学と対比されることがありますが。 朝起きるとき役に立つのは、「おきネバならぬ」という心境 カントのほうが、実践しやすいでしょう。 人間学的には 単純が実践と結びつくことによって、 何らかの利点を生み出すことができるのです。 逆にいうと、人の生活に結びつきやすいという事実によって 弊害が生まれる事例もあります。 人は神が創ったとか なんとか がその例 また単純複雑は時・場所/時代世代/主観で捉え方も様様。 いちがいに「同じ」とは到底いえません。 単純化された事象が 一定の世代に影響するその力を「ベクトル」と 想定しながら、考えるとする、 人口の総数からしても、現代のほうが、 潜在的影響力のベクトルは、 瞬間的絶対量としては、過去のそれと比べると あきらかにより大きいものです。
お礼
とても示唆的なご回答で、 いろいろと考えるキッカケとなりました。 ありがとうございます。 表現が簡潔になっていく流れの 底流には「合理的であれ」という ベクトルがあるように思われます。 現代においては、実践と結びついた 極めて大きな影響力のある ベクトルだと思われますが、 合理的であることは、合理的でない、もしくは 合理、非合理で区分けしない考え方に比べたら 単純だということなのかもしれませんね。
補足
私の質問は社会的な話でしたが、 もう少し個人レベルの質問をさせていただいてもいいでしょうか? 同じことを繰り返すということは、 「簡潔なものへと変化する流れ」を 自分に課すことではないかと思うのですが それによって職人的な熟練の技術や、 それにともなう洗練された表現が生まれてきます。 哲学においても、同じテーマを考え続けていると 同様の事が起こるのでしょうか? 「オッカムの剃刀」というのは そういった洗練と関係がありますか?
- mmky
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>>哲学の世界にも同じような傾向があるのだろうかと考え、投稿させていただきました。 同じですよ。 「真理は簡単なものの中にある。」ですから。 言葉をいかに多用し、屁理屈に屁理屈を、解釈に解釈を重ねても、「それで、簡単に言えばどういうこと?」と問われたときに簡便に答えられなければ、真理に到達していないことは明らかですからね。
お礼
ご回答ありがとうございます
補足
「真理は簡単なものの中にある」という ご回答そのものが私の質問の起点なのです。 私には「真理」と言う単語そのものが シンプルすぎて難解な表現の最たるものです。 「真理」とは簡単に言うとどういうことですか?
お礼
丁寧なご回答ありがとうございました。 表面上シンプルに見えるようになっただけで 複雑さはむしろ増しているというご指摘は その通りだと思いました。 おそらく、私は表面がシンプルになることと、 その内実が複雑になっているギャップを感じていて、 シンプルイズベストは本当かという質問になったのだと思います。 ご意見に、非常に強く共感しました。 質問時にはでうまく言葉にできていなかった事を 明文にしていただいたように感じます。 また、時間軸で考えるという視点は 持ち合わせていませんでした。 大変参考になりました。 ありがとうございます。