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「ら」抜き言葉
『ら』抜き言葉について説明できる方いらっしゃいませんか? 前に私が書いた文章の「ら」を抜かれた事があって、 その人に『ら』抜き言葉の説明をしようと思ったら、 うまく説明できませんでした。 例を挙げようと思って、 「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、 「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、 何も言えなくなってしまいました。 うまく説明できないと、私の日本語がおかしいように思えてきます。 誰か、良い説明方法を!
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>>「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、 >>「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、 この例を使って説明しましょう。 「捨てる」は現代語では下一段活用(古語では下二段活用)をする動詞で、次のように活用します。 捨て-ない 捨て-ます 捨て-る 捨て-るとき 捨て-れば 捨て-ろ 「捨てられる」は、「捨てる」に可能をあらわす助動詞「られる」がついたものです。 そして、「られる」は、上一段・下一段・カ行変格活用(以下カ変)の動詞の未然形(「捨てる」なら「捨て-」)につく、という決まりがあります。 上一段・下一段・カ変などというとむずかしいですが、たとえば次のような言葉が該当します。 上一段 … 見る、着る、起きる、下りる など 下一段 … 捨てる、受ける、出る、逃げる など カ変 …… 来る 上に挙げた例のような動詞に「-れる」を付けるのは、だから本来おかしいのです。 でも、どの動詞に「-られる」を付けなければいけないのか、一つ一つ覚えるのは大変ですよね。 そこで簡単な見分け方を紹介しましょう。「~ない」を付けてみるのです。「捨てない」とか「来ない」とか「見ない」とか。このとき、「ない」の直前の文字が「ア」段でなかったら、その語には「-られる」を付けなければいけません。 しかし、nanazouさんの「ら」を抜いてしまった人にはこんな意識があったんでしょうね。「それじゃ、可能と受け身の区別がつかないじゃないか!」と。 私の大切にしていた花を人に捨てられる。(受け身) 私は何でも思い切りよく捨てられる。(可能) どちらも「捨てられる」じゃ、どっちがどっちかわからん。だから可能の方は「ら」を抜いて「捨てれる」にしよう。…ということで生まれたのが「ら抜き言葉」なわけです。国語学ではこういうのを「同音衝突の回避」などと呼んでいます。つまり、違う意味なのに同じ発音な言葉があると、自然にそれを避けようとして言葉が変化する、という現象です。こういう例は歴史上にいっぱいありました。 今は「ら抜き」は正しい国語ではないとされています。でも、そういう法則があることを考えると…何十年か後にはどうなっているかわかりませんね。
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- y_oku
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「れる、られる」は可能または受け身の助動詞です。 これが「捨てる」という動詞とくっついて、 「捨てられる」となります。 意味はその文脈次第で、 「捨てることができる(可能)」にも、 「何かに捨てられてしまう(受け身)」にもなります。 「ら」抜き言葉は、助動詞の機能のうち、 可能について「ら」が欠落してしまう現象です。 (「捨てられる」が受け身で「捨てれる」が可能) ポジティブに捉えれば意味がわかりやすいとなるのかな。 ら抜き言葉のほうに親しんでいる人には、 「捨てられる」に可能の意味がないので、 意味が違うということになってしまうのでしょう。 本来は意味が違うということにはならないのですが……。 わたしは「ら」が抜かれると違和感を覚えるほうなのですが。。。
- yuki228
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いや、nanazouさんの説明であっています。 ら抜き言葉とは「可能形」の言葉から(捨てられる)「ら」を抜かしていて、わりと一般化されたものです。 その方が「意味が違う」とおっしゃるのは勘違いで、恐らく「捨てれる」を可能形、「捨てられる」を受動態と覚えていらっしゃるのでしょう。 本来はどちらも「捨てられる」が正しいです。
「捨てれる」と「捨てられる」って違うんですか? 英語で言う「can(~することが可能である)」の意味で使う「ら」は 抜くことがあるということだと思っているので、 「捨てれる」も「捨てられる」も一緒で「捨てることが可能である」という意味では? もしかして、「捨てられる」は、受動の「捨てられる」という意味になるということでしょうか? それとも尊敬語の「捨てられる」? う~ん・・・
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