締切済み 紀州徳川家家臣団 2009/05/14 16:55 紀州徳川家の家臣について調査をしています。 付け家老の「水野」「安藤」「久野」の三家は有名なところですが、 その他にどういった方がいたのでしょうか? みんなの回答 (1) 専門家の回答 みんなの回答 hena-hena ベストアンサー率72% (8/11) 2009/05/15 00:09 回答No.1 紀伊家の家臣団は大きく分けて3つ、 1つ目は「お附衆」と呼ばれる、家康から付与され紀伊家の家臣になった者。 2つ目は新規召抱えされた浪人。 3つ目は地士です。地士とは郷士の事で領地内の名族や旧家から選ばれ召抱えられた者を指します。 家臣団の中核となったのは「お附衆」で全家臣の5.5%に当たります。 お附衆の中で特に有力だったのが安藤直次、水野重央、三浦為春、久野宗茂の各家で 禄高も群を抜いていました。 それに水野太郎作家を加えて「紀州藩五家」と呼ばれ代々家老を世襲していました。 召抱えられた浪人は後北条氏、福島氏、尼子氏の旧臣や武功の浪人などがいました。 中でも福島正則の旧臣・大崎長行が家禄1135石で筆頭格とされました。 地士は家禄50石の「六十人者地士」30石の墨田党の子孫を中心とした「墨田地士」などがいました。 質問者 お礼 2009/05/18 13:41 ありがとうございます。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育人文・社会科学歴史 関連するQ&A 家老の家臣 大藩の家老ともなると万石を食んでいる者も多く、その家臣も陪臣ながら百俵以上の家禄を与えられている者も少なくなかったと思います。(紀州家付家老で田辺城主・安藤家の城代・安藤小兵衛は陪臣ながら家禄九百俵だったと聞きました。) 家老の家臣は例え数百俵の家禄を貰っていても家格としては藩の足軽などよりも下位だったのでしょうか? それとも、陪臣ながら藩士の家格も与えられていたりしたのでしょうか。 なぜ紀州・尾張・水戸/徳川御三家 いつもお世話になってます。 ふと疑問に思ったのですが、徳川御三家の領地はなぜ紀州・尾張・水戸なのでしょうか。 大阪でも京都でもなく。 「交通の要所」って訳でもなさそうですし、「仮想敵国」に対する「睨み」にもなってないような・・・。 ご存知の方がいらっしゃいましたらお付き合い下さいませ。 徳川家重の生母・お須磨の方の父と母について 9代将軍・徳川家重の生母・お須磨の方の父と母の地位や身分は、紀州藩家臣の中では高い方だったのでしょうか? 徳川家重の生母・お須磨の方の父と母が、どれぐらいの地位や身分だった(どれぐらいの高さだった)のかを教えてください。 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? OKWAVE コラム 田辺与力について 田辺与力は幕末に紀州藩士から安藤家の家臣に支配替えを命じられたのを拒んだとのことですが、それまでは、田辺においてはどのような地位で、どういう職務に就いていたのでしょうか? 紀州藩士の身分だけど、実質的な職務は安藤家の家政に携わっていたのでしょうか。 大名の家臣で 越後長岡・牧野家には、家老の支配を受けず独自に栃尾1万石を支配した先法家と呼ばれた藩士3家(槙・能勢・疋田)があったそうですが、他の大名家でこのような特別待遇の家臣がいましたら教えて下さい。 長岡藩の例や長州藩・岩国吉川氏以外にこういった例はありましたでしょうか。 徳川御三家って? 徳川御三家ってなんですか? 徳川家康の子息から水戸・紀州・尾張に分かれたというようなことは調べてすぐわかったのですが、一ツ橋家やら田安家、清水家も出てきました。 またよく松平家という苗字も聞きますが、徳川家ってどんなふうに分かれているんでしょう? 日本史を学んだことがないのでよくわかりません。 大河ドラマを見ていて疑問に思ったのですが、 詳しい方、是非ご教授ください。 徳川の御三家 徳川の御三家は、筆頭が尾張で次(?)が紀州、さらに副将軍が水戸だそうですが、 大名としての裕福さという点では、どの家が一番リッチだったのでしょうか? その他、御三家について何でも結構ですので教えてください。(曖昧な質問ですみません。) 須磨(須摩)は、いつから徳川吉宗に仕え初めたのか? 徳川吉宗の側室で、9代将軍・徳川家重の生母である "お須磨の方(須摩)" は、いつから徳川吉宗に仕え初めたのでしょうか? 吉宗が紀州藩主になるよりも前でしょうか?、後でしょうか? お須磨の方(須摩)は、いつから徳川吉宗に仕え初めたのかを、教えてください。 徳川光貞が亡くなってから源三が生まれるまでの期間は 徳川吉宗の実父で、紀州藩の第2代藩主である “ 徳川 光貞(とくがわ みつさだ)” が亡くなってから、徳川吉宗の三男(生母は深心院(お梅の方))である “ 徳川 源三(とくがわ げんぞう)” が生まれるまでの間の期間は、どのぐらいの期間(何年と何ヵ月と何日)あったのでしょうか? 徳川吉宗の実父で、紀州藩の第2代藩主である “ 徳川 光貞(とくがわ みつさだ)” が亡くなってから、徳川吉宗の三男(生母は深心院(お梅の方))である “ 徳川 源三(とくがわ げんぞう)” が生まれるまでの間の期間は、どれぐらいの期間(何年と何ヵ月と何日)あったのかを教えてください。 戦国時代など、中堅の家臣の人を下の立場から呼ぶ時は 戦国時代に限らなくても良いのですが、昔は中堅の家臣の人を目下の人はなんと呼んでいたのでしょうか? 例えば真田幸村は、特に大阪の陣の時に至っては、「若」とか「家老」のような身分や立場など一切ないでしょうが、それでも配下の者はいましたよね? その配下の者達は、幸村のことをなんと呼んでいたのでしょうか? 「様」付けでしょうか? 徳川綱教と吉宗の官位の上がり方の比較 徳川吉宗の兄で紀州藩の第3代藩主だった徳川綱教と徳川吉宗の官位の上がり方を比較したら、どちらの方が上がり方が早かったでしょうか? 年齢に対しての官位の上がり方の比較で教えてください。 もし、徳川吉通が生きていたら、8代将軍は誰だった? もし、7代将軍の徳川家継が死んだ時点で、尾張藩第4代藩主の徳川吉通が生きていたとしたら、8代将軍は誰になっていたでしょうか? 徳川吉通になっていたでしょうか? それとも、徳川吉宗だったでしょうか? 尾張藩の方が紀州藩よりも家格は高いですが、徳川吉通は家康の玄孫なのに対して、吉宗は家康の曾孫であり、吉宗の方が家康との血縁が近いです。 7代将軍の徳川家継が死亡した時点で、徳川吉通が生きていたら、8代将軍は徳川吉通になっていたか、それとも徳川吉宗になっていたか、予想を教えてください。 日本史の転換点?:赤穂浪士、池田屋事件、禁門の変に見る武士の忠義と正義 OKWAVE コラム 徳川幕臣の桐紋使用について 徳川幕臣のうち、桐の家紋を使用する家は全体の5分の1にも及んだそうですが、他ならぬ徳川将軍家は天皇からの桐紋下賜を辞退していますし、桐紋は徳川家と対立した豊臣家の家紋でもあります。そういういわば徳川向きではない家紋を徳川家の家臣が使用することに関して、幕臣の間に躊躇いや矛盾を感じることはなかったのでしょうか? 家紋は先祖代々のものだから…といっても、他にもいくつか家紋を持っているのにわざわざ桐紋を定紋として幕府に届け出た家が多数あります。 また、wikipedia百科事典の「桐紋」の項には、「徳川家は桐紋の下賜を辞退したが、家康個人は大御所時代に桐紋を使用したことがある」というような記述がありましたが、何かそれを証拠立てるようなものはあるでしょうか? 実は私も庶流ながら桐紋を使用した幕臣の末裔なので、自分の家紋と家康公を尊敬する気持ちがどうも矛盾しているような気がしてすっきりしないでいます。御回答をお願いします。 徳川治済は何故将軍に成れなかったか。 徳川治済は何故将軍に成れなかったか。 徳川11代将軍ですが、1779年に家基が亡くなった時点で、28歳(1751年生まれ)、8代吉宗の孫にあたり血筋もよい、77歳まで生きたことを考えると健康で子どもも多い、また事績を見ても性格は今一だが、政治的能力に優れ、向上心もある。 ライバル田安家、清水家にはこの時点では候補はおらず、尾張、紀州も年齢や健康状態からパス。 実際に11代将軍になった徳川家斉より血筋も年齢も体力気力も上だと思うんですが、何故将軍の座を徳川家斉に奪われたのでしょうか。 徳川家斉は8代吉宗のひ孫世代で、1781年に将軍世子になった時点でも8歳、医療の発達していない時代ですから、幼児では成人できるかどうかも怪しいし、政治的手腕も未知数、どう考えても徳川治済の方がふさわしいと思うんです。 一橋家の跡目も、豊千代という長男がいますから安泰、将軍世子になるのに何ら障害はないと思うのですが、何か理由があったんでしょうか? 紀州徳川家 初期の家臣団の形成 タイトルの通りなのですが、 初代頼宣公の時期にどのように家臣団が形成されていったか、 また、具体的な氏名・役職・禄高などがわかる、例えば武鑑のように整理された資料はないでしょうか。 書籍名等、参考となる情報をご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 (いつの間にか紀州藩士となっていた者の末孫より) 大久保忠直(紀州藩士)と加納久通の家格 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BF%A0%E7%9B%B4_(%E7%B4%80%E5%B7%9E%E8%97%A9%E5%A3%AB) ↑ このページによると、 9代将軍・徳川家重の生母である深徳院の父、大久保忠直(紀州藩士)は、加納久通の縁者だったそうです。 そこで質問があります。 この深徳院の父、大久保忠直(紀州藩士)と、その縁者の加納久通では、徳川吉宗が将軍になるよりも前の時点においては、どちらの方が家格もしくは身分が上だったのでしょうか? 吉宗が将軍になるよりも前の時点において、大久保忠直(紀州藩士)と加納久通では、どちらの方が家格又は身分が上だったのかを教えてください。 和歌山城 テレビで頼宣公の和歌山の城作りや権現社を見てると、どうにも大藩とはいえ1藩でやるには壮大すぎに思えます。天下普請でもあるまいし名古屋より規模がでかいような。これは総構えが無いから案外金がかかってないということなのでしょうか? 何か頼宣に巨大資金源があったのでしょうか? あとふと疑問に思ったのですが、尾張家の附家老に比べて、紀州の附家老は妙に新宮と田辺という紀州藩の経済的に一番おいしいところをぶっこ抜いてるように思えます。 これは家康と秀忠でなにか藩の成立経緯に違いがあるのでしょうか? たんに附家老にふさわしい城(江戸時代の用語で言えば陣屋?)が他の地になかったのでしょうか? 岩本正利と吉宗の将軍家継承に随従した岩本氏の関係は (↓)この下記の URL のページによると、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の生母の “お富の方” の父は幕臣・岩本正利 であり、 さらに、「於富(お富の方)の生家・岩本家は、元は紀州藩の紀州徳川家に仕え、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の家であった。」 そうですが、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%AF%8C%E3%81%AE%E6%96%B9 この “お富の方” の父である幕臣・岩本正利 と、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣であった岩本氏は、どのような関係に当たるのでしょうか? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%AF%8C%E3%81%AE%E6%96%B9 (↑)この上記のページによれば、 お富の方の父は幕臣・岩本正利。 於富(お富の方)の生家・岩本家は、元は紀州藩の紀州徳川家に仕え、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の家であった。 となっていますが、 この、お富の方の父である幕臣・岩本正利 と、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の岩本氏は、どのような関係に当たるのかを教えてください。 大須賀五郎左衛門康高は、徳川軍最強ですか? 百七十七、大須賀五郎左衛門康高は、徳川軍最強ですか? 3、徳川功名禄 高天神城干殺し歴々討死の事 遠江国高天神城では籠城していた兵たちの過半が餓死に及んでいた。かろうじて生き残った兵は3月25日亥刻に柵木を破って討って出てきたが、徳川家康勢はこれを迎え撃って各所で戦闘し、敵兵数多を討ち取った。 その首数は以下のごとくであった。 首数百三十八、鈴木喜三郎・鈴木越中守討ち取る。十五、水野国松勝成。十八、本多作左衛門重次。七、内藤三左衛門。六、菅沼次郎右衛門。五、三宅宗右衛門。二十一、本多彦次郎。七、戸田三郎左衛門。五、本多庄左衛門。四十二、酒井忠次。十六、石川長門守。百七十七、大須賀五郎左衛門康高。四十、石川伯耆守数正。十、松平上野守。二十二、本多平八郎忠勝。六、上村庄右衛門。六十四、大久保七郎右衛門忠世。四十一、榊原小平太康政。十九、鳥居彦右衛門元忠。十三、松平督。一、松平玄蕃允。一、久野三郎左衛門。一、牧野菅八郎。一、岩瀬清介。二、近藤平右衛門。 お富の方の父・岩本正利と吉宗に随従した岩本氏の関係 (11代将軍・徳川家斉の生母の)“お富の方” の父である岩本正利は、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の岩本家(岩本正房だったか?)とは、どういう関係に当たるのでしょうか? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%AF%8C%E3%81%AE%E6%96%B9 (↑)上記の URL の、“お富の方” の Wikipedia のページによれば、 11代将軍・徳川家斉の生母である “お富の方” の父は、幕臣・岩本正利だそうです。 そしてまた、その岩本正利の岩本家は、 於富の生家・岩本家は、元は紀州藩の紀州徳川家に仕え、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の家であった。 そうです。 そこで、質問があります。 この、11代将軍・徳川家斉の生母の “お富の方” の父である幕臣・岩本正利は、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の岩本家(岩本正房だったか?)とどういう関係に当たるのでしょうか? 岩本正利は、徳川吉宗の将軍家継承に随従した紀州系幕臣の岩本氏(岩本家)とどういう関係に当たるのかを教えてください。 注目のQ&A 「You」や「I」が入った曲といえば? Part2 結婚について考えていない大学生の彼氏について 関東の方に聞きたいです 大阪万博について 駅の清涼飲料水自販機 不倫の慰謝料の請求について 新型コロナウイルスがもたらした功績について教えて 旧姓を使う理由。 回復メディアの保存方法 好きな人を諦める方法 小諸市(長野県)在住でスキーやスノボをする方の用具 カテゴリ 学問・教育 人文・社会科学 考古学・人類学文学・古典歴史経済学・経営学心理学・社会学地理学美術音楽哲学・倫理・宗教学その他(人文・社会科学) カテゴリ一覧を見る OKWAVE コラム 突然のトラブル?プリンター・メール・LINE編 携帯料金を賢く見直す!格安SIMと端末選びのポイントは? 友達って必要?友情って何だろう 大震災時の現実とは?私たちができる備え 「結婚相談所は恥ずかしい」は時代遅れ!負け組の誤解と出会いの掴み方 あなたにピッタリな商品が見つかる! OKWAVE セレクト コスメ化粧品 化粧水・クレンジングなど 健康食品・サプリ コンブチャなど バス用品 入浴剤・アミノ酸シャンプーなど スマホアプリ マッチングアプリなど ヘアケア 白髪染めヘアカラーなど インターネット回線 プロバイダ、光回線など
お礼
ありがとうございます。