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[幸せ下手]の処世の分かれ道をお教えください。

[幸せ下手]というか、そういう人がおられますけど、 [幸せ上手]との考え方の分岐点、あるいは不幸への道を 繰り返しチョイスしてしまう運命・価値観の分かれ道は何でしょう。 ※ものの本からの知識ではなしに体験から得たご認識を お教えください。

みんなの回答

noname#96756
noname#96756
回答No.15

こんにちは。 「立て替え」があるなら「宿題」もありですよね。 子供の頃、わたくしは近所の子とは異なり私立に越境していたため、帰宅時間が人一倍遅かったです。 で、皆と一緒に遊ぶ時間が少なかったため、宿題をやらないでそのまんま遊びに行って、薄暗くなるまで帰宅せず、夕食中からウトウトして翌日学校で「あちゃ~やってしもうた。」と反省していたわけです。 毎日その繰り返し。 私立だから、厳しいようで意外とルーズなところもあったりして。 わたくしの時代(学校)、幸か不幸かあまり御咎めは厳しくなかったです。 でも、この悪癖っていくら両親や担任の先生の指摘を受けてもなおりませんでした。 だって、「宿題<<<帰宅後の外遊び」という揺るぎない価値観があったから。 子供心に頑固だったと思います。 で、「こりゃマズイ」と思ったのは、付属の中学に入ってから。 中学受験を経て大量に入学してきた賢いクラスメートを見て「自ら触発」されたのです。 待てよ、宿題サボっているわけではなかろう、と。 ただでさえ勉強してこなかったのだから、ちょっとは真面目にやらなきゃな、と。 それ以降、完璧とは言い難いものの、何とか人並みに宿題の提出率が上がりました。 即効性は十分でした。 だって「目覚めた」から。 この勢いで「勉強」まで目覚めたら、人生もっと変っていたかも? 人に言われて仮に行動が変わるとしても、結局は「自分で気づき、何とかする気になる」状態でないと、付け焼刃になってしまう可能性も否定できないような気がするのです。 でも、わたくしのような意地っ張りではなくて素直な良い子だったなら。 こんな遠回りなことはしなくて良かったのかもしれませんけど、まあ、今がノンシャランで楽しいからこれで良し!と思っております。 拙い子供の頃の経験談で恐縮です。

formidable
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.14

こんばんは、formidableさん。 [幸せ下手]の処世の分かれ道をお教えください。 ↑ うーん、パッと思いつくのが《立て替え》 「ああー、いま持ち合わせないから、ちょっと立て替えといて」 と、職場の同僚もしくは上司に云われたとします。 その時あなたならどうしますか? 立て替える額は小額。(ヤクルト2本分程) ↑ わかれみち

formidable
質問者

お礼

ありがとうございます。 私が想定していなかった次元のこと、 勉強になりました。

回答No.13

>[論]ではなしに、[体験]をお訊きしておりまして…… >この質問は[考え]をお訊きしているのではなく[体験]を伺っております。 >体験から得たご認識をお教えください。  偉そうに、多くの回答者の揚げ足をとるな。  それなら、最初から 体験を教えろ と書け。  体験から得たご認識をその体験を含めお教えください。だろうが。

formidable
質問者

お礼

偉そうにしているわけではありません。 偉くもありません。偉ければ 人さまに質問することは致しません。 (多様な年齢層の)皆さんにお話しする際には、 [論]では理解してもらえないことが多々あります。 そういう場合に 多様な[事例]があれば理解の助けになるのです。 そういう事情で、体験をお訊きしています。 なにはともあれ、私の質問にご関心を お持ちくださいまして、ありがとうございました。

回答No.12

>不幸への道を繰り返しチョイスしてしまう運命・価値観の分かれ道は何でしょう。 家族の絆、集団との関係、社会との関わり等々について、自分との一体感の欠如ですね。 ときとして、周囲への復讐、攻撃、破壊行動になります。 人間がずっと繰り返してきたことですから、体験談は必要がないでしょう。 破壊が必要な時もありますけどね。

formidable
質問者

お礼

この質問は[考え]をお訊きしているのではなく [体験]を伺っております。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.11

#5です。 体験談がご所望とおっしゃいますので、その一つを紹介します。 大分昔のことです。私は大学生や大学院生を指導する立場に在るのですが、ある経緯で私の指導学生だったわけではないある学生に訓戒を垂れる羽目に成ったことがあります。その学生はいつもポケットに手を突っ込み、猫背で歩き、先生方に挨拶もせず大変暗い性格でした。一方その学生は大変生真面目であることも、私は知っていました。その学生を捕まえて、私は自分の立場を嵩に着せ、高飛車に「おいお前、お前を見ているとこっちまで気が滅入って来る。いいか、暗い性格は伝染するんだぞ。皆が迷惑する。その反対に、明るい性格も伝染するんだ。だからいつでもニコニコして、私に会ったら元気に挨拶をせい」と殆どこんな調子で言いました。学生曰く、「でも心に正直でなくていいんですか」だと抜かしました。そこで私は、「『何でも心から入るものではない、形から入るものだ』って言葉知らないのか、未熟者めが。たとえ嘘でも、ニコニコして居ろ。そのうちに本当に楽しくなって来るから」と捲し立てました。 そしたらなんと驚き、次の日に私を見るなり元気に、「お早うございます」と大声で挨拶をしました。そこで、私は「今日のお前を見ていると、こっちまでいい気持ちになって来る。それを続けろ」とまた、高飛車に言いました。他の先生からも、その学生が見違えるように明るくなったと感謝されました。そして、私の指導学生でもないのに、学問の話を聞きにくるようになりました。だだし、その学生にも強情で一癖がある所があり、私に会う時には,朝で夕方でも必ず「お早うございます」で通しました。「何でお早うだ」と聞いたら、その日にはじめて会う時はいつも「お早うじゃないんですか」だと、またまた抜かしました。私がそれは水商売人の習慣だと言っても、結局無視され、彼は、私にだけは「お早うございます」で押し通しました。その後大分経って、彼は私に感謝の気持ちを伝えてくれました。 あの高飛車な私の態度は、今なら必ずアカハラだと言われるのでしょうね。

formidable
質問者

お礼

挨拶して挨拶を返されないとイライラしてしまう人がおられるようなのですが 私がいま住んでいるところでは 子どももオトナもキチンと挨拶し合っていますし、 森羅万象への挨拶として俳句をつくっている私には、 不可思議でなりません……挨拶は元々が悟りの深さを示す禅用語で、 【余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと 思って居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。  〔 正岡子規の『病牀六尺』21章 〕】 に共鳴している私としては、一方で、 ≪知らない人とは話をしない≫という躾・教育や 【「不審に思われるのが嫌で、子どもに話しかけられない」 (朝日新聞 2005/12/31朝刊 35面)】 ≪通学路避けて私の散歩道  [名和 肇] 川柳≫ といった環境をつくり、他方で、そうした状況であるとすれば 異様な感じを否めません。 水商売業界のみならず、 クリエィターの業界用語でもありますね。 (私は《オツカレサマで~す》という応対に辟易しておりまして、 《私はキッチリ自己管理をしていて少しも疲れてなどいません。 勝手に決め付けないでください》と言ったことがありますが、 アレは何とかならないでしょうか。余計なことですが) 再度のご開示、誠にありがとうございました。

  • pupurpu
  • ベストアンサー率15% (29/192)
回答No.10

幸せ上手]継続持続は幸せ。勉強する 幸せ下手]途中であきらめる、忍耐が続かない。遊ぶ。

formidable
質問者

お礼

体験をお訊きしておりまして……

回答No.9

30才で離婚・・私って不幸 一度は結婚できた・・幸せだよね 女手ひとつで3人の子持ち・・・働きづめで不幸な人生 可愛い子供の寝顔・・なにものにも代えられないよね 言うこと聞かない子供のしつけ・・なんとかしてよ~ 大きくなった子供からのママありがと~・・うっ 嬉しい 貧乏生活・・・苦しい!不幸! 贅沢はできないけど 食う 寝るとこがあって幸せ 考え方ひとつです。

formidable
質問者

お礼

ありがとうございます。 〈Be Prepared〉 Boy Scout's Motto :備えよ常に といった考えの人や 〈芸は身を助く〉……いくつかの芸=特技etc.のある人は [生活上手][幸せ上手]と言えそうですね。 ご回答をお寄せくださったアナタさまへの 【私からのプレゼント】 躾の目的は自分で自分を支配する人間をつくることであって、 人に支配される人間をつくることではない。    〔 Herbert Spencer 英哲学者 〕 躾とは、人生という舞台における子供への演技指導である。 すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。 〔 William Shakespeare 〕 私は Spencer や Shakespeare の考え方も好きなのですが 曽野綾子さんの躾の考え方が気に入っています。 曽野綾子さんの『絶望からの出発』を是非、 読んでみてください。

noname#100496
noname#100496
回答No.8

脳の思考だけで、問題を解決しようとしてませんか。脳が思考してる時は、人と自然の情緒、つまり神との交流を、脳が遮断します。脳が休むと、人の心と自然の神とが交流するので、自然の神から問題解決のヒラメキが来ます。だから脳を休ませる事ができるかが、幸せの分岐点です。日本の伝統文化などは、脳を休めて自然の情緒、心の癒しを追求してるので、脳を休ませる要領がわかります。また赤ちゃんや動物、ペットを観察して見るのもいいです。脳が休んでるので幸せな表情をしてます。また手先の仕事や機械を止めて手作業、肉体労働をすると、意識が頭を離れて手足に向くので脳が休みます。

formidable
質問者

お礼

ありがとうございます。 [論]ではなしに、 [体験]をお訊きしておりまして……

回答No.7

 いい気に為りすぎて、自分でない生き方をしていくと、いつも後悔の種となっています。

formidable
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご回答のような体験をされたのですね。

回答No.6

物事を知的に論理的に解釈して、損得で世の中を歩こうとした時でしょうか?世の中を理論だけで渡ることが不幸を呼ぶことになるかも知れません。 あべこべに論理的に生きないとしたなら、破綻するかも知れません。ではどうするのかという事になります。 論理的ではない生き方、或いは論理的に生きる生き方を共に飛び越えた生き方がよいと思います。そういう生き方を学ぶという事になります。 人をあてにしないで、あてにするという事。 物事をあてにしないで、あてにする。 欲しいものを、欲しがらないで手に入れる事。 嫌なことを避けようとしないで、避けている事。 こういう事が出来るようになればよいと思います。 つまり、全身全霊で生きてゆく事になります、そうすれば敵も味方してくれます。 努力をしないで期待をする生き方が不幸を呼び寄せます。努力しただけを受け取って、満足をするという事になります。自分の努力を自分で正当に評価出来る人になる、或いは世の中を欲と得というフィルターを付けないですっと見る事が出来るようになることが近道になると思います。

formidable
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご回答のような体験をされたのですね。

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