そう思っている一人です。
私はちょっと観点が違っていて、毎日、瞬間が分岐点と思っています。
それが重大な時も有り、小さな時も有りと思っています。一見運命的でなくてもその結果がそうなる事も有ると思っています。
私は 人生は 常に 選択 の連続と思っています。 その選択の一つが 大きなターニングポイントで有ったかもしれませんが、違う選択をしたときの結果が決してわからないので本当に運命の分かれ目だったかどうかわからないからです。何度起きるか皆目見当がつきません。
ただ 後からそうだったかも知れない(転機だった)と思うだけです。
人は結果が良い時か、悪い時に 転機だったと思うだけではないでしょうか。
その分岐点で別の選択をしたら、 もっと良かったかも知れないし、もっと悪かったかも知れません。
でも誰も知りません。想像で語るだけです。だからすべてとは思えないのです。
こんな人と結婚して、あの時Bさんとしていたらこんな悲しい目に合わなかったのに あれが転機でもう人生も終わり と思ったとします。 でも Bさんでない人を選んだのです。はたしてBさんなら幸せになれたでしょうか。今が悲しいからBさんだったら と想像しているだけで、Bさんと結婚していたら、もっと不幸になった可能性も十分あるのです。(誰にもわかりません) そして次の選択(別れる、人生を終わらせる。浮気をする、じっと我慢して過ごす、新しい生き方をする)どれでも選べるし、大きな転機になりますが、結局 結果はわかりません。だから人は悩むのでしょうね。結果がわかるのなら、転機など存在しないに等しいのですから。
人間万事塞翁が馬 をご存知だと思います。 この中には 何回も転機が訪れます。結構含蓄のある諺のような気がします。
だから自分が日々選択していることがすべて転機だと思っています。
朝 人に会った。 挨拶するか しないか 普通う考えずに挨拶を選択しています。でもやはり転機です。
お蔭で とても良い話が聞けた。その後良いことが続いた。挨拶しなかったら聞けなかったかも。反対の結果も有りえたかもしれませんが。
食事で 先にお茶を飲むか 後にするか これも選択であり転機です。(あまりそんなこと考えませんが)
先に飲んで 暑くて口の中を火傷した。 後にしておけばよかった と思っても 飲む を選択して、火傷の道を選んだのです。その後は 口の中を火傷した と言うところから続きが始まります。飲まなかったという人生はないのです。でもそのおかげで医者に行ったら素晴らしい人(人生の伴侶となるような人)と知り合えてハッピー と言うことも有りえます。そうすると ただお茶を先に飲んだことが大きな転機だったことになります。
プロフィール拝見しました。きっと よき選択(良い転機)を迎えられたのでしょうね。これからも結果が良くなるような日々の選択をされてください。
私の転機らしいものは、仕事で福岡に転勤ーそれが第1弾ー続いて宝塚に転勤ーそれが第2弾ーそして定年退職ーそれが第3弾 はたして結果がどうなのか、人生にさようならの時を迎えるまで解かりません。
今のところ 良かったのかな と自己満足だけしております。
ご家族、お母様を大切にしてあげて下さい。きっと良い結果が待っていると思っております。
一言:飲みすぎないように健康に気を付けて下さい。