• 締切済み

哲学するうえで大事なこと

哲学するうえで自分のポジションを決めてしまうのはあまりよろしくないのではないでしょうか。 ・神はいる、いない ・死後の世界はある、ない ・輪廻転生はある、ない ・運命はある、ない 一時的なディベートならいいのですが、自分のポジションを決めることは結果的にそれに縛られることになります。 もちろんどのポジションからみても間違いではないのですが局所的なものの見方となるのではないでしょうか。

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.12

論文というのはポジションを決めないと論を進められないですね。 これを仮説を置くといいますね。 つまり、一つの仮説を説明するために多くの言葉や引用があるのが論文ですね。 この手法は、質問に対しても使えるものなのですね。 いろいろな仮説から選んだ1つを柱として、質問文に対して回答するやり方ですね。 これにより、質問者は質問に対するより多くの側面回答を得ることが出来るというものですね。 例えば、数学や物理で回答がある場合のみの回答は、仮説など立てる必要もありませんが、数学や物理でさえ回答がないものはたくさんあるのですね。皆さんが中学・高校・大学などで学んだ数学や物理には必ず回答がついていたとは思いますが、実際は回答などない場合が多いのですね。そこでいろいろな仮説を導入し、近似解を得ているのが現状ですね。 哲学や思想は数学や物理以上に回答などない世界ですね。だから真理追究と呼んでいるのでしょうね。 回答などない世界であなたは何を知りたいのかと問われたとき、質問すら意味を持たないでしょう。 逆に、質問があり、その質問に答えるということは回答者に立脚点がなければ答えることはできませんね。 立脚点がどのようなものであれ、質問者がそれを選別することは出来ないし、それを容認するから質問が成立するのではないでしょうか。 まあ、あれは嫌い、これはだめではこの哲学カテの質問と回答にならないでしょう。 哲学といのは百花繚乱の世界ですから百花繚乱を楽しむ心も大切ということですよ。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、百花繚乱を楽しむといたしましょう。

回答No.11

おはようございます、shift-2007さん。 はじめのだーいっぽ ←コレ、ポジション べつにええんちゃうん? 今日の入りはココからってかんじではじめんのに何か支障でも?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ずいぶん久しぶりでやんすね。 今日はいいさ、でも明日からやめようね。

  • pupurpu
  • ベストアンサー率15% (29/192)
回答No.10

神は仏教では結果を助ける縁として諸天善神と出てきます。 自身の中に心があり、心を表す表情、性格があり、力があって行動があり、原因があり、それを助ける縁があり、結果があり、それを報じられる。すべて、自分に備わっている。自分の外にはないと言われます。  また「神様お腹がすいたのでパンを出して奇跡起こしてー。」と言うとお母さんがハイと料理を出してくれる。神が奇跡を起こして食卓の天井からパンを出すのも、お母さんが料理出すのも結果は同じ。  人の中に見つけましょう。人の行動、行為の中にみつけましょう。また、感謝しましょう。人がかわりにやってます。  助ける働きです。   また、仏とは、長いものでもなく短いものでもなく、丸いものでもなく、あるようでもなく、無いものでもなく、非ず非ずと出てきます。 仏とは、 自分自身の生命の1つの表現、命のこと、仏教の中では仏の命と出てきます。自分の命  これは古くから言われてることで、もっと言えば生命状態。地獄の命から仏の命と10個の生命力によって分類わけして、瞬間瞬間変わっていると言われます。  ですから、気持ちや心が瞬時にかわり、また変わってることすらきづかないほど一日でも1万回以上だと言われてます。苦しい楽しい、どうしよう、あれがしたいこれがしたい、疲れた、それらの生命状態の変化がわかるというのは、つまり、地獄の命から菩薩の命の9つの段階気持ちがわかると言うのはその全部の中に仏の命が貫かれているから刻々と変化する心情、ひいては、生命状態を刻々と感じていると言われます。  今自分は怒り、苦しいならそれは地獄と定義され、最悪な状態で非常に生命力が弱い状態、またその心でそこから世界を見て感じている。 また、穏やかに会議や相談などは人界の命、結果が叶って喜ぶと天界。  人を助けようとするのは菩薩界の命、  また刻々と運命の転換を説いていると言われます。また傾向性がある。そこからよくなろうとする。そう思う心があるということは、誰でもそれを無自覚にしろ信じている1面があると言われます。  むさぼっている餓鬼界とか、その自分の傾向性や運命からの転換、 哲学は仏教哲学とも言われ、生きる姿勢、生き方、行動、ひいては、自分の行動で人生を作ると言うことに結実しないと、 ただの邪義でしかありません。邪義です。これは増上慢です。罪です。しっかり罪として認識する必要があり、間違った考えによって人を間違った生き方、つまり苦しむ生き方に導く可能性があります。 凡夫はその事が信じられず、架空の仏やいろいろな教義によって子供から小学生、大学生、大人と理解できない衆生を導くといわれ、その前段階で数々の仮の教えがあると言われます。禅や権教。仏教でも自分の命をなかなか信じられない人を導くための架空のような方便の仮の教えと真実の教えと分かれ、教えの中でも高低浅深がしっかりと見極められてます。  勝手に作ると罪になり、そういう人は必ず正義のクリシュナ神によって罪は罰せられるでしょう。  正義とは人の心の中にあります。人の中にあります。その正義は神の名としても呼ばれます。  またこの世は利益と罰しかなく、得をすれば利益、損をすれば罰、どちらかしかないとも言われてます。  またインドのサイババさんは、みんなは神である。それを私は知っているが、あなた方は知らない。ともいってます。普遍的というのはいいですね。  生命尊厳を大切にしましょう。 真理を聞く段階から真理を生きるとも言われます。 また、自分の中の内実しか説いてないのがわかると思います。  結局、原因も結果も自分の中に納まり、命も良い心も自身の中にある。また、吸うは神であり、吐くのは自分自身とも言われます。 あとはどう発揮していくかということでしょうか。エネルギーは自分の中から沸いてきます。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ずいぶん難しい話ですね。 私にはまだちょっと難解のようです。

  • aai1
  • ベストアンサー率13% (46/335)
回答No.9

哲学って人生の振る舞いって事ですか。 生命感も入りますね。 真理を生きるというのは聞いたことがあります。 行動でしょうか?生きる姿勢ですか? 仏は人の振る舞いを説いたと聞いたことがありますが。 おかしな考え方をして遊んだり、自分の勝手な考えを作り執着するのは 罪だと読んだ事があります。また枝葉ですね。全体から言えば枝葉の考えはいっぱいありますが 誠実に正直に自分らしく生き生きと生きるということですか? 読むより実行。 できることだけが手に入れた自由。 イチローのように 汝自身を知れ>>アリストテレス。 自力本願 行動で自分を作ってください。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座います。 姿勢が出来ればおのずと行動に現れるのだろうと思います。 哲学なんてそんなたいそうなものではないとは思っていますが 己を知ることが哲学の始まりなのでしょうね。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.8

こんににちは。 NO4です。 『私と他人と世界のイメージ 』読んだんですが、 でっかいですねー。詩のようです。 僕は神秘的、と勝手に感じました。 深いので解釈どうこうではないんですが。 文章見てると日本語なんですけど把握が追いつきません。 前に池田さんの14歳の哲学読んだ時みたいですー。 あの本も目が点になりましたが。 僕は基本神様系なので、この詩を捉える、勘がないです。 その重要さは、感じてるつもりですが。 このイメージを理解したい、と言う欲もあるんですが、自分のことに精一杯なのにそれは止めた方がいいなと感じます。非常に深い関心はあるんですが。 持論と言っちゃいましたが、今のところ役に立ってないんですねー。つまり自分の問題を解決してくれないので。 こういう細かい理屈言ってる間はまだ先は遠いです・・・。 shiftさんはビジョンでも考えられるんですねー。 いいな、これ、と思いました。 神様が欲しい人は、僕もそうですがほんと小さいときから痛切に求めるので、 逆に言うと、神の居場所がないといわれるshiftさんは、神が無くても完結してる感じがするし、それならたぶん元々必要ないんだなーと思いました。 身内にそういうタイプがいるので、ちょっとだけ分かる気もするのです。 では失礼します。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いろいろな人がいろいろな視点で哲学することで、世界の理解が深まればいいなと思います。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.7

#5です。 >私も鉄道マニアの気持ちがわかりません。 なるほど、鉄道マニアには哲学が無いのですか。哲学に興味を持っている方が、どういう世界観を持っているか、参考になりました。有り難う御座います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座いました。

回答No.6

哲学は考え方を分析するものですから、どんなアプローチもありです。 局所だろうが、大局だろうが、切り口が違うだけで、考え方をどういったプロセスを踏んで考えていたかを科学できればそれが哲学です。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座います。 切り口が違うということを自覚していれば問題ないですね。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

回答にもならない横入りをさせてもらいます。 昔ある本に、「哲学とは、それが何を論じる学問であるかが分った時に分るようになる学問である」と言うことが書いてありました。 ・神はいる、いない ・死後の世界はある、ない ・輪廻転生はある、ない ・運命はある、ない こんなことを論じるのが、哲学なんですか。と言うことは、私にはまだ哲学がなんであるか分っていないようです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >私にはまだ哲学がなんであるか分っていないようです。 そうかもしれませんね。 私も鉄道マニアの気持ちがわかりません。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.4

こんばんわですー。 スルーしそうだったんですが、下の方へのお礼とか読んでたらちょっと共感したので。 それはともかく、 スタンスとしては、僕はわからんものはわからんですます、ことにしてます。 そういう、固定観念に頼らない勇気と集中力みたいなものですーー書いててしんどいですが。 自分で固定観念の枠を作ってしまったら、せっかく本当のことに近づけるチャンスをつむことになるし。 、でもやっぱりしんどいですー。 >神の意図を考える際には神が存在しているかどうかはどうでもいいように思うのです。 この話がおもしろそうで、ついつい・・・いいですか?? 神は心の性質にまつわるもので、抽象的なので、具体的言語や概念に置き換えると、ややこしいことになる、と感じてます。 数字ではかれない上に、具体的概念の上にも乗らない、それは、信仰のある人なら、本当は腹の底でみんな分かってるはずですが、 まあ、つい口がすべっちゃってます。言ったら負けよ、の世界かなー。 神の感覚は、それは非常に抽象的で、安易に言葉に乗せた途端うそになるし、言語化や概念化それは依存心から来る偶像崇拝的甘えですが、それはそれでいいとも思うんです。 神は心で感じるもの、という言葉がありますが、ほんまにそう思います。感じてるだけのものを、いるいない、と言った地点で摩擦のたねにはなります。 抽象的な神の感覚が、正しい意味で具現化するには、非常に強い精神集中が要りますが、ほとんどの信者は、それをしたくないので、言葉の持つ絶対感覚に安易に依存します。 でも、神様、と言いたい、というこのレベルの甘えが許されないなら、ちょっと人間生きていくのは難しい、と思うので。この世に存在できない、と感じます。 それは「自分」などと言うな思うな感じるな、というのと同じはなしで、無茶です。 克服はすべきでも、最初から封じられてはまずいなーと。 今すぐ禁止されたら、人類全員討ち死にですしー。 ちなみに神を信じない人は、自己に依存してる、と思います。 どちらにしても依存心のない人などいないように思いますし。 神との一体化(対象としての神の消滅)、また、逆に、自己の消滅~仏教でよく言ってるものですが、この2つは、やはり本質に近づくのに、避けて通れないですが、、現在、四苦八苦です。 神にかかわらず、心の概念を言葉に出すときによく人がもう一つ自信がないのは、つまり、気持ちは、断定せずに、詩や歌に託して、その変化や流れを表現するパターンが非常に多いのは、 本来関係性そのものである心を、言葉を使って一個の要素に決めつけてしまういい加減さを感じてるからだと思いますねー。 日本人は情緒的で、あまりものを断定せずにいう民族だ、と言われますが、実際日本人は、この抽象的な心のメカニズムにとても敏感で、だからこそ、断定でなく、心の性質を損なわないで表現しやすい手段として俳句や短歌に託す、という形をよく取ってると思います。 日本人が断定が嫌いなのも、心の根源的性質に敏感なあまり、という気がします。逆に自分、自己を軽視しがちですが。 ある気持ちを感じてても、それを、こう感じてる、と断言することに僕は不安を感じますが、それは、関係性を、無理矢理存在する概念に作り替えるリスクを感じてのことです。 概念的存在は、変化する本質が封じられてます。感情本来の変化の性質ーリズムや、波、複雑系の性質が、単語で言い切ってしまうと感覚的に消えて無くなります。僕はそれはすごく感覚的に嫌です。 心や感情は、存在に見えても本質は関係性ですし、神の概念は、関係性の極限として成り立つのではないでしょうか? >ある意味神は自分自身 これはー 確か太田光さんは、宇宙は巨大な脳なんじゃないか? と、ニッポンの教養で言っておられたですが、上手いこというなーと思ったのですが、それを思い出しました。 いずれにせよ、きわきわの話、極限の感覚の仕組みは、ほんまに難しいです。 自分を作っている、自己存在、自分の輪郭を作ってくれてる、自己に接する外部すべて。それらを統一的にどう呼ぶのか、という問題かなーと思うので。 以上が僕の持論みたいなものなんですが、 たぶん、shift2007さんも、神が関係性、みたいな実感があるのかな、もしかして、とか思ったんですが・・・

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なかなかきちんとした持論をお持ちなのですね。 私なんかいつも思いつきなので、点と点が繋がらなくていつも糸の切れた凧のように漂流している気分です。 最近気に入った思い付きを書きます。 『私と他人と世界のイメージ 』 「私」という窓が人の数だけ付いている大きな部屋があり、 普通とは逆に部屋の外から中を見ている。 部屋の中には世界がある。 窓(私)からは世界を通して別の窓(他人)が見える。 部屋の外は空っぽ。 私の本体は空っぽの空間。 私と他人は窓は違っていても本体は同じもの。 空っぽの空間を通して私とあなたはつながっている。 私と他人の本体は同じだから共感できる。 私は空っぽだから世界をほしがる。 やば、神様の居場所を決めてなかった・・・

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

#2です。 >ただ、この判断が結果的にhakobuluさんの思考を止めてしまうのではと危惧します、つまり「神などいないと思うべきだ」と。 :そうですかねえ。 私は逆だと思っているのですが・・・。 なぜ逆だと思うのか説明してみます。(ちょっと前置きが長くなるかもしれませんが) 「>神などいないと思うべきだ」 というのとは微妙に異なっていて、正確に言うと、 「(いないと思い込む必要はないが)少なくともいると思うべきではない」 ということになるでしょうか。 つまり、 「いてもいなくてもどちらでもいいではないか」 ということです。 こうなるとshift-2007 さんの見解と似てくるようですが、はっきり違う(と思われる)ところは、 「どちらかはっきりしないことに対して、少なくとも”いる”と断定するわけにはいかないだろう」 ということです。 であれば、いないと断定することもできないのではないか、と反論されると思いますが、それは全くそのとおりでしょう。 この反論を想定してちょっと考えてみたのですが、 「いない派」は「いないと思う」人が(私もそうですが)非常に多いような気がしますね。 対して「いる派」は「絶対いる!^^;」的な印象があります。 UFO なんかと似ているかも。 「いると【思う】」「いないと【思う】」 という立場が必要だという落ちになりそうですけど、どう思われますか。 ここから、「なぜそう思うのか?」という問題に発展していけるのでは? 「いる」と断定している人に対して「なぜ?」と尋ねても、おそらく「いるものはいるんだからしょうがないだろ」という答えしか返ってこないでしょうしね。 その場合、決定的に違うのは、「いない派」は「いる派」のように、 「それが神の思し召しだから」「それが運命だから」(などという未証明の閉塞的根拠)を【最終的な】論拠としない、ということではないか、という気がしますね。 未証明の閉塞的根拠に逃げ込む余地を残しているという点で、「いる」を正当化してしまう思考は「>局所的」にならざるを得ないのではないでしょうか。 私が対象にしたのは、 「いる派」対「いないと思う派」 なわけですが、 「いる派」対「いない派」 の対決がもしあるとすれば、おっしゃるように無意味かもしれません。  

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 分かるような分からないような気分ですが、 hakobuluさんは存在の証明にこだわっているのでしょうか。 私としては神について考えるときは神から自由であるべきだと思うのです。 あるとする理由はそれぞれあるでしょう。 ないとする理由もそれぞれあるでしょう。 しかし、存在の証明を問うているのでなければその理由は意味がないと思うのです。 ならば何を問うのかといえば例えば神の意図です。 なぜ、神はこの世界を作ったのかとか。 矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、神の意図を考える際には神が存在しているかどうかはどうでもいいように思うのです。 神という視点で宇宙をみるとでもいいますか、ある意味自分自身が神となるのですからいてもいなくてもかまわないわけです。 うーん、書いていて自分でもわからなくなってきた・・・

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