- 締切済み
哲学するうえで大事なこと
哲学するうえで自分のポジションを決めてしまうのはあまりよろしくないのではないでしょうか。 ・神はいる、いない ・死後の世界はある、ない ・輪廻転生はある、ない ・運命はある、ない 一時的なディベートならいいのですが、自分のポジションを決めることは結果的にそれに縛られることになります。 もちろんどのポジションからみても間違いではないのですが局所的なものの見方となるのではないでしょうか。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
・神はいる ・死後の世界はある ・輪廻転生はある ・運命はある のような思考においては、「自分」という概念自体が存在していないことになると思うのですけどね・・・。 >どのポジションからみても間違いではないのですが局所的なものの見方となる :のではなく、「いる・ある」というポジションが自分を局所的存在に貶めることになるのではないでしょうか。 なにかというと宗教や運命を持ち出す方がおられますが、前者は逃げであり、後者は結果論にすぎないでしょう。 なにかを考える過程における表現上の方便・比喩としては有効な場合 あるでしょうし面白いのでしょうが、本気で信じてしまうのはいかがなものか・・・。 といった感じはありますね。 #1さんおっしゃるように、 「>あるかどうかは誰にも断定は」 できないわけですから、無いものとして考えるしかないのではないでしょうか。 少なくとも『(今)いる・ある』人間について思考する場合には、です。 「私」というものは無いのだ、あるいはどうでも良いのだ、という立場に立たなければ、質問文で示されたうちの「いる・ある」という発想は出てこないような気がします。
- QES
- ベストアンサー率29% (758/2561)
あるかどうかは誰にも断定は出来ません。 このため私はこう区分して考えます。 1.あると信じ精進して、実際あれば救われます。 2.あると信じ精進して、無くても何もありません。 3.無いと断定し好き放題しても、無ければ何もありません。 4.無いと断定し好き放題しても、実際あれば酷い目に遭います。 つまり あると信じ人(1,2)には良いことがあるか何も無いか 無いと断定する人(3,4)には何も無いか悪いことがあるかです。 無いと断定する人には、(宝くじ以上の確率でも)悪いことのみ出会う可能性だけが残されています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、 ただ、私から見るとどちらも(信じても信じていなくても)神に縛られていると感じるのです。 神について考えるなら神と同等であるべきじゃないでしょうか。
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございます。 >無いものとして考えるしかないのではないでしょうか 私としてはここが引っ掛かります。 事実として分かっていることは「分からない」ということじゃないでしょうか。 ゆえに結論を出すことができないのだから哲学者は「ある、ない」の判断はすべきではないと思うのです。 >なにかというと宗教や運命を持ち出す方がおられますが、前者は逃げであり、後者は結果論にすぎないでしょう。 確かにその通りです。 ただ、この判断が結果的にhakobuluさんの思考を止めてしまうのではと危惧します、つまり「神などいないと思うべきだ」と。 宗教と神を分離して考えるのが哲学する上では大切ではなかろうかと。