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侵略じゃないという人は大東亜共栄圏をくちにするけど、これについて質問です・・・

無知な質問ですみませんが、教えてください。 よくTVで議論される「日本は侵略国家じゃなかった」とか「侵略国家だった」というのがあります。侵略国家じゃなかったというひとたちに対して、じゃあ満州?南京?はなんだったんだよ!と 話をぶつけると、きまって 大東亜共栄圏というのがあってー、・・・・ というのをみるんですが、大東亜共栄圏って、チャンドラボースたちと日本やタイ?アジアの代表者たちと会議して、ヨーロッパからの解放を協力し合おう、アジアからヨーロッパやアメリカを追い出そうという目的ですよね? だったらやっぱり侵略じゃないの・・・?と疑問をもちました。 大東亜会議に中国も参加してますが、満州や南京のことがあったのになんで参加したんですか?侵略された側ならそんなの参加しないのでわないのですか? ネットなどみて調べてみたのですが、いまいちわかりません。無知な質問すみませんが分かりやすい言葉で説明してくださる方教えてください サイトなどで教えてくださる方、wikipediaなどはみたのでそれ以外でお願いします。

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  • platon3
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回答No.27

うわっ!まだ開いていたんですね。 前の回答で「回答の用意がありますよ。」なんて書いたものだからリクエストまで出ちゃって。 では、「日本は侵略していない」説を簡単に。 一般に先の大戦は日本が中国を侵略した、という中国側からの一方的な歴史認識が幅を利かせています。 これは、東京裁判史観として日本人の精神を病ませている大きな原因です。 さて、しかしその認識は事実と合致しているのでしょうか? 東京裁判では、A級戦犯28名が1928年から1945年まで一貫して世界支配の陰謀のため共同謀議したとされましたが その暴論を正当化するため中国では日本が満州事変前から世界支配の意思を持ち侵略に侵略を重ねたと言い、 十五年戦争などと呼んでいます。 しかし、歴史上の事件を時系列で並べていけばその論の空虚さが良くわかります。 1932年、満州国が難産の末に生まれリットン調査団の調査も受け入れました。 その同じ年に第一次上海事変が起こります。この時の軍事衝突の「始まり」はどんな様子だったのでしょうか? 日本側の発表では 「北四川路両側の我警備区域の部署に著かむとする際、突然側面より支那兵の射撃を受け、忽ち90余名の死傷者を出すに到れり。 依て直に土嚢鉄条網を以て之に対する防御工事を施せり。元来此等の陸戦隊を配備したるは学生、労働者等、暴民の闖入を防止するが目的にして、 警察官援助に過ぎざりき。然るに翌朝に至り前夜我兵を攻撃したるは、支那の正規兵にして広東の19路軍なること判明せり。」 となっており、中国の正規兵が日本の兵90余名の死傷者を出す攻撃を仕掛けたということです。 普通の感覚なら、当時の政界情勢を加味すると「宣戦布告なしの戦闘開始」であり、戦争状態に入ってもおかしくありません。 その後、1933年(昭和8年)5月31日、上海停戦協定(しゃんはいていせんきょうてい)が締結され、1932年1月28日より開始した 第1次上海事変が終了します。 その後、1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が起こります。 この時も最初の銃撃から日本軍の反撃は7時間も後であり、中国の言う日本側からの計画的な侵攻の形跡は見られません。 また、一般的に先の上海事変から盧溝橋事件まで4年も経過していれば、先の事件は全て完了しており、今回の事件はまったく別の理由で発生したと考えられます。 それでも、この盧溝橋事件さえ中国では「日本が侵略の意思を持って仕組んだ」と言われますが、現在では中共の仕組んだことだと言われています。 また、同じ年の7月29日通州事件が起こります。 これは、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民約420名を襲撃し、約230名が虐殺された事件です。 そしてついに、1937年(昭和12)8月13日第二次上海事変が勃発します。 さて、そのころ中国(南京)政府はどんな動きをしていたでしょうか。 南京政府は1936年春頃から各重要地点に対日防備の軍事施設を用意し始め、上海停戦協定で禁止された区域内にも軍事施設を建設し、保安隊の人数も所定の人数を超え、 実態が軍隊となんら変るものでないことを抗議したが中国側からは誠実な回答が出されていません。 また、盧溝橋事件までの僅かな期間だけでも邦人の不法取調べや監禁・暴行、軍用電話線切断事件、日本・中国連絡用飛行の阻止など50件以上の不法事件を起こしています。 蒋介石は中国北部地域に中国軍兵力の移動を命じ、平時兵力を含めて約30個師団に達していました。 アメリカもこの行動を非難しています。 8月12日未明には中国正規軍が上海まで前進し、国際共同租界の日本人区域を包囲しました。翌8月13日には商務印書館付近の中国軍が日本軍陣地に対し機関銃による射撃を開始。 中国軍は更に空襲も加え、8月14日には上海地区の警備司令官である張治中が率いる中国政府軍が航空機により日本軍艦艇を攻撃。 日本政府は、国民党軍が上海において日本側に対しての砲撃、さらに日本の軍艦に対しての爆撃まで行ったことから、それまで日本が取っていた事態の不拡大政策を見直します。 次に中西輝政氏の論文から引用です。(一部括弧内は筆者) ---------引用開始----------------- 盧溝橋事件など北支における一連の「小ぜり合い」は、いわば中国大陸において何十年とくり返されていきた日常的局地紛争であって、 これらと日中全面戦争の開始に至った経緯との間には、より明確な一線が引かれるべきだ、という視点である。前者(満州事変)においては日中間 で実質的な講和(一九三三年塘沽(タンクー)停戦協定)が成立しているし、後者(支那事変)については、そもそも全面戦争とは、少なくとも 当事国のいずれか一方に明確な国家意思をもって大規模な近代戦を仕掛ける決定がなくてはならない。中国側には西安事件(一九三六年)以来、 抗日全面戦争への意志が明確だった。他方、日本側が一貫して不拡大方針を堅持していたことはよく知られている。それゆえ、条約上の権利の下に 駐留していた僅か二千五百人の上海の日本軍に十二万以上の兵力で中国軍の全面攻撃が開始された八月十三日が第二次世界大戦の始まりだった、 とライシャワーは言うのである。けだし正鵠を射ている。 -----引用終わり------ また、東京裁判(極東国際軍事裁判)では、昭和3年を裁判対象期間の起点とし、満州事変は日本の侵略の第一段階であるとしました。 しかし、これに対してインド代表のパール判事が、満州事変は塘沽停戦協定で終結して居り、その後日中関係は改善され、また満州国も国家として 承認されるに至ったことなどを挙げ、満州事変は降伏調印よりも遥か以前に終結した戦争であるから、東京裁判の管轄権の範囲外に属すると論じています。 この時の海外メディアの報道はどうでしょう。 1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての 日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員 によって報じた。 またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。 他にも、上海の英字紙には中国軍が撤退にあたり放火したことは軍事上のこととは認めながら残念なことであるとし、一方中国軍の撤退により上海に 居住する数百万の非戦闘員に対する危険が非常に小さくなったとして日本軍に感謝すべきとの論評がなされました。 1937年8月14日、中国軍爆撃機から2つの爆弾が落とされ、激しい爆発となり、450人の命を奪い、5人の外国人を含む850人を傷つけ、12台の自動車を破壊。 さらにもう一対の爆弾がキャセイホテルとパレスホテルの間に落とされ、爆発で12人の外国人を含む数百人以上が死傷しました。 この事件については租界に関係する各国が中国側に空爆の抗議を行いました。翌15日夕刻には上海のフランス租界工部局はフランス租界上空に中国軍航空機 が進入することを許さず、そのような場合には有効適切な処置を取ると発表し、16日にはフランス租界上空を通過した中国軍航空機に対してフランス駐屯軍 は高射砲の一斉射撃を行いました。 さて、最終的に10倍近い敵軍を壊走させた上海派遣軍は、10月20日に編制された第10軍(柳川平助中将)とともにすかさず追撃に入ります。又、平行追撃と同時に敗軍の追討の ために南京を攻略する構えを見せました。当初、参謀本部は和平交渉を行う為の相手政府を失う恐れから、最初南京進撃を中止するよう下令しましたが、 のちに現地軍の方針を採用し南京攻略を追認しました。当時は相手の首都を落とせば自動的に戦争終結になるのが常識だったからです。 これが、日中戦争の開始の様子です。 本当はもっと細かい事件がたくさんあり、それが「全て」中国側からの攻撃であり、停戦協定の度にそれを破るのも中国軍でした。 つまり、中国は日本に戦争を仕掛け、日本が強かったが故(逆に中国が弱かった故)に自国が戦場になったというだけなのです。 (中国が強ければ、日本軍を追い出し、本土決戦をしても良かったのに) 東京裁判では戦勝国が好き勝手な判決を下しましたが、「歴史の事実」はまったく違う方向を指しています。 さて、左にネジを巻ききっている人には届かないでしょうが、ゆるゆるに左巻きの人には届くでしょうか。 これらの情報はWikiでも参照できますので詳細はごゆっくりご覧ください。

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  • suuh
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回答No.16

 追加。  まあ戦争なんだから、戦争は起こすと良くない、先攻か後攻か、それは大きく見れば侵略かどうか、というのが、侵略はよくないということの始まりでしょうがね。  他国を治める技量と資格がないのに領地を奪うと、後の戦争の元ですね。だからしかけられたのであっても領地の要求は悪い。他国の領土に攻め込むのは戦争をしかけてますから悪いですね。一般的に遠目に見て。  しかし大東亜共栄圏というのはその点どうなんでしょうね。抑圧的な植民地であればいつか起きる独立戦争の代理人だったという見方もできそうで。  以上は、あくまで一般的な考えの始まりとして書いてます。参考に。

  • suuh
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回答No.15

 私は「侵略」という言葉の混乱について書いたわけですが、「正当かどうか」を考えたいなら、「侵略かどうか」という思考の呪縛を離れてみるべきでしょう。今は、戦後の石油とケインズ経済学とパックスアメリカーナ新秩序のおかげで、独立に価値があるなんて建前が通ってますが、それ以前は普遍性があやしいですね。  もっとも戦争の建前はいくらでも変わるでしょうが、その変わり方に筋が通るかどうかです。インドネシアの義勇軍に参加した元日本兵達は、もともと帝国の一部にしようとは思っていなかったのではないでしょうか。どちらが本当だったかと言えば、そういう方向も確かにあった、でいいでしょう。(すべての日本軍ではないけどね)  だいたい戦前の独立というのはタイが緩衝国として独立を保ったり、今も北朝鮮が中国にとって韓国との緩衝国として必要だという一面があるわけで、また第二次世界大戦が始まる前はブロック経済の時代でもあったし、大東亜共栄圏構想の中でその土地の充実度によって独立させるかどうかが決まる面があるでしょう。  しかし中国は被害者一方でそんなことは関係ないというなら、チベットやウイグルはどうかということですね。形式とは別に正当化できることがあるか、あっても結局実行がどうか、の方が、、、「どんな国家か」という形容に関係するでしょう。  「侵略」というレッテルを「国家」に貼って決めることではないでしょう。 戦争や紛争のときに国の人格をどう保つのか、平和のときにまともな国の人格を見せているのか、そういうことになっていくでしょう、簡単に良い悪いでなくね。その理解の上でやっと良し悪しが言えると。  つまりは、レッテルで日本人にものを考えさせるのか、そのせいで日本人は裁きと正当化の二つしかない精神世界に閉じこめられるのか、ということです。

  • platon3
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回答No.14

結論ありきの方は自身の混乱も自覚していないようなので、質問者様が混乱なさらぬよう、いくつか説明を。 例えば、植民地を持っていることの始まりは、今は問わないとしても、「他国の植民地を軍隊で占領するのは侵略行為で」 あるのであれば、日本はインドネシアではなく、オランダに侵略したということです。 しかし、その前に(日本からはしていないが)オランダからの宣戦布告が済んでいますから、単なる戦闘行為であり、 「戦争の遂行」でしかありません。 なので「独立していなかったから侵略ではない、という議論は成立しません。」というのはどの国に対してなのか まったく不明です。 確かに議論が成立していません。 「日中戦争そのものが侵略行為」というに至っては、「戦争」というものをまったく理解していません。 例えばアメリカによる日本への爆撃や沖縄への上陸も「アメリカの日本に対する侵略だ」と言ってくれるのでしょうか? 単なる戦闘行為でしょ? そんなことは絶対に言わず、日本の行為のみを「侵略」と言うのは頭のねじが左巻きだからでしょうか。 バランスを逸しているでしょ? これらは、「回答」ではなく自虐史観の「布教」でしょう。 「漢民族の土地ではないからどうの」に至っては、まさに中共のスポークスマンでしょう。 辛亥革命を理解していないか、最初から結論ありきのどっちかでしょう。 インドネシアに対する善政も今村中将の「個人的な手柄」になってしまうし、杉原千畝もそうだけど、個人的な手柄に したがる人はよっぽど日本が嫌いなんでしょうね。 ちなみに、「帝国の領土とする」といった記述は「大東亜政略指導大綱」だけでなく、「南方占領地行政実施要領」 や「南方経済対策要領」などにも書かれています。 しかし、実は「永久に」なんて書かれていません。(本文を読んでないのか、日本を貶めるために勝手に追加したのかな?) 本文は以下のとおりです。 (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム  これを見てもわかるとおり、インドネシアはたくさんの独立した島国だったものをオランダが占領し、 オランダの占領地を一つにまとめたものが独立してできた国です。 ですから「インドネシアを侵略した」というセリフがどれほど噴飯ものであるががわかります。 また、これらの「極秘文書」は基本的に国民の目に触れていません。 ですから、この行も一部の人が何らかの政治的理由で入れ込んだ文章であるとも考えられます。 要は「実施しなくてもいいからこの文章を入れてよ」的な意味です。 それによって上に対し「石油を確保できそうです」と報告できるようになるから、とか理由はいろいろ考えられます。 なぜそうだ、と言えるかというと、たくさんの例があるからです。 例えば大東亜政略指導大綱には、「五 対比方策 成ルヘク速ニ独立セシム」と書かれています。 意味は「フィリピンはさっさと独立させる」です。 日本が嫌いな人はなるべく触れないようにしているようですが。 これらのように、実行できていないけど、本文には書かれている、という事実があります。 同じように現在でも、「日本国憲法」の第89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、 又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」   とありますが、「私立校に対する補助金は憲法違反だからやめろ」という人は現れません。 自衛隊は違憲だ、という人たちはどうしちゃったのでしょうね? 「私立校に対する補助金は違憲だ」と言ってくださいよ。 他にも「書かれているけど実行されていない」ことはありますが、これくらいにしておきます。 さらに蛇足ですが、大東亜宣言では「植民地支配からの開放」などとは書かれていません。 書かれているのは「人種差別の撤廃」です。 ですから、「日本の領土とする」というのは当時の台湾のように、国民はすべて日本人とし、搾取ではなく 投資により国を育てるつもりだったとも考えられるのです。 実際に日本は新しい自国の領土に対し搾取はせず、投資を行っている実績しかありません。 また、ビルマの独立に対し東条英機は難色を示し「まだ嬰児のような状態であるからだ」と述べています。 他の国に対しても同じような見方をしたとしても不思議ではありません。 次にインドネシアの反日暴動についても書かれていますが、どんな政治でもからなず気に入らない人がいますから 「日本の統治はいやだ」という人がいても別に不思議でもなんでもありません。 わざと煽った人もいたのでしょう。 しかし、インドネシアの独立にあたって、「神武天皇が日本を建国してから2605年目にインドネシアは独立した」という趣旨の記念碑が建っています。 そんなに嫌いだったら、わざわざ「皇紀」なんて使いますか? どんなに高度に民主化された国でもかならず好き嫌いがあります。 そんなことは当然でしょう。 今の日本だってそうだし、アメリカだってそうです。 「嫌いな人がいたから日本の統治はダメだった」的な見方は特殊な例を持って全体を語るというある種の詭弁でしょうね。 でも、まぁ、結論が決まっている人には届かないんだろうな。 面倒くさいからもういいや。

  • suuh
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回答No.13

 問題は二つ。用語の混乱と、対立に用いられる背景。  侵略という言葉は、他国の領土を自分のものにする、支配権を持つということであり、計略的な行動で自分のものにする、ということではありません。仕掛けられた戦争でも勝者が他国の領土を獲得したら侵略です。しかしその点で混乱した意味で使われています。  大東亜共栄圏というのは、現地の原住民にとっては解放目的であり、支配している支配者にとっては侵略行為です。  侵略でないという人達は、「侵略=悪意ある計略」「日本の行動=支配しようとして計略を持って行ったのではない」という意味でいうわけです。日本は侵略国家ではない、とはそういう「計略によって他国を滅ぼそうと考えているような種類の国家ではない」といいたいのです。そして、かつて戦争を支持し国を信じた人達も、原住民を解放することを理想と思ったのであって、原住民を支配しようとしたのではない、といいたいのです。  (国語としてはまちがいですが)  私の知っている1980年代までの日本の歴史常識では・・・、 外国領土を支配したのは、その土地が安定せずに発展していない。日本にとってそこでの経済活動は欧米植民地に、日本がひいては東アジアがならないでいるために必要なことなのに、そのための治安も維持できない。だから軍隊を派遣する。すると軋轢が起きる。あれやこれやで、日本の責任は認めるが、始めから領土を奪うつもりだったわけではない。部分的な陰謀を現地でかってにやったことはあるが、それは連続したことでも日本中央の意思でもない。その満州事変にしても、首謀者は満州を完全に独立させようと考えていた。すべては、成り行き(無責任だが)である。  ・・・などから、「日本=侵略(計略)国家=他国領を常に奪い続けようとして奪った国」というのは不当である、という感覚もありますね。  実際、中国や韓国の歴史観では、「昔からすべて経略したことだった」、「すべては自分が支配したかったからだ」という宣伝がなされているそうです。 また、日本のサヨクと言われるマスコミは少しの反論も認めないという行動――日本のマスコミが外国をたきつけるという――が見られたからです。  1990年代にそういう事件が何件もあり、だから日本が侵略だと責め立てる者達の本心は、「侵略=悪意=反論は許さない=日本はどんなに悪い国と言われても反論するな」ということだ、と思えるから、「(そんな)侵略ではない。日本は(そんな意味の)侵略国家ではない」と言いたいのでしょう。  過去の行為に対してのしっかり調査した反省ならばそれなりに考えて反省はできます。しかし、計略侵略国家だなどと言われたら、日本は自己自体を信用できず、考える足場をもてず、好き放題の反日論議のいいなりになって、日本としてまとまって身を守ることもできなくなってしまいますからね。 -------追伸---------------  80年代の終わりだかに、後藤田とかいう人が、「侵略という言葉は、陰謀みたいで嫌いだ」と言ったことがあるそうで、90年代に侵略ではないと言い出した人達は、そういう用語解釈でした。小林よしのりもそうで、ここ1年内の作品中でも、「・・侵略(計画的侵略)・・」、という書き方をしていたはずです。  90年代に起きた事件というのは、「日本は韓国でいいこと‘も’した」と若い記者たちに昔話をした大臣が、毎日新聞が騒いだのか韓国に記者がご注進したのかで首になったり、他にもう一件大臣が首になったと思うし、テレビの女性キャスターだった櫻井よしこが「慰安婦の強制連行の証拠は出てこなかった、まだ隠れた資料があるなら出すべきだ」とある講演で言ったら、強制連行を否定したと非難が殺到してやめたとも聞いてます。  自虐史観という言葉はこの頃に産経新聞がよく使い、広まったようですね。 -------追伸2--------  日本は東南アジアの占領地を独立はさせませんでした。戦争が終わりもしないのに、急場ごしらえの国で独立防衛戦争と有機的な同盟行動がやれるわけないでしょう。フィリピンはもとからアメリカが独立させる予定でしたが、予定が決まってすぐに独立させようとしてたわけではない。太平洋戦争が終わった後で、日本の大義名分への対抗と、フィリピン人を艦砲射撃で大量に殺した不満をごまかすために急いで独立させたのだろうと思いますね。  たとえ、軍部のイカレタ参謀たちがその土地を自分のものだと思いこんでいたとしても、戦争が終わってしまえばそんなことは通用しなくなりますよ。

  • suuh
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回答No.12

 問題は二つ。用語の混乱と、対立に用いられる背景。  侵略という言葉は、他国の領土を自分のものにする、支配権を持つということであり、計略的な行動で自分のものにする、ということではありません。仕掛けられた戦争でも勝者が他国の領土を獲得したら侵略です。しかしその点で混乱した意味で使われています。  大東亜共栄圏というのは、現地の原住民にとっては解放目的であり、支配している支配者にとっては侵略行為です。  侵略でないという人達は、「侵略=悪意ある計略」「日本の行動=支配しようとして計略を持って行ったのではない」という意味でいうわけです。日本は侵略国家ではない、とはそういう「計略によって他国を滅ぼそうと考えているような種類の国家ではない」といいたいのです。そして、かつて戦争を支持し国を信じた人達も、原住民を解放することを理想と思ったのであって、原住民を支配しようとしたのではない、といいたいのです。  (国語としてはまちがいですが)  私の知っている1980年代までの日本の歴史常識では・・・、 外国領土を支配したのは、その土地が安定せずに発展していない。日本にとってそこでの経済活動は欧米植民地に、日本がひいては東アジアがならないでいるために必要なことなのに、そのための治安も維持できない。だから軍隊を派遣する。すると軋轢が起きる。あれやこれやで、日本の責任は認めるが、始めから領土を奪うつもりだったわけではない。部分的な陰謀を現地でかってにやったことはあるが、それは連続したことでも日本中央の意思でもない。その満州事変にしても、首謀者は満州を完全に独立させようと考えていた。すべては、成り行き(無責任だが)である。  ・・・などから、「日本=侵略(計略)国家=他国領を常に奪い続けようとして奪った国」というのは不当である、という感覚もありますね。  実際、中国や韓国の歴史観では、「昔からすべて経略したことだった」、「すべては自分が支配したかったからだ」という宣伝がなされているそうです。 また、日本のサヨクと言われるマスコミは少しの反論も認めないという行動――日本のマスコミが外国をたきつけるという――が見られたからです。  1990年代にそういう事件が何件もあり、だから日本が侵略だと責め立てる者達の本心は、「侵略=悪意=反論は許さない=日本はどんなに悪い国と言われても反論するな」ということだ、と思えるから、「(そんな)侵略ではない。日本は(そんな意味の)侵略国家ではない」と言いたいのでしょう。  過去の行為に対してのしっかり調査した反省ならばそれなりに考えて反省はできます。しかし、計略侵略国家だなどと言われたら、日本は自己自体を信用できず、考える足場をもてず、好き放題の反日論議のいいなりになってしまいますからね。

  • a-koshino
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回答No.11

質問者様が混乱なさらぬよう、いくつか説明を。 「善政を敷いたから侵略ではない」という主張は因果関係がおかしく、そもそも成立しません。侵略の結果、善政が敷かれたので、侵略した時点では善政になるとはわかりませんから。侵略は侵略です。 「侵略したけど、結果として、侵略された側にとって良いことだった」という主張であるなら、質問者様の興味とずれているように感じます。 インドネシアの占領政策は、大本営に逆らってまで、おのれの信念を通した司令官、今村中将のおかげで善政となりました。ただし、1943年5月の『大東亜政略指導大綱』でインドネシアは「永久に帝国の領土とする」と明記されています。 日本による占領の結果、主要な輸出先(米英蘭)を失なったインドネシア経済はふるわず、加えて軍の無理な食糧徴発による食糧不足などにより、やがて反日暴動が発生するようになりました。 1945年5月になると、戦局の悪化に伴い、インドネシアの独立を認めようとする具体的な動きが出てきます。日本語だけの皇民化教育が、現地語の民族教育に変更されるのも、この5月以降です。 「挑発したほうが悪いんだ」という主張についても前と同様、どっちがよかろうが悪かろうが、侵略は侵略です。中国側からみたら、首都の近くへ盛んに増兵する日本の行為自体が、挑発と感じられたかもしれません。

  • platon3
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回答No.10

再度です。 オランダはインドネシアで徹底した愚民政策を採っていました。 全国各地域で用いられていた三百二十の種族語をそのままにして、一つの標準語にまとめようとする 企ては絶対に許さなかった。 支那人を大量に苦人としてインドネシアに移住させ、後に、この移民民族を経韓・流通機構に利用するという 間接統治のかたちをとり自分たちに非難の目を向けさせまいとしました。 また、ヨーロッパ市場で儲かるコーヒーなど強制的に栽培させ、食料自給体制は崩壊。餓死者が続出し、 平均寿命も三十五歳まで低下した。 オランダ政府は重税を課した上、華僑が高利貸となり二〇〇%の金利にインドネシア人は苦しみました。 二十世紀になって、世界の批判を受けて初等教育(三年問)だけは実施したが、学校に通えたのは僅か数%。 その後、オランダ軍を追い出し、日本が軍政を敷き、僅か3年で当時600人しかいなかった知識人(国家エリート〕を最終的にlO万人育成した。 もちろん、初等教育においても学校を作り、インドネシア語も普及させました。(先に言っておくと、もちろん日本語も教えた) 要は、当時のインドネシアには国政を預かるエリートが皆無だったのです。 その状態で自主独立など夢のまた夢。仮に自主独立させたとしたら再度植民地になっていたでしょう。 (実際、戦後オランダは再植民地化を目指して再度「侵略」しにきました。左巻きの人は中国といっしょで 絶対に白人のやった事は「侵略」とは言わない特徴がありますね。) このように正論だけで通るほど当時の世界は甘くなく、現在の視点で「占領統治などせず、そこの国民に返してやったら?」 といった発言は単なる「世間知らず」でしかないのです。 現在で言えば、アメリカがイラク政府を排除した時、「ハイ、イラク国民のみなさま、後は自由にやって」と いったらどうなっていたでしょうか? 当時のインドネシアではバリ人やジャワ人、その他のインドネシアの他種族がお互いに対立するように 仕向けられていましたから、ちょうどイラクが○○派と××派に対立していたのと同じ状況です。 「ハイ、後は勝手にやって」というのは正しいでしょうか? 次に日中戦争について。 現在の歴史教育に出てこないので知らないのはしょうがないとしても、足りない知識で全てを 説明しようとするからおかしなことになる。 日中戦争については大方が「日本の陰謀」説を唱えているが、実際は対中戦争の計画も準備も まったく無し、でした。そもそも、当時は日本軍が本気で中国を攻めた場合、最初の一撃すら 耐えられない、と中国の政治、軍事指導者は観念していました。 内戦を抱えているという事情だけでなく、そもそも国力の差が大きかったからです。 もちろん、日本軍もそう考えていました。1937年の盧溝橋事件直後、陸軍大臣杉山元大将は 天皇陛下に「一ヶ月で片付く」と上奏しています。 当時の最大の仮想敵国は「ソ連」です。(忘れている人の多いこと) しかし、その後、中国共産党の扇動、暗躍により抗日運動が盛り上がってきます。 日本製品の不買運動だけでなく、「日本人を見つけしだい殺せ」などの過激なビラが撒かれる ようになり、実際のテロ事件が発生するようになりました。 四川省成都で起きた毎日新聞記者二人が群集に襲撃され殴り殺され、身ぐるみ剥がされた 「成都事件」。広東省北海市では中国の正規軍が日本企業を襲い店主を殺害した「北海事件」。 漢口では領事館勤務の巡査が白昼に狙撃され死亡したりと列挙にいとまがありません。 こうした中で、中国政府が取り締まれず(取り締まらず?)日本人居留民を保護できない以上、 日本軍自らが出動する以外方法はないと思い立ったのは当然であり、世界的常識でした。 少し古くは済南事件など有名です。 当時の日本の行動は諸外国の世論からも支持されていました。 京津タイムスでは「日本軍がいなければ外国人はことごとく殺戮されていただろう」と報じていますし、 デイリー・テレグラフでは「支那人は略奪と殺人をあたかも天賦の権利であるごとく、強盗を繰り返している」 「日本人の忍耐にも限度がある」と書いています。 そして、盧溝橋事件の三週間後、通州事件が起こります。 しかし、日本政府は「不拡大」「不介入」として消極外交を続けます。 ちょうど、今の北朝鮮に日本人が拉致されていても「じっと耐える」しか手を打たなかったのと いっしょですね。でも、もし北朝鮮に自国の軍隊がいたらどうしてたでしょうね。 その後、何度も停戦協議が行われ、実際に何度も停戦協定が成立しましたが、ことごとく中国側が これを破り日本側を攻撃し続けました。(北支事変や第二次上海事変など) このように、実態は中国側の挑発が原因なのです。 中国の挑発をまったく見ず、日本が中国に攻め入ったとすると、何らかの陰謀があったのか、 と考えるしかありません。(回答されてるほとんどの方がそうですけど) もともと、戦争は外交の延長ですから、事前に何かの外交上の問題があります。 (あのヒトラーのドイツでさえも領土の問題を挙げています。) そこを見ずに「理由はわからんが日本は中国に侵略したんだ。」って、少し能天気じゃありません?

  • kenkey
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回答No.9

お初です 当時の日本はそれまでのイギリス→アメリカのような侵略行為をしていました。一例を挙げると、インドネシアは18世紀末よりオランダの支配を受けていましたが、20世紀はじめに自主独立の為の戦いをはじめます。しかし、成功せず、1942年に日本が東インド一帯に侵攻してオランダを追い出しましたが、日本軍による軍政を敷き、大東亜政略指導大綱に基づいて日本領としました。日本が侵略国家でないとしたら、自主独立を勧めていたのではないでしょうか。 大東亜共栄圏と言う大義名分の基、旧宗主国との程度の差こそあれ実効支配していたのは日本です。 フィリピンやベトナムなどでは一応独立の形をとりましたが、日本の傀儡政権でした。 自虐史観には反対ですが、歴史認識はきちんとすべきだと考えます。

  • demio
  • ベストアンサー率13% (200/1473)
回答No.8

現代の感覚で考えれば他国に軍隊が行って争っていたのだから侵略と言えばそうでしょう、しかし香港マカオは何故イギリス、ポルトガルの領地になったのでしょうか、今のロシアのナホトカ、ウラジオストックでも、元々白人のロシア人がすんでしたのでしょうか、支配する領土を広げるのが先進国としても当然の行為と考えられていたのではないですか  江戸末期からの日本が今のような弱腰国家だったら、欧米諸国に押さえられ、清国のように外国勢力でズタズタで国として成り立たずに内乱状態になったかもしれません、阿片戦争後の清国の状態をみてあのようにならないように、欧米諸国の真似をして外国を支配しようとしたのでしょう 中国は第二次大戦後の中華人民共和国設立で100年近く続いた外国(日本以外もふくめて)勢力の排除をしたようですが香港マカオが中国になったのは10年ほど前です アメリカ大陸もオーストラリアもヨーロッパ人の侵略です アラブ諸国にもアフリカ大陸も歴史をみれば今の感覚からみるととんでもないことをしていたのではないですか  今の感覚だけではなく当時はどのような考えで世界が動いていたを考える必要があるでしょう  

  • a-koshino
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回答No.7

質問者様が混乱なさらぬよう、いくつか説明を。 日露戦争後、日本は満洲の一部(関東州)を植民地としますが、これは中華民国から借りた租借地の形を取りました。つまり、当時の日本政府は、満洲を中華民国の土地と認識していたわけです。なお、中華民国は多民族国家なので、漢民族の土地ではないからどうの、という議論は成立しません。 関東軍は鉄道守備隊として、南満洲鉄道の所有地になら、いてもいいことになっていました。満洲事変では、線路を離れて張学良軍に攻撃した時点で侵略行為となります。 日中戦争そのものが侵略行為なので、南京で非戦闘員を大量に殺した事例を持ち出すまでもありません。 他国の植民地を軍隊で占領するのは侵略行為であり、独立していなかったから侵略ではない、という議論は成立しません。

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