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大東亜会議
勉強したてで分からないことばかりなんですが、教えてください。 大東亜会議(インド(仮?)、中国、タイ、フィリピン、日本でおこなった、アジア英軍追放の会議)を読んだのですが、このよき日本はインドを独立させるためにインドのチャンドラ・ボースに協力した形になったようですが、これは何か企みというか日本にとっていいことがあったから、うけたのですか?それともただイギリスをやりたいからインドに協力したのですか?
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WW2に於ける日本外交はプレーヤーが多すぎて複雑怪奇、と言う気がしますが、大東亜会議開催に関しては、概ね以下の動機がありました 1)想定された連合国側の反攻に対し、占領地(もしくはアジアの)結束を図り、動員を容易にする 2)日本側の戦争目的を明確にし、連合国側のそれと対置させることで正当性を主張する ただし、様々な要因から、その後の宣伝政策の不一致も含めて実効的なモノには到底及んでいません。 一方、この時期のインドに関して言えば、ドイツ・日本双方によるインド侵攻の可能性がいっそう低まり(そりゃ負け戦の最中だからなぁ)、インパール戦に至るまで「謀略」の域をでることはありませんでした。 その中でニコバル・アンダマン帰属の示唆と仮政府承認というアメを出したのは、会議に於いてインド処分が小さくはないウェイトを占めており(特に重慶政府に対する牽制の意味があった。英国との離間を謀れる効果があるので)、この時期に日本側から離反されたくなかったからでしょう。 ただし、アメはかなりの部分空中楼閣で、重慶政府のカイロ会談に於ける提案(但し実際に議論はされなかったという意味に於いてはご同様だが)のほうがまだ実効性というか、やる気が感じられる代物です。 また、予てボースが不満としていた光機関の改組についても、永遠に解決されることはありませんでした。
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