• ベストアンサー

いち、に、さんについて

いち、に、さんという数え方は中国語から来たそうです。日本古来の数え方はひい、ふう、みいです。 あるテレビ番組でやっていたのですが、ブータンの近くにアッサムとかシッキムとかありますが、そのあたりでいち、に、さんとそっくりの数え方をする地域があります。そこから推測すると、どうやら遣唐使が派遣されていた頃の中国語だと思われます。その数え方が日本とブータン近くの地方でそのまま残ったが本家の中国語では進化して現在のイー、アル、サンに変わったのではないかと思います。これはわたしが勝手に考えていることで推測の域を出ません。この点について詳しい方がおられましたらご教授ください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

完全な回答をするだけの知識の持ち合わせがないのですが、日本語の数詞の「イチ」「ニ」「サン」が、古い中国の数詞の発音に起源を持つだろうというのは、たしかにそのように思えます。 中国の中古音の1、2、3、4は、  iet nii sam sii だそうです (「数詞の不思議」)。  → http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/phonology1.htm でも、これを見ると、現在の中国語の数詞の発音との違いに驚きます。 とくに、現在の中国語の er (2) と nii の違いは大きいですね。

nishikasai
質問者

お礼

やはりそうでしたか。テレビを見て以来こんな偶然があるはずはないと考えておりました。1から10まで言い方がブータンあたりの地方と日本語が同じなんです。遣唐使時代の中国の言葉であるなら納得ができます。日本人は中国から習った優れた数え方をそのまま後世に伝えたが、本家の中国では大陸であるだけに支配者がころころ入れ替わり言葉もそれによって変遷したのでしょう。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • ringox
  • ベストアンサー率27% (66/238)
回答No.3

ブータンだけじゃなくて 韓国語、広東語、客家語、ベトナム語など、漢数字の発音は 日本語とかなりにていますよ。ある発音の法則にそって各国少しずつ変わってはいますが。たとえば五は、もともとngoですが北京語、韓国語ではngの音は消え、日本語ではgになりました。八はPATで、日本語ではPがFになりHになり語尾には母音をそえます。 こういう発音の各国の規則はほかの漢字の発音にも結構規則正しく当てはまるので比較していくと面白いと思いますよ。

nishikasai
質問者

お礼

そうですか。これまた興味深いお話をありがとうございました。ありがとうポイントを差し上げたいのですが、もう付けられません。御免なさい。中国ってそれだけ大きな影響を与えた国だったので中華思想が身についてしまったんですね。そして没落して現在また息を吹き返しつつある。22世紀は中国の世紀になるのかもしれません。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

>その数え方が日本とブータン近くの地方でそのまま残ったが本家の中国語では進化して現在のイー、アル、サンに変わったのではないかと思います。 質問者さんは学問をすると言うことの最も基本的なことに気が付いたのだと思います。この問題を考える前に、次のことを考えてみましょう。 アメリカの英語とイギリスの英語は、どちらが古い英語を話していると思いますか。 この答えを見付けるには、次のことを考えてみるとヒントになります。 今から100年前にブラジルに多くの日本人が移民しました。ブラジルの日系人で今でも日本語を話している方がいらっしゃいますが、その方の日本語と、日本人の今の日本語とどちらが古い日本語だと思いますか。 また、台湾で使われている漢字と中国本土で使われている漢字はどちらが古い漢字だと思いますか。 さて、戦前の日本の新聞では漢字に「ルビ」と呼ばれる仮名を振っていたのはご存知ですか。ロスアンジェルスに『 羅府新報』という日本語の新聞が今でも毎日発行されています。その新聞からルビは無くなったのは、今からほんの10年位前です。 ここまで来ると、次のもっと面白い問題の答えも判ってきます。地方には方言がいっぱい在りますが、この言葉と京都で話された昔の標準語との関係がどうなっているのでしょうか。 その答えを言ってしまいます。方言とは京都の昔の標準語のことです。そして、京都から遠ければ遠い程、もっと昔の京都の標準語が現在の方言として残っているのです。その例を一つ紹介しましょう。群馬や栃木など関東で「べーべー言葉」と言うのが在りますね。「そうだべー」あるいは「そうだんベー」など使います。この言葉は、大変品の良い立派な言葉なのをご存知ですか。昔、美智子妃殿下が、群馬だと思いますが、戦争中の疎開先で、周りの子供達の「行くべー」などの「べーべー言葉」を聞いて、妃殿下は「行きましょベー」と言っていたと言う話しを聞いたことがあります。実はこの「べー」は「べし」という京都で使われていた大変上品な言葉なのです。それが時代とともに「ベー」に変わったわけです。その言葉の伝播は京都から遠い程遅れて伝わって行きます。遠隔な東北地方では関東よりもずっと後になって入ってきましたので、その関東ほど変化せず、現在でも「べす」なんて言う形で使われ居ます。 ところが、当たらし物好きな京童べは言葉をどんどん摩滅させてしまい、次々と流行語に移って行きましたので、京都では今やだれも「べし」とは言わなくなってしまったのです。そんな都会人が田舎にやって来て聞いたことのない言葉を聞いてびっくりして、そりゃ方言だなどと訳の分からないことを言い出しているわけです。 このように学問とは、質問者さんのように一つの特別な事象に興味を抱き、その特別な問題をぐいぐい一点突破式に掘り下げて行くと、あれ、それじゃ、これは何なんだ、あれはどうなんだ、とどんどん周りが見えて来るようにしてくれます。そのうちにそのたった一つの問題から、日本人て何なんだ、人間てな何なんだ、そして、最後に最も重要な問題、すなわち「自分て何なんだ」と言う宇宙全体を包含した問題の解が見えてくれるようにしてくれる物なのですね。 学問万歳!

nishikasai
質問者

お礼

興味深いお話をありがとうございました。 私はブラジルに長年住みまして現在ポルトガル語の通訳をしておりますので語学には関心をもっております。 確かにブラジルに長い間暮らした日本人が帰国すると日本語がわからないと嘆くのです。面白いですね。

関連するQ&A