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ハルノートもし東條首相が受け入れたら国民の反応は
逆説的な質問です。国民やマスコミの反応はどうだったでしょうか。「腰抜け」、「アメリカのポチ」と罵られ、当時の気運からみて暗殺されていたのではないでしょうか。
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暗殺されることはなかったでしょうが、国内での暴動が多発し、辞任は避けられなかったでしょう。 そしてその後に生まれる内閣は、やはり第二次大戦へと突き進むことになるでしょう。 もしも、天皇が受け入れを表明した場合、天皇が暗殺されるか幽閉されて、秩父宮あたりが、天皇とされたでしょう。 あの時点で、歴史を修正する事は、無理だと思います。
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- cobamax
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太平洋戦争は列強の思惑がいろいろとありましたが 日本は東条 近衛 関東軍だけが悪者になっていますが、中立的な 半藤利一さん等の歴史学者の一致した考えは 戦争は一部の軍人や思想だけではできず、マスコミ 国民がこぞって 開戦をあおり、提灯行列 打ち上げ花火 勝戦号外で開戦を強力に後押したので開戦にいたったということです、 この戦争は国民も含めた国全体の責任で一致しています(ドイツも同様です) つまり当時の国民の気運は開戦まっしぐらで、戦争反対は吉田茂等 外国を良く知っている一部の意見でまったく相手にされませんでした こんなところにハルノートを受諾したら暗殺はともかくとして騒乱になること必至でしょう 明治より富国強兵路線を突っ走ってきた日本の歴史の歯車はだれがやっても止めることはできなかったでしょう
「昭和天皇独白録」(文春文庫) >戦後の昭和二十年九月二十七日、天皇がはじめてマッカーサー元帥と会見したとき、次のようが会話がかわされたと、ガンサーは記しているのである。 「天皇は今度の戦争に遺憾の意を表し、自分は『kれを防止したいと思った』といった。するとマッカサーは相手の顔をじっと見つめながら、『もしそれが本当とするならば、なぜその希望を実行に移すことができなかったか』とたずねた。裕仁の答えは大体次のようなものだった。 『わたしの国民はわたしが非常に好きである。わたしをすいているからこそ。もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民はわたしを精神病院か何かに入れて、戦争が終わるまで、そこに押し込めておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛してなかったならば、彼らは簡単にわたしの首をちょん切ったでしょう』と」 天皇自身が予想したとおりになっていたでしょう。
- k16399638
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うーん。ハル・ノートの受け入れ、というものが、史実の丸飲み、か、史実で提示されたものを持ちかえって交渉のうえ、日本も呑める形にした受け入れ、なのか悩みますね。 前者だと、受け入れのち、内閣総辞職、なんてことが起きるとおもいます。そこで注目されるのが、天皇がだれに組閣の大命を下すかですね。非常時と見て皇族内閣(近衛以外)の内閣になったら、意外と収まるかもしれません。帝国憲法の一条は、神聖ニシテ犯スベカラズ、と天皇を規定しています。宮中に歯向かったら、その時点で違憲の非国民ですし、伝統右翼(大東会など)が、黙ってはいません。 妙なことですが、陸軍はドイツとソ連、海軍はイギリスとアメリカ、芸術家はフランス、大衆はアメリカ、に顔が向いていたのも当時の現実です。で、ほぼ全日本人が愛国の時代でもあります。で、東条は「狂忠」と周囲が言っていたほど、天皇に対する忠誠心を持った人でした。 簡単に、白か黒では、収まらない話ではないでしょうか? 強いて言うなら「されたかもしれないし、されなかったかもね」が、真相でしょう。
- eroero1919
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ハルノートそのものが、日本側が到底受け入れられないことを承知の上で突きつけられたものです。元から、日本に対米開戦をさせるためにやったことですから避けようがありません。 そんなに昔でもなく、アメリカはイラクに対し「大量破壊兵器を差し出せ。出さなければ戦争だ」と迫り、差し出さなかったイラクに侵攻しました。しかし、そもそもイラクには大量破壊兵器そのものが存在しなかったことがわかりました。存在しないものを出せってのは無理です。ある日知らない人がやってきて「そこの家に俺の家族がいるはずだ。出せ。出さなきゃ家に火をつける」といわれるようなものです。 アングロサクソンというのは本気になるとこういうムチャクチャなことを平気でします。
- aran62
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天皇の御裁可があったでしょうから、国民は受け入れるでしょう。 東條首相が受け入れたら・・・ >これはありません。 ハルノートを提示、東條首相が持って帰って御前会議に図り、天皇の御裁可を仰ぐ、その結果に従うです。
補足
NHKラジオの放送(真相箱)で、なぜ戦争を裁可されたのかという質問に対し、昭和天皇はどう答えたか。 「もし私が許さなかったら、きつと新しい天皇がたてられたでせう。それは国民の意思でした。こと、こゝに至つて国民の望みにさからふ天皇は、恐らくゐないのでありませう」 すなわち天皇は、自分が許しても国民が許さなかったと当時の空気を答えていますが如何