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「は」と「が」
「が」は新しい情報を知らせる時に使うと聞きました。 例えばニュースで「昨日ある男が民家に押し寄せ現金を盗んで逃走しました。」や 「昔ある所におじいさんとおばあさんがいました(新情報)。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは・・・(既に旧情報)」など。 では自己紹介で「始めまして、私は山田です。」は「が」ではおかしいのはなぜですか?これも確かな新情報ですが・・・?
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>「が」は新しい情報を知らせる時に使うと聞きました。 確かにそうですが、もう少ししっかり理解する必要がありそうですね。 質問の件に関してだけお答えしますが、 まず、 「昔ある所におじいさんとおばあさんがいました。」は、「が」の 中立叙述という用法です。話し始めに使われる用法で、文全体が 新情報です。 「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは・・・」は、厳密に言うと、 「は」の対比を表す用法です。 「始めまして、私は山田です。」は、名詞文ですね。「は」は、主題を 表し後ろに続く名詞(ここでは「山田」という姓)は属性を表します。 「私」はあなたの目の前に居るわけですから旧情報です。ここでは、 「山田」という姓が新情報です。 余談ですが、名詞文・形容詞文で「は」ではなく「が」を用いると 「が」の総記という用法になります。疑問詞疑問文の答えとしてよく 使われ、一番言いたいことをいう言い方です。 文法用語を幾つか書いておきましたので、自分で調べて勉強してください。 日本語の「は」と「が」は、奥が深いですよ。
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- hakobulu
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「は」は主題(あるいは話題)の提示(あるいは宣言)。 「が」は特定、または強調。 のように覚えると良いと思います。 【昨日ある男が民家に押し入り現金を盗んで逃走しました。】 という文の場合。 「民家に押し入り現金を盗んで逃走」という事件があったことを報じようとしています。 そして、想定される「誰が?」という問いに対して、 「ある男」である。 と「特定」しているわけです。 【昔ある所におじいさんとおばあさんがいました。】 という文の場合。 物語の出だしとしての、「昔ある所に○○がいました(ありました)。」という定型文です。 想定される「誰が?」という問いに対して、 「おじいさんとおばあさん」です。 と「特定」しています。 【おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは・・・】 という文の場合。 「これから、おじいさんを主題にとりあげてお話ししますが、おじいさんは山へ芝刈りに(行きました)」 というニュアンス。 新情報とか旧情報という区分はあまり意味がないように思われます。 おじいさんが旧情報であっても「おじいさんを特定する必要のある場合」には、「が」を使います。 「おじいさんが山から帰ってみると物置が荒らされていて~」などの場合ですね。 この文の骨子は「帰ってみたら物置が荒らされていた」ということです。 「誰が帰ってきたのか」という点に関して、「おじいさんが」と補足的に特定しているにすぎません。 【「始めまして、私は山田です。」】 の場合。 「私を主題にして」つまり、「私という人間に関してこれから述べます」と宣言しているわけです。 状況によって、「は」と「が」替わってもおかしくはありません。 それは、どのような状況でしょうか。 先述したように、 「(それは)私です」と特定する必要のあるような状況です。 20人ぐらいの人が集合しているあるグループの会合で、鈴木さん、松坂さん、青木さんの3人が話をしています。 「今度、山田という新人が入ったらしいね。監督の評判はなかなか良いらしいけど、どんな人かなあ」 その3人の前に、一人の人が近づいてきて挨拶します。 「始めまして、私が山田です。」 みなさんがお話ししている山田という人物を特定させていただきます。 『それは「私」です。』 というニュアンスになります。
- Ishiwara
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インターホンが鳴って、応対したら、見ず知らずの人がいて、いきなり「私は山田です」と言ったら、おかしいでしょう。もちろん「私が山田です」は、もっとおかしいでしょう。 「私は山田です」は、名前以外の何かについて旧情報がある場合に使います。聞き手が「この人は友人の友人」だということや「さっきから3番目の椅子に座っている人」だという認識を持っていれば、そのことが旧情報の「私」であり、「私は」の「は」は、旧情報である「私」に対して、新情報である「山田」を付け加える役をします。 一方、「私が山田です」は、「山田という人が(そのへんに)いる」ことだけが既知である場合に使います。「山田」という名前自体は(顔などが未知でも)旧情報であり、これに「現にここにいる私」という新情報を結びつけるのに使います。「山田という人がいるはず」という旧情報があれば、「私が山田です」と自己紹介してもおかしくありません。 「おじいさんがいました」は、「あるところ」という旧情報に「おじいさん」という新情報を付け加えています。
「が」は新しい情報を知らせる時に使うという説明をしている本があります。 しかし、あなたのような質問が出るので、この説明は好ましくありません。 文法を解説する本での普通の説明では 「『は』は話題の提示」のために使うと書いてあります。 この説明では「新しい」の定義が問題になることはありません。
- bakansky
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「 昨日ある男が民家に押し寄せ・・・」(「押し寄せ」でなくて「押し入り」だと思いますが・・・)の場合の「ある男が」は、ある事実としての行為の主体を示している。 「私は山田です」の場合の「私は」は、「私の名前は・・・」を省略した形、もしくは「今あなた方が目にしている、ここに立っている私は山田という名前を有する人間です」という長たらしい文章を簡略化した表現で、「私=山田」という事実を明示している。 「行為の主体」と「事実の明示」という違いがある、ということを、取り敢えず、まず思い付きます。
お礼
「私は山田です。」の文はちょっと性質が違うのかも知れませんね。