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現金を盗む理由
昨日のニュースで現職警察官が民家から現金を盗んで、その現金を盗んだ理由が、遊ぶ金ほしさである。とやっていました。 いつも不思議だなと思うのですが、遊ぶ金が欲しいと、モラル・道徳が欠如してしまう理由は心理学ではどのように定義しているのでしょうか? ご存知の方教えてください。
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専門家ではありませんので、一私見として回答してみます。 まず、「遊ぶ」ということに関してですが、これは精神の弛緩を求める行為と言えます。 日常的に緊張を強いられていると当然の欲求として遊びを求めることになります。 これ自体は一種の本能に近い行為と考えることができると思います。 一般的な人間がそうであるように、ある程度の超自我を確立できていれば、自分のできる範囲内での遊びに留めようとします。 しかし、犯罪を犯す人にとっては、本来であれば善悪の判断に寄与するこの超自我と本能がほぼ等質に見えることになります。 結果として、自らを主張する自我は、超自我と本能の葛藤に悩むことが少なくなります。 当然のこととして、他者の不利益を顧みることなく自らを利する行動に出ることを躊躇しなくなるわけです。 では、なぜ超自我と本能が等質に近く感じられるようになってしまうのか、というと精神のバランスが崩れたからに他ならないでしょう。 本能・自我・超自我のバランスがとれているのが健康な精神と言えますが、これらの拮抗を保つためにはそれなりのエネルギーが必要になります。 動物には超自我はありませんから、この超自我は自我と本能との健全なバランスが土台になって初めて後発的に獲得されるものではないかと個人的には考えています。 そして、本能と違って獲得したものですから、維持していくにはエネルギーが必要になります。 この維持エネルギーが枯渇してしまうので超自我も本能に吸収されて(等質になって)しまう、ということなのでしょう。 バランスを崩す力は、個人のキャパシティを超えた過度のストレスしかないでしょう。 ストレスは生体維持にむしろ必要なものですが、適度である必要があります。 多分、彼自身にも原因は良くわかっていないでしょうが、その限度の見極めがつかなかった、または、それを回避できない環境を強いられていたということになるでしょう。
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- simazuka
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懈怠です。 お金を得るためにはプロセスを踏まえなければ ならないのですが(働いて賃金を得る) エゴが肥大して、このプロセスを怠るわけです。
お礼
ありがとうございます。
補足
つまりは、お金を欲しい理由が、遊ぶ金の為の時は、エゴが肥大し易く、またエゴとは、辞典では我、自我、利己的、自分勝手と定義られているところをみると、その警官は利他的な心を忘れてしまっている心理状態にあるために、自分勝手なことをしてしまったということでよろしいですか? 確かに、その説明でもその警官の行動の一面を定義する事はできますが、強盗も現金を入手する一つの手段と考える時、明らかにその警官は強盗をしたらどのような不利益があるか(リスクがあるか)正しく、理解する脳の思考プロセスが異常をきたす理由が、エゴの定義の利己的と言う定義のみからは説明が難しい気がしています。 つまり、利己的な要素が肥大しても、不利益、リスクをきちんと判断して取捨選択している人が一般的であるのではないかと考えてしまうのですが、いかがでしょうか?
お礼
ありがとう御座います。とても参考になります。
補足
>犯罪を犯す人にとっては、本来であれば善悪の判断に寄与するこの超自我と本能がほぼ等質に見えることになります。結果として、自らを主張する自我は、超自我と本能の葛藤に悩むことが少なくなります。 つまり、「超自我と本能がほぼ等質に見える」の定義は結果として・・の部分から類推すると、「本来であれば、超自我が本能を抑制して行動を取捨選択しているのであるが、その抑制する超自我が正しく働かなくなってしまって本能の赴くままに行動する状態のこと」であるというものでよろしいでしょうか?(超自我と本能が対立する対象とされているんですから、この解釈でいいのですよね?) >バランスを崩す力は、個人のキャパシティを超えた過度のストレスしかないでしょう。 なるほど、つまりは、今回の警官は何らかの精神的ストレスにさらされていて、それを一時的に回避する為に何らかの遊びによりストレスを発散させていた・・と言うことなんですね。 遊びにも色々ありますが、今回の警官の場合はお金の掛かる遊びなんでしょうから、ギャンブルなんでしょうかね。確かに、始めはその遊びにより精神的ストレスは一時的にも発散できたんでしょうね。でも、やがてその遊びに掛かる費用が自分の給料の範囲で納まらなくなってきてしまったということなんでしょうか。それとも以前より仕事が多くなり「客観的」にストレスが大きくなってきた為、遊びに掛かる費用も増大したということなんでしょうか。でも後者なら、一般的には自分の給料も増える訳で、お金を盗む必要性もありませんからね。やはり、前者で、遊びにより一時的には良かったが、結果的にはストレス耐性に対する閾値が下がってしまったのかもしれませんね。 とすると、大切なのは日常生活上回避しがたいストレスをどう管理・処理するかという正しい知識を持つ事であり、彼にはその知識は欠如していたということが、一つの可能性としていえるのかもしれませんね。