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Financial Times経済コラムの一節・その2
前の「Financial Times経済コラムの一節・その1」に引き続き、同一コラムからの質問です。すなわち、Financial Times の Willem Buiter 氏による3月3日付けの「The unfortunate uselessness of most ’state of the art’ academic monetary economics」(「最先端」と称される金融経済学の大半は役に立たない)というタイトルのもの。 第3段落を引用します。 The most influential New Classical and New Keynesian theorists all worked in what economists call a ‘complete markets paradigm’. In a world where there are markets for contingent claims trading that span all possible states of nature (all possible contingencies and outcomes), and in which intertemporal budget constraints are always satisfied by assumption, default, bankruptcy and insolvency are impossible. As a result, illiquidity - both funding illiquidity and market illiquidity - are also impossible, unless the guilt-ridden economic theorist imposes some unnatural (given the structure of the models he is working with), arbitrary friction(s), that made something called ‘money’ more liquid than everything else, but for no good reason. The irony of modeling liquidity by imposing money as a constraint on trade was lost on the profession. 上記の文章を次のように訳してみました。誤訳、不適切な訳等の指摘を歓迎します。 最も影響力のある新古典派、新ケインズ派の経済理論家らは皆、経済学で言うところの「完備市場」の枠組みで物事を捉えている。考えられ得るあらゆる性質(考えられ得るあらゆる偶発事象や結果)をカバーする条件付き請求権を取引する市場が存在する世界、異時点間の予算制約が常に仮定によって満たされる世界では、債務不履行や破産、支払い不能は考えられない。したがって、非流動性――資金調達の際の非流動性や市場の非流動性――もまた、考えることはできない――もしそれに後ろめたさを感じる経済理論家がなんらかの(当人が扱っている経済モデルの構造からすれば)不自然で、恣意的な摩擦係数を設定しない限り。それは貨幣と呼ばれるものをなんら正当な理由もなしに他のなによりも流動性に富むものにした。お金を取引上の制約因子として設定することで流動性をモデル化するということの皮肉さは彼らには無縁だった。
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すばらしい訳だと思います。 ただ、摩擦係数のところだけ、若干わかりにくいかも知れません。 「貨幣と呼ばれるものを他のものより流動性に富むものにしてくれるものの、導入することに正当な理由はない恣意的な摩擦係数」 ですよね。 元の訳だと、「それは貨幣と呼ばれるものを~」の「それ」が何を指す物かよく分からないような気がします。
お礼
レスありがとうございます。 ご指摘の一文は、長いので2つに分けてみたのですが、逆に分かりにくくなってしまったようです。^^; 経済学に詳しくないとわかりやすく意訳することは無理ですね。 ご指摘ありがとうございました。