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原爆に関する出版は禁止されていた?(GHQ)
戦後数年、おそらく1951ぐらいまで広島、長崎の原爆、被爆者に関する記事はGHQによって統制されていた、という話を聞きましたが、本当でしょうか? また最初に原爆について書かれた本は何という本で、いつ出版されたのでしょうか? よろしくお願いします。
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たしかに当時の連合軍占領統治下においての、広島長崎における原爆に関する一切の報道は、1945年9月19日のあのプレスコード第3項によって厳しく統制されていきました。 一般的にはこれは当時のGHQ最高司令官のマッカーサーによって発布されたということが多いようですが、今では米大統領トルーマンの直々の指令であったことが知られています。 さて原爆について書かれた最初の本ということですが、この「本」と言うのがどのような出版物であるかによって回答がいくつかあるかもしれません。新聞に関しては終戦までは「新型爆弾」という文言を使用するよう大本営より厳しく通達が出されていましたので、実際に「原爆」の文字が新聞紙上に現れたのは、1945年9月3日から9月18日にわたって報じられた「被爆1ヶ月後の広島」(中国新聞)が嚆矢に近いのではないかと考えます。 しかし「本」という書籍出版物に広げて見れば、個人的な体験談や犠牲者への追悼手記のような少数の部数を印刷し、身近な人たちへ手ずから渡されたようなものから、犠牲になった生徒たちを悼む学校などの追悼書籍、更には本格的な調査研究書、歴史的郷土的観点からの資料、市町村など公共団体の資料、そして原爆を扱った文学芸術的資料、などなど多岐に渡っています。 ということで、ここではいわゆる出版物全般を「本」として考えてみます。まず終戦の年の1945年ですが、この年には残念ながら記録に残るような出版物はなく、最初の出版物といえるのが1946年2月7日に発刊された「不知火追悼号」(第七高等学校造士館理科二年甲類五組編)ではないかと思われます。これは見ての通り、言ってみれば私的出版物に近いものです。その翌月の1946年3月1日に岩波書店から広島長崎の両被爆地を扱った「世界」第3号が発刊されています。 広島からの出版物は1946年3月10日の「中国文化ー原子爆弾特輯」(中央文化発行所)が一番古い、つまりは原爆投下後一番早く出版されたものといえると思います。 手元の資料によれば以上のような状況ですが、もしまた何かご質問等がありましたら及ばずながら協力させていただきます。また他の方が更に詳細な資料をお持ちで、私の回答に間違い等があったならばどうかお許しください。
その他の回答 (3)
原爆に関する報道がGHQによって統制されていたことは事実です。 飯沢匡という有名な劇作家が写真誌『アサヒグラフ』編集長時代に、サンフランシスコ講和条約発効によるプレスコード解除を待って、同誌1952年8月6日号で「原爆被害の初公開」を特集、その惨状を広くアピールしたのはよく知られています。 ご参考まで。
- pbf
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占領下の日本は完全なる言論統制下にありました。原爆被害を撮影した8ミリフィルムは没収され、新聞報道でも被爆者の悲惨さを強調する写真は没にされました。天下の大朝日新聞ですら発禁を喰らったほどです、アメリカを避難する内容が出版できる筈がありません。
- sinju612
- ベストアンサー率18% (10/53)
GHQは、原爆の罪を世界に知らさないように 原爆関係の出版を禁止していたそうです。 1952年に日本は独立し、平和条約などが結ばれました 「はだしのゲン」を良く見れば分かると思います
補足
詳細な回答ありがとうございます。 自分でも調べてみました。当時のプレスコードは比較的ゆるやかだったようです。 「占領下、原爆は詠まれた」 戦後の言論の自由を制限した連合国軍総司令部(GHQ)のプレスコード時代、各地で発行された雑誌に原爆を題材にした小説や詩歌が「検閲上、特に問題はない」として数多く掲載されていたことがわかった。データベースで原子兵器、ピカドンといった原爆関連のキーワード検索をすると、百数十件の記事が見つかる。47年11月号の「大衆文芸」は、徳川家康などの時代もので知られる山岡荘八の「小説・原子爆弾」を巻頭に載せた。 東京・あざみ社が発行した俳句文化雑誌「あざみ」の46年9月号は被爆地のルポを掲げた。中国管区の警察学校が発行した雑誌「警察文化」の49年8月号は「原爆下の警官達」の特集を組んだ。 http://www.waseda.jp/prj-m20th/db/index.html 1945年で検索すると2点がヒットしました。 「広島の惨害」 山田正男[ 内務技師 ] 1945-11-01 日本道路技術協会 雑誌「広島に於ける原子爆弾戦災犠牲者」1945-11-25 日本瓦斯技術協会