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なぜ原爆は広島の後すぐに長崎に落とされたのか?
なぜ原爆は広島の後すぐに長崎に落とされたのか、教えてください。 最初の広島の原爆の「効果」(災害の規模と戦争を止めさせるという意味)の如何にかかわらず、2個落とすというが最初から決まっていたのでしょうか?
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大前提ですが「災害の規模と戦争を止めさせるという意味」は実はなかったと推測されます。 実はアメリカ側は原爆の投下の決意をしており、日本側が絶対拒否することをみ 越して、5月にグルー国務次官から提出された降伏文書案から「天皇制存続」を削除 してたわけなんですよ。 で、8月3日以降の原爆投下の実行を指示。 本来であれば6月前後の終戦がみこめたはずだったんですがね。 実験を兼ねた原爆を落とすために終戦を延期したんです。待つ待たない関係なく 予定通りの爆撃だったんでしょうね。 ウラニウム爆弾、プルトニウム爆弾1回ずつ。 と言うわけです。
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- DASS
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すでに同じ内容の回答がありますが、どうしても言いたいので割り込ませてください。 私も「実験したくて落とした」としか捉えようがないと思います。 1つ目には、終戦後の治療行為(?)が挙げられます。 本当に治療していたのか、放射能の効果を研究していたのか、はっきりしないようです。 2つ目には、なぜ人の居る所に落としたか?が挙げられます。 新型爆弾の威力を誇示して戦争を終結させるのが目的なら、人間の上で爆発させなくても良かったはずです。 わざわざ一番被害の大きくなる上空で爆発させるとは、人体実験以外の何ものでもありません。 二度とこのようなことが無いように、人間は知恵を絞るべきです。
お礼
結果的にも「戦争終結のための手段だった」と私は今までだまされていました。これは今日のNHKテレビで原爆を投下した当事者もそういってましたが、彼らは自分たちを正当化せねばならいのでしょう。靖国、教科書問題で過去の戦争を正当化しようとする人たちと同じだと思いました。 この人たちは本当に悲惨な経験=戦争を自分のこととして感じていない人たちだと思います。
広島に投下して、日本が降伏するという返答がなかったため、2日後に長崎に投下したと思われます。 最初から決まっていたかどうかは、分からないけれど日本からの返答を2日間しか待たなかったというのは 納得いきませんよね。 また、アメリカは二種類の原爆を製造していました。 ウラニウム原爆とプルトニウム原爆です。 広島にウラニウム原爆を投下した後、もう一つの原爆の成果を見るために 長崎に投下したのではないかと思われてなりません。
補足
>日本からの返答を2日間しか待たなかったというのは納得いきませんよね。 最初の広島の被害で戦争中止へ動いたかどうかは当時の日本=軍部にとっては2日でも2週間でも同じだったのではないかと、今では思うのですが、さすがに長崎にも投下されたことはかなり戦争停止に「効果的」に働いたという気がします。 それにしても、何故、原爆の性能を知っておきながらその被害の大きさ、悲惨さを確認、検証もせずに(3日後という事実からして明らか)二個目を続けて落とすという行為に及んだのか知りたい。
- mitchel
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本日付の新聞に、「トルーマン大統領(当時)は、当初広島の一発だけの予定だった」という記事が載っていました。 それによると、広島と長崎に落とされた原爆は性能が違うので、実験の目的もあったのではないか、という見方があるそうです。 参考URLの記事をご参照ください。
お礼
まことにタイムリーなURLのご教示有難うございます。
- zawayoshi
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もともとの予定は広島、小倉、長崎へ投下予定であり、8/6に広島に投下、8/9に 小倉へ投下予定だったが天候不順の為長崎に変更して投下されたわけだったんです。 小倉は命拾いしたと言うことですね…
お礼
ご回答有難うございます。 >待つ待たない関係なく予定通りの爆撃 かえって時間を空けると人道上、反対者が出てくるので問答無用ということで即、3日後に「実験」を実行したということが見えてきますね。 この当時の日米の為政者たちには人間的な理性はあったのでしょうか?戦争というものはそこまで人の心を見えなくさせるものなのでしょうか?今の戦争の無い国に住む我々には想像が出来ません。