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イギリス人の国民性を涵養した要因は?

1 反物質主義や闘争と犠牲の尊重という伝統は、ドイツを自由主義のフランスやイギリスから著しく際立たせている。 2 人間は幸福を追求しない、英国人だけは別だが。ニーチェ『偶像の黄昏』 1はフランシス・フクヤマ著、渡辺昇一訳「歴史の終わり」にあった著者自らの文言です。 また、同書には2も掲載されていました。ある節に於いて著者が論述を始める前に黙って掲載したもので如何なる意味でも、これには何の論評も加えていませんでした。私の推測では2でいう「人間」とは「ドイツ人」のことで、2を冒頭に置いたのはフクヤマ氏がニーチェの見解に賛同しているからだと思います。 ドイツ、フランス、イギリスの文化に通じている方であれば賛同するにしてもしないにしても、何故に1、2の見方が出てくるのか心当たりがあるのだと思います。私自身はこれらの文言に同意はするものの単なる先入観であって、このような国民性が涵養された背景は承知していません。最終的には英、仏の国民性を培った背景を知りたいのですが長大になり過ぎると予想されるので、ここではイギリス人の国民性に絞ります。 イギリスに絞ったにしても国民性を涵養してきた背景は多岐に渉り、こうした制約の多い媒体で言い尽くすのは困難で、書籍を読めとしか言えないのだと思います。それを承知で応急の知識をもちたいと希望します。 次の条件でご回答を頂けると有り難いです。 ア) 1、2を否定する回答も拒否はしない。 イ) フクヤマ氏はホッブズ、ロックの思想にイギリス人の国民性を観ている形跡がある。ホッブズが突然変異で誕生したとは思えないので、国民性を涵養した要因も彼の誕生以前に見出すものとする。どこまで時代を遡るかは全くの自由とする。 ウ) 完璧を期すのは不可能そうなので国民性を涵養した要因を一つ以上挙げればよい。大きな要因であろうと小さな要因であろうと問わない。人文、気候、地理……、要因は何に求めてもよい。簡便な解説を必要とする。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • tanuki4u
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回答No.1

上記で提示されているイギリス人の国民性は、イギリスにおけるジェントリ階級の国民性と思われる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA とするならば、ジェントリ層の発生を考える必要がある。 上記のWIKIPEDIAで簡単に触れているが、特徴は 中途半端な領主(独仏と比較して) となります。大領主として独仏の貴族は観念論に走れたが、中途半端なジェントリ層は、自ら農業経営者として頭をひねる必要があった。不作の時に、独仏の貴族は、顔を見たこともない農民を搾り取ればよかったが、イギリスのジェントリ層は小規模であり、農民の顔を知っていた。なので、農業開発に工夫を自らする必要があった。 これが、幸福を求めるという行為。

sono-higurashi
質問者

お礼

キーワードは「ジェントリ層」ですか。一理も二理もありそうに思えてきました。 支配階級の末端というべきか、被支配階級の最上部というべきか、こういう階級は建て前ばかりでは身がもたないし、形振り構わず本音で生きるには誇りが邪魔するしで、それなりのバランス感覚が発達するのでしょうか。と、まぁ、これは縦、横、斜め、あらゆる方向の板挟みにあっている我が身に少々引き寄せすぎた感想みたいです。 「ジェントリ層」の発生を探るとアングロサクソンだ、ノルマンだと広大な原野に踏み込みそうです。折りがあれば啓蒙書を手にしようと思います。何時になることやら。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

sono-higurashi
質問者

補足

締め切るに当たって。 3連休最終日の3/22(日)も21時近くなりました。これ以上の情報は寄せられないものと考え、締め切ります。多分、NO.1、NO.2が適切だからだと思います。 お世話になりました。

その他の回答 (1)

回答No.2

ニーチェの言葉は「偶像の黄昏」の中の「箴言と矢」第12節にあります。 ニーチェの言葉ですのでニーチェに聞いてみるのがいちばんです。 同書の「ある反時代的人間の遊撃」の14節において、 ニーチェはダーウィンとイギリス人に言及しています。 「闘争がおこなわれるときでも、それは権力をめぐる闘争である〈中略〉 種族は完全性という状態のうちで成長するのではない。 弱者が繰り返し強者を支配するからであり-それは弱者が多数者であり、 弱者がより怜悧であるためである・・・ダーウィンは精神を忘れてしまっていた (これこそイギリス的である!)、弱者がより多くの精神を持っている〈中略〉 私は精神を用心、忍耐、狡知、偽装、大きな自制、擬態である一切のものと解する」 (ちくま学芸文庫版ニーチェ全集14巻) 同じく38節では自由主義に関して幸福とイギリス人に言及しています。 「自由主義的制度は、それが達成されるや否や、自由主義であることをただちにやめる。 あとになってみると、自由主義制度にもまして忌まわしい徹底的な自由の加害者はないのである。 この制度が成就するものの何であるかは、よく知られている。すなわち、それは権力への意思を 危うくし、それは山や谷をならして道徳へと高まったものであり、それは卑小に、臆病に、享楽的にする。〈中略〉 同じ制度も,それがまだ闘いとられている間は別の作用を生み出す、 この制度は強力な仕方で自由を促進するのである 〈中略〉こうした作用を生み出すのは戦いである、 自由主義制度を勝ち取るための戦いである。 〈中略〉自由とは男性的な本能、戦いと勝利を喜ぶ本能が、 たとえば「幸福」の本能を支配することを意味する。 〈中略〉自由になった人間は、小商人、キリスト者、牝牛、婦女子、イギリス人、その他の民主主義者が夢想する 軽蔑すべき安穏を踏みにじる、自由になった人間は戦士である」 同じく第5節ではキリスト教と民主主義との関係ついて言及して 「イギリス人が、善悪の何であるかを、おのずから直覚的に知っていると信じているのなら、 したがって道徳の保証としてのキリスト教をもはや必要としないと考えているのなら、このこと自身がたんにキリスト教的 価値判断の支配の結果にすぎず、この支配の強さと深さの一表現に過ぎない。 そのためイギリス的道徳の起源は忘れ去られてしまい、 その生存権が極めて条件付けられていることももはや感取されていないのである。」 ニーチェがキリスト教的道徳を「弱者による強者への支配」が固定化されたものとして批判していることは よく知られています。 そしてそのキリスト教的道徳の近代版が自由主義・民主主義であるとニーチェは言っています。 そしてもっとも「道徳的」であるがのが紳士の国イギリスであって、ゆえにキリスト教的道徳が変換した形態である 民主主義がもっとも進んだ国なのであると。 自由主義は勝ち取られるや否やもはや自由でなくなり道徳へと堕落する、それが民主主義だとニーチェは言います。 イギリス人はその「道徳の起源」つまり自由を勝ち取るための「闘争本能」と「権力への意思」を完全に忘却するところまで堕落してしまっている (つまり最も民主主義的である)。 ニーチェは自由主義(民主主義)を否定しますがその過程である闘争は肯定しています (フランスは民主主義化の過程で一人の天才的戦士を誕生させた、それがナポレオンである)。 ドイツはいまだ民主主義化の過程にある、つまり闘争の過程にある、まだ骨の髄まで民主化されたイギリスよりもまだ救いようがあると、 むろんもっとも救いようがあるのは民主化のはるか手前にあるロシアであるといっていますが。 つまりニーチェが言っているのは人種の気質の違いというよりも、 民主主義の発展の程度を言っているのだと思います。 つまり最も進んだ国(堕落した国)がイギリスであり、 最も遅れた国が(まだしも自由な国)がドイツであり、 その中間がフランスであると。

sono-higurashi
質問者

お礼

全体として半信半疑で、お説に対して「なるほど!」と思えるまでの理解は得られませんでした。依然として国民性を述べているのではないか、とこちらの方に体重がかかっています。西欧の文化の広汎な理解がないと正しく読み取れないのはよく分かり、解説者のご苦労を拝察しています。ワカランチンの説得なら任せておけ、と言う人がいないとも限らないと期待して当分締め切らずにおきます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

sono-higurashi
質問者

補足

>>つまりニーチェが言っているのは人種の気質の違いというよりも、 民主主義の発展の程度を言っているのだと思います。 つまり最も進んだ国(堕落した国)がイギリスであり、 最も遅れた国が(まだしも自由な国)がドイツであり、 その中間がフランスであると。<< こういう読み方をするのだとは意表を突かれました。そうなのかも知れませんが腑に落ちない点を記すことによって、ない知恵を絞って精読させて頂いた印とします。返信を求めるものでも拒否するものでもありません。 引用は全て白水社版、西尾幹二・生野幸吉訳からです。 1 「箴言と矢」、12節について。全文を掲載します。 <人生について自分の何故? を掴んでいれば、ほとんどどんな如何に? とでも、折り合いをつけることが出来るものである。――人間は幸福を求めてはいない。そんなことをしているのは、イギリス人だけだ。> 私がお説を受け入れて「人間は幸福を求めてはいない。そんなことをしているのは、イギリス人だけだ。」を解釈すると以下の如くなります。 イギリスでは民主主義が最も進んでいるので、それを勝ち取る闘争の過程で必要な気概をもつという幸福を最も奪われている。詰まり、最も幸福でない。よってイギリス人は最も幸福を求めている。ドイツでは民主主義が最も遅れているために、それを実現するのに必要な気概という幸福を最も享受している。よって幸福の希求が最も希薄である。私の理解ではこうとでも読まないとお説とうまく整合しません。そして、この場合、前半の「人生について自分の何故? を掴んでいれば、ほとんどどんな如何に? とでも、折り合いをつけることが出来るものである。」、これとうまく結びつくのか、よくは判りません。12節だけでなく全文を読めばお説に帰着するのかもしれないと思うことはできます。 2「ある反時代的人間の逍遥」の14節について。 ダーウィンやイギリス人の名をもちださないとすれば、此処で述べていることに何の疑問もありません。動物といっても人間は特殊な存在で他の動植物界での法則がそのまま当てはまる道理がありません。また、精神というものを忘れているのではなく、肉体のみならず精神というものを込みにした総体が人間ですから、社会的弱者の連帯によって社会的強者が支配を受ける例があるとすれば、連帯した社会的弱者が実は強者であり、状況を把握できずに敗れた社会的強者が実は弱者だった、とこう捉えることが可能です。この捉え方は精神を忘れているどころか十分意識しているし、また自然界の法則が人間界でも当てはまっていることになります。 ダーウィンやイギリス人に関係のない当たり前のことをいうのに、それではインパクトがないのでキャッチコピーとして「反ダーウィン」を掲げた。私の知能では、こう受けとる方が自然です。また、この節が民主主義の発展の進捗にどう結びつくのかも不鮮明でした。しかし、何にせよ、とって付けの拾い読みをしているだけの人間に発言権があるとは思えないので主張する気は全くありません。14節だけでなく全文を読めばお説に帰着するのかもしれないと思うことはできます。 3 第38節について この節はニーチェが「私の自由の概念」を論じたもので何の異存もありません。 「自由になった人間は、小商人、キリスト者、牝牛、婦女子、イギリス人、その他の民主主義者が夢想する軽蔑すべき安穏を踏みにじる、自由になった人間は戦士である」。これからニーチェがイギリス人を民主主義者と観ていることが分かり、多分当時の英、仏、独の比較の上では客観的にもそうなのだと思います。 4 第5節について ここの解説は一番分かりやすかったです。

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