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100年前の各国の国民性に詳しい方教えて下さい。
日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア どれが1~2つの国だけで構いません。 国民性がよく垣間見える出来事をご存じの方、 「第一次世界大戦がはじまる前(約100年前)」と「現在」とで それぞれの国の国民性がどう変化して来たか 個人的見解や感想で構いませんので教えて下さい。お願いします。
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日本人は対外的に見るでしょう。 中国は中国人、イギリス人、ドイツ人、 日本は同じ言語と生活習慣ですが 中国は言語も民族もちがうんです、 陸続きで外国が隣接してます。 国境付近はどんな民族がいるか 想像もつかないくらいです。 ヨーロッパは侵略から逃れるために 亡命したり国が分離したり、 括ることはできません。 疫病から人がたくさん亡くなって、 感染を防ぐために焼却してます。 書物はいまでも学者が 研究してると思いますよ。 話し言葉しかない言語も あるんです。書き言葉が存在しません。 民族史を読んだほうが分かることが あると思います。 香港はイギリスの植民地でしたが 南方の伝統を受け継いでます。 民族の血まで支配することはできないと 思いました。 100年前、日本に来た西洋の方が 「この国(日本)の人たちは優しい、 温かく接してくれる。 一人が笑い出すとみんなが一斉に笑い出す。 何が面白いのかクスクスと笑う」、 いまも変わってないですね。 日本は守られてるんです。 海を渡ってまで来ないでしょう。 21か条要求 一九一五年五月九日
- staratras
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今から百年前というと1917年(大正6年)ですね。わたくしごとで恐縮ですが、回答者の祖父が師範学校を卒業して教員になったのがまさにこの年です。祖父が昭和50年代半ばに他界した際の葬儀に、すでに数少なくなっているという同期生が来ていました。 何を言いたいかというと、百年前と言えば大昔のように思えますが、百年前に社会に出た世代が、昭和の終わり近くまでは存命で、とりわけ昭和30年代から40年代にかけては社会の指導的な立場にあったということです。(回答者が小学校に入学した当時の校長や担任の先生は明治生まれでした) 百年程度では、「国民性」などというものはあまり変わらない、というよりそのくらいで変化してしまうものは「国民性」とは呼べない表面的な流行に過ぎないのではないかと思います。 1917年の年表を見ると、社会のところに「外人来遊客急増(2万8425人)、ホテル超満員(総数54、収容能力3175人」「《立川文庫》などから取材した尾上松之助(目玉の松ちゃん)主演のトリック映画(忍術・妖怪変化・活劇もの)濫作上映、小学生・大衆に大人気」などとあります。(「近代日本総合年表 第4版」 岩波書店)現代の日本につながる動きがこのころから始まっていたことが分かります。 祖父の晩年に若いころのことを聞いたことがあります。当時は師範学校を卒業した小学校教員には「6週間現役兵」という制度があって、徴兵検査に合格しても6週間入営するだけでよかったということです。(祖父はこの徴兵検査にも合格しなかったので軍隊経験はまったくありません)また師範学校には「兵式体操」という授業があって軍曹くらいの退役軍人が指導に来ていたが、「日独戦争(第1次世界大戦)」があったくらいで、ほとんど戦争を意識することはなかったと話していました。 比較的自由な雰囲気だった大正時代から満州事変以降の戦争の時代を経て、戦後の自由な時代になるという、政治や社会の変化は確かに大きいのですが、これは「国民性が変化したこと」とは異なります。 またこれは日本に限ったことでもないでしょう。例えばロシアでは1917年は革命(2月革命)が起きた年であり、その後ソビエト連邦が成立して社会主義の国となり、さらに第2次世界大戦や冷戦の時代を経てソビエト連邦が崩壊し、再びロシア連邦となって現在に至っていますが、「国民性」そのものを変えることは共産党の力をもってしても困難だったのではないでしょうか。 ただしもっと長い目(例えば千年単位)で見れば、当然話は別です。津田左右吉は、まさに第1次世界大戦が始まった1914年に次のように書いています。 「日本人は生きている。生きている日本人の国民性も民族的趣味も決して固定したものではない。だから、過去の趣味は歴史的事実として真実であっても、将来の規範とせらるべきものではない。…(中略)…今さららしくいうまでもないことであるが、世間にはまだ、凝固した国民性というものがあり、またなくてはならぬように思っている人もあるから一言して置くのである。」(「偶言」1914年初出)
- eroero4649
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国民性のような気質ってのは、そんなに変わらないものですよ。歴史を紐解けば「昔も今もみんなあんまり変わらない」って思うものですよ。 戦前の日本は第一次世界大戦に巻き込まれず、しかもイギリスが戦争に必要なもの生産に追われて生糸の生産ができず、しかも軍服などで大量の衣服が必要なのに生産が追い付かない(事情は他のヨーロッパ諸国も同じ)ということで、当時製糸業が主要産業だった日本は空前の好景気に沸きます。歴史の教科書でたまに出てくる、成金が料亭で暗くて靴が見つからないといわれたらお札に火をつけたなんて話が出てくるほどの成金が大爆発する好景気でした。 しかし第一次世界大戦が終わってバブルは崩壊、一気に世間は不景気になります。そしてその後、世界恐慌が起きて大変なことになります。日本はこのとき軽工業国から重工業国への脱皮を図ろうという国策がありました。しかし日本ではまだ自動車を買えるほどに国民が豊かになっていなかったので(当時はイタリア人のほうがマイカーを買えたのでイタリアのほうが豊かだったのです)、民間に需要がないので軍需で引き受けることで重工業化を目指しました。 そんな中、いろいろあって対中関係が悪化していきます。当時の中国は国家の体をしていなくて、軍閥と呼ばれるヤクザの親分みたいなのがそれぞれの土地を仕切って勝手にやっていました。 中国側が約束を守らないで勝手なことばかりをするので、日本国内で「一撃膺懲論」というのが盛んになります。「中国は日本を舐めている。舐められないように、一発ガツンとやってやらないといけない」ってね。いえ、私はだいたい100年くらい前の話をしているんですよ。 戦前の日本で最も身近で憧れの外国はアメリカでした。後に第二次大戦となったときのアメリカ軍の捕虜に対する調査で、「都会出身の日本兵はアメリカを嫌っていない。アメリカを敵視しているのは田舎出身の兵士だ」とレポートされています。都会ではアメリカ映画などもよく上映されていたのでアメリカが身近な外国だったのです。 ちなみに、世界中のブログで使われている言語は、最も多いのは英語によるブログであるというのは当然だろうと思うところですが、次に多いのが日本語なのだそうです。日本人、やたらと日記好き。 そして平安時代から江戸時代に至るまで、貴族から商人までいろんな人がマメな日記や記録を沢山残しているのです。平安時代なんかは「〇〇日記」みたいな作品が多いですよね。作品にならなくても日記をちまちまつけていたお公家さんの記録が残っていたりします。 幕末の江戸で今日の出来事や世間の噂などをマメに記録に残した人がいて、この人の日記は幕末の研究で非常に貴重な資料になっているそうです。同じようなときにマメに日記と家計簿をつけていた武士がいて、それがほぼ完全な形で幸運なことにそういうことを研究している人に発見されて、それは「武士の家計簿」という本になり映画化までされましたよね。そういう資料って、日本にはかなりあるのです。残念なことに、震災や戦災で多くの資料が失われてしまったようですけれどもね。 ロシアやアメリカなんかにも似たような話はごろごろしているのですが、それをいちいち書くとまた長くなってしまうので割愛します。
- ithi
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ep3093 さん、こんにちは。 日本の場合は日露戦争に勝って、安心は覚えましたが、戦争で作った財政で政府は四苦八苦でした。国民は重税感にあえいでいました。 アメリカはまだ、世界の債権国というほどの地位のない、田舎の国でした。フランス、イギリス、ドイツではベルエポック時代の到来で、今が花盛りでした。しかし、イギリスはボーア戦争での大損害で、凋落が目立ち始め、ドイツは大幅な工業化と人口増加で最盛期を迎えていました。フランスはアールヌーボーとか芸術の花が咲いていました。ロシアは戦争に負けたため、皇帝専制政治をやめ、革命による社会主義者が多くなり、取り締まりに苦しんでいました。 数年後まで、第一次世界大戦の陰すら見えなかったというのが、その当時の人たちの感想でしょう。
お礼
>第一次世界大戦の陰すら見えなかったというのが、 >その当時の人たちの感想でしょう。 その様な状態だったんですね。 個別にもっと深く知って行くと その当時の人々が何を知りえて何を考えていたか より見えるようになれるのでしょうか。 ともあれ色々興味深いキーワードを示して下さってありがとうございます。 調べてみると興味深いです。
- meido2010
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ロシアは日露戦争で実質日本に負けたことでヨーロッパでの発言権 が委縮してしまいました。また共産党の革命思想が国全体を揺るが していたころであり、不安定な状態になっていました。 イギリスが日本と同盟をしたこともあり、それによって日露戦争での 戦費の借財が大きくロシア帝国を苦しめた時代でした。
お礼
日本国内もロシアから戦後賠償が得られず 放火や暴動が起こったと聞きますが、 ロシア帝国側も苦しんでいたんですね。 革命の波が押し寄せていた。 ソチ五輪の時は反プーチン発言をする人が TVカメラの前で警棒で殴られ髪を掴まれ引きずられ、 デモをしてる人も色々されていると聞きますが、 うーん。ロシアの人々はどんな風に変わって来ているのか。 ご回答ありがとうございます。
お礼
>成金が料亭で暗くて靴が見つからないといわれたらお札に火をつけたなんて話が出てくるほどの成金が大爆発する好景気でした。 当時の日本は製糸業が盛んだったんですね。 明治維新前後に蚕を飼う話があれこれ出ていましたが、 もう主要産業になっていたんですね。 そして第一次世界大戦の戦争特需で好景気・・での話が お札に火でしたか。 >バブルは崩壊 ~ 軽工業国から重工業国への脱皮 あぁ、それで大量の軍艦が作られて行ったんですね。 >当時の中国 >軍閥 >それぞれの土地を仕切って勝手に そうだったんですね。 だから色々揉め事が多かったのでしょうか。 そして仰られている様な世論を招く沙汰も起こっていたんですね。 今北朝鮮がメンツからあれこれやってるのと似た印象がします。 >「都会出身の日本兵はアメリカを嫌っていない。アメリカを敵視しているのは田舎出身の兵士だ」とレポート そんなレポートがあったんですね。 203高地の話の時に元何藩かで色々差別があったと聞きもしますが それから40年近く過ぎても田舎と都会で色々大きな差が。 漠然とですが日本のこの150年の国民性の変化が 薄っすら繋がって見えて来た気がします。 ありがとうございます。 >ロシアやアメリカなんかにも似たような話はごろごろしているのですが、それをいちいち書くとまた長くなってしまうので割愛します。 いつも興味深いお話ありがとうございます。 機会がありましたらまたよろしくお願いします。