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ヒトラーが突如ソ連に進入した理由は?
世界史には詳しくない者です。 先日、とある本を読んでいますと、「ヒトラーが急にソ連に進行して、ドイツ国民はとても驚いた」という記述がありました。 それまでドイツは主にイギリスと戦っていたと思います。 どうして急にソ連に進行などしたのでしょうか? ヒトラーの狙いと目的は何だったのですか? そしてその狙いを国民が予想できなかったのは、どういった背景があるからなのでしょうか? よろしくお願いします。
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ヒトラーの目的について 自著でも触れていますが、ヒトラーは極端な反共主義者です。また、ソ連を構成する国々はスラブ系民族で、彼の人種観では彼らに治められるべき存在でした。ですから戦争を指向するのはほぼ当然の成り行きです。 一方西部戦線の状態は、フランスを制圧し親独政権たるヴィシー政権が設立され、大規模な陸軍は必要なくなっています。 本来なら、依然として、交戦している英国に陸軍を送りとどけ占拠するところですが、その前段階の航空戦(英国側から見ればバトル・オブ・ブリテン)で、目標-英国の航空戦力を殲滅し、上陸作戦を行う際の制空権確保を容易にする-に自身の判断ミスもあり失敗。上陸作戦は無期限に延期されます。一方英国の逆上陸も難しいだろうと思われ、陸戦兵力が宙に浮いていました。 一方のソ連側はほぼノーガードだった(スターリンがドイツの侵攻はないとなぜか確信していた)上に、赤軍で大規模な粛清が行われた結果、戦力が相当に落ちていました。また、東で日本とも対峙していたために戦力の集中が難しいだろうというよみも可能です。 さらにポーランド、フランスで成功した電撃戦(実態はそれほど革新的ではなかったのですが)がソ連でも十分通用すると思われていました。また、英国がソ連を友軍として期待していたため、これを屈伏させることで英国が講和を乞うということも期待できます。 かくしてヒトラーはソ連侵攻を決意、紆余曲折(主にイタリアによる邪魔)をへて第1段階「バルバロッサ」が発動されます。時に1941年6月22日。狙ったことですが、ナポレオンのロシア遠征を始めた日と同じ日付でした。結果まで同じになるとも知らずに。
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- ss79
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No3のご回答で十分と思いますが、少し補足させて頂きます。 ヒトラーの反共産主義は第1次世界大戦の敗北の原因に共産主義の影響があったと考えていたことから発します。 それを隠し対英戦を有利にするための間、補給基地としてソ連を利用する為独ソ不可侵條約を結んだのです。 初期の対フランス戦、対英戦の間ソ連は食料、石油など戦略物資をドイツに供給し続けました。 それもあってスターリンは戦争とは成らないとヒトラーを信じ国内の粛正を断行したのです。 そしてその頃反スターリンの動きがあった陸軍将校団を大量に処刑しました。 ヒトラーの不運は対フランス戦が予期以上に短期間で成功した為ドイツ軍の戦力を過大視し電撃戦を短期間で勝利できると信じてしまったことです。 さらに行き詰まった対英戦も講和に導ける期待もありました。 それにソ連内の反スターリン勢力の協力を過大に見積もり、内部崩壊を期待したのです。 その為ソ連侵攻に踏み切ったのです。 これは独ソ不可侵条約を信じていたドイツ国民も驚いたわけです。 ドイツには長期戦を戦い続ける資源がないので開戦初期の勝利に沸き立ちましたが、冬季に記録的な寒波と道路事情が悪い事から機動も補給もままならず、モスクワ前面で停止した所を、悪路でも運動力が低下しないソ連戦車の反攻にあって潰走に近い損害を受け、長期戦になりました。 その後戦略物資の豊富な南ソ連に目標を変更して長期戦に備えようとしましたがスターリングラードで消耗的市街戦となり、包囲された第6軍30万の兵力を失い後は後退一方でベルリン陥落時にヒトラーは自殺しました。 戦争の早期終結を図ったのに相手の抗戦力と土地事情を見誤ったのが敗因でした。
- HAL007
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私も歴史は苦手な方ですが国民が驚いたと言うのは 独ソ不可侵条約があったからだと想像します。 この条約は西に侵攻する際に東のソ連から攻撃を 受けない様にする策略です。西が落着けば東に侵攻する のは最初から計算に入ってのでは? 日本も同様に不可侵条約をソ連との間に結んでいましたが ソ連は条約を無視して侵攻しています。
- meihemu
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- http://ww1.m78.com/