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義賊

日本に義賊はいましたか? 鼠小僧や石川五右衛門が義賊だったというのは作り話(人物は実在)なので、本当にあった真実を教えてください^^* 例えばロビンフッドやルパン三世も作り話です。

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回答No.3

「義賊」と呼ぶにふさわしい人物がいたかも知れません。 しかし、「義」という文字が入っても「賊」には違いないですから、「お上」としては、絶対にその存在を認めるわけにはいきませんね。 抹消してしまうか、あるいは罪名と刑を事務的に記録しておくかのどちらかです。 こんな状況の中で、思いついたのは「国定忠治」です。 芝居や講談では、凶状持ちのヤクザ者として扱われていますが、義賊の一面もあります。 幕府の高級役人・羽倉外記が記した「劇盗忠二小伝」「赤城録」には、 「義賊」とは書いてないですが、天保の飢饉の際の忠治の行いを立派だと認めています。 羽倉は、「天保の飢饉のとき忠治は私財を投じて飢民を救済した。私の管轄の村むらでは飢餓がなかったとはいえない。忠治のことを聞いて恥ずかしさのあまり顔面は真っ赤、背中に冷や汗をかいた」という。 羽倉は、納戸頭から勘定吟味役に上り、水野忠邦の親任を得た男で、忠治と同じ時代に生き、 赤城村の代官をつとめた時期もありました。 松岡正剛氏のサイト「千夜千冊」 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0810.html 三省堂HP「対談 民間学のすすめ」佐高信氏と鶴見俊輔氏の対談。 http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/minkan.html

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回答No.5

 大塩平八郎が上がるなら、義賊の定義と範囲にもよるが、反逆その他も挙がりますね。 木曾義仲、平の将門、壬申の乱、二二六、浅野遺臣の乱入、五一五、桜田門外。   集団なら、日本各地のいわゆる服ろわぬ民、これは中国では賊ですね。統治権に服さない集団。今じゃ、いろんな神社に祀られている集団もありますが。  いろんなアウト・ロー。やくざが子分を持つって、雇用対策だとかいいますがね。大体民事でも何でも調整したり、仕切りをしてきますね。これがやくざですね。忠治が義賊的なら、やくざはなにかとお上の手の届かないところで、お世話したりしてますね。今も。彼らの大義名分はおれたちゃ、義賊だ。じゃないでしょうか?  新門辰五郎も二足だと思いましたが、押入れあけたら、お礼の○銭がどどっとあふれてきたとか、床が抜けたとか。やはり口利き商売なんですね。岡っ引きって、二足ですからね。  平次さんも、佐七さんも、伝七さんも。お給料はないのですから。  彼ら義賊ではないですか、時にはひとのために口利いたり、骨折ったりして。骨折じゃないけど。お上には、時に背くような振りがあったり。  夜間の闇に隠れての義賊は、ねずみの次郎さん。でも貧乏人にくばらないで、実は廓、博打につかっていたとのこと。

  • cyototu
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回答No.4

#2です。 国定忠次も天保の飢饉の際出てきているので、ロビンフッドのような圧政に対する抵抗ではないようですね。#2の所でも述べましたが、もし国定忠次も大塩平八郎も法を犯して庶民を助けようとした点で義賊ということも出来ますが、日本の義賊はヨーロッパのそれとは質が違うようですね。

  • cyototu
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回答No.2

義賊が出るには悪政がなくてはなりませが、テレビや映画の話し以外に悪政の例を私は知りません。イギリスやフランスのように領主が結婚する前の処女を犯す権利があったわけでもありませんし。そんな国で義族が出るのは難しいと思います。敢えて言うなら、大塩平八郎当たりが、経済危機に対して民衆の味方になった例を知っていますが、これも悪政によるの失策というよりは、天災などに原因があるように思えます。私が間違っていましたら、何方か指摘して下さい。

回答No.1

白波五人男の日本左衛門が義賊だったかもしれない、と言う説があります。 ほかにはいませんね。

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