NO1.です。
追伸:
江戸時代女性の髪形を大きく変えるきっかけとなったのは、
慶応8年(1603)に出雲阿国(いずものおくに)が京都の四条河原で、杭を数本地面に討ちつけ、筵(むしろ)をかけただけの粗末な小屋で、阿国が茶屋へ通う伊達男に扮し、夫の(夫ではない、という説もある)名古屋山三郎(なごや さんざぶろう)が茶屋の女将に扮しての踊りを交えた寸劇を披露しました。
この男女の入れ替わり、つまり、「性倒錯」が有名になり、連日「大入り満員」だったとか。
これを当時の京の人たちは「傾く(かぶく)=常識外れ、突拍子もない」と呼び、これが、しだいに「かぶき」と呼ばれるようになり、現代の「歌舞伎」の漢字があてはめられました。
この時に阿国が結った「髷」が「若衆髷(わかしゅまげ)」として有名になり、京から大坂、そして、江戸でも女性の間で大流行しました。
やがて、「島田髷」などが出現し、寛永年間(1624~)頃には「兵庫髷」という、頭の上で「輪」を一つ作ったような髪形が流行。
元禄年間(1688~)頃には「元禄島田髷」が流行。
明和年間(1764~)頃には、浮世絵に出てくるような「春信風島田髷(はるのぶふうしまだまげ)」が流行。
江戸時代後期~明治初期頃には、芝居の「お染久松」でお染が結った「おそめ髷」などが流行しました。
>>なぜ戦国時代の女性は髪形がおさげで江戸時代の女性は日本髪なのですか?
戦国時代は、戦に明け暮れており、ファッションの流行はなく、ただ単に髪を伸ばしていましたが、江戸時代に入ると「安定した生活」ができるようになり、また、金銭の流通も盛んになり、ファッションにも「余裕」ができて、色々な髪型が流行しました。
お礼
なんだか戦国時代のロングヘアー淀君の方がオシャレに感じるのは何故ですか?