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大乗について
大乗とは、どういうことでしょうか。小乗に対して大乗、自分と他者、利益、大乗という考え方、結局大乗とは、どういうことでしょうか。よくわかりません。ご教示願います。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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質問者さんのお書き込みがまだないので、何をどうお聞きになりたいのか、多くの方もよくお分かりにならないこともあると存じます。 私はお三方のお教えと、回答番号:No.4のmaggaさんのお教えを総合して理解すれば、ご質問は完全に答えてもらっていると存じます。 大乗というと直ぐに小乗ということばを思いつくものです。 初期の仏教から変遷を経て、大乗が出てきているものと、そしてその対照関係で上座部とかの言い方もでてきているのではないでしょうか? およそまともな宗教で、大乗の思想のないものはありえないのではないでしょうか?だから大乗に対立する小乗も上座部もないのではないでしょうか? 宇宙、この自分、一切万物。その関係や成り立ちを説明・理解することにつきないですか? 宇宙といい、万物といい、自分といい、どこをどう区別し、切り離せるでしょうね。 私は自分も万物も、無論万人も世界も同じだと存じますが。 小乗・大乗・上座部という区別は成り立たないと存じますが。
- magga
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僕の見解ですが 大元の初期仏教であるパーリ語の仏典などを見る限り大乗の「自利主義(自己の救いのみを優先する)」への批判する性質は見当たらないように感じます。どう観ても「自利利他を賞賛」してますからね。 なので大乗が出始める前の部派仏教の一部(今は一つも残ってませんが…)に対して「初期の自利利他の精神から離れている」と言うような批判を言ったのが始まりではないでしょうか。 今の「曖昧模糊とした小乗批判」とは違うものでしょうが…。 その後大乗系もいろいろ肉付けされていき、「私こそは正しいんだ。他は間違っている。」と言う心の働きや、「伝統的に言われている小乗批判」についてのフェアな研究を怠ったかで頑固なものなり、未だにパーリ語の仏典を小乗と言っている方々も多々いるように感じます。 専門家や出版される本も伝統的に言われ続けているからなのか、何らかの意図があるのか、未だに上記のような小乗論を守っているように私には思われます。 最終的にはご自身で学んで行くしかありません。 パーリ語の仏典を拠り所にしたものを学ぶなら。サンガ出版の「仏法」やスマナサーラ長老の書籍や無料のポッドキャストをオススメします。 伝統的に言われる大乗の小乗批判なるものが本当に理性的に観て適しているものなのかチェックしてみてください。 ダンマ(法)の徳の中に「きたれみよと言えるもの」とあります。 徹底的に理性でやれば得るものも多いと思いますよ。 では、幸福であれノシ
- mmky
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仏教の小乗と大乗はつながっているものですね。 つまり悟りは小乗から大乗に向かうということです。 これは、例えれば医者の勉強をしてインターンぐらいまでが小乗の時代、立派な医者になって多くの患者を救う時代が大乗の時代というようなものです。つまり、悟りを求めて勉強していることはつまり、自分自身を救うということですから小乗、自身を救い仏の目指す理想を学んだ後は仏の理想、仏国土建設の戦士となって働く、これが大乗ということですね。 これは個人個人の見かたですが、一方、釈尊自身も晩年に、我は大乗の仏陀、久遠実情の仏陀であると宣言されています、それをビル遮那仏とか阿弥陀仏といいますが、つまり大救世主であるとおっしゃられたわけです。大乗の時代には大乗の仏がいるのですよという意味でもあるのですね。個人個人の悟りのレベルに対応して仏もその本当の側面を現すということでもあるのですね。 現状の仏陀を探して勉強するといいですね。迷いは氷解していきますよ。 参考に
お礼
お礼遅くなりました。さとりは、自己の救済から大勢の救済へと進んでいくものということでしょうか。現在の仏陀を探して…、今も仏陀がいらしゃるということでしょうか。ご回答頂きありがとうございました。
- QES
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一言では言い表せませんが、「小乗」と呼ばれる上座部仏教は 釈迦が悟りを啓いた唯一の人としています。 これに対し「大乗」を名乗る新しい集団の仏教の人たちは 釈迦は悟りを啓いた一人だが、他にも悟りを啓いた人は無数におり、 すべての人間が悟りの境地に達することが出来ると主張しています。 もちろん大衆も悟りの境地に達することが出来るという「大乗」は 広く受け入れられ、日本に伝わる仏教のすべてが「大乗」です。 大乗の中にも多くの派が存在し、考え方を単純に表すことはできません。
お礼
お礼が遅くなりました。ご主旨、お釈迦さまに限っていたさとりを、多くの人にも、謂わば解放したというのか、さとりの可能性を一般の人々にも認めた、そういう変化があったということでしょうか。ご回答頂きありがとうございました。
- tanuki4u
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俺たちは、みんなを救う大きな乗り物に乗っているから大乗で、おまえらは、自己救済の小さな乗り物だから、小乗だ! と、自称大乗派が言いました。 ということで、小乗派と呼ばれた人たちは、小乗派とは名乗っていません。上座部仏教とか名乗っています。 ちなみに、旧ソ連の共産党は、ボリショビキ(多数派)と名乗っていましたが、これも、ある会議でたまたま多数派だっただけで、当時としてはボリショビキでないメンシェビキ(少数派)の方が本当は多数派でした。 まぁ党派というのは、そういった名前の付け方をするものです。
お礼
お礼が遅くなりました。大乗、小乗という区別は、党派の名前の付け方で、それが実体を表しているとは限らない、…時には、一方的な場合もある、というような、ご主旨でしょうか。ご回答、ありがとうございました。
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お礼
沢山の回答を頂き、ありがとうございました。『小乗』と比較して、自己と他者の対象の違いと優劣、『大乗』の言葉の意味…ということでばかりではなく、『大乗』の価値というか、実体というのか、本来の意味は何かというようなことを教え頂ければと思い質問致しました。『大乗』とは何か!ということ…