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ドイツ人って言うのはなぜいかめしい物が好きなのか
歴史カテでないのかもしれませんが、伝統的にドイツって言うものはいかめし好きです。芸術文化服飾工業製品その他もろもろ。 第一次大戦直前の鉄兜のあの槍みたいのが頭に生えてるのなんて最たるものです。 何でこうもいかめしいのが好きなのでしょうか?
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漫談ですw ドイツの人は、考えるのです。事の起こりは、ナポレオンが欧州で暴れ回って、国をバラバラにされたときくらいからですか。 一人の天才には何やっても勝てない、と考え、みんなで考えよう、という方向になり、それが各々が役割を分担された司令部、つまり参謀本部という大発明になりました。このシステムを考えついて、みんなで考える軍隊の運用をしたので、ドイツは対デンマーク、対オーストリア、そして普仏戦争で大勝利し、ドイツ帝国となりました。軍隊が作った国の誕生です。 ヘルメットにとんがり角がついているものは、ピッケルハウベといいます。これも、上から物が落ちてきたときに、角でよけて頭部直撃を避けるための、彼らにしては合理的な考えの結果できたものです。 バウハウス。これは当然ながら当時のロシア・アヴァンギャルドの影響も受けていましたが、原則として、素材、工業技術、デザイン、量産、の結果による、生活の芸術化、という理論的な考えに立脚しています。 フォルクス・ワーゲン。自動車マニアのヒトラーが、国に高速道路を張りめぐらせる。そして、国民4人家族が快適に時速100キロで移動でき、1000マルク積み立てで買える量産車をデザインすべし、と命令したのを受けて、ポルシェという博士が創り出したものでした。あの曲線はクルマが時速100キロだしても大丈夫なように曲げて曲線・曲面にした結果です。流線型にすれば空気抵抗も減ります。みんなで考える国が、ポルシェという天才を生み出し、歴史に残るクルマが、彼の頭からできたわけです。戦争のせいで、その基本は軍用車に転用されましたが、砂漠から雪のロシアまで、ビートルらしくドイツ軍の手足になって大活躍でした(キューベル・ヴァーゲン シュヴィム・ヴァーゲン。ビートルも670台ほど作られ、主にアフリカに送られました。空冷エンジンなので、オーバーヒートしないからです)。 よその国をひとつだけ引き合いに出します。 シトロエン2CV(カリオストロの城でクラリスが運転して逃げてきたクルマです。検索してください)は、フランス人が考えた代物でした。 戦争おわって荒廃したフランス。ポルシェのような天才はいなかったのですが、ピエール・ブーランジェという豪腕リーダーがシトロエン社にいました。シルクハットかぶった自分が乗り降りしやすく(この人大男)、家族4人が乗れ、かごにはいったタマゴを割ること無しに、フランスの農道や石畳、田舎道を時速50キロで、田舎の人でも安全運転できるクルマを作れ、と命令します。フランスの復興に皆が使えるクルマは必要である。 エンジン担当は高級スポーツカーメーカーのエンジニアを引き抜いて「簡単で絶対こわれなく、排気量小さくて高速回転するエンジン」と、その人が盛り上がるような目標をあたえ、彼は見事なエンジンを作りました。デザイナーには簡単に作れてプレスで強度もたせて、こわれても取り替え簡単。農民が使うから後席は取り外しができ、ワインのたる1個のるように、という難題だしたら、彼はみごとに応えました。シャシー担当には、絶対に性能と乗り心地を両立、と厳命したら、自動車の歴史に残るバネの使い方を考え出しました。 発表当時、このクルマは新聞でさんざんバカにされました。ふろおけ、カンヅメと。しかし皆で考えた結果はインテリではなく実際に使う人によって評価され、かくして、自動車の歴史に残るクルマ@フランス版ができたのです。 姿をビートルとくらべてみると「100キロ飛ばせる道を作ってそこで使うクルマ(なら悪条件でもうごくかな)」と「悪い道で快適に50キロでるクルマ(なら、いい道ならもっとでるはずだ)」の違いがはっきりでています。しかし、ビートルが確実に戦前のデザインの名残を残している部分があります。それはドアのところのしたに飛び出たステップです。シトロエンにはそれがありません。 ネタとしてご笑納ください。
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- Mumin-mama
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直接の回答になっていないかも知れませんが、 歴史上で、大移動して来たゲルマン民族をはじめて見たローマ人は身体が一回りもローマ人より大きく、大声でしゃべるゲルマン人を見て熊の様に思ったそうです。 神聖ローマ時代に活躍した騎士の使った身の丈ほどもある鉄剣などを博物館などで見ると、重い鎧を着てどうやってそれを持って戦ったのか不思議というか、やはり、今の人間よりゴリラか熊に近い骨格をしていたのだと思います。 また、ドイツの貴族の娯楽と言えば昔は狩で、貴族の別荘などには必ずといっていいほど、鹿の角なんかが玄関広間に飾られていたりします。 また、ドイツ人が旗や紋章に好んで使うのが、猛獣や猛禽類、馬などです。 また、冬が厳しいのと、9カ国もの国々と国境持つことで家はたいへん重厚な造りで、一度建てたら地震がほとんど無いので、戦争による破壊や火事などの災害がない限り2~3百年保ちますし、窓も頑丈な鉄格子をはめ、ドアも頑丈で、古い家では、しっかりとした鍵がノブを兼ねています。 ドイツ人のほとんどが古い家に住むことを好み、また、家に伴い家具も重厚になってきます。(最近はツーバイフォー式の住居もあります。) 床も大理石やタイル張りも多です。 1950年以降になると、足の細いソラマメ型のテーブル等が流行って考え方も変りましたが、それ以前は家具、高級食器、テーブルクロス等のリンネ類などは子孫まで受け継がれる習慣がありました。IKEAがドイツの何処にでも進出して来てから、ずいぶん生活様式が変ったような気がします。 旅行客が見るドイツの観光地などは、重厚な大聖堂や要塞城、市壁などが残っているところが多いので重厚な印象を受けるのではないでしょうか。また、ドイツ人の無骨ともいえる所作から言って、普段使う物など頑丈に出来ていないとすぐ壊してしまいますよ。
お礼
まず、生物的骨格的な無骨さも合って(寒い地方は動物も大賀がですから)それに符合する文化は当然その印象に沿ったものになるのが普通ですね。それが体現されているのがあの地方なのでしょう。それと、狩猟がさかんである。なので血走っているということはあります。特にプロシアの貴族主義ですか。 地続きというのもおおきいですね。9カ国とは多いです(フランスは6ですから)当然外敵への備えと言うことも大きくなります。 ご指摘のように50年代以降はそれこそ庶民的合理性が幅を利かせてきてずいぶんシンプル簡略化というのが一般的になったようですが、伝統的に流れている精神はやはり違いましたね。
- PENPENMAKKY
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あなたが偏見した目で見ているからです > 第一次大戦直前の鉄兜のあの槍みたいのが頭に生えてるのなんて最たるものです。 あれは鉄兜じゃありませんが?革の帽子で、歩兵のみ(槍兵からの伝統)です。更にプロシア以外でも採用されています。近衛騎兵は大きな鷲、砲兵は丸い砲弾、偵察騎兵は四角い学生帽みたいな形です。 正面には金色の国章が貼り付けられ、左右には国旗カラーのバッジ、将校のあご紐は金色のうろこ金具といかめしいどころか派手の一言しか出ない兜です。 ロココデザインの最高傑作はドイツですし(ベルサイユ宮殿はバロック建築)、ワーゲンビートルは可愛いという回答はあってもいかめしいという回答はないと思います。
お礼
ワーゲンビートルも結構いかめしいイメージを持っています。というか「硬さ」「堅さ」すくなくとも、柔軟性やエレガントと言うのではない。ご指摘の軍服の装飾もそれはやはり重い装飾、簡略化されていないものというてんでいかめしさに通じている気がします。ロココ、バロックにしてもしかりではないでしょうか。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
基本的には偏見。 偏見を促したのは、日本におけるドイツイメージは、ドイツにおける北東部プロシアのイメージだからです。ドイツ全体でいえば北東部は辺境でありまして、18世紀のプロシアはもっとも移民に対して寛容な地方といわれました。なんせ人がいないので、なんでもOK。 同時代の(欧州人にとっての)辺境といえば、アメリカ西部であります。まぁなんかあったらバンバン鉄砲を撃っちゃうような文化(という偏見の元)なのであります。 モーツァルトがいかめしいか?というといかめしいとは思えない。 まぁドイツ人でもオーストリアだからかともいえるが、No1でご指摘のように、オーストリアは豊かでしたので、あのような音楽になるわけです。 南部のバイエルンには こんな王もいますし。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%922%E4%B8%96_(%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E7%8E%8B)
お礼
東北部ですか?確かにあの辺はポーランド騎士道とかプロシア貴族主義とか、そのいかめしさを最も身につけている方面である気がします。地域的に荒いとそうなっていくのか? でも、南部の感じも結構「硬さ」はあると思いますよ。
- jayoosan
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はい、どちらかというといかめしい、堅いイメージがあります。 もちろん戦後それらがグローバル化の中で、他国の影響を受けて変わった部分がありますが、私も同様に感じています。 バウハウスのデザインも、当時は流行だったかもしれませんが、やはり堅いイメージがありますし、幾何形体や無機質な表現が盛んだったロシア構成主義は、バウハウスに影響を与えたといわれます。それまでのヨーロッパ調を否定しているようでもあります。 また書体においても、ドイツ独特の書体は堅いものがあります。 Futuraなどドイツを想起させる書体があり、現代でもドイツ映画でFuturaのボールド書体をよく見ることができます。日本人がみても欧米フォントの1つにしか見えませんが、欧米人がみるとドイツ人がよく使う書体だと感じるようです(日本人が台湾や香港などの漢字をみて、フォントがへんだと感じるような)。 http://www.davidthedesigner.com/photos/uncategorized/2008/02/01/futura.gif
お礼
バウハウスはロシア構成主義からなんですよね。20年代に結構ロシアは先進的なデザイン感覚でやっていました。 やぱり、堅いものいかめしいものが好きらしいです。
- kishn_an
- ベストアンサー率44% (597/1336)
偏見ですよ。 工業デザインとモダニズム建築はドイツから生まれたのです。 http://www.nileport.com/products/details/1455/1.html http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_1693/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
お礼
この、まったくあっさりしたバウハウスの系統ですが、これもいかめしいところからの出生の気がするんですね。それの反動と言うことが大きいのじゃないですか。
- ciscis430
- ベストアンサー率15% (23/151)
ドイツの城やその内装を見ると、フランスやイギリスと比べて洗練されていないと感じます。 その理由は歴史的にドイツが貧乏だったからです。 激しい戦争に巻き込まれることがたびたびあったりして、芸術にまで予算がまわらなかったのです。
お礼
やはり、辺境の地のイメージがありますね。貧乏のケチ文化という側面はあります。
お礼
「合理性」これが堅さいかめしさをとくキーワードなのかもしれません。ご指摘の、参謀本部、バウハウス、ビートルという存在、これはそのもの合理的な体現ですね。しかしその合理性が、やはり堅さというか主張が強いのではないか?と言う感じです。それはご指摘の2CVと比べるとそれこそ。 この生真面目さと一種の豪胆傲慢さというものが、どうも民族の根本に居座っている特長なのかもしれませんね。