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芸術に関わっていく者として、性体験はするべきか

カテゴリーの選択を、「性の悩み」にするべきか迷ったのですが この質問の本質的な部分は「性」ではなく「芸術」にあるので、 不適切かもしれませんが、どうかお許し下さい。 私は現在、美術大学で学芸員になるための勉強をしています。 講義の内容はとても濃密で刺激的で、大学に入る前と今とでは 自分の価値観や考え方が大きく変わり、美術に対する姿勢も より高度なものが求められているので、それに応えようと日々勉学に励んでおります。 講義とはまた別なのですが、学部の教授から、こんな話をしていただきました。 「アートの本質を分かるためには、世界を、そして人間自身を知らなければならない。 それは歴史であったり、文化であったり、食であったり、恋愛や死や快楽でもある。 全てを知ったうえで、“自分が世界をどう見るか。” それが分からなければ、芸術と関わっていく者として一流にはなれない。」 そして、次の言葉を紹介していただきました。 「女性がエクスタシーの時に出す声を知らなくては、本物の詩は書けない」 これは、ドイツの芸術家の言葉らしいのですが、私は、この言葉も含めて、教授の話に 今までにないくらいの衝撃を覚えました。 世界の文化や歴史は、以前からもこれからも学ぶべきものとして考えているので、一生学び続けるつもりでいます。 ですが、私は、「性」を「芸術を理解するために必要なもの」として考えたことが今まで一度もありませんでした。 私は私自身の経験としての「性」を、まだ知りません。 今は恋人もいませんし、これからもそういう関係になる人は現れないような気がします。 (あ、でも過去にお付き合いした方は何人かいます。念のため。笑) 教授に紹介されたドイツの芸術家の言葉を、文面そのままに受け取ったわけではありませんが やはり「性」を体験しなければ、人間も、世界も、芸術も、「分かる」ことは出来ないのではないか、と。 芸術を抜きにして考えた場合、私の中の「性」に対する欲望はほんの僅かなものですし、このままいくと 私は一生「性」を知らずに生きていくことになりそうです。 しかし、一流の「芸術に関わる者」になるために必要ならば、今すぐにでも「性体験」をする覚悟“だけ”はあります。 私は一生芸術と関わっていく覚悟を決めています。 芸術に関わるものとして生きていくために、今すぐとは言いませんが なるべく早い段階で、然るべき相手がいない場合でも「性」を経験することは 必要でしょうか? 出来れば、現在美術の現場に身を置いている方の意見を伺いたいのですが とにかく、どなたからでも、御意見をいただければ嬉しいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#76229
noname#76229
回答No.8

No.3です。お礼をありがとうございました。 >その教授曰く「芸術家と同じ地点に立てなければならない」のです。 教授は彼自身の「経験上」人間の本質である性と芸術との緊密性を諭したのでしょう。 その「経験値」とは「圧倒的な質量の芸術作品に触れて体感して得た感受性」であり、 またフロイトの説くところの「リビドー(性的衝動、性的欲求)」に他なりません。 今回のご質問に関しましては、 教授の何気ない「講義の諭し」が質問者様にある種の「芸術と性との同期性」という「問いかけ」へと変質し、 質問者様ご自身の深層心理に潜む「性への問題意識」に直面せざるを得なくなるような軽い衝撃であった、と思いました。 >芸術を抜きにして考えた場合、私の中の「性」に対する欲望はほんの僅かなものですし、 >このままいくと私は一生「性」を知らずに生きていくことになりそうです。 >しかし、一流の「芸術に関わる者」になるために必要ならば、今すぐにでも「性体験」をする覚悟“だけ”はあります。 この質問者様の意識の発露こそが私には大変感じ入るものがありました。 時として女性に特有な「潔癖症的な、或いは処女的な【覚悟】」と言えるかもしれません。 両親の離婚に伴い思春期の一時期を海外で過ごしたことがある私も多感でした。 「性に対する欲望を抑える、僅かしか持ちえないと無関心を思いこむ」気持ちと共に 「無関心ではいられない異性への果てしない興味」に一人苛まれたことがありましたから、 多少「将来の性に対する独善的な見方」もわからなくもないのです。 個人的な考えを申し上げますと、今の質問者様におかれましては、 この「曖昧で漠然とした感情」を大切になさり、今のうちに多くの作品に触れておかれることを是非お奨めします。 No.2様のご回答にもなるほど、と頷けるところがありましたので。 「性の歓びを知らないまだ無垢の乙女の目」でどれだけの芸術作品にストレートに触れることができるか試してみたらいかがでしょうか。 逆についてもしかり。 クリムトの『接吻』を「鑑賞、研究、批評する題材」の「対象」とすることは出来ても、 「題材によってもたらされる一人の人間としての【性愛の歓びや激しいリビドー】」までもは感じ得ないかもしれない、と思えてなりません。 はたしてこれは、質問者様の懸念される >学芸員の仕事は多岐にわたり、時には「批評」ということもしなければならず、 >そのためには多くの「本物」を知っている必要があります。 とは全く「無縁」のものだと思われますか。 私は今の質問者様「ならでは」の「様々な芸術作品との関わりあい」があって当然だと思いますし、 それこそが「独自の個性」であり「審美眼や人生を貫く己の美学」とみなされ尊重されるべきであると考えるのです。 そしてそれは質問者様の目指すところの >一流の学芸員になるためには、芸術家以上にアートの、そして >世界の「本質」を知る「眼」を持っていなければならないのです。 と決して矛盾し得ないものと私は考えるのですが。 いかがでしょうか。 質問者様のおっしゃる世界の「本質」を知る「眼」とは一体何でしょうね。 今の「心の葛藤」すら恋愛時の突き上げる衝動には到底及ばないものの、芸術となりえなくもないな、とさえ私には思えます。 日記に記すなど「心の揺れ」をしたためていかれてはいかがですか。 どうか今の質問者様の「芸術に触れた際の素直な感受性」を大切になさっていかれますように。 芸術とは広範に渡り奥深い分野ですから、諸々の擬似体験を含めますとキリがないと思います。 そしてせっかく女性として生まれ出でたことを心から歓び、幸せを実感できるような素敵な恋に巡りあい、豊かな人生を歩んでいただきたいと切に願ってやみません。 つまるところ、芸術とは人間の生き様そのものではないでしょうかね。 kinoamado様ご推薦の図書を是非夏の課題図書にさせていただきたきますね。 こちらも大変勉強になりました。 また、kadowaki様のラスト一行は、大変感慨深く心に染み入りました。 もしオリジナルのものであるなら、なんて洒落た一文なのでしょう♪ これで「深夜リビングでの消灯のけじめ」さえあれば最高に教養も懐も深い男性だと惚れるところなのですが・・・(笑)

sengai
質問者

お礼

再びのご回答、ありがとうございます。 今回、mashumaro2さんに指摘された私の内面の部分は、私自身、今まで全く気がついていなかったのですが このように言葉で表現して頂いたものを読んで 「まさに自分のなかに潜んでいた問題はこれなのかな」と思わざるを得ませんでした。 なんだか、私を理解してくださる方に出会えたような感覚がして、 今回意を決して質問して本当に良かったと思いました。 それと同時に、また考えるべきコトが増えて、悩みは尽きそうにありません。笑。 (でも考えるということは、人間の大切な営みだと思っているので苦ではないです) ご提案、真摯に受け止めたいと思います。 実は、文章を書くのはあまり得意ではないのですが 文章の練習も兼ねて、「心の揺れ」を日記のように記録してみようかと思います。 貴重で大変考えさせられる御意見、本当にありがとうございました。

その他の回答 (10)

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.11

うーん。難しい問題ですが 美術の長い歴史からすれば、「性」を正面から捉えることが出来るようになったのは、近代からではないでしょうか。 生の「性」を知らなくても、半分以上の芸術について語ることはできますよ。 むしろ、質問者さんが女性であるということが分かって、再度質問文を読んでみると、失礼ながらその教授もおかしなことを女性の生徒に向かって言うなあ・・・などと思ってしまいます。

sengai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 確かに、近代以前の美術は宗教的だったり政治的だったりするものも多いので、「性」抜きにして「語る」ことは可能ではあると思います。 教授は美術界に於いてはとても重要な方で、とても魅力的な方です。 でも、たしかにとても変わったお方で、刺激的な部分もあるので色々と誤解をされることも多いようですが 私は教授のことを半ば盲信している部分があるので、教授のことは信じ続けたいと思います。 貴重な御意見ありがとうございました。

回答No.10

美大卒でしがないイラストレーターをしている者で 芸術を語るのもおこがましいのですが 皆さんが書かれているように、行為としてのセックスが必要 というわけではなくて、心と心、魂と魂の交感が必要だと思われます。 たとえば、歴史や文化を勉強するのに海外パックツアーで行くのか 自分の足で、地域の人々と触れ合うのか、と言った差と同じかなと。 今回、質問者さんは性を芸術を理解するのに必要な物の一つとして 捉えるきっかけを得たわけですが、今のところはそれで 良いのではないでしょうか。 今、作品と相対して感じるものと何時の日か愛を得て感じるものは どちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えないと思いますので。 ただ、個人的には芸術を理解するのに必要な物とそうでない物を 分ける必要はない気がします。 人とそれを取り巻く世界、森羅万象ことごとく学ぶ物は あるのかな、と。 最後になりますが、こんなに真剣に学芸員になろうと 思われてる方も居るのだなぁと、関心してしまいました。 質問者さんが、いつか展覧会の企画や、研究論文を出されたら 是非拝見したいな、と思わずにはいられません。

sengai
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 >皆さんが書かれているように、行為としてのセックスが必要 というわけではなくて、心と心、魂と魂の交感が必要だと思われます。 今回の私の質問に対する答えは、この一言に集約されていると、感じました。 >ただ、個人的には芸術を理解するのに必要な物とそうでない物を 分ける必要はない気がします。 人とそれを取り巻く世界、森羅万象ことごとく学ぶ物は あるのかな、と。 確かにそうですね。分けてしまっては「全てを知ること」は出来ないと、私も思います。 応援のお言葉、とても嬉しいです。展覧会の企画に研究論文… それについても、大学の厳しい評価基準の中で頑張っていますが 挫折しそうになることも…; でも、そんなときはwednesday9さんのお言葉を思い出して頑張ろうと思います。 貴重な御意見ありがとうございました。

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.9

ANo.5ですが、勝手に追加させていただきます。 >一流の学芸員になるためには、芸術家以上にアートの、そして世界の「本質」を知る「眼」を持っていなければならないのです。 おっしゃる通りだと思います。 その意味でも、美学・芸術学の概説書などの概念的な記述を決して鵜呑みにしてはいけません。 概して、大学教師の書いた本はつまらないものが多いですから、それよりは一流の批評家の芸術批評を参考になさるようお勧めいたしたいところです。 たとえば、ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』や小林秀雄の『近代絵画』などは、比較的簡単に読めますし、何よりも当の芸術家自身さえ自覚していない芸術家精神の深奥を読み手に対して鮮明に浮き彫りにしてくれますから。 あとは、とにかく評価の高い古典的な名作を貪婪に観賞する、つまりこちらを無我(=素裸)にして対象と融合する(=交合)することです。 言い換えますと、一切の先入観、偏見、思い込み、通念等から解放された自己を対象作品に委ねるだけでいいのです。 もっとも、私自身の経験では、実はこれが一等難しいわけで、学者はともかく、一流の批評家というのは、それが比較的容易にできるのだと思います。 セックスの奥義と言っても、基本的には以上のことと何ら変わらないのですが、一点だけ大きく異なるとすれば、セックスの相手だけは芸術作品のような一種の《死物》ではなく、ある意味厄介でも、素晴らしくもある、意思や人格を備えた《人間》だという点です。 >mashumaro2さん やはり、芸術制作の衝動も本来多形倒錯性を帯びたリビドーの自己実現欲としか考えられませんよね。 ところで、クリムトなら、『接吻』よりも『ダナエ』に魅せられるのは、やはり私がエロ・オヤジだからでしょうかね? なお、mashumaro2さんの「ラスト一行」によって、至福の世界へ連れて行かれるのかと思いきや、実は奈落の底に墜落させられただけと知って、今はすっかり意気消沈しております。

sengai
質問者

お礼

再びのご回答、ありがとうございます。 参考文献のご呈示、とても嬉しいです! 夏休みの期間中、出来るだけ沢山本を読みたくて、どんな本が良いか迷っていたところなので。 是非是非読ませて頂きたいと思います。 それと、芸術を鑑賞することやセックスについての見識の提示(アドバイス?)も、とても参考になる御意見で、ありがたい限りです。 貴重な御意見、ありがとうございました。

noname#78143
noname#78143
回答No.7

人殺しをしないと殺人犯の心理描写ができないのであれば 大藪春彦は今頃絞首刑になってるぐらいの連続殺人を しなければいけません。 リアルを追求することと人を楽しませる演出をすること とはカテゴリーがちがうのでなんともいえません。 自分が選択したい芸術の鑑賞の仕方でスタイルを決定すれば 別に何でもいいと思うのですが。 私はプロレスを見ますが、全員が全員相手をただ叩きのめす だけの興行ならつまらなくて今日まで存続は難しかったのでは ないかと思います。ファンタジーとリアルの線引きを間違えると その教授のようにトンチンカンなことを言ってしまうのかな と感じました。

sengai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 鑑賞のスタイル…といいますか、私が目指しているのは「一流の鑑賞者」ですので やはりある程度高度な次元に持っていきたいのです。 教授は、この分野では第一線で活躍している上に、非常に魅力的なお方なので 個人的に半ば盲信している部分もあるのかな、とは思いますが 教授の仰っていることは正しいと、信じたいと思っています。 …でも >ファンタジーとリアルの線引きを間違える 教授には(とても失礼かもしれませんが)何となくこんな雰囲気があるので 少し笑ってしまいました。 貴重な御意見、ありがとうございました。

noname#64696
noname#64696
回答No.6

#4です。 書き終えて他の方へのお礼などを見ていました。 >学芸員の仕事は多岐にわたり、時には「批評」ということもしなければならず、 そのためには多くの「本物」を知っている必要があります。 一流の学芸員になるためには、芸術家以上にアートの、 そして世界の「本質」を知る「眼」を持っていなければならないのです。 これは大変な事ですよね。。。 私の文章も読み返しましたが、文才が無く、分かり難いですね・・・(笑)。 本気で上に書かれた事をお考えでしたら、こちらの方々の書籍を読まれると良いと思います。 ・橋本治 「ぼくらのSEX」「ひらがな日本美術史」 この方は本質的にとても頭の良い方です。 学問としての知識だけでは無く、自信の感覚、思考によってとても目からウロコが落ちる様な物を書かれます。 その態度、文体から、頭の固い人からは敬遠されがちですが、絶対にかなわない本質を知る人です。 小説、評論ともに多作ですが、美術史の本なども多数書いています。 多分学校では教わらない事が沢山あり、世界が変わると思いますよ。 読みやすいと同時に本質的なので難解です。 ・赤瀬川源平 「名画読本」「東京ミキサー計画」 知っていらっしゃるでしょうね。 もともと現代芸術家ですね。 ・鶴見俊輔 「限界芸術論」 なんというか・・・やっぱり難しいですけれど、面白いですよ。 場合によってはセックスよりも重要と思いますので挙げました。。。 頑張って下さいね。

sengai
質問者

お礼

再びのご回答、ありがとうございます。 kino_amadoさんの御意見、とても分かりやすくて、私の心に直に届いてきました。 文才が無いのは私の方です。 回答下さった皆様の「読み取るお力」のおかげで、この質問が成り立っている気がします。 ご紹介頂いた本、是非是非読ませて頂きます!今は学校が夏休み期間なので、本を沢山読みたいなぁと思っていたので。 リストアップしていただけて本当に嬉しいです。 頑張ります。ありがとうございました。

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.5

《美と性》というエサの誘惑に抗しがたく、思わず飛びついてしまいました。 美と性の相関性については、古来、人々によって経験則程度に理解されてきたとは思いますが、それを最初にきちんと理論化したのはフロイトでしょうね。 この辺の事情については、博覧強記でいらっしゃるmashumaro2さんの方がお詳しいかと存じますが。 私の知る範囲では、たとえば優れた画家でもあった小説家D.H.ロレンスの場合、性こそが人間存在の原質だと捉え、性から切り離された美などは人間の恣意的な観念にすぎないと批判しております。 また、批評家のヴァレリーは、芸術制作を芸術家の他者(素材)への働きかけ、他者との協同行為による自己の分身の産出と捉え、生殖(reproduction)と同義だと説いております。 その点で興味深いのは、他者恐怖症の三島由紀夫でして、確かに鬼才であり、唯美的な作品を量産しましたが、自分の作品が芸術であるという幸福感を覚えたことなど、もしかして生涯に一度もなかったのかもしれません。 >「女性がエクスタシーの時に出す声を知らなくては、本物の詩は書けない」 う~ん、字面だけを眺めていると、多義的な解釈を導きやすい言説かもしれませんね。 思うに、エクスタシーの原義が《忘我》、《恍惚》、《脱自》であることからして、芸術家が自己表出の極致において無我の境地に逢着するという、一種のパラドックスを説いたものと解せます。 たとえば、セックスを例にしますと、男も女も自分の性欲を充たすべく相手を誘惑し、攻略し、征服し、所有しようとしたつもりが、あるいは自分の身勝手な欲望を相手に押しつけようとしたつもりが、実際に到り着いたのは自己実現というより自己喪失だったというわけです。 その意味でも、セックスと芸術制作とは、いずれもgive=takeという愛の逆説的な奥義を共有しているという点でも酷似しているのかもしれません。 >一流の「芸術に関わる者」になるために必要ならば、今すぐにでも「性体験」をする覚悟“だけ”はあります。 私はとても偉そうな口を敲ける男ではありませんが、こういう発想は、失礼ながら、質問者ご自身のアイデンティティでさえあるはずの《性》を冒涜することに通じるかもしれません。 こういう微妙な問題については、質問者さんの同性の先輩でもいらっしゃるmashumaro2さんの仰せに従われるのが最善かと思います。 何と言っても、女性とっての素材たる男ってヤツは、私自身を眺めるにつけ痛感するのですが、とにかく煮ても焼いても食えないところがありますから。 もっとも、質問者さんがお持ちの《愛》という、硬い大理石を彫っていくノミ以上に鋭利な武器?さえあれば、男なんて思い通りの作品に仕上げられますので、その点はご安心下さい。

sengai
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 実際の芸術家の事例など、とても興味深く読ませていただきました。 >思うに、エクスタシーの原義が《忘我》、《恍惚》、《脱自》であることからして、芸術家が自己表出の極致において無我の境地に逢着するという、一種のパラドックスを説いたものと解せます。 なるほど!というという気持ちでいっぱいです。そう考えるのが、一番教授の仰りたかったことと合ってる気がします。 性を冒涜することに通じる…耳が痛いです。 性について、重く大切に考えていたつもりが、軽く扱うような方向に思考に行きかけてました。 お恥ずかしい限りです。 男性からの御意見、とても参考になりました。 また、mashumaro2さんが仰った通り、kadowakiさんの最後の一文、本当に素敵です。 なんだかドキッとしてしまいました。 貴重な御意見、ありがとうございました。

noname#64696
noname#64696
回答No.4

「性」とは人が生きているという事そのものだと思います。 言葉の捉え方によっては人の生理活動は「性」抜きにしては考えられません。 生まれた時から「男性」「女性」というジェンダーとして既に自分に「在る」ものですし、「性格」「性質」といった「個性」にも大きく、そしてごくごく「身近なもの」なんです。 芸術表現には「性」は欠かせない、「性衝動」が「表現」というものを生み出しているというのは基本だと思っています。 今回のお話では性交行為としての「セックス」を取り上げていらっしゃいますが、それは色々なアーティストのエピソードとして話し安いというものであって、「性」というものはそもそも人間のエネルギーなんです。 結論から言いますと、怒らないで頂きたいのですが、ちょっと単純過ぎると思います。。。 「性交を経験する」という事が大きな影響を与えるのと同じくらいに、それをしない、出来ない、というモヤモヤや葛藤も同じくらい自分の「性」について大きな影響を与えていると考えられませんか? 特に日本人として「芸術」というものに関わると本気で思っていらっしゃるのなら、欧米とはまた違う日本の「性」について考えてみて下さい。 私はとてもそこの部分に興味があるんです。 「アート」という言葉はとても捉え方が難しいですよね。。。 ちょっと極端な例を出しますが、「萌え」という言葉が流行りましたよね?それについて知っていますか?考えた事は? 大抵美術、芸術を志している人、または好きな方と話をしても、ここに触れてくる人はあまり居ません。 「ロシアのノルシュテイン」「チェコのシュワンクマイエル」をアニメーションとして「芸術だ」と認めても、日本の目のキラキラしたアニメには最初から触れようともしない。 ただ、私も学者では無いですから分かりませんよ? ですが、日本の「性」の一部が特徴的に出ているのはああした秋葉原に溢れる顔をしかめたくなる様な「直接的な性交」にコンプレックスと肥大した妄想を抱えた「モヤモヤ」だと思うんです。 質問者さんがおっしゃっている必要な「セックス」が出来なかったり、抵抗やコンプレックスを抱えている者の「性のエネルギー」だと思うんですよね。。。 私はこれは日本人としてとても興味深いんです。 セックスは言ってみれば別に「特別な事」ではありません。 芸術に感心の無い人も、みんながみんなする、人間の「生理」です。 ですから芸術という人間の「表現」には必ず付いてくるものですし、「核」となるものです。 そして勉強なんかしなくたって、好きな絵、好きな音楽は誰にでもあるんです。 だからこそその「普通」である「セックス=自分というもの」にコンプレックスという「引っかかり」が無ければ「芸術」は生まれないと思っています。 そこへきて日本人のとても屈折した「性」からは異様なエネルギーが私なんかは感じられるんですね。 そこをちょっと考えると面白いと思うんですけれど。。。 さて・・・「セックスの体験」は確かに必要だとも思いますよ。 影響も大きいと思います。 「絵を描く」時も、「楽器を演奏する」時も、とてもセックス(性交)と似た衝動と共通点を感じます。 映画とかでも良くありますよね? 楽器を上手く演奏出来ない人に教えるシーンで、「女を抱く様にするんだ。愛する女性を思い浮かべて優しく愛撫する様に・・・」というやつです。 あれって実際そうなんですよ。 私はギターを弾きますが、一緒にセッションをする人のセックスにおける癖が垣間見えると思いますし、良い演奏をするというのは正確な演奏というものでは無くて、本当にセックスをしている様に「恍惚とする」のと同じだと思います。 「絵を描く」時だって同じです。教本には無い、そうした突き上げる「勢い」や自分の「衝動」を押し付けていくと「絵」になるんです。 それはみんな当然なんです。 だってそうした「芸術」は「自分」というものを吐き出す行為ですから。。。 そしてその「自分」というものは「性」というエネルギーを動力とした「人間」なんですからね。 そう、実際の「性体験」は影響は大きいですよ? ですがそれは「本当の」セックスじゃないと影響力は損なわれますよ? どうでも良い相手とセックスをして、「何だかな・・・」と思うのもそれはそれで「性体験」ですし、経験ですけれど、その先人が言う「セックス」の基本は「人を愛すること」ですからね。 その「苦しいほどに愛している人との行為」が言われている本当の「セックス」と考えた方が良いですよ。 だからただセックスを経験すれば芸術を理解出来る程の「恍惚」をえられるかと言えばそれは「間違い」です。 「芸術」を志すにしては頭で考え過ぎだと思います(キツくてごめんなさいね・・・)。 単純に人が人を「好きになる」という事はドキドキして、もう何がなんだか分からずに取り乱して「恍惚」を感じて、それが失われれば死んでしまう程の「落胆」を味わう。。。 それだけですよ。 「セックス(性交渉)」はそれだけでは行為でしか無いんです。 長くなってしまいましたが、私のテーマでもあるので勘弁願います。 経験したいというだけでセックスをすることも良くある事。 人を好きになって自然とセックスをするのもごく自然な事。 あなた次第ですが、私はセックスは「好き」という感情があって、その効果を十二分に発揮するものだと思っています。 そちらをオススメしたいですね。。。 最後に、体に障害があって出来ない人は「セックス」を経験出来ない、芸術を楽しめないと思いますか?思わないですよね? 何もこんな例を出す必要は無いかもしれません。 セックスを一生しなくったって、キスだけでも、「好き」という感情だけでも、何ら変わり無くそうした「経験」をしたと同じものが得られますし、芸術を理解出来ます。 そもそもしてみられれば分かると思いますが、「セックス」は一人一人違うものなんです。感じ方もやり方も。 参考になってくれれば良いのですが。。。

sengai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはり、少し発想が単純すぎましたか… >「苦しいほどに愛している人との行為」が言われている本当の「セックス」と考えた方が良いですよ。 ただ性交をすればいい、というわけではないんですね。 何となく、頭では分かっているつもりでしたが、もしかしたら違うのではないか、とか 色々難しく考えすぎていたみたいです。 日本の性の特徴(秋葉原や屈折した性etc)のお話は、村上隆さんが作られた美少女フィギュアが 海外ではアート作品として高い評価を得たという事例に 何となく繋がるような気がします。 たしかに、ここを研究したら面白そうです。 たくさん書いて下さるということは、kino_amadoさんの考えをより深く知ることが出来るので 私にとっては大変嬉しいことです。 御意見、大変参考になりました。 ありがとうございました。

sengai
質問者

補足

補足で、しかもとても個人的でどうでもよいことなのですが 実は私、シュヴァンクマイエル氏が大好きでして… まさかこの場でお名前が拝見出来るとは思っていなかったので 少し嬉しくなってしまいました。

noname#76229
noname#76229
回答No.3

「芸術に関わる者」として「性体験」が早い段階で必要かどうか。 「性」を経験することにより人間を、世界を、芸術を「分かる」と考える思想は広範にありますよね。 例えば国文学者の加藤守雄(1913-1989)は自著『わが師 折口信夫』の中で、 著名な国文学者である師匠の折口信夫(1887-1953)に偏愛的な同性愛嗜好を 強要されようとした、と手記に綴っています。 つまり折口氏は「ホモセクシュアルな関係」を通じて「全て」つまり 己の国文学の教養の全てを愛弟子に「伝授」しようと試みたわけです。 また語学の習得にせよ、ジャズなどの音楽などにせよ、手っ取り早く恋におちて「相手と寝る」ことにより 「異文化や芸術的センスを身体で会得する」という方法は決して物珍しい発想ではありません。 文学や語学、音楽以上に、ストレートに裸体をテーマにする美術の分野であればなおのこと、 このような「性体験」を通じた「芸術を理解するため」という発想が生じるのも無理がないかもしれません。 「女性がエクスタシーの時に出す声を知らなくては、本物の詩は書けない」 というドイツの芸術家の言葉もあながち真理をついていると思います。 でも・・・です。 質問者様は「芸術家」を目指しているのではなくて、あくまで「学芸員」を目標としていらっしゃるのです。 何もそこまでご自分を早急に追いつめてしまわなくともよろしいのではないでしょうか。 芸術とはある種異常なまでの「恋愛時の激しい心の葛藤」「高まる性の歓び」 など人間性豊かで情緒的な想像力の成し得る結果だと考えます。 恋をすると(誰もが一流とまではいかなくとも)そこそこの芸術家になれる気が一度はすると思うのですが。 ですから「早晩の時期」「然るべき相手の有無」に囚われることよりも、 むしろ「その時」に「どのような性の歓び」を「体験するか、出来るか」、が大切なのだと私は思いますが。 さらに私個人的には「性」に限らず「子を産み育て慈しむ」ことも 「芸術・美術」においてはとても大きなインスピレーションを得られるものだと考えます。 ですが、結局はそれすらも「わが子を通して得られる【歓び】」こそが一番大切な「鍵」なのだと思えてなりません。

sengai
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 >>「性」を経験することにより人間を、世界を、芸術を「分かる」と考える思想は広範にありますよね。 やはり、「性」と「芸術」は強く結ばれているのですね。 加藤守雄と折口信夫の話は、大変衝撃的であり、参考になりました。 >>手っ取り早く恋におちて「相手と寝る」ことにより 「異文化や芸術的センスを身体で会得する」という方法は決して物珍しい発想ではありません。 この>>決して物珍しい発想ではない。 という部分に、今まで私が感じてきた「性」と「芸術」との関係への解決の糸口というか、なんだか 言葉には表しにくいのですが、そういうものを見たような気がします。 確かに、私が目指しているのは「芸術家」ではなく「学芸員」です。 しかし、学芸員というのは、その教授曰く、「芸術家と同じ地点に立てなければならない」のです。 学芸員の仕事は多岐にわたり、時には「批評」ということもしなければならず、 そのためには多くの「本物」を知っている必要があります。 一流の学芸員になるためには、芸術家以上にアートの、 そして世界の「本質」を知る「眼」を持っていなければならないのです。 ですが、 >>「早晩の時期」「然るべき相手の有無」に囚われることよりも、 むしろ「その時」に「どのような性の歓び」を 「体験するか、出来るか」、が大切なのだと私は思いますが。 という御意見には、ハッとさせられました。 芸術においての「性」にも、「歓び」は必要不可欠なのでしょうか…。 貴重な御意見、ありがとうございました。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

こんばんは。おっさんです。 まったくの門外漢ですが、ちょっとだけ書かせてください。 性体験がなく悶々としているのも、美術作品を鑑賞あるいは制作するのにプラスになる場合があると思います。 私は小学生高学年の頃、ルーベンスの絵(のコピー)を見て衝撃を受け、そして感動しました。 肉感溢れる裸婦たちが1つの絵の中に縦横無尽に描かれています。 その後の私の女性観・芸術観に与えた影響も大です。 ルーベンスに限らず、ほかの画家、彫刻家などについてもそうです。 学校の図書室で、画集に見入りました。 たぶん、性体験を済ませてから初めてルーベンスの絵を見たとすれば、まったく違う印象を受けたことでしょう。 「悶々効果」(笑)は、おそらく、女性より男のほうが強い傾向にあるのではないかと思います。 質問者様の性別はわかりませんが。 というわけで、 「悶々効果」で色々な作品を見、その後、性体験をすれば「二度美味しい」、 つまり、2つの違う立場から鑑賞・制作できるのではないかと思います。 素人考えでの回答、失礼いたしました。

sengai
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 専門家の方ではなくても、御意見がいただけることはとても嬉しいです。 ご自身の経験されたお話は、大変興味深く、参考になりました。 私の性別は女性ですので、やはりその「悶々効果」(笑)というのは実感としては薄いかな、といった印象です。 しかし、私の中にまた新たな「見方」が出来たので、嬉しい限りです。本当にありがとうございました。 性別の件は、私の説明不足により混乱を招いてしまったようで、深く反省しております。 貴重な御意見、ありがとうございました。

  • monchi17
  • ベストアンサー率29% (367/1234)
回答No.1

芸術家の男性の多くは女性を美と神秘として感じてることが多いですね。 性の神秘とは何か。現在のあなたには質問されたら答えられるでしょうか? まだ経験がなく体験を急いで風俗に駆け込んでも、答えはでないと思います。 教授の言葉は本質をみぬいていると思います。 知識が豊富だけでは芸術家は語れないと思います。 寄り道をしてもいいから実感は知識を超えるものだと思います。 >「女性がエクスタシーの時に出す声を知らなくては、本物の詩は書けない」 ドンファンという映画を見てください。 擬似体験が出来ると思います。

sengai
質問者

お礼

御意見ありがとうございます。 >>性の神秘とは何か。現在のあなたには質問されたら答えられるでしょうか? 考えてみましたが、やはり、答えはでませんでした。 でも、神秘の部分を知るためには、焦って性体験をしても無駄だ、ということでしょうか。 (私の説明不足で、少し誤解を招いてしまったようですが 私の性別は女性ですので、風俗で~となると、働く側になってしまいますね…職業としての売春は避けたいです。 誤解を招いてしまって大変申し訳ありませんでした。) 「ドンファン」とは、ジェレミー・レヴェンが監督した映画でしょうか? 是非、観てみたいと思います。 回答ありがとうございました。