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フランス語を学習する意義
私は中学の時から フランスに憧れていました。 高校時代にはフランス文学を読み漁りましたし、大学ではフランス語を専攻し ある程度までマスターしました。フランスと言えば、アメリカやイギリスよりも洗練された文化を持ち、芸術、ファッション、グルメ、哲学の分野においては アメリカやイギリスよりも盛んでしたしよね。そして、第1次大戦までは フランス語が外交用語として広く用いられ、つい最近まで 英語の次に世界中で通用する言語でした。 しかし、最近では事情が違っているふうに思えます。今も昔も英語が第1外国語として学ばれているのは同じですが、第2外国語としては 中国語や韓国語にシフトしている感じも見受けられます。 それで、私が日本でフランス語を使った機会は 本当に少ないんです。とあるビストロみたいなところで カナダ人と出くわし、フランス語で少し話したくらいでしょうか。そのカナダ人は英語の方ができました。 寧ろ、韓国語や中国語ならいくらでも機会があったという感じですね。 それに今ではフランスに対する関心も薄れてきていますが、せっかく習得したフランス語力を維持する為、 フランス語のサイトをこまめに覗いていますけどね。 そういえば、ドイツ語も似たような状況にありますね。昔は医者はドイツ語の医学書を読んで カルテも ドイツ語で書いていたんですが、今では英語ですもんね。現在、外国語の学習熱が盛んになるなか、特に ドイツ語は相対的重要性が低くなっている印象を受けます。 長々と前置きして 質問の趣旨もハッキリしないかもしれませんが、フランス語やドイツ語を勉強して私と同じような心境の人はおりますか? また、その他の外国語を学習されている方も どんどん 意見 お願いします。
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- utauta
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何語にしろ、その言語を学ぶ、覚えるのに、意義はいらないと思います。 所詮語学は手段ですから。 でも、その国や、文化が好きなら、より深く理解するために必要不可欠。 ましてフランス語なら、ヨーロッパ圏のほかの文化などにも手を出しやすいと思われます。 (わたしは学んでいないので、詳しく知りませんが、言語系列が一緒だから、と友人らは3ヶ国語ほど操る人が多い) わたしもせっかく学んだ中国語は、近所の中国系スーパーや、東南アジア圏への旅行以外特に使うことなく過ごしてますが、全く知らなかったときより、より興味深く接することが出来ているような気がします。 日本でも中国語を使えることによって、いろんな人脈もできましたし、そのおかげで英語圏の中国語学習者とも知り合え、英語もなんとなく会話になる程度には上達しました。 維持するのはなかなか難しいですが、趣味の一環として、これからも続けていくつもりです^^
フランス語、ドイツ語、スペイン語などの学習者が減少する一方で、中国語の学習者はほんとうに増えていますね。 企業の目が中国の市場に向けられているため、学生でも中国語を学ぶ人が増えてきたようです。 しかし、彼らの目的は、中国の文学や思想を学ぶためではなく、働き、お金を稼ぐためのものです。 質問者さんがおっしゃるような食文化から哲学などを享受し、その精神を学ぶための外国語学習にとっては、たとえ、日本の日常生活では話す機会がなく、実用的ではないと思われるにしても、意味がありますよね。 先月、とある古本屋で、G. DeleuzeとF. Guattariの"Rhizome"を見つけました。その序文が載っているだけの小さな本でわずか200円でしたが、こんなものもあるのかと関心しました。日本の古本屋に、という意味です。 デリダ、フーコー、ドゥルーズなど、苦心して難しい日本語訳を読むよりも、原語もしくは、その隣国のドイツ語に翻訳されたものを読むほうがはるかに良く理解できますよね。フーコーの「真理と性」などは、日本語訳とドイツ語訳では、やはりドイツ語の方が勝ち。残念ながら、日本語ではまったく意味がわかりませんでした。 特に現代思想の著作は多かれ少なかれ、そんな感じであると思われます。独仏交流が盛んであったためもあるのか、それぞれの言語は違うものであるのに、その理解は素晴らしいものであります。 つまり、外国語を学習する意義は、実際に使うかどうかではなく、それぞれの教養のためにあるのだと思います。その上で、世界共通語である英語も必要となるでしょう。 歴史あるドイツのライン川や文化の都パリに訪れるのに、英語だけでその地の豊かさを享受しようとする態度に疑問を持っているのは私だけでしょうか。 日本に来られる外国の方々も、日本語ができた方が日本をもっと良く知ることができると言いますよね。 当然ですが・・・ まとまってはおりませんが、以上です 失礼いたしました
お礼
回答ありがとうございます。 >フーコーの「真理と性」などは、日本語訳とドイツ語訳では、やはりドイツ語の方が勝ち。残念ながら、日本語ではまったく意味がわかりませんでした。 arspoeticaさんはドイツ語を学ばれたんですね。 フランス語も同じですよ。例えばフランス語の"raison"とか"deduction"なんかは「理性」、「演繹」と、難しい訳語になっていますが、フランス語では身近な単語なんですよね。つまり、"raison"は 筋道を立てて考えること、"deduction"は あれこれ考えて結論を出すことなんですからね。一番よくないのは 翻訳者がやくさら難しい翻訳語を造ったことです。 私も、高校のときに読んだサルトルで腑に落ちなかった部分も 原文で読み直して納得した感じですから。
お礼
回答ありがとうございます。 >ヨーロッパ圏のほかの文化などにも手を出しやすいと思われます。 確かに フランス語を足掛かりにイタリア語やスペイン語を学習すると 取りつき易く 上達も早く しかも忘れにくいと 3拍子揃っているんすよね。