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古代平安時代の対外関係について
大学の課題なのですが、知識がなくて困ってます。 ネットや資料などを調べたのですが、 「こうゆうこと」という感じのが調べ上げれなくて・・・。 問題は 前期・中期を中心とする古代平安時代の対外関係について 『中華思想』『穢れ』を用いて論述しなさい。 という題です。 回答おねがいいたします。
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出題がオタク臭いですね。 これは講義ノートを頼るのが一番ではないですか。講義の先生の得意分野ではないでしょうか。 「冊封体制」をとっていたという歴史解釈があり、唐も当然世界の覇者でなく王道を束ねる自信がありましたが、そのため遣唐使を派遣した国に中華思想の具体化された形として多量のお土産をもたせねばならず大変だったようです。 日本の遣唐使の中にも20年の期間で留学した学生も多く、最澄、空海なども中国にはいった仏教を輸入しています。 「穢れ」についてはわかりません。
- fumkum
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>問題は 前期・中期を中心とする古代平安時代の対外関係について 『中華思想』『穢れ』を用いて論述しなさい。 という題です。 日本が平安時代の対外関係については遣唐使が有名ですが、それ以外に遣新羅使、遣渤海使がありましたが、それぞれ平安時代初期に廃絶しています。廃絶以降は商人の往来が主です。 『中華思想』に関しては唐に関しては朝貢国として、逆に渤海に対しては朝貢を受ける国として扱い、渤海からの使いに対しては持参の品に対して数倍の下賜品を送り、財政を圧迫したためにその来航を制限するようになります。新羅に対しては朝貢国として扱おうとはしていますが、うまくいかなかったという感じでしょうか。日本は江戸期の華夷変態意識以前から小中華としての意識を持っていたのだと思います。 対外関係では「新羅の入寇」(以前は「新羅の賊」と言ってました)と「刀伊の入寇」など九州沿岸を襲われる事件が起きています。あまり知られていないことですので、レポ-トに入れるとよいのではないでしょうか。ちなみにWikipediaには載っていました。 『穢れ』については、平安時代後期の清盛が、福原で宋の商人を後白河法皇にご覧に入れたことがあります。この時に、九条兼実の「玉葉」などに非難する記述がありますので参考になると思います。 遣唐使・遣新羅使・遣渤海使・『中華思想』・朝貢・新羅の入寇・刀伊の入寇・福原・清盛・九条兼実の「玉葉」などをまず調べてはと思います。 幅の広いテ-マですので、雑駁になりました。参考程度に。
お礼
回答ありがとうございます。 すごく理解できました。 参考にさせていただきます。