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子供に性的質問を浴びて拒絶する心理
一般に、子供から性的な質問を浴びたとき、拒絶するパターンが多いと思われますが、どうしてなんでしょうか? 私が子供のころ、「処女」というのがわからなくて純粋に疑問に思って親に聞いたら、そんなことは子供が知らないでいい、と拒絶されました。こういう心理というのはどうしてでてくるのでしょうか?なぜ、「それは性交経験がない女性のことで、・・・ つまり、お前もお父さんとお母さんが意気投合して、お父さんの尾っぽをお母さんのあそこにぶち込んで作ったんだ」 という説明をしようとしないのでしょうか?
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- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
garconさん。こんにちわ。 これはものすごく大切な問題で、必要不可欠といいますか、 昔も今もこれからも放棄しようがなく、 ふたをして隠しているのには無理があるんじゃないかとわたしも思います。 ここを教育されていないことが、さまざまな問題につながるような気もしています。 「性欲」というのは「種を保存するための欲求」ですから、 「食べたい」「寝たい」「快適になりたい」というような 「個体としての自分を保存する欲求」よりも根っこの深いところにあるはずで、 それがどれだけ大切であるかとか、 どのように扱うか、ということは教育されるべきだと思います。 そもそも「性」があるからこそ子どもが生まれて命があるのだし、 「性」があるからこそ「族」というのもあるのだし、 本来「家族」というのは 「性みどろ」のところから生まれた場所なはずなのですが、 学校などの教育機関も禁止という壁・行き止まりだけを作り ほかに道を用意していないようですし、 家庭内においても 親が「性」あるいは「生」の「なまなましさ」を受け入れる度量がなかったり、 子どもにとって自分は「神聖で完璧な人」でいたかったりするのでしょうね、 「禁」が「美徳」という風潮もそんなに古くないですし。 しかし「溜まったもんは抜かなくちゃいけない」というのは当たり前のことで、 大人になるには、これをする方法が洗練されていく必要があり、 本来は、そこを「本物の大人」が手伝ってあげるといいのでしょうね。 人間は、欲求を、脳ミソの中でお散歩させることができて、 言語にするとか芸術にするとか安全な方法で「抜いて」、 「自分も満足」「他人にとってそこそこ安全」「場合によっては社会の益になる」 ということができるようになっています。 これの、根源にある「性」が封印されている、というのも、 「いきなりナイフを持つ子」なんかを生んでるんじゃないかと思います。 男の子は「近所の草野球のおやぢ」とかに、 女の子は「2つ上のセンパイ」とかに わいわいがやがやと教わるのが一番だと思うのですが、 そのような環境も減っているようですね。
- kin-nohane
- ベストアンサー率33% (1/3)
性の問題は難しく神聖で大切なお話です。 うちの娘も、小学校1年の時に学校で『男の子の種と女の子の種が・・』といった、その年齢に合った説明をされていたようです。 いやらしいもの というイメージでなく、神聖で大切なものであり、その責任が重いことを、子供の年齢に応じた話し方と内容で教えないといけないと思います。 ですので、言葉と内容は十分に選んで、子供の年齢に合った説明をしてあげてください。
お礼
性が「神聖」というのはやたら崇めすぎじゃないかと言う気がしてしまうのです。とどのつまりは、本能から発したことですし、それだったら食欲も睡眠もあらゆる欲求も神聖といってはばからないのでは。やはり、なにか後ろめたいという精神性がある気がします。 例にお挙げになられたオブラートの性教育ですが、これも結局は教育が逃げているきがしてなりません。
- akikiiii
- ベストアンサー率7% (7/98)
子供には刺激が強すぎて危険だからかな
- nyon-tan
- ベストアンサー率15% (58/381)
見せれるかどうかでしょ 性的な質問でなくても 「パンダの尻尾は白いの黒いの?」といわれて 言葉だけで説明し納得させる事ができるでしょうか? 見せれば一目瞭然です 性的な話を突き詰めていって 最後にじゃあSEXしてるの見せれるのか?ってことですよ >お父さんの尾っぽをお母さんのあそこにぶち込んで作ったんだ 「子供の次の質問はお父さんって尻尾あるの?見せて」 ですが・・あるんですか? ないなら嘘をついたことになるし また男性器を尻尾と誤認識させたまま過ごさせるのですか? 「お母さんのアソコってどこ?」 といわれて見せるのですか?(実際見せて解説したという都市伝説はききますけどね) 自分は年齢に応じてフィクションからじょじょに現実的な説明に変え 高学年くらいには何故やってはいけないかという説明とともにAVなり見せようとおもってますが お勧めはできませんね
お礼
たしかに、説明したら実演しなきゃならないし、実演を拒んだらそれはそれで 「これは見せられたもんじゃない」≒「教えられたもんじゃない」 ことに近い事態でしょうからね。 やはり、教えられないことっていうのは世の中にも、個人の中にもあって、その類でしょうか。それにしては、あまりにも世の中に基本的なことがタブーとして根付いているようです。
お礼
昔より、時代がすすんでいるのに、かえって行き詰っている状況なのかもしれないですね。性と言うのは結局は絶対あからさまにできない、無理だと言うところから始まっていて、どうしてもそれをオープンにできない、デハどうしようかと言う苦肉でいくしかない。そういうことだともいます。また、逆説的にも、そういう「秘め事」であるからこそ、男は起ち女は濡れると言う、人間の複雑な精神と肉体の共同作業であるということのような気がします。