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華厳経の一乗円融って?

仏教経典の「華厳経」にみられる思想として 一乗円融思想というものがあると聞いたのですが、 これは一体どのような考え方なのでしょうか? ぜひ教えて頂きたいと思います。

みんなの回答

  • fuwapoyo
  • ベストアンサー率35% (18/51)
回答No.6

どーもー!まりあ・ふわぽよデスー! 一乗円融ですよね。 そんなに難しいことを言っているのではないと思いますよ。 『華厳経』を解釈しても出てこないと思います。六相円融もたぶん関係ないでしょう。天台宗にもありません(たぶん)。 ただ、発想からして絶対に天台大師の影響を受けた解釈だろうなーってことです。法華円教に融合される一乗思想って解釈、いいと思いません? え、「三諦円融」ですか。今でもちゃんと伝わってますよ。わたしの宗派にはネ! みなさん、難しく考えすぎですよ。教学的な本ではないでしょうから。 ですから、わたしは一般人なんデス! (^^)v 『華厳経』の解釈はまたにしておきます。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

追加の参考程度に 宗派の争いが起きてもいけませんので「一乗」について少し詳しくお答えしておきます。 『華厳経』や「法華経」は釈尊晩年の「霊鷲山」での説法をもとに後代に編集されたものです。お経の内容や表現方法が異なっても経典には必ず「一乗思想」が入っているのです。 これは釈尊がつねづねおっしゃっていた「過去七仏の教えも私の教えも一乗である」との教えから来ているのですね。 この「一乗」を証明するのが『華厳経』では「毘盧舎那仏」であり「法華経」では「久遠実情の仏陀」なんですね。単に表現が違うだけで、どちらも釈迦大如来ということです。 釈尊晩年にそれを明らかにしたということなんですね。 これは釈尊の本体(本仏といいます。)である釈迦大如来がその分身を悠久の過去から何度も地に降ろし同じ教えを説いている(仏の教えは一乗である)、という証明でもあるのですね。人間釈迦や修行菩薩とは違うということなんです。そんなありがたいお経だから『華厳経』や「法華経」という名前が付けられたのですね。 「一乗」を大きな船に例えたのが大乗仏教ですね。またそれを修行の道と捉えたのが小乗仏教というだけのことなんですね。どちらも正しいのですね。つまり後代の立派なお坊さんは「一乗」の意味を知っていたわけですね。自身の宗派を作るためにいろんな表現をしたということですね。 一方、「三諦円融」という実践手引きは後代のナーガル竜樹あたりから出て天台智顗あたりまでは適切に伝えられたようですね。平安期では空海上人が理解していますね。これは霊能力(さんみょう)を得た高僧なら誰でも理解できるからですね。「三諦円融」でないと、つまり「単なる凡人」か「精神病患者」にしかならないからですね。 「単なる凡人」には霊(や霊界)など見えないし考えもつかないね、霊が見えて話せるようになると簡単に「精神病患者」になってしまうからですね。そういう世界を知りながらどちらにも囚われず普通に生きることが「三諦円融」ということですね。「円融」には大統合や調和という意味もありますからSamantabhaさんの解釈でもよい場合もありますね。 そういう意味で、「一乗・円融」はどなたの造語かはしりませんが修行僧には「深い意味を持つ良い一点語」ですね。尚、この追伸は仏陀の説法のみをもとにしています。

AS08
質問者

お礼

ありがとうございます。 詳しいですね。すごい!! 何かお説教をうかがっているような感じになりました。 勉強になりました!!

回答No.4

No.1です。 お礼をありがとうございます。 「円融」の意味をお知りになりたいということ。「お答えできるかもしれません」なんて大それたことを書きましたが、実際はものすごく抽象的で、説明が難しいのです(^^ゞ。 字義からいえば、「まどかに融合する」とでもいえばいいのでしょうか。 すべてのものが、円満に融通している状態。一つのものにすべてのものがそなわり、すべてのものの中に一つのものが入り込んでいる。 というのが辞書的な説明です。 一言でいえば、「私が世界であり、世界が私である」「あなたは私であり、私はあなたである」、それでも「世界」は「世界」であって「私」ではなく、「あなた」は「あなた」であって「私」ではない。 というような意味合いだと思うのですが、この概念が分かれば“お悟り”です。 分かるような分からないような……(-.-) 『華厳経』には、「融通」「無礙」など“すべてのものは個でありながら全体である”というような思想で貫かれています。 No.3の言われている「天台円教に収斂される」という思想は、あくまで天台系の思想で、華厳思想そのものではないと思います。 お読みになった本が天台系の書物であるならば別ですが。

AS08
質問者

お礼

ありがとうございます。 分かりやすい説明をいただきました。 でも、何となく分からないですね。 分かったら、悟りの境地ですから。 でも、そうだよな!と思いました。 読んだ本は、華厳経そのものや、天台そのものについて書かれたものではありません。突然、そんな表現が当たり前のように出てきたので、ビックリしてしまったという次第です。 丁寧にご説明頂き、感謝しています!!

  • fuwapoyo
  • ベストアンサー率35% (18/51)
回答No.3

なんの本を読んだのかわかりませんが、そんなに難しいことを言っているのではないと思います。 簡単に言えば、法華円教により全ての法門は融合され、それによって成り立つ一乗思想ということでいいのではないでしょうか。つまり、一乗に円融する思想です。 天台智ギは『華厳経』を用いて『法華経』を解釈しましたから。 一乗が円融すると言うわけではないでしょう。 一乗思想と円融思想との融合とは考えすぎですよ。 ま、わたしは一般人ですから(笑)。

AS08
質問者

お礼

こんばんは。 アドバイスをいただき、ありがとうございます。 確かに、一乗が円融と言うよりは、 一乗に円融ということですよね。 何となくは分かるのでけど、あまりにも漠然としているので(笑)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

[仏教経典の「華厳経」にみられる思想として一乗円融思想というものがあると聞いたのですが、これは一体どのような考え方なのでしょうか?] 大乗経典は本仏が「毘盧舎那仏=釈迦大如来」ですから一乗思想そのものですね(註参照)。一乗思想というのはすべての衆生、生きとし生けるものを乗せる大きな船に例えたものですね。「仏の慈悲は大方に広がり大願船となりすべての衆生を救う」ということでもあるのですね。阿弥陀如来思想もこの思想の焼き直しでしょうね。 三諦円融というのは、『大品般若経』にあり、その意味はあの世(第一義諦)にとらわれることなく、またこの世(世俗諦)にとらわれることなく中道(空諦)に生きるということです。それ故、「華厳経」に一乗円融思想があるのは当然のことですね。天台智は、三諦として、あの世を(空諦)、この世を(仮諦)と称してますね。つまり、三諦円融は「仏道修行の心構え」ということですね。強いて言えば近代ではあの世もないという考えが蔓延してますので三諦円融思想さえ理解できなくなっているのでしょう。 〔註:毘盧舎那仏:陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。〕

AS08
質問者

お礼

ありがとうございます。 一乗思想と円融思想との融合というか、造語なんでしょうね。 ある本に何の前ふりもなく、一乗円融と書いてあったので、びっくりしました。 また、いろいろと教えてください!

回答No.1

大学で「華厳学」を専攻していましたが、「一乗円融思想」というのは聞いたことがありません。 とはいえ、かれこれ20年以上前のことなので記憶違いかと思い、手許にある華厳関係の専門書をすべてみましたが、「一乗円融」という言葉は出てきませんでした。 『華厳経』は「一乗」思想であり、「円融」を説くお経ではありますが、その二つを合わせた述語はないのではないかと思います。 華厳において「円融」が付く述語としては、「六相円融」というのが有名です。もしかしてこれのことでしょうか。 あるいは、「一乗」「円融」それぞれの意味をお知りになりたいというのでしたら、少しはお答えできるかもしれません。 「一乗」や「円融」で検索しますと、goo辞書やYahoo!辞書でもだいたいの意味は分かるかと思います。また、「六相円融」で検索すると、詳しい解説をされている方の個人サイトがヒットします。

AS08
質問者

お礼

ありがとうございます。 一乗思想ですね、多分。それに円融をつけた言葉として用いられたのでしょう。 ただ、円融は聞き慣れない言葉だったので、何だこれは?と思ってしまいました。 かんたんに教えて頂けると幸いです。 よろしくお願いいたします。