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「自殺」を精神論で禁じようとする人が多い
「自殺」禁止の問題に関して、なぜこのサイトでは、精神論で確証のないことを誇大に訴える人が多いのでしょうか? 実は私は次のような考えを持っています。これは矛盾した考えでしょうか? 「社会秩序維持のため」 もし、自殺を肯定的容認できるものという認識が通用すると、それを介助する業界が必ず出てきます。そして、それらにかこつけた殺人事件が頻発するようになり、人々の生命の安全に問題が生じてくるでしょう。つまり、わるいことに利用するやつが必ず出てくるってことです(ATMという利器を振り込めさぎに使おうと考えるやからが跋扈するのと同じ)もろもろの分野で、現在の社会体制に大幅に障害となる事態が発生するからでしょう。これを為政者たちは予想しているからじゃないでしょうかね。 そのために下々に用意するお題目は 「もらった生命を軽視するやつは人でなし」です。
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>「社会秩序のため」< なるほど、と思います。 私は 自殺をなんら悪いことと思っていません。 でも その理由を詳しく語りたいとは思いません。 それは社会という存在も 愛しているからでしょう。 人間としてです。 ちなみに 私は自殺はできません。 肺炎で死にそうだった時、右の肺胞が全部つぶれ、左の肺胞もほんの少ししかなかった時の苦しさの世界をまだ記憶に残しています。 忍耐の限界を超えても 苦しみはつづきました。 その時に、私は後三日の命との宣告を医者が告げているのを聞きました。 その時の私は その苦しみ以上に死が怖かったです。 さて、 そのはるか後のこと、 今度は とある高台からの落下事故にあったことがあります。 最後の記憶は、畑だ逆さまに映っている景色。 その直後気を失いました。 頭の打たずに助かったのですが、 もしかしたら、何も感じずに死んでいたのかもしれません。 自殺者が最大の不幸というイメージが いいかげんなのは、 ここから言えます。 死を 簡単にイメージしてたら ちょっとしたわがままで死んでしまうかもしれません。ということです。 が、それはその人の意識や感性が ボケネていたということであり、人生を夢みたいに感じていたということでしょう。 苦しい苦しい自殺もあるでしょう。 また その末の苦楽を越えた自殺も。 両方とも、否定なんかする必要は無いと思っています。 否定なんかとても出来ない自殺もあると思います。 これも精神論なのでしょうけどね。 だれも だれのことをも悪く言う 資格なんて無いとおもいます。 自殺してしまった人に関しては もう助けることも出来ないのですしね。 でも生きてる人には、 まずは、そうしようとしていたらたぶんですが、 まずはひっぱたいてみると思います。 だって死んでしまうのですから、 なぐったっていいぐらいじゃないですか。 そういう事態に直面した時には、感性の可能性を私は語りたいですね。 これこそ精神論かもしれませんけどね。 どんな人も 幸せになれる可能性はあるということを話したいですね。 なら、死ぬよりはいいということです。 ところが、死んだほうがいいほうがいいと思えるような苦しみもあるじゃないですか。 もちろんそれでもそれでもなお死にたくないと思う時もあるでしょうが、、 これは すべて自由にまかせるしかないと思いませんか? とまでしか やはり書きたくないですね。 地球も社会も 愛したいですから。 神だけしか、たぶんその人その人のその気持ちは解からないでしょうから、一番自殺を非難していない^^のは神なんでしょうけど、 このへん神を信じてる人が一番自殺を 悪いと言い張るのは 可笑しな現象ですね。 とまでしか やはり書きたくないですね。 でも秩序を維持するだけで、みんなが幸せになるのではない、というとことが私には問題で、 いまでは、それが故に自殺なんかとてもできないのですけどね。 とまでしか n ?! …… でも、でも、 そうなれば、だれも自殺しないのですが 禁じる必要も(だから そ ? …
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- shift-2007
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#3 >社会を甘く見てはいませんか? いいですか。 これは質問者さん自身の弱さをあらわしているんですよ。 社会は敵じゃない。 社会を敵にする事は他人を敵にすることと同じことです。 社会を皮肉ることは思春期の小僧が親に反抗するのと同じレベルですよ。 この国では年間3万人の自殺者がいます。 「精神論」 「社会秩序維持のため」 「もらった生命を軽視するやつは人でなし」 どれも役立たずです。 自殺に対する否定も肯定も結局は弱さを正当化するための詭弁です。
すこしずれますが自殺は社会があってこそ成立する概念ではないでしょうか。一方その社会が完全に否定される行為でもあります。本質的に自殺と同じことはほかにいくらでもあると思います。逆説的に現在の社会体制を最大限に利用している生き方は実は自殺の対極にあるという意味で自殺の同類ではないかということです。返済不能の借金をしている人の対極には存在しない金を元手に大金を手にしている人がいるのではないでしょうか。いずれも社会制度を利用して自分の能力以上のことを試みる生き方です。自殺を禁止するというのは金融規制と同じく誰でも身の丈に応じて生きろということだろうと思います。
- cyototu
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世の中いろいろな人がいますので、自殺の介助でお金を稼ぐ者が出てくるかもしれませんが、お金儲けをするには効率が悪過ぎます。マスコミが針小棒大に言って捲し立てることを除いては、自然淘汰の原理のお陰で、社会のレベルで余り実害はないと思います。ですから、その可能性があるとかないとかのレベルで、この問題を論じても始まらないと思います。 人間の世界も自然界も、論理的に可能なことが全て起こるわけではありません。そのあらゆる論理的に整合した可能性の中から、あれではなくてこれが起こると言うことを理解することが、この人間界の個性を認識することであり、また、自然界の個性を認識することです。論理的に可能なことを提示するのは二流の能力、その可能性の中から、あれではなくてこれだというように対称性を破ってみせるのが、一流の能力であるとの独断と偏見を持っております。また、思索をする人間の能力とは、どのような回答をするかと言うことで判断される以上に、どのような問題を提起するかで判断されているとの、独断と偏見も持っております。だから余談ですが、受験体制で人間の能力は判断できないとの持論をもっております。 この問題に関しては、自殺の禁止に思索の焦点を置くよりも、自殺の動機の要因を分析して、それに至らないような社会的構造や、精神構造のあり方を探り、その構造へと導く方法を探ることに思索のエネルギーを注入すべきだと思います。 蛇足:質問者さんへの直接な回答にはなっていないかもしれませんが、自殺の関連で人間を考えるときに参考になることを書いておきます。 プルタークかモンテーニュに書いてあったと記憶して居りますが、アレクサンドロス大王がインドを征服した時に、占領した町で自殺者が絶えなかった。そこでアレクサンドロスは「今後自殺を試みた者を死刑に処す」というおふれを出しました。そうしたら立ち所に自殺者の数が減ったそうです。 プルタークは大部ですので、アレクサンドロスの部分だけを改めてざっと見たのですが、その部分を見つけることが出来ませんでした。また、モンテーニュは岩波文庫の第2巻から最後の第6巻までのアレクサンドロスの索引で引いたのですが、ざっと見た限りでは見つかりませんでした。たまたま第1巻を人に貸して手元にありませんが、そこにもアレクサンドロスのことが一杯書いてありますので、もしかしたらそこに書いてあるかも知れません。 以上参考までに。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
社会秩序維持のためとのご意見も多少は有るのでしょうが、やはり自殺しようとする人の苦しみが判ると言う同情心で自殺の否定だと思います「純な心」から出た自殺否定だと私は思います 自殺をしそうな人へ贈るお題目は 「なむあみだぶつ・絶対他力」全てを任しきる、苦が来ようが楽が来ようが 苦を嫌がり楽を欲しがる迷い 苦でも楽でもどちらでもよい悟。
お礼
同情心、あるいは、共感と言うものももちろんあります。まさに「純な」心を否定するものではありません。しかし、どっちが主体なのかと言うと、同情共感よりもアナーキズムにいたるほうが深刻なんじゃないかと考えてしまいますね。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
少しテレビの見すぎじゃないでしょうか。 誰も自殺したくてするわけじゃないです。 命を馬鹿にしてませんか。
お礼
このサイトを甘く見ているし、質問を甘く見ている。質問の意味を解そうとしないで勝手な回答をする。うんざりしますよ。
補足
社会を甘く見てはいませんか?
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
私も自殺のメカニズムについては、おおむね、そう思っています。また、人口が増えるとストレスが蔓延して、戦争や殺人やセックスレスや自殺が多発し、人口が調節されるのだとも思っています。 ただ、自殺であれ他殺であれ、命が故意に奪われることは半端じゃなく悲しいことです。また、見ず知らずの人であれ、自殺死体を見ると、経験上、長きにわたりエネルギーを奪われるものです。遺族に至っては、一生、トラウマになるようです。戦争や殺人も同様でしょう。つまり、自殺が増えると、結局は、ますます社会にストレスが蔓延して、ろくなことがないので、やはり自殺は増えないに越したことはないでしょう。 ただ、「もらった生命を軽視するやつは人でなし」という論理は主流なのでしょうか。私は主流だとは感じませんし、少なくとも、自分が言われたら嫌です。
お礼
自殺「禁止」のメカニズムですね。 人口増加の悪い点として、国土が狭くなり対外戦争を始める、人心が荒廃する、そのためにいろいろなストレス障害が起こり、結局は社会に悪影響を及ぼすでしょう。 しかしもちろん、自殺者が蔓延することは、モラル的にも喜ばしくありません。この心情的な部分だけをあまりにピックアップしているところが気になります。
- owata-www
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他の人がどのように考えているかわかりませんが、実は私も質問者の方と似たような考えを持っています。 あとはある意味、自殺を禁止にしない(という道徳を作らない)と、自殺をする時のブレーキがなくなり、自殺が多くなる結果、社会が不安定になるため…という理由もあるかと思います。
お礼
追加として、モラルの荒廃ですね。社会的意味合いと、個々人の心情と言う両側面から禁じる方向に行かざるをえないと言うところなのでしょうか?
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補足
そうは思えません。やはりsift2007さんは、ユートピアを夢見ている。そして、それが現実と乖離していることを認めようとしない。そのあがきがいつも回答に、あるいは質問に見受けられるのです。 性善説が成功した例は歴史上ほとんどありません。田沼政治であれ、経済の自由化が巨万の富を得る豪商を増長させ、庶民は困窮して行った。自由に任せれば、まとまるところに世の中まとまるだろうと言う、あるいは人民を信用すればそれなりに平和ないい世の中が来るのだと言う幻想が失政を生んだのです。結局は松平の凡庸な緊縮政策がものを言いました。これは性悪説に基づく政策です。 それに、社会を敵としなければ、あるいは潜在意識的にもせよ、それを如才ないものとして認識し常に警戒を怠っていなければ、結局は悪いやつに食い物にされる、300年寿命があったら必ずそういう目にあいますよ。幸いどんなに生きても一世紀でしょうからね。