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自殺以外の選択肢が思い浮かびません。

当方、大学1年の男性です。 数年前に1度自殺未遂をしてしまっていることもあり、自殺以外の選択肢をできるならば見つけたいです。 私事ですが、ここ半年間、自分の将来の人生について悩みふけっていました。 それに加えて、現在は私の行動の想像力のなさのせいで、経済的理由で大学を休学する可能性が出てきています。 高校生だった当時、なぜ大学に進学しようと思ったのかと思い出してみました。 高卒で仕事に就くイメージが全然湧かず、やりたいことも見つけられていなかったため、もっと世の中のことを知りたいと、地方の田舎から上京することを決めました。 「大学に行けば時間は作れるし、ついでに世の中のレールの上をまだ走っておける」と、考えていたんだと思います。 ですので、本来の目的である勉学のために、大学の文系学部に進学したわけではないのです。 そして、大学入学直後まで「行動に目的を持つ」という重要さに全く気が付かなかったため、今までの自分の選択した行動に責任が持てていませんでした。 「なぜその行動をしているのか?」 私の社会人の知人から、教えて頂けたお話です。 行動は目的ありきで行うもので、「なんとなく」や「他人に勧められたから」といった自分で判断した行動でないものは、その行動に対する責任が持てない。 そんな人が多いから、自分が分からなくなって自分探しだの無駄なことをするんだ、と。 また、社会人は価値のある存在にならなくてはならない。なぜ自分は毎月この金額のお給料を貰えているのか?自分は、その金額を貰えるだけの価値を出せているのか、と。 まとめると、このようなお話でした。納得しかしませんでした。 正直、私にはこのような重要なことを考えたこともありませんでした。 しかしながら、この1年間は失敗ばかりでボロボロでした。自分がいかに結果を出せないのか。どれだけ自分は馬鹿なんだろう。と思うことは本当に多くありました。 あまりにも、知らないことが多すぎました。 バイトは高校時代から続かなくて、転々としてきました。使えないヤツでした。 周りはバイトなんて普通に続いているし、なんで自分はバイトすら続かないのか?こんなレベルで更にレベルの高い社会人の仕事なんて、続けていけるのか? バイトをしていないため、この半年間は奨学金で生活費を賄っています。 本来は、次年度の学費に充てるべきものでした。 その中で、半年前にある考えが浮かびました。 「自分はなんのために、生きるための労力を使ってまで生きているのだろう」「自分が将来理想とする生活、ひいては自分にとっての幸せは、何なんだろう?」 そういったことを、死ぬほど悩みました。自殺を考えてしまうほどにです。 結局未だ分からないことはありますが、ある程度自分が納得のいく方向性や答えを見つけられた部分もありました。 「やっと自分と、少し向き合うことができた」そう思えて、先日もう一度頑張っていこうと考えていました。 その矢先でした。自分が奨学金をほとんど使ってしまったために、恐らく大学に行き続けることが難しくなりました。 これは完全に自分の責任であり、自分の取った軽率な行動が、招いた結果だと思っています。 目的意識も持っていなかったからでもあると思います。 「ダメだ、自分は甘すぎる。どんなに幸せでも楽しくても、自分の選択にどうしても責任を持てない」と思いました。 事実として、世の中から見ても私は甘すぎると思います。少なくとも、この資本主義社会の日本で生きていくには、結果が出ないと意味がありません。 どれだけ申し訳ない気持ちだろうが、気持ちは関係ないのです。きれいごと抜きで、結果が全てです。 結果が出なければ、社会的信用を構築することもできません。 だからニートは嫌われると思うんです。 なぜなら、社会からしたらそんな人を生かせておく必要はないからです。その人の生産性よりも、消費(税金など)が上回っているからです。(病気や障害で、やむを得ず働けない人は別です) そんなことをメディアが言えば、昨今は大問題になるから誰も言わないですが・・・ だから、自殺するのが正解なんじゃないかと考えました。私にできることは、それしかないんじゃないかと。 それが誰かを悲しませることになってもです。悲しいからといったような感情で、解決しないことは世の中にたくさんあると思います。 自動車事故を起こしたとき、その責任が取れないというのなら、そもそも運転をすべきではないということと一緒だと思ったのです。 ああ、世の中は甘くないってこういうことなんだなと。本当に今では痛感しています。 でも、もし気持ちを聞いてもらえるのであれば、本当は自殺は避けたいです。 選択肢は、自殺しかないでしょうか? こんな私でもよければ、ご回答を宜しくお願い致します。 長文失礼致しました。

みんなの回答

noname#246720
noname#246720
回答No.15

責任っていう言葉、よく聞きますよね。 でも本当のところ、責任を取るなんていうことはほとんどの場合無理だと思うんですよ。 自分の選択に責任を持つ…これ、どうすれば責任を取ることになるんでしょうか。 その選択でうまくいけばそもそも責任なんていうものは意識しないでしょうし、失敗したと思った時ですよね、責任という言葉が頭をかすめるのは。 でも、どうやって責任を取るのか? 自動車事故の責任っていうのもそうなんです。 普通はお金での解決しかできません。 でもそのお金は、事故の場合保険から下ります。 保険に入らず車を運転することは通常できません。 そして、相手の命やケガの責任なんて、誰にも取れないんですよ。 痛みを取り除いてあげることなんかできませんし、命を取り戻すこともできません。 できるのは誠心誠意の謝罪だけです。 そう考えると、責任なんていう言葉に縛られるのもどうかと思いませんか。 大事なのは責任を考えることじゃなくて、腹を括る、ということじゃないかと思うんですよ。 もうひとつ大事なのは、実は世の中目的意識が低くあまり物事を深く考えない人のほうがトラブルにも遭いにくいし、浮き沈みの少ない人生を送れます。 あなたはきっと色々なことをしっかり考えられる人なのですよ。 それが苦しいなら、もう少しアホになってみる…といいかもしれません。 まあ何とかなるでしょ~と。 実際日本で生きるだけなら結構何とでもなります。 周りの目やプライドを気にすると途端に生き辛くなります。 私も希死念慮が10代の頃からあるタイプなので気持ちはよくわかります。 もしできるなら、他人に奉仕する気持ちを持つといいかもしれませんよ。 私も頑張って生きますので、あなたもめげないでほしいです。

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.14

じじいです。 >選択肢は、自殺しかないでしょうか? その行き詰まった気持ちも自分の未熟さ故なのだ。 >周りはバイトなんて普通に続いているし、なんで自分はバイトすら続かないのか?こんなレベルで更にレベルの高い社会人の仕事なんて、続けていけるのか? 自分を攻める事など何の解決にも繋がらない。 バイトが続かないには、必ずそこに原因がある。 まず、そこを見つけるべきではないのか。 人間関係か、仕事が覚えられないのか、原因は色々あるだろう。 原因が見つけられれば、どうすれば克服出来るかを考えれば良いのだ。 自分を攻めるだけで何の解決もして来なかった事が原因で、バイトが続かず結果的に奨学金を生活費に回さざるを得なくなった。 こう考えれば、行き詰まって自殺を思い立った原因も、バイトが続かなかっただけの事だったのだ。 私も若い頃、自分探しをしたよ。 英語もろくに話せず日本を飛び出し、貧乏旅行を続けた。 ケロシンストーブと鍋とスプーンさえあれば、何処でも生活して行けた。 長い旅でお金も底をついたが、実際ギリギリになって来るとむしろ生きる事に執着してしまうものだ。 この貧乏旅行も無駄では無かった。 自分を一人の生活者に変えてくれたからだ。 日本で初めてバイトをした。 確かに辛かった。 でも、貧乏旅行ほど辛くもない。 人間関係も1から学び始めた。 その頃は私も30を過ぎて居たが、仕事をして淡々と生きて行こうと思った。 それで、今も仕事を続けながら淡々と生きているよ。 人生に行き詰まったら、一時棚上げして解決を後回しにしても良いだろう。 心が成長する事で、いずれ行き詰まった解決の糸口見えて来るものだ。 >自殺以外の選択肢が思い浮かびません。 今はそうかもしれん。 でも、時を待つのだ。 必ず「あの時死を選ばなくて良かった」と何年かしてそう思うものだ。 人間いつまでも、未熟なひな鳥のままででは居られないのだ。

  • CZKMY
  • ベストアンサー率34% (20/58)
回答No.13

あなたが経験した苦悩は、未来で誰かに貢献するためのものです。 同じような苦悩を抱える人に出会ったとき、あなたは希望を持たせることができるでしょう。 それは、経験をしている人間にしかできないことです。 あなたにしかできないことがある、と想像できますか? 考えなしに生きたことへの後悔、失敗ばかりで結果を出せず、バイトも続かず、自分の価値を感じられなくなったときの虚しさ、絶望。 これらを知らない人間にはできない「人との関わり」が、あなたにはできます。あなたにしか、できません。 自殺以外の選択肢は、再び目的を持つことです。それを決めることです。 目的に向かって、毎日の行動を積み重ねることです。 自分の目的を達成するための、毎日の小さな行動ひとつひとつが、あなたの存在を肯定してくれますよ。

  • Jou111
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.12

こんにちは、だったら一緒に人生変えませんか? 結果を出しませんか? http://design-your-life-with-us.weebly.com こんな世界もあるんだと、参考にしていただければとおもいます。 挫折しても成功するまで諦めなっかたらいいだけです。

  • ryokagura
  • ベストアンサー率10% (30/295)
回答No.11

だいじょうぶ。 あなたは死ねません。 なぜなら、死にたいと公言してるから。 本当に自殺を決意した人間はそれを隠そうとします。 邪魔されますから。 ぼくも死を何回考えたかわかりませんが、本気で覚悟を持ってなかったです。 結局かまって欲しいだけです。 そろそろ自分は死ぬ気がないことを自覚しましょう。 自覚したくない気持ちはわかります。 この大嫌いな世の中で頑張るしかなくなりますから。 でも死ぬ気がない以上、自分を無能扱いし、ムチ叩きながら努力するしかないですね。 ぼくも日々頭を打ち付けながら頑張っています。 もしかしたら、その過程でうまく死ねるかもしれないし。

noname#225638
noname#225638
回答No.10

何甘ったれてるの? ゴダゴダ考えてる暇があるなら今やるべき事やればいいじゃん。

  • ruka0002
  • ベストアンサー率38% (21/54)
回答No.9

ここで質問している時点で、あなたは自殺以外の道を選ぼうとしていますよ。 理想が高いのかな?自分より優れた人ばかりを見て、自分は落ちこぼれの使えないヤツだと思い込んでいるんじゃないでしょうか。 文面からして、あなたは使えないヤツでも馬鹿でもないと思いますよ。 たまには自分より劣ってる人を見てみましょう。 「こんな連中でも平気な顔して生きている。じゃあ、自分が生きてもいいじゃん。」 って思えるかもしれない。 そういう考え方が卑劣だと思うのでしたら、それこそ理想が高いのだと思います。 気高く生きようとしている。それはすばらしいことです。 でもそのことで自分の首を絞めているのであれば、ほどほどにしてください。 私も自殺をしたいと思ったり、やりかけたことがありました。ですが、家族を不幸にするだけで何もメリットがありませんでしたよ。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.8

 ☆自動車事故を起こしたとき、その責任が取れないというのなら、そもそも運転をすべきではないということと一緒だと思ったのです。 生きてる責任を取れよっ! もう、生きてしまってるんだよ! その責任を取れよ! 自分の意志で生まれたんじゃないなんて詭弁なだけダヨ。 20年間生きたんだよ。その影響は、周囲に及んでるよ。周囲に対して責任を取れよっ。 あなた個人のためにも とにかく朽ち果てるまで生きろっ 老衰死までに【生の喜怒哀楽を享受しろ】っ 老衰の最後のときに何を思うか を 経験しろっ って、幾分かは私自身に言ってるのかな

回答No.7

学校の教科書を含めて、あまり真剣に本を読んでこなかったのかも。 その知り合いの人のいうことは、サラリーマンや経営者としては正しくても、人としては間違っています。正確に言うとその人が間違っているのではなく、あなたのその言葉の理解が間違っています。 この点は学校で習っていてるはずなのですが、もし分からないなら、書店か図書館に行って、古典に属する本を片っ端から読んでみることをおすすめします。 割と簡単なロジックで騙されていますよ。 あと、ご自身に足りないのは目的意識ではなく、真摯さです。 野球を楽しむのに、プロ野球選手になって認められなくてはいけない。将棋をするなら勝たなければならない。 と、思っていません? わりと傲慢な考えだと思いません? その時々を一生懸命やれば、今の日本なら、それなりに報われる可能性が高いんですが、その努力ができないことを「目的意識」という言葉に逃げてるだけです。 ご質問者さんに足りないのは目的ではなく、真摯さです。 何かを達成するなでないと頑張れない、やれないと言ってるように聞こえるんです。 ご自身が最近何を失敗したのかは知りませんし、興味もありません。 ご自身はご自身の命を自分のものと思っていますが、それについて深く考えたことはありますか? ヒトは社会性の動物だって、習いませんでした? その上で、ご質問でいっている「社会人は価値のある存在にならなくてはならない」を、もう一度、真剣に深く、そして、自身の利益を考えるのではなく、意味を考えてみることです。 あと、人生の節々の選択の動機なんてどうでもいいんです。選択を生かすように動けたか、です。 自分のための自殺が選択肢にある、というのは、かなり傲慢な発想に私には思えます。 言い換えると、 楽な人生をおくってるんだろうな、 と。

回答No.6

noyyon900さん こんにちは 数年前に、知人のご子息が自死なさいました。ご葬儀では、兄弟は人前も構わず子供のように泣き叫んでおられました。ご両親は、泣いておられませんでした。時折笑みを浮かべて参列者にあいさつをしておられました。 もう何年も前の話です。ご両親はいまだにお骨を手元においています。お寺にもお墓にも入れることができないで、まだ自宅に置いておられるのです。まだ、息子の死を受け入れられずに、日々心の隅に悲しみを抱えて生活しておられます。とても残酷なことです。 あなたは目的意識を持たずに、アルバイトも続かずに、奨学金を使い果たしてしまった。途方に暮れて死を考えている。まあ、褒められたことではないかもしれません。でも、このようなことは、珍しいことではありません。親を怒らせるでしょう。 でも考えてください。「このバカ息子め」と怒る親と、怒りもできない、サポートもできない、ただ一人で旅立ってしまった息子のお骨を守る親とどちらが幸福/不幸だと思いますか? 私はもういい年ですが、10代後半からなんとなく、「死にたい病」に捕まって今も続いていますが死にません。10代に一度薬を飲んだことがあります。その時にあまりにも苦しくて、もうあの思いをする勇気がないのです。また、家族が自死した人は生涯その事実に多かれ少なかれ苦しみます。同じ死ぬなら老衰がいいと思っています。家族を苦しめませんから。 ーーーーーーーーーーーーーーーー ・お金のことはご両親に相談しましょう。怒られますがしょうがありません。我慢しましょう。 ・仕事のことですが、一度適性検査を受けてはいかがでしょうか?東京なら都が運営するサポートステーションがあるはずです。そういうところで、精神論ではない科学的な適性検査をうけて、自分の将来を考えてはどうでしょうか? 世の中には、目的意識がなくても毎日仕事をして給料をもらって生活している人がいくらでもいます。 社会の中にうまく組み込まれていけば、それがその人の生産性です。 中には独りぼっちで孤独な生活をして暮らしている人もいます。でも、本人がそれで納得していればその人には生きる意味があるのです。

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