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自殺論

生きている時の喜びと生きている時の苦しみを天秤にかけて、苦しみに傾いた時、人が自殺を選択するのは合理的に思われます。前提条件として、状況は人の力では改善不能とします。この考え方に問題があるとすれば、それは何ですか?

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  • mijeis
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回答No.2

まさにその通りだと思います。 しかし、 実際問題楽しいことよりつらいことの方がよっぽど多いと思います。けれど死ぬ人が少ないのは、『その分楽しいことの意味が大きい』なんてことかもしれません。 しかし私が思うにそんなきれいなもんじゃなく、【コワイ】からじゃないでしょうか。この【コワイ】は生物としての死に対する怖さ(細胞そのものが死を拒否しなんとか生きようとする)のほかに、人間としての周りへの強い執着心が生み出す怖さがあるのではないでしょうか。 だから、天秤が苦しみに傾いた=死ぬ、なんて簡単な問題ではないのじゃないでしょうか。

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noname#25898
noname#25898
回答No.7

本人は、それで問題が解決すると思います。 残された家族や親しい人は、一生に渡る傷を負うと思います。 誰かをずっと苦しめていい権利は、ないと思います。

  • yakyutuku
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回答No.6

抜けてるものの一つは、将来にわたった生涯の喜び、悲しみがない状況で判断しなくてはいけないということです。いい意味でも悪い意味でも一寸先は闇。それを闇のまま十分な情報無しに決めてしまうのは、正しいといえない気がします。逆に尊厳死のように、近い将来の病死がわかっている時に自殺するのは、合理性があると思います。 >状況は人の力では改善不能とします。  本人の力で解決不可能としても、いつ状況に変化が出るかわかりません。下手すりゃある日関東大震災がおき、何もかもリセットされるかも。死ぬくらいなら何もかも投げ出して逃げ出した先に幸せがあるかもしれません。もっともさらなる不幸のどん底が待っているかも。こういった先の可能性を否定できない限り、合理的な死は考えづらいですね。

回答No.5

「前提条件」の設定が結論に対して有利であるという点。この設定をつけなければ自殺の肯定ができないと感じたからこそつけたんではないですか?。

noname#127526
noname#127526
回答No.4

その瞬間はそうかもしれないが、将来はそうでないかもしれない。 どの瞬間で判断するかによって結果が180度違ってしまう。 その判断が間違っていた場合、生をやめるのはいつでもできるが、死をやめることはできない。

回答No.3

問題はカテゴリーの選択違いかな、と思います。

  • renon2
  • ベストアンサー率29% (23/78)
回答No.1

苦しみは永遠ではないという点。

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