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神様についての疑問
ときとぎ宗教(とくにキリスト教)について疑問に思うのですが a )神は慈悲深いとされていますが、それならどうして人間は神の愛を感じられないのでしょか? b)神はどうしてイエスを最後に人間に語りかけるのをやめたのでしょうか?もう人間に興味がなくなったんでしょうか? c)天国にいくために善行をつむのは偽善なのでは?天国がなかったら その人は善行をつむ必要がないことになります。そんな人が天国にいくことなんておかしい気がしますが。 d)旧約聖書に見られる神の命令による民族浄化(聖絶)についてどうおもわれますか?旧約の時代のように現代に神が命じるとしたら、信者たちはまた同じことをするのでしょうか? d)神はアルファでありオメガであるといっていますが、ではなぜ人間に十戒のように人間に命令する必要があるのでしょうか?神がそのような完全な存在なら人間の行いに影響を受けるのは矛盾している気がするのですが。真に道徳的な存在は他人もそうであることを要求しないと思いますが。 e)神が世界を作ったなら、悪魔も神がつくったことになりませんか? そうでないなら神は世界を作り損ねたのでしょうか?
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宗教→政治 神→政治家 天国→飢える人のない福祉国家 慈悲→を納税 善行→労働 悪魔→不労所得者 私はキリスト教に疎いし、神は概念でしかないと思っている無神論者のなので、現実に即して置き換えてみました。 キリスト教に疎いのでここに書き込むべきでないのかもしれません。 が、思想から実感への気分転換ぐらいにはなるかと思って。
a )神は慈悲深いとされていますが、それならどうして人間は神の愛を感じられないのでしょか? (1) 神は 不思議です。すべての不思議が 神なのではありません。神なる不思議を ひとは 感じるはづです。 (2) 愛は その不思議の奥の存在と そして わたしとの 関係と考えてください。ひとと ひととの関係も 愛です。愛情も憎悪も 関係であり 意志であり 大きく広く愛です。 b)神はどうしてイエスを最後に人間に語りかけるのをやめたのでしょうか?もう人間に興味がなくなったんでしょうか? (3) コルシカ人は はらからへの愛が強く 身内の一人なら わが魂と心得ているそうです。その昔 民族ごとに 強くまとまって生きていました。独島は民族のものであり 民族のものは わが命なりと思っている人びともいます。このような民族集団としてまとまって生きるという生き方が イエスのあと 要らないと判断されたからです。 c)天国にいくために善行をつむのは偽善なのでは?天国がなかったら その人は善行をつむ必要がないことになります。そんな人が天国にいくことなんておかしい気がしますが。 (4) 天国は いま・ここの問題だと言う人もいます。天国・地獄は そういう表現の形式にすると分かりやすいという思潮があったから 用いられていると理解してください。 d)旧約聖書に見られる神の命令による民族浄化(聖絶)についてどうおもわれますか?旧約の時代のように現代に神が命じるとしたら、信者たちはまた同じことをするのでしょうか? (5) 民族が 《わたし》の生きることと きわめて強固に つながっていました。 (6) もう一点は やはり表現の問題です。《楽しい我が家》というとき 《楽しい》のは 厳密には 《家》ではなく 《その家に暮らすわれわれ人びと》です。《ねたむ神 怒る神》というとき 《ねたむ・怒る》のは 《神のもとにある人びと》であったということも考慮に入れるべきでしょう。それほど――つまり あとの問いにも関係しますが 律法が 明示的に 必要となるほど―― 人びとは 精神の秩序として 混乱していたと考えられませんか。 d)神はアルファでありオメガであるといっていますが、ではなぜ人間に十戒のように人間に命令する必要があるのでしょうか?神がそのような完全な存在なら人間の行いに影響を受けるのは矛盾している気がするのですが。真に道徳的な存在は他人もそうであることを要求しないと思いますが。 (7) そもそも 自由意志をもった存在として――そうとすれば―― 作られたからです。科学が 原子力についてであろうと クローン人間であろうと 結果を必ずしも考慮せずに 徹底的に 研究しますが それと同じように 意志のはたらきを 人間は 意志もしくは心に逆らってでも どこまでも 試そうとします。見るなと言うと 見たいものです。その結果〔は 神に分かっていたでしょうが〕 精神の秩序は 混乱しました。 (8) ここに 律法(十戒)を明らかにしたからと言って 実行することが出来るのではありませんが 律法じたいは 聖であり霊であると考えられます。あくまでも どこまでも 人間自身に みづからの考えと力で 生きるようにさせるのですが あとで イエスを歴史に介入させることも起きたように アブラハムに与えた信仰を 規範としても 明らかにするかたちで モーセに その文字規範を与えました。 e-1)神が世界を作ったなら、悪魔も神がつくったことになりませんか? (9) そうですよ。人間の意志による自由な選択は 想像力を ほしいままに あらゆる形に展開し 表現を繰り広げました。天使も悪魔も その一例です。前に出た天国も地獄も そうですよね。人間は ばかじゃないと言うべきか 大して かしこくないと言うべきか。 e-2) そうでないなら神は世界を作り損ねたのでしょうか? (10) どなたかもおっしゃっていましたが すべては 《自由意志》の問題です。自由意志の暴走をも分かって 作ったのです。混沌に対する規範の問題も それとして 介入しましたね。 (11) 意志の自由選択 / あらゆる可能性の探求 / 混沌 / アブラハムとその信仰を立てた / さらに混沌 そして 文字規範 / 存在論の系譜が旧約聖書として編まれた内容のごとく 現われた 〔この神の名は ヤハヱー(一解釈例:《存在せしめる者》)または エフヱ―(《わたしは 存在する》〕/ その存在論の一つとしてのイザヤの言葉にもとづくかのように とうとう イエスが 生まれてしまった / 何かの咎もなく死なしめられたことによって 世界は すべて ご破算になって 再開された。・・・ (12) その後 あほらしい殺し合いも 絶えませんね。この不思議が まったく 分かりませんね。これほど あほで ばかな人間であるのなら 《作り損ねた》んだと思いますよ。
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回答ありがとうございます。
- tomabc
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人間の仕組みには知性があります。解剖に携わっている人間は「これには設計者が居る!」と驚き語ります。心は体のどの部分だと思いますか?機械のようにパーツを組み上げても動物は動きません。そこに心、神のエネルギーが必要です。奇跡のように動いている自分が神を表しているのに、神は感じられないのですか? イエスが来なければ全人類は抹殺されていたのです。死刑宣告されているのですから、なぜ人間と話す必要があるのでしょう。だからキリストを介してしか祈りを捧げられないのです。今も進行中で、キリストが生き残る人々を選別しています。天変地異と共に間もなく神が人類に介入してきます。これらが起こるしるしや時期は、キリストがあらゆる場面で弟子や群衆に例えを使って話しています。 天国や地獄はありません。誰も見たことが無い分からない場所に希望を持つようキリストは語りましたか?死んだ人間が地上に復活することを、自分の死を持って説明しましたよね。墓からよみがえり弟子達の前に現れ、触らせたり食事をしたりして、本当の人間として生きている事を分からせようとしました。死んだ人間も何度も生き返らせましたね。キリストの言うことは、地上に住むことが人間の姿、ということです。 悪魔は元々神の弟子の一員でしたが、神がアダムを作った時、地上に増えるであろう人間達から賞賛を受けたいと思い、神に反逆した者達です。だからエバに対して「神に従うのは良いことなのか?」と疑問を投げかけ、惑わしたのです。その決着が間もなく始まるということです。その時神が直接人間を統治し、生き残った人間達で地上を本来の楽園に作り替えて行きます。これがキリストの預言や啓示などに書かれている人間の未来です。天国ではなく地上の楽園ですよ!
お礼
回答ありがとうございます。 キリストを介してしか祈りを捧げられないのです ではキリストが生まれる前に死んだ人はみな救われないのですか? キリストが生まれる前にも善人はいたと思いますが。 キリストの教えを知らずに死んだ人は救われないのですか? ブッタも救われなかったとおっしゃるのですか?
- eroermine
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c) 善行を積んで天国に行くのは仏教の因果応報思想ですね。 日本人はこれから抜け出せないのでキリスト教の考えには馴染めないとか。 その他) キリスト教の神はギリシャの神々と違って人間の想像を絶する存在。
お礼
回答ありがとうございます。 c) 善行を積んで天国に行くのは仏教の因果応報思想ですね。 日本人はこれから抜け出せないのでキリスト教の考えには馴染めないとか。 まあ、私個人としては別にキリスト教になじめなくても何の問題もないと思いますが。キリスト教を信じていた中世ヨーロッパにもどるべきだなどと主張する人は誰もいませんし、世界の歴史を考えると世界中の人がキリスト教をしんじても平和になるとは思えません。 その他) キリスト教の神はギリシャの神々と違って人間の想像を絶する存在。 確かにかなり違いますね。
- 相談 蟻(@soudan-ari)
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大変良い疑問だと思います。 上から順に・・・。 1) 信じると感じられる、認識できる。信仰の世界で、科学では無い。そこの違いは天地ほど違うような気がします。(宇宙と顕微鏡の世界、深海とヒマラヤ、氷点下と沸点など。土木と建築でも結構違いますよ。基本的に違うと思います。) 2) 正統派のキリスト教の説はそうですが、異端と呼ばれるモルモンなどは違う 主張です。私は正統派のなかでもリベラル派と言われています。真に正しいならば、将来明らかになると思います。 3) 天国とは何か?私にもその辺は良く理解できないところですが。飽くまで神の側からの約束と受け止め生きる生き方ではないでしょうか?その生き方を問うているのであって、功利主義ではないと思います。 4) 民族浄化だけで、世界中に広まるとは思えません。民族を超えた所にある救 い、神の愛があるからこそ、現在があると認識しています。新約聖書はその様な信仰にたっています。 5) 創世記のエデンの園では最初から悪魔が登場しています。では貴方は、神の創造の出来事を信じますか?悪魔を疑っているという事は、アダムもイブも信じてないことでは?だったら、此れは信じるか否かでスタートが違います。天地創造で悪魔の元は存在していたけれども、最初から悪魔ではなかった。では、何時・何処から来たのか?聖書には書かれてなかったと思いますが?聖書はそれなりに権威を持った書物でしょうが、啓示(書かれていない隠されたもの)を暗示する箇所があるといいます。ですから、文字通りの解釈では不十分と思います。 以上を纏めると、スタートの前提が違うと感じます。そして、貴方の考えは多数派です。しかし、ここで多数決の論理は肯定されないのも真実と思います。
お礼
回答ありがとうございます。 4) 民族浄化だけで、世界中に広まるとは思えません。民族を超えた所にある救 い、神の愛があるからこそ、現在があると認識しています。新約聖書はその様な信仰にたっています。 では旧約の神はどうなるのですか?旧約は聖典ではないとでも? 5)啓示(書かれていない隠されたもの)を暗示する箇所があるといいます。ですから、文字通りの解釈では不十分と思います。 それでは同じ書物でも各人、各宗派によって解釈は異なる余地があるのですね。しかもその正しさを客観的には立正できない。ではあなたは自分の信仰をどのようにして他の宗派に比べ正当化しているのでしょうか?よかったら教えてください。
- miwamey
- ベストアンサー率23% (89/371)
キリスト教関係の学校に通っていたときに同じような疑問を持ちました。誰も満足する答えをくれなかったので、神とか宗教とかは人間の作ったものであると自分で結論をだし、今では無神論者です。
お礼
回答ありがとうございます。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
a)、b) 感じられない。聞こえない。見えない。のはあなたも含めて人々が心を閉ざしてるからですね。神々ほど忙しく働いている者はいないからですね。眼が見えても見えず。耳があっても聞こえず感覚があっても感じずだけですね。またいつの時代でも神またはその代理人は地上にいますよ。見分ける能力がないのか多くのごみ知識を信じて盲目になってるだけですね。 c)天国から生まれてきてますので普通に人生をまっとうすれば天国に帰れますね。天国もいろいろなところがあるので善行や徳を積んで光りたいということだけですね。天国は善人が住むところというだけですね。 d)旧約聖書の預言者はローカル神や悪魔の声を区別できなかっただけですね。モーゼさえ「生贄の羊」が悪魔の声だと気がつかなかったぐらいですから。普通に考えて全知全能の神が血の生贄を望むはずがないですからね。 d)世界にはいろんな人がいるのですね。現代のアメリカでさえ敷地に入れば撃ち殺すというようにですね。殺したり盗んだりしてもなんとも思わない人もたくさんいるのですね。すべての個人に自由意志を与えたからですが、皆が安全に生きられるための規範ですね。 その他に、人間の魂は地球で創られた魂以外もたくさん受け入れているという事情もあるのですね。 e)悪魔と呼ばれるものたちも神が創ったんですよ。サタンは7大天使のの1人であったルシフェルですね。神々の1人に嫉妬して天国の一部に閉じこもっているだけですね。天国の小さな黒い部分を地獄といっているだけです。できるだけ仲間を増やしたいので善人にならないようにいつも働きかけてますね。神などいない神は死んだなどという人が行く場所でもあるんですね。地獄はこの世にちかいから多くの人には悪魔や悪霊の声が聞こえ易いのでしょうね。巷は悲しみ、怒り、嫉妬、暴力的な部分が多いですよね。本当はすべてが愛なんですけどね。四季も草花も太陽もみんな文句も言わずに奉仕しているのにね! これもすべての個人に自由意志を与えたからですね。どう使うかは本人次第でしょ。だめなの消すのは簡単だけど神も辛抱してるんですよ。神にもこの世界の創造を計画して1000億年という孤独な時代があったのですね。だから、悪さをした子供も見捨てずに静かに手のひらにのせているんですね。戻ってくることを待ってるんですね。 以上のようなことが誰でもわかるんですよ。もう2500年前の仏典や2000年前の聖書などいらないんですよ。心をひらけばいつでも見えますよ。探してごらんなさい。釈迦もモーゼもイエスもニコニコして見えますからね。
お礼
回答ありがとうございます。
こんにちは なんとなく回答してみよう思います。 a)実際のところ神はいるんでしょうかね? b)イスラム教の預言者ムハンマドにも語りかけています。 でも現代において神の声が聞こえるというのは基本的に 何かの病と考えたほうが無難です。 c)天国というのは歴史的変遷よって作られた昔の人の想像の世界です。 d)当時の戦争を脚色した民族の英雄話の一種ではないでしょうか。 本気で事実なら天使も人を殺していて物騒ですし。 もしも神がいて命令するのなら神に抗議してください。アブラハムのように。 d)部族をまとめるのに指導者が必要だったからではないでしょうか。 e)キリスト教の神いわゆる全知全能の創造主としての神といえども 習合の産物です。矛盾する要素が入り込むのは当然です。 あとキリスト教の隣人愛についてなんですが 昔、ユダヤ教のラビにヒレルという人がいたんです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AC%E3%83%AB%E4%B8%BB%E7%BE%A9 以下余談。 はっきりいってしまえば 理性的に物事を調べて過去にどういう事実があって 聖書の記述や現行の制度がどのように成立したかを調べて その上で自分の生活に取り入れていけばいいのであって 基本的に勉強しないといけません。 あくまでも矛盾を解消しようとすると それはそれで様々な疑問を解決しようとする試みの中から 世の中の発展に役に立つものが生まれることもあります。 昔の最初の頃のキリスト教徒は世界が終わると考えていた。 ユダヤ教の終末論者の一種でもあったようです。 でも世界は終わらず、こうして続いているわけですよ。 それにある日突然一つの宗教が登場するわけでもなく 習合しているのは当然なんだから他の宗教にも 寛容でないといけないですし。 私は基本的に馬鹿なので正義とか わざわざ言ったわけです。
お礼
回答ありがとうございます。
- kakakaeru
- ベストアンサー率27% (29/105)
a)自分はちっぽけな存在だと自覚し、自分よりも偉大な存在を率直に認める事ができる精神を持ち合わさないと神の存在は感じられないでしょうからね。こればかりは本人の心がけです。 b)旧約よりも出来の良い新約が完成しそれ以上語る必要がなくなったのでしょう。 d)規模の大小はともかく民族浄化する可能性はあるでしょう。 d)確かにルールを守るように作れば良いと思います。 e)神が人を作ったが、神を作ったのも人なので。故に矛盾は必ず生じます。
お礼
回答ありがとうございます。
- kakakaeru
- ベストアンサー率27% (29/105)
a)感じる人は感じてます。 b)聖書があるので語る必要が無いからです。文明崩壊などで宗教が無くなればまた神託をいただけます。 c)偽善かどうかは本人の意識なので問題ではありません。大事なのは理由は何にしろ罪を犯さず善行を重ねることです。 d)今でも民族浄化している宗教はありますよね。 d)人間はルールを与えないと堕落するからです。神の要求や命令ではなく人間のためのルールです。 e)人間も悪魔も神の不注意でできた失敗作です。
お礼
朝早くから回答ありがとうございます! a)でも全員がそうではないですよね。そこが残念です。 b)でもイエスの時代にも旧約聖書はありましたよ。 d)キリスト教徒もユダヤ教徒も民族浄化してますね!また理由さえあればする? d)ルールを与えないと堕落する・・それなら最初からルールを破らないように人間を作ればよかったのにと思いません? e)神も全知全能ではないということですか。それでは聖書に矛盾してません?
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お礼
回答ありがとうございます。