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神の存在 実在か否か
- 人間には異次元の世界を知るのも、限界があります。漫画だろうと神の存在だろうとすべてが五感に頼らざるおえません。
- いろんな宗教仏教の教えは神の存在を知るのみぞ知る。と実在することを断言しています。そして、地上天国を創るためにあるんだと。
- しかし、神が天国を創れるくらいの能力があれば最初から創ればよかったんでは?神は最も地獄に落ちるべき責任者ではないだろうか?人間は神の存在をほとんど空想で創りあげてるのではないかと思う。
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フロイトって学者だったかな? 『「神」は自然に抗えない人間が想像で作り上げた物だ』って でも「神なんて居ない」って考える人は うつ病になりやすい傾向があるそうな 現実を見つめる事はそれだけツライってことだね >本当に神は存在すると思いますか? また 良い存在なんですか? 残念ながら居ないと思います また万が一居たとしても「人間の為にある特別な神様」なんてのは居ないと思います だから良いも悪いも人間の感覚で測る物ではないでしょう 私が思うのは「居るというファンタジーを信じてられる人は ツライ事からちょっとだけ目を背けられる」ということです
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- Mokuzo100nenn
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答えは自分が選択した宗教によるな。 僕の場合は仏教なので、神なんて必要ないんだ。
- tumaritou1
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誰でもが神のお陰で生きていますが、その事を知らないでいます。神とは『自分自身の命を働かせている機能』のことを言っています。 貴方は母親のお腹の中で『細胞分裂をする事や、細胞分裂をする順番まで正確に知っていました。』そうして心臓も呼吸数もホルモンの分泌も、全身の神経系統も全て毎時司っています。ただ貴方が知らないでいるだけです。 其の命を働かせている者は、自我が左脳に存在している事に対して『右脳の人格』として機能しています。脳卒中の為に『右脳の人格』と『左脳の人格』として、別々な機能として『心や身体や行動』を支配している様子が『語られている動画を紹介します。』 『脳卒中、ジル、ボルト、テーラ博士』と検索をして下さい。 又人間の脳内に二つの人格が存在している科学的なデータです。ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 補足として書いて置きます。 見性すると言う場合いの事ですが、右脳の人格と自分の心=自我意識が『脳梁の回路の中で』=『意識の根底で』出会う体験を言います、ジル、ボルト、テーラー博士の体験G『まさに見性体験』です。 自分自身の感情や考えを沸きあがらせていた者との出会いです。キリスト教では『神に会って和解する。』と表現していますが、『心的内容は同じと思います。』
- aothegenus
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→質問者さんは何で止めないの? 止めたら疑問は解決しますよ。 家族問題は未解決かも知れませんが、知力を宗教に費やすのが無駄です。宗教以外の学問の方が発達してとても奥深くなっています。もはや宗教への未練は常に理解力の足を引っ張る存在です。宗教は精神論です。現実の世界が不要と言ってもいいです。そんなものはカルトです。 繰り返すけどなぜ宗教の教本を読むの?ただじゃないよね。無駄なだけじゃなくどんどん理解を歪めるのです。その時間を使って生物の教科書を一冊でも読了すればいいじゃん。生物学が嫌いなら生物学は無理ですよ。宗教の語る生物は生物学ではありません。
- 雪中庵(@psytex)
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「実在か否か」と問うという事は、『実在』が幻想ではないと お思いな訳ですね? あなたが見ている全てのものは、あなたの頭の中の現象です。 『それは外の世界を反映している』などという仮説は、実証手段を 持ちません。 逆に、あなたが死ねば全て消滅するという事実が、唯一の真実です。 ただ、この造物主は、全知全能ではなく、むしろ不完全ゆえに、 本来、絶対的に確定化しようとすると無限不確定性(=無)に発散 する不確定性原理を、経験的に現象表面的に(本質まで確定せず、 いい加減に)捉える事で、有限な性質=存在=宇宙を派生させて いるのです。 その不完全な認識ゆえに、自己存在の補完としての環境を把握できず、 肉体的な自己チューな意識に萎縮し、その短絡的な意志において、 自己矛盾として環境とぶつかる(物体)のです。 神を必要とするほど、この世界は完全ではない。 むしろ愚かであるがゆえに存在する=無いとは分からない事が有なのです。
お礼
回答ありがとうございます それは外の世界を反映しているという仮説が実証手段にはならない。自分が死ねば全て無くなること として受け止める。 生きてる者には 存在するが死んだ者にはそれが存在しない。 ただ 死んだ者にはあの世という存在は分かるが生きてる者にはあの世という存在自体が無に近いことになる。 造物主たるものは 全知全能なわけでなく不完全ゆえに出来ていて、人間はそこで生を強いられている。そこに 有無すらわからない神を置き換えて神を頼るほどこの世は 完全なる平等な世の中ではないということですかね!
私は子供の頃・若い頃、散々神に祈った・祈り続けたが 、結局なにも起こらなかった、、だから神はいないと確 信した、という人って結構見掛けますね それはそれでいいんじゃないですかね?、確信・断定す べきだとは思いませんけど 真実を知りたいのかと思い、あれこれ説明してみると、 あなたの勧誘になんか乗りません、私を信者にするつも りならそうはいきませんよ、てな事いわれる 普通の人でも始められる・出来る方法がある、まずはそ こから始めてみては?、という提案をしただけなのに、 、つまり自分で確かめればいいという事を説明したのだ けれど、頑なに聞く耳持たずな状態な人ばかり かと思えば(精神世界に興味・関心を持つ)始めの段階 で早々狡猾な罠・テスト・踏み絵に躓いて、これまたア ドバイスなどには聞く耳持たずで、道を逸れるか、よく ても低い段階での止まり 低い段階に止まるというのは、とても厄介なようで、ど うも?抜け出す事は不可能な位のようで ま?秘教であっても付いて回る程に困難?な罠・テスト ・踏み絵ではあるようなので、仕方がないのかもしれま せんけど? > 本当に神は存在すると思いますか? 天界の高次元から少し下った所に、自然霊・神?といえ る存在?がおられるようで、この存在が始めに、または 人々の信仰心などの想念エネルギー(という要求?)に 拠って、4次元にエネルギー?を放射し(5次元以上の 事は私には不明)、それに拠って多様な一時的半実体の 神仏様方が生まれるのだそうです 他には、自分を高次元の存在か神仏だと思い込んだ4次 元の霊人の人達もいるようです 神仏がどのような存在かを議論・探求するのは冒涜・愚 かな行為だ、という人も結構多いですね 厄介な霊的自由性と狡猾な罠・テスト・踏み絵だからけ ですけど、興味・関心があるのなら、自己確認を試行し てみては? ただしトレーニングなどは秘教・密教の修行で行うので なければ、特に男性にとっては危険ですけど 自己流は白魔術を行うのであっても、行うべきではない ようです(酷い弊害に苦しんでいる人達がいるようで) > また 良い存在なんですか? 悪は善の内で、本質的には全ては善さえ越えているよう ですけど、それが理解出来る段階に近付けば、いいも悪 いもないと感じるようになると思いますけど?
お礼
回答ありがとうございます 神についても 善悪についても見つめ直してみます
神は思考しないよ。 思考する者は生物の個体だけ。 神が(巷間、言われる通りの存在だとして) そもそも個体だと考えること自体に無理がある。 では集合体なら? 無数の思考する個体が有機的に連なると言うことは 思考する個体、というのは、本能的な自己保存、つまり 生存維持の生理的欲求に従って、自分の行動を自律的に 制御する構造体の、独立した一ユニット、ということです。 知覚→認識・評価→予想→分岐検討→実行→最初に戻る をいくつもの分岐を持つループとして繰り返しながら 自分自身を環境・状況に合わせて変化させ続ける 自律的な仕組みという訳です。 多細胞生物の身体が膨大な細胞で構築されているように 思考もまた無数に集まるだけではアメーバと同じで、全体で まとまった統一されたプロセスは産みません。 そこには、機能分化と情報を処理しながら受け渡していく 構造的な序列がなければなりません。 同時に、全体をまとめて統合されたシステムとして作動させ 得る中央制御装置となる「頭の部分」が無ければなりません。 無数のコンピュータを繋いで同時に膨大な処理をさせる 並列処理もスパコンの「京」を始めとして、古くから伝わる 電脳の基幹技術の一つですが、これとて、膨大な情報の パイプラインを無駄なく処理を配分して全体で一つの 処理系として運用するコアがあるわけです。 (コアは一つではないですが) さて、小さなものが社会を構築して大きな一つの組織となる。 その生命の流れ、そもそもの情報処理としてみた宇宙の 「系」は個体→群体→統合された個体という成長プロセスを 繰り返すわけですが、神という概念をこれに沿って考えると 「遍く(あまねく)」であることが判ります。 どういうことかと言うと、この繰り返される成長ループは 個体→群体→個体→群体・・・ を、進化しながら繰り返している、つまり全て個体と言う相が 群体と言う緩やかで未統合な相と行き来しつつ、大雑把には らせん状に進んでいく情報総体の「相」だ、と捉える事が 出来るわけです。 ちょうど、宇宙のちりが集まって星を造り太陽系を造り、 銀河を造っては崩壊して飛び散り、ブラックホールになったり 超新星になったりを繰り返す有様にも類似を見ることが出来ます。 細胞と生物の進化は無論の事ですが、小さな要素が互いに 関係しあい、影響しあって「相」を造り、様々な絵を繰り返し 産み出していくフラクタル構造的な様子は、どの状態が 「神」なのかという疑問さえ蒸発させてしまいます。 どの状態でも、神が「全」である限り、全ての諸相を含むと 考えなければ、神という全方位・全時空に連続して存在する、 という「意味」に欠損が生じてしまうからです。 さて、一個体が自分の器の中で神を夢想する、ということは 神という概念を、有限という観念に規定して考えざるを得なく なるという矛盾を内包します。 つまり、何から何まで有限である人間は、神も区切りのある ものとしてしか考えられない、という自己矛盾をはらむ、と いうことです。 いずこから来て、いずこへか去る。 それは、世界を「ここ」という有限時空として捉えていることに 他なりませんし、神が慈悲を持つ、という観念を持つこと自体が 慈悲、という人間の良識と言われる脳の情報処理系が絶対者に 含まれると考えることで、一寸先は闇の生きることの不安を 束の間忘れさせてくれる清涼剤として機能する、という極めて 人間的な活動を夢想しているに過ぎず、従って、宗教は必然的に 擬人化された神が現実を否定してくれる絶対救済装置として 君臨するか、絶対者という概念故に、全ての人間の力や営みを 無限に否定する畏怖の象徴として人間の欲望を否定するかの 二系統に分かれてしまった。 人間の飽くなき欲望充足の営みを生命賛歌とする流れと、 人間の不幸は人間の七難八苦は人間の飽くなき欲望を 原因とし、欲望充足の営みの全てを否定しようとする流れに 別れてしまった。 キリスト教とイスラム教を念頭に置いて書いてみましたが、 仏教は、というとこれもまた人の世を嘆き憂うブッダが 人類救済と言う趣旨で立案した思想の集大成であるとも 言えますが、面白いのは擬人化された神の概念は、社会的な 思想として民主主義と社会主義、資本主義と共産主義、 先の例に本質的な趣旨が非常に似ている対立構造として 宗教以外の分野でも頻繁に定義されている、という類似性です。 ともすると、二元論に集約されそうな話題ですが、小さな流れと 大きな流れ、澱み、氷り、霧散して一時たりとも決まった姿を 取ることのない、森羅万象の諸相は、良く水の三態と流転に 例えられますが、その都度の状況次第で陰が陽にも陽が陰にも 入れ替わりますし、無数の陰陽が生み出すグラデーションが 世界の諸相を産み出していることを考えると、神は、とか 宇宙の真の姿は、と固定して考えようとすること自体が この途方もない流体力学と相を捉える目線に本質的に 相容れないものであることが、何となく理解できてきます。 簡単に言うのは難しいのですが、つまり、どこで何が どんな状況だから、こんな流れでこんな相が生まれて、と 柔らかく拘らずに捉えるべき森羅万象、無論人間も社会も 含むわけですが、これに「これはこうである」「これはこうで あるべきだ」と決定・確定・断定・想定など、「定」という枷を 嵌めてしまうために、流れていたものは澱み、美しい花は枯れ、 生き生きとした瑞々しさは失われ、つまり、死んでしまうのです。 宗教や思想がしばしば「生死」を核心的な主題に据えたがるのは 「定」という枷によって全てのことが生と死に分かたれてしまう からだと思うのです。 では、神と言うものをこの「定」という枷から解き放ち、あるがままに 捉えようとすれば何が見えて来るかと言えば、冒頭に書いた 個体と群体という二つの相を行き来しながら小さな粒はどんどん 別なものに取って代わられ入れ替わられながらも、その粒が 構成する個体と群体の二相を振動する集合体は、あたかも そう見えるだけの「場」、電磁場や重力場という意味の「場」として 区別される存在としては漠然として、意味や機能を持つ存在としては 確固として、常に入れ替わり続ける粒粒とは無関係に、不思議ですね その粒粒で出来ているにも関わらず、その「場」は一つ一つのの粒と 全くと言ってよい程、存在も意味も隔絶されている訳です。 絵具は絵ではない。 水の分子は水でも水蒸気でも氷でもない。 銀河は星で出来ているが、それは巨大な渦である重力場であり、 銀河は星そのものではない。 こうした観念を命に対して当てはめると、我々生命の個体はこれらの 粒、我々が切なく虚空を掻きながら見果てぬ究極の母足らんものは この銀河のような「場」であろう、という思想がゆっくりと形成されて いきます。 コンピュータが思考しているかどうかはチューリングに任せるとして、 その電子基板上に行きかう無数の電子パルス情報は、例えば、 人や車が様々な物を運んで、トランジスタ(古!)やLSIに相当する ビルや、駅や、空港や、無数の都市施設を電子素子、情報処理の 小さな回路群に見立てれば、今まさしくこの瞬間に都市が何かを 考えているのかも知れないと夢想することは、あながち荒唐無稽な こととも言えなくもなが、です。 同様に、我々が自分だと思い込んでいるこの脳内の情報処理の 「系」という「場」も、細胞や、或いは電磁場的に見た場合には 全く別の「個意識」の暫定的な群体相だ、と考えることもまた 無謀な論理飛躍とも言い切れないはずなのです。 考えれば考えるほど、「個体の生死」というものは意味を消失して 小さな明滅する点々や、波間に浮かんでは消える泡のような、 幻のようなものとして、夢幻の彼方に消え去っていくのです。 遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休め、 遙か雲海の上を音もなく流れ去る気流は たゆみない宇宙の営みを告げています。 満天の星をいただく果てしない光の海を、 豊かに流れゆく風に心を開けば、 煌めく星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂(しじま)のなんと饒舌なことでしょう。 光と影の境に消えていった遙かな地平線も 瞼にうかんでまいります。 ああ、思わず城達也氏のジェットストリームの ナレーションが頭に蘇ってしまいました。 さて、第一段落はここまでにしておきましょう。 我々は海の水の粒子。 神は、宇宙は、あの波間そのもの、そして 海そのもの。 夕暮れの潮騒も、柔らかな海辺の風も、 荒れ狂う嵐の海も、鏡のように満天の星空を 映し出す無風の凪いだ水面も。 それらを産み出す原因、様々な自然現象と 相互関係を続ける、まさしく「相」が形を 成したものだと言えます。 それこそが、宇宙であり、神と呼べるならば、神に 違いないでしょう。 我々も、我々が目にするありとあらゆるものが、 神の部分であり、全体だ、と言うことが出来る。 自然界は基本的にエントロピー(乱雑さ、無秩序さ、 ひいては、意味の消失度合)が増大するのが当然だと 考えられています。 平たく言えば、形あるものは崩れ去り、命あるものは 滅び去る。 所が、生命は、宇宙は、生成と崩壊を繰り返しながら よりエントロピーが低下、つまり複雑さを増し高度な 仕組みに進化する。 何故だろう? と昔は考えたものですが、何せ森羅万象の流転する「相」 です。 生成も崩壊も、命で言えば誕生も死も時間と言う因果律の 枷=「定」の束縛に他ならないと、今は確信しているのです。
お礼
回答ありがとうございます ありとあらゆる生き物は相、ということで繋がりあって複雑に連携してるんですね。 一つの小さな生物から 我々人間に繋がる遺伝子を持ち、且つ その小さな生物の遺伝子が遠ざかっていくとともに、多種多様な生物が生息する。 我々個体を持って 思考回路し行動することができる。しかし 集合体は個体を造るうえで成り立っている。その 小さな集合体が連なり合うことによって、個体は造られやがて死に際し朽ち果てたときに その個体が分解され微粒子と化す。 死後も 考える能力があるのは不明だが 我々の脳を通じて情報を得てるのは事実だと感じております。 神の存在というのも特殊で 個体があるわけでもなく、かといって 集合体が繋がりあってるわけでもなく 自然という人間には到底解明出来ない存在こそが神と置き換えて、偉大な者とみなしその森羅万象そのものを尊敬し感謝することによって自然と幸福感が得られるという感じなんでしょうか。 自然は人間を贔屓しているわけではなく イジメてるわけでもなく ただ 森羅万象に沿って回ってるということかな。 何か複雑すぎて パンクしそうです。まぁ 簡潔にまとめると、人間が自然や神を解明したり 理解するには 何千 何億万年早いってことかな
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”本当に神は存在すると思いますか?” ↑ 存在て何ですかね。 五感で感じることが出来るモノが存在だ、という なら、未発見の惑星は存在しないことになりますが、 それは正しいでしょうか。 又、日本国は見ることができませんが、その存在を 疑うひとはいないでしょう。 愛も同じです。 愛、そのものは見えませんが、存在します。 憲法なんてのもそうです。 神てのは、そういう意味では存在するのです。 ”良い存在なんですか” ↑ 善悪とは何でしょう、という哲学的疑問は置いといて。 とりあえず、ここでは人間にとって良いか悪いかですね。 人間は、貧乏な時は金持ちで無いから不幸だと思います。 でも、金持ちになっても幸福にはなれません。 日本は、昔に比べれば大層豊かになっています。 それでも、昔の人よりも幸福でしょうか。 豊かになればなったで、新しい不幸が顔を出します。 病気だから不幸だといいますが、健康になればなったで やはり、新しい不幸に見舞われます。 そうやってじたばたしている間に、寿命が来ます。 人間は必ず死にます。 神様が、このような人間を創ったとすれば、それは 人間をいじめて楽しむためだとしか思えません。 つまり、神様は人間が嫌いなのです。 神様は、人間にとって悪い存在です。
お礼
回答ありがとうございます 神の感じ方は 時に人間は五感を遥かに超えるような奇跡が生まれることもあります。 これも現実として受け止めなければならないでしょう! 愛であれ 法律であれ 空気であれ 考える能力でさえ 目に見えないなにかが存在します。見える物が全てになって解決しようとするとどこかが狂います。 善悪にも答えはわかりません。今の世の中最期まで生きることが最善だとおもわれますが、実は そこにも落とし穴が。 延命治療を続けてまで 痛い苦しい思いをして死ぬまで生きるということも最善になってしまいます。どこが善悪かも法律でしかわからないのが現実です。 生老病死がジレンマとして神が計画したのなら 神は人間の敵になります。
- fuukakou
- ベストアンサー率22% (200/870)
いろんな宗教の本を読んでみるといいよ。一つの神にこだわらずに。 人間と同じ姿してないのも多いから。 自然神なんて、岩や木、土地そのものだったりするから。 なかには、熊が神なんてのも。あ、蛇も多いね。 それに サムシンググレート の存在を感じた方は、姿など思い浮かばないんじゃないかとも思う。 人間が生きやすいように、と信仰があるものだろうから、人間に近い姿を想像して伝えたのかもね。 分かりやすい。 わたしは、そういった意味合いでは、人には人の神がいるように動物にはそれぞれの動物の神がいんじゃない?と思ってます。 また神がいる、としたとき、私はこれらが同時にあると思ってます。 ・サムシンググレード、何か大いなるものですね。これはもうよく分かんないです。 ・純粋になんかのパワー 力はただの力、自分たちの都合で善悪をつけるのが人間。また、利用する。 ・自然現象 それに対する人間の願い 水は生きていくのには必要で欲しい、雨が降らないと困る、でも洪水はもっと困る。 ほどほどにお願いしますといった感じのもの・・・これを思ったのは日本の神の二面性 和魂と荒魂からです。 ・ただなんかあるだけのもの 意味不明だけど、これが最も多く存在してそう。理解しがたいかも知れないけど、なんかとしか言いようがないなんか。これも人間を超えていると思うからかな? ・・・書き出して気が付きましたが、私はどうやら神は存在してても本来は人間とは関係ないものと思ってるみたい。 太刀打ちできないものへの畏怖、生きていくための願い、よりみんなで生きていきやすくするための方法。 これらが宗教を形作ってるのかな?とも思います。 人間の宗教上では良い存在でないと困る。 人には人の価値観があって摂理がある、それと同じで神には神の摂理があるんじゃない? だから、人間にとって良い存在なのかどうかは判らないですね。
お礼
回答ありがとうございます サムシンググレート 自然現象に我々人間は太刀打ち出来ない存在。だから人々はそれを利用し宗教を創りあげた。最初は一つの宗教から枝分かれし、後に競うようになった。 でも よく考えると人間のために自然はあるのではない。宇宙はじめ色々な惑星や自然が融合して人間が 生まれるだけであって、神は 自然の中に存在するし形が全てではない。 つまり 人間の形をした神だけを信じるのは都合のいい者がするんだ 難しいです
あたかも神がいるかのように、天国と地獄があるかのようにイメージすれば、うまく行くこともあるというだけです。 それらが、どういう存在かを、特に神ですが、詮索するのに熱中しないよう、たいていは理解しがたい不思議な属性を与えられています。ユダヤ教系列だと、全知全能ですね。必然的に無知無能を内包したりしますし、物理法則も無関係です。 他に、慈悲深いかと思えば、ちょっとしたことで極めて残酷になったりするのは日本の神々ではよくあります。ネイティブ・アメリカンの神の一人は、楽しいときに涙し、悲しいときに笑い転げ、寒いときに汗をかき、暑いときに震える、なんてのもあったりします。 それとは別に『神の教え』とされるものが、実用的なものとしてあります。それを実践するときの方便が神などです。 イメトレのネタとさえ言って構わないかと思います。例えば、ゴルフのショットで日本のママさん向けの説明に「赤ちゃんをおんぶしていると思ってやる」といのがあります。実際には赤ちゃんはいませんが、そういうつもりになればうまくいきます。神も、実際にはいない赤ちゃんと同じです。
お礼
回答ありがとうございます なるほど あたかもあるようにして生きてくんですね。そして納得のいくように無知の世界を創るんですか? かつて 奴隷が休みなく畑で働いてた頃、奴隷がストレスを溜め自殺を簡単にさせないよう。王様が「自殺したら地獄に行くぞ。」と脅し働かされるような。これは悪い例えですが
- aothegenus
- ベストアンサー率22% (56/252)
教祖か誰かは50億円溜め込んだとか書いてあったよ。百万円払う人がいるとそうなるわけです。サイト会員はタダですよ。 正しい事は金次第かですね。高ければ善いか。 何教でもいいけど、一致するわけないでしょう。ダーウィンじゃないが生物学は神のいない学問なんですよ。そこから違うのだから。 人間と畜生を分けるのはまた別の話でしょ。見下すのも自由ですよ。カラスだって人間を見下していますよ。 どちらが上も下もないが平等だという倫理観に発展するなら動物実験も肉食生活も止めてから言うべきです。一番屁理屈は肉食って平等と言っている人らです。肉欲で頭がおかしくなったのだろう。 本当に神は存在しますか? 本当にってのがおかしいだろ。誰がいると言ったのだ。50億円の人か。儲かるなら神でも悪霊でも作りますよ。 私はそんな酔っ払ったみたいな人生は嫌だね。現実を見て死ぬべきだろ。神は現実にはいない。ガンダムとかと同じ。大仏建てるのは出来る。 本当にガンダムはいますか。 安倍晋三もワケわからん宗教やってそれに基づいてアベノミクスしたりしているのだから君一人が責められる事もない。宗教で政治をすると皆が損する。君の宗教は君んちだけだから。
お礼
回答ありがとうございます。 本当にそうです。一番上に立つ会主が献金と称したお金を使っていろんな土地を購入しています。また 会主の身体にいろんな宝石ちらばめてます。 吸血鬼に吸い取られたような信者はまだ 献金を捧げてます。 何でも 平等て言ってる今の世の中を狙ってカルトは動いてるんでしょう。ていうかこの世は無理に平等にしても 問題が発生することもありますね。 実際神なんてのは見たことない人に信じろって言ってる時点で おかしなことです。
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お礼
回答ありがとうございます なるほど 神を信じないとうつ病になりやすいか。 その気持ちわかります。つまり神という存在から守られたいという欲求が働くんですね。 僕の父も宗教依存症なんで...。やはり依存する人は 真面目でシャイな人がのめり込みます。僕もシャイではありますが唯物主義なんで あまり神は信じられません。ていうか 否定的でもないです。わかんないです。 万が一いたとしても 人間の為の贔屓ではなく 宇宙の一部としてあつかってるだけでしょう。同感です