• ベストアンサー

神様が「人を殺せ!」と命令した時どうしますか?

旧約聖書には神様が「カナンの土地はおまえたちにやるから住民を殺して奪え」という話が出てきます。連行してきた異民族について「男は子供も含めて皆殺しにして、女は処女だけ残して、あとは殺せ」という話もあります。神様が殺せという言うときどうしますか? (1)神様のお考えは人間の知恵をはるかに超えている。悪いことの気がするけど、神様のお考えからしたら良い事なのかもしれない。神様の視点では現世の人間の生き死により天国での暮らしのほうが重要と考えているのかもしれない。わからないけど、神様の言葉に従おう。 (2)神様がそんなことを言うはずがない。なにかの間違いだ。自分の良心でそんなことはしない。 (1)だとイスラム国みたいになってしまします。 (2)の考えだと自分の判断を神様の判断の上に置くことなります。それは神様に対して傲慢ということにならないのでしょうか?神様を信用しないということになりませんか?

みんなが選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.8

こう考えてみたまえ。 その引用のくだりは、神が人間の信仰心を試した試練であると。 貴方が人の法なり、自らの良心でありで、神の命じた殺人を拒否しても、それは君なりの神への信仰心となるだろう。 正直に自分の意思で断れば、悪魔並みにいたずら心のあるすの神は、むしろ喜んでくれたろうさ。 自分の意思で神にそむくことすら確信する信仰心だ。 重要なのは自分の意思だよ。 それを神に明らかにすることは大切で、神は時にあらぶれ、悪魔の姿で現れる。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 でも、聖書の話は神様がいうとおりに実行したわけですよね。 そうすると神様は「まさか、自分が言うとおりにするとは思わなかった」と思ったのでしょうか。 神の言葉より、自分の良心ということですね。

その他の回答 (23)

  • KONIMIX
  • ベストアンサー率28% (136/476)
回答No.23

>神様が殺せという言うときどうしますか?< 欲望<理性=殺さない 欲望>理性=殺す でしょうか。 「神様のお考えは人間には判らない。人間に理解出来なくても、神様には深い考えが有るんだ』 あなた方は自分の欲望の為に罪を犯すのでしょうか? 「神様が言ったから自分に罪は無い」と言う理由で、人間としてやってはいけない事を正当化するのですか? 自分の欲望を遂げる為に「神」の名を利用するのですか? う~ん・・・神様の考えは深いですね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 まさかそのようなことは考えていませんでした。 私の考えていたのは次のことです。宗教は自分の上に神様を置くことだと思うのです。じゃあ、神様と自分の判断が違うときにどっちをとるべきなのか考えました。もちろん、自分は人を殺したくない、でも神様が殺せと言ったらどうするか?自分の判断か?神様の指示なのか?そうゆう質問でした。 人を殺したいという欲望というと、快楽殺人者とかでしょうか? あるいは金銭目的とかですか? あるいはオウム事件のことでしょうか? あれも信者の人たちは殺す欲望、あるいは欲望によって殺人をしたという感じが、私はあまりしないです。 やっぱり、自分の判断より神様を上に置いた結果なのだと思うのですが、いかがでしょう。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.22

>「聖書はそうゆう話だったかなあ・・・」 勿論、神は、約束を破らない。 (「殺せ」の理由を述べよ)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 神様はたいがい理由を言われないですよね。 理由を述べるということは、それによって判断するということだから、信仰とは違う話になりそうです。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.21

>>でも神様は人間が死んで天国にいったあとのことも考えている。あるいは来世のことも考えている。より広い視野で考えている。その場合に、この世の生命がどのような意味を持つのか、神様視点だとまた違ってみえるかもしれないですね。 そのとおりです。神様の視点からすれば、ある地域や国だけを担当する民族神であろうが、地球全体を担当するグローバル神であろうが、極論をいえば「1人の生命なんて、どうでもいい」的な部分があります。 それは、地面をはいずりまわる数十年~百数十年の短い命の人間と、高い空の上から数千年、あるいは数十億年の長い時間、地球を見つめ続ける神様では、大きく違って当たり前のことです。 さらにいえば、神様からすれば、 「肉体は滅んでも、魂は(ほぼ)永遠に死なないように創ってある。地上生命が無くなっても、それはゲーム世界のキャラが死ぬだけの話。ゲームのプレーヤーである魂は死なない。その魂はゲームの経験値を(隠し)もって、しばらくしたら新たにプレーを始める」 という視点ですからね。 >>というのは、人間の利益主義の感じがするのです。人間が神様を信じるのは所詮、人間にとって利益をもたらすからで、もし人間に利益がなかったら信じない、反旗をひるがえすというのは、神様を信じているといえるのかと。 まあ、人間は肉体を維持しないといけませんからね。どうしても、信仰、理想・正義というか正論を曲げないといけない部分があるのは理解できることです。 でも、そうであっても、信仰・正義・理想とか、「お国のため、日本のため」ってことで、古い時代でいえば、ソクラテス、近代なら吉田松陰とか、戦艦大和の沖縄特攻やゼロ戦の特攻隊員のように、あえて死を選ぶ人たちもいました。 まあ、「試し」はだれにでもやってきます。そのとき、その方の進化というか真価が試されるってことなんでしょう。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみませんでした。

回答No.20

>聖書はそれを書いた人のことを聖霊がまもっていたので、それはすべて神の言葉であると言われる方もおられますが・・・ 神を信ずること無くて、人を信じる人のことですね。 相手にしてはいけません。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。信仰というのは意外なことに「人を信じること」なのかもしれないですね。

回答No.19

ここでは「神」を「(絶対的な)正しさ」と置き換えて考えてみます、 ――参考にはなないかもしれませんが。 私たちは「法」という「正しさ」にもとづいて、間接的にであれ、 たとえば「死刑囚」を「殺し」ています。 「死刑」も立派な「殺人」であり、それを社会的に許容しているという事実は ――神の声に従って人を殺した古代の人と、 構造的には同じようにも思うのです。 また、いわゆる「肉食」習慣についてですが、 私たちはみずから動物を殺しもせず、そのおぞましさに目を向けようともせず、 この肉が「うまい」だとか「まずい」だとか「高い」だの「安い」だの、 ――テレビのコマーシャルで、殺された動物のことなど一瞬も考えたことのない   すました美形タレントがうまそうに肉をほうばる映像が、   なんの痛みも(畏れも)なく、流れています。   それを当たり前のように見る人が大勢います。 習慣という名の「正しさ」の蔭に何があるかを見ることができなくなっています。 私たちは、神に命ぜられるまえに、もう「人を殺し」ている、 (聖書が教えるのは、その事実のように思えます)。 私たちは、毎日、神の声に従って、すでに他者の命を奪っている、 というのが私の答えです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。質問した内容とすこし違う気もしますが、するどいですね。 死刑のことは考えいませんでした。動物の話も考えさせられますね。なるほど。 ちょっと思ったのですが、もし質問が「神様がヒットラーを殺せと言ったら、どうしますか?」だった場合、「俺は神を殺す」という答えにはならなかったかもしれないですね。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.18

>>グローバルな神様だったら殺せと言わないのはどうしてでしょうね。 それは、グローバルな神様は、ローカルな民族神よりも、視野が広く、認識力が高いからだと思います。 もっと小さく会社内のことで考えてみたら判ります。 自分の所属する部署のことだけ考えている人は、新しいコンピュータシステム導入で自分たちの部署の仕事が以前よりも、厳しくなるとしたら、導入反対と言うでしょう。 でも、自分たちの部署だけでなく、会社全体の仕事量・利益がどうなるか?取引先の会社は?お客様にとってはどうか?5年後、10年後の自社はどうなっているだろうか?と幅広く、さらに未来の視点まで含めて考える人であれば、「新システム導入賛成!」と言う可能性が高いと思います。 また、仕事の目的を「自分の利益のため」と考えるか、それとも「私たちんの社会全体のため」と考えているかでも違ってくるでしょうね。 ですから、民族神であれば、「オレ様をしっかりと敬え、信仰しろ!他国の神や民族はどうでもいい。おれの言うことだけ聞け!!」となるでしょう。 でも、グローバルな神様であれば、「地域・民族によって、さまざまな事情がある。時代が下れば、私が過去に述べたことも変更する必要があるであろう。また、他の国の神々の意見もいちおう聞くのは当たり前であろう。」 と言われるでしょう。 もちろん、自分にたいする信仰が少々レベルダウンしても、それで怒り狂って、「お前の息子を生贄にしろ!」なんて発言はしないはずです。 >>人間に都合がよかったらその神様を信じるし、都合が悪かったら信じないという感じがしてしまいます。 たしかにそれは、そのとおりです。 だから、できるだけ私たちも神様に近づけるように、高いレベルの価値観・人生観を持てるように、努力・学習する姿勢が必要だと思います。

stmim
質問者

お礼

再び回答ありがとうございます。 なるほど、説明していただいた話は納得です。聖書の話はまだ、ユダヤ民族の神様だった時代の話ですから。 ただ、他の可能性もある気がします。 視野という意味では、人間は自分達が生きている範囲でしかものごとを考えられないですよね。でも神様は人間が死んで天国にいったあとのことも考えている。あるいは来世のことも考えている。より広い視野で考えている。その場合に、この世の生命がどのような意味を持つのか、神様視点だとまた違ってみえるかもしれないですね。 >>人間に都合がよかったらその神様を信じるし、都合が悪かったら信じないという感じがしてしまいます。 というのは、人間の利益主義の感じがするのです。人間が神様を信じるのは所詮、人間にとって利益をもたらすからで、もし人間に利益がなかったら信じない、反旗をひるがえすというのは、神様を信じているといえるのかと。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.18

>>グローバルな神様だったら殺せと言わないのはどうしてでしょうね。 それは、グローバルな神様は、ローカルな民族神よりも、視野が広く、認識力が高いからだと思います。 もっと小さく会社内のことで考えてみたら判ります。 自分の所属する部署のことだけ考えている人は、新しいコンピュータシステム導入で自分たちの部署の仕事が以前よりも、厳しくなるとしたら、導入反対と言うでしょう。 でも、自分たちの部署だけでなく、会社全体の仕事量・利益がどうなるか?取引先の会社は?お客様にとってはどうか?5年後、10年後の自社はどうなっているだろうか?と幅広く、さらに未来の視点まで含めて考える人であれば、「新システム導入賛成!」と言う可能性が高いと思います。 また、仕事の目的を「自分の利益のため」と考えるか、それとも「私たちの社会全体のため」と考えているかでも違ってくるでしょうね。 ですから、民族神であれば、「オレ様をしっかりと敬え、信仰しろ!他国の神や民族はどうでもいい。おれの言うことだけ聞け!!」となるでしょう。そして信仰を得るために「あいつらを殺せ!」という命令もするかもしれません。 でも、グローバルな神様であれば、「地域・民族によって、さまざまな事情がある。時代が下れば、私が過去に述べたことも変更する必要があるであろう。また、他の国の神々の意見もいちおう聞くのは当たり前であろう。」 と言われるでしょう。 もちろん、自分にたいする信仰が少々レベルダウンしても、それで怒り狂って、「お前の息子を生贄にしろ!」なんて命令はしないはずです。 >>人間に都合がよかったらその神様を信じるし、都合が悪かったら信じないという感じがしてしまいます。 たしかにそれは、そのとおりです。 だから、できるだけ私たちも神様に近づけるように、高いレベルの価値観・人生観を持てるように、努力・学習する姿勢が必要だと思います。

回答No.17

>旧約聖書では言っているので。 旧約聖書を書いた「人」が言ってるのでしょう。 神様は何も言わない。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。なるほど、確かに。 ただ、聖書はそれを書いた人のことを聖霊がまもっていたので、それはすべて神の言葉であると言われる方もおられますが・・・

回答No.16

8だよ。 > そうすると神様は「まさか、自分が言うとおりにするとは思わなかった」と思ったのでしょうか。 自責なんてないだろうな、悪魔を演じている私ごとき人間でもそうだ。 それはしたがった者にその程度の信仰しかなかったという事実の判明だ。 試されて、そして敗北した歴史が聖なる言葉として残っている。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 しかし、最後にイスラエルを建国してしまいましたから、宗教の力はすごいという気もします。

回答No.15

stmimさん こんばんは。 キリストはトマスに言った「見たから信じたのか。見なくて信じるものは幸いだ。」 神は見なくて信じることは出来るが、もし見えたら幻覚だ。即、精神病院行き。 神が人を殺せと言った?もし、そのような声が聞こえたら幻聴だ。即、精神病院行き。 しかし、過去の偉大な精神病を患った人でも、ゴッホは、生きている間は1枚しか絵は売れなかったが、今、購入しようとすると数億円する、個性的な絵画を描いた。 ピュペーリオンなどの美しい詩を書いた、ヘンダーリンも統合失調症の精神障害者である。 昔の精神障害者がどのように扱われたたか知りたかったら、フーコーの「狂気の歴史」を読めばいい。 中世のキリスト教の神秘主義の人の本を読むと、明らかに現在だったら、精神病院送りでしょう。 現代において無差別殺人する、わけのわからない行動を起こして、逮捕後、精神鑑定になる。 上述のような、すばらしい精神障害者がいて、その人、ひとりひとりにも人格があるのに、健常者から見たら、殺人事件を起こす精神障害者に目が向いて、恐いと、精神病患者が精神の病気が改善しても、社会の中に受け皿がなく、精神病院に留まっているのが、現状であり問題となっています。 障害者の法定雇用率のなかで、働く障害者は40万人ですが、雇用率の内訳を見ると、1位は身体障害者、2位は知的障害者、3位は精神障害者であり、精神障害者で法定雇用率のなかで働いているのは、たった3万人です。 いかに、社会が精神障害者に偏見を持っているか分かるでしょう。 しかし、現在の研究では、統合失調症(旧名 精神分裂症)は100人に1人は、医学的になる可能性はあるそうです。 stmimさんも、このような犯罪をあおるかもしれない質問を投稿していたら、精神病院に送られて、一生精神病院で暮らさなければならない可能性はゼロではありません。 社会問題として、回答しておきます。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。意外な回答でした。 神様の姿をみたり、声を聞いたりすることはありえませんか?聖書によると昔の人は神の姿をみることもできたみたいだし、預言者は神の声を聞いていたわけですよね。それだったら、神の声を聞くことがあってもいい気がするのですが。 ネットではクリスチャンの方で神様の声聞いたり会話をしたりしている人の話を読んだことがあります。それは神様とは違うのですか・・・。

関連するQ&A