- 締切済み
生きていることの空しさ
振り返ってみれば、生きていることに喜びを感じられない。人生の大部分のときにおいて、喜びや、生きている意味がないという感じが強いです。 しかし、それは人生が、辛いことや悲しいことばかりであったということではない。そういうことも、あまりなかったような感じです。生きてあることは、空しいというか、価値がなく、不愉快なことや心の苦しみや憂鬱に満たされているという感じです。 ときを経過すると、その感じは、ますます強まり、何をすることもない空しい、憂鬱な、そして心の悔恨と苦しみだけの日々です。 このサイトで、ここ一週間、少し回答してみましたが、感じるのは、不快感が大きいです。元々、このサイトは、色々な矛盾やおかしいことのある場所で、不快感がありましたが、最近、回答してみても、喜びがありません。 もっと色々と回答できればよいのかも知れませんが、あまりにも無知で無学なため、回答できない質問が多すぎ、自分に回答できそうなものだけを、何とか回答していましたが、時間をかけて、間違いのないよう確認しつつ回答を書いても、意味がないとも感じられます。 わたしが愚かで、無能で、他者から蔑まれ疎まれているのだということが事実なのでしょうが、こういう匿名の場で、そういうことになるのかとおもうと、何か意味が分からなくなります。 わたしは賢明さがたりないが故、自殺することを考え続け、そして実行できなかった愚かな存在だとも言えるでしょう。いまでも自殺を考えても、いまさらに、何の意味もないのです。 「何であること」で、生きる喜びや、意味を感じられますか? わたしの空しさはいかに答えがありますか? カテゴリーを迷いましたが、「死とは何か」という質問がありますから、「人生の空しさとは?」も、ここでよいと考えます。 (回答中に、わたしの名を書かないでください。Jesu, meiner Seelen Wonne)。
- みんなの回答 (39)
- 専門家の回答
みんなの回答
- izumokun
- ベストアンサー率30% (1129/3679)
お礼
回答を有り難うございます。 この質問と回答、質疑については、わたしは先に承知しております。先の「補足」で釈迦牟尼の教えが変化したと述べましたが、釈迦は、最後の旅に出発する前、「世界は美しい」と述べたと言われるのです(『大涅槃経』に出てくるのだとおもいますが、確認した記憶がありません)。 世界は美しいのです。しかし、その美しさを感受できる「魂」の問題もあるのです。彼女(彼)の言い方に似てくるのでしょうが、「ひとは、野のひともとの花にも生きる意味を見出すことができる」とは真理でしょう。 わたしは、単に、孤独を嘆いているだけかも知れません。孤独は喜びでもあるのですが、悲しみでもあり、そして空しさでもあるのです。 回答、再度、有り難うございました。 (2003/0125/1729)