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フロイト理論(精神分析理論)はなぜ市民権を得ないのか
昨夜、学校関係のいやな夢を見ました。そこでは、私が受けるプレッシャーのすべてが凝縮されたような展開になっていて、試験の準備ができてないのに迫っているとか、単位が足りなくて留年しつつあるとか、友人との厄介な約束が果たせそうもないとか、臨海学校が気詰まりでいろいろ不愉快があっていやなのにその場面に放り込まれているとか。で、起きてみると、「ああ、今はもう学校がない!あの状況に比べれば今はずっと気楽じゃないか」と自己憐憫に浸る、あるいは現状を合理化容認できるという精神構造が、精神分析(フロイト)的に説明されえていると思います。また、大体フロイト理論で、言い間違えの隠れた願望やらいろいろと情動の説明がなされると思われるのです。私にとってはかなり妥当な理論だと思っています。 しかし、一般に浸透していないのはもとより、学問的にも冷や飯を食わされているという状況と聞きます。なぜなんでしょうか?一般には難しすぎて浸透しない?でも噛み砕いて言えば、「願望充足よ」で十分じゃないでしょうかね。学問は「科学的」の壁が冷たく立ちはだかるのでしょうか?
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フロイトの無意識を焦点に当てるTheoryには、「見えないものをどうやって測定するんだ?」という風がビュービューと吹いています。 夢の判断というのもは、人それぞれ事物に対するPerceptionが違うため学問的に統一化するのは難しいからでしょう。言うなればピカソの絵を見てどう思うかと同じような感覚です。 フロイトの統計対象も「性的に抑圧された女性」がほとんどだったということでRandomでもなんでもないじゃないか、と非難を浴びていることは確かです。 心理学はArt分野とScience分野の双方でMajorがあるくらいですから線引きは難しいものの、療法などで用いられる心理学としては科学的に確立されたものではないとなりません。その点からするとやはりフロイトの見えない世界の分析、偏った実験対象、は受け入れられなくても仕方がないことなのではないでしょうか。 Skinner,Thorndike,Piajet, Erickson, MaslowなどのTheoryの方が浸透しているかと思います。
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リンク読みました。よくわかりました。 結局名神は未来永劫続きそうですね。大衆操縦法心理というのは、政治宣伝活動でどれだけ使われてきたのかわかりません。これはとても善とは思えませんね。
- Diogenesis
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「精神分析の都」と呼ばれるアルゼンチンのブエノスアイレスでは 日本における歯医者や眼医者のごとく 街なかのそこここに精神分析家が看板を掲げているそうです。 翻って日本ではどうかというと, 免許皆伝の精神分析家が全国に三十数名しかいないという現実を見る限り 精神療法としての精神分析はとうとう根づかなかったと言わざるを得ません。 しかしながら 日本の健康保険制度には簡易精神分析療法なるもの定められていて どんな薮医者がこれをやっても保険の点数がつきます。 またフロイト的観点を取り入れた折衷的カウンセリングを実践している 素人&玄人カウンセラーも少なくありません。 ここOKWaveやそのほかの質問サイトでは 一般の方がフロイト的概念を駆使したもっともらしい回答を寄せて 質問者もそれに納得するという光景をよく目にします。 精神分析は都合よく改変されたり美味しいとこ取りされたりして ある程度大衆レベルでの市民権を得ているのではないでしょうか。 フロイトの理論が一般人にとって説得力を持つと感じられるのには 2つの理由があると思われます。 ひとつは心についてのわれわれの常識的理解が 自覚のないままフロイト理論に汚染されているということ。 もうひとつはフロイト理論自体が それ以前からあった心についての常識的理解をベースにしているということです。 現代の心理学は心についての常識的理解を疑うことから出発しているので フロイト理論を無批判に前提とすることはできないのです。 日本では大正時代を最初に昭和末期に至るまで 何度か大衆的精神分析ブームがありました。 しかしアカデミズムの世界に限って言うなら 心理学においても精神医学においても 一貫してマイナーな位置づけであることに変わりありません。 もっとも世界に目を向ければ 精神分析がずっと冷や飯食いだったわけではありません。 たしかに当初は欧州のアカデミズムからほとんど無視されていましたが, スタンレー・ホールら20世紀初頭の米国の心理学者たちが いち早くこれを評価して陽の当たる場所にひっぱり出しました。 第一次大戦後に一大勢力を成した新行動主義の心理学者たちは 精神分析との真摯な知的格闘を通して自らの理論をより強固なものとしていきます。 第二次大戦後になると米国を中心に精神医学の世界でも 精神分析理論に基づいた力動精神医学が一世を風靡します。 同じころ,哲学者や新行動主義心理学者のあいだでは 理論と実践,両面からの精神分析批判が始まっていました。 精神分析に限界を感じた臨床家たちの手で 現在の認知行動療法の源泉となった行動療法,合理情動療法,認知療法, また現在のカウンセリングの基礎となった非指示的アプローチなどが生み出されたのもこの頃です。 このような周囲の状況の変化に薬物療法の発展という事情も加わって 1970年代には米国の精神医学界も精神分析からの離脱の動きを強めます。 そのマニフェストとも言えるのが1980年に出たDSM-IIIです。 おひまなら 私の過去の投稿も読んでみてください。 ■精神分析学と心理学 http://okwave.jp/qa4156067.html ■心理学に興味を持ち始めた娘にお勧めの本 http://okwave.jp/qa3315684.html ところで 質問者さんの夢の解釈には フロイトなんぞ持ち出す必要がないような気が...。
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日本では盛んではないのですか。 結構ポピュラーな気もしたのですが気のせいでしょうかね。心理学分析学セラピーが盛んなところと言うのは、日本の基準で考えてはいけないのかもしれませんね。今、日本では精神化がずいぶん躍進しているようにも思います。 大衆レヴェルでの理解浸透というところにはいっていない、しかし、結構インテリっぽい階層には通用していると言うところではないでしょうか。結局難しいですからね。心の力動的な平衡やら結構文学的理解が必要だと思います。 学問的には、ご説明のようなさまざまな並行的修派があり学説があるのですね。フロイトだけがピックアップされてしまった歴史には、悪しきマスコミのあおりと言うものもだいぶあるのでは。
- sironokabe
- ベストアンサー率67% (19/28)
まず、一般に浸透していないのは精神分析学に限ったことではないと思います。 心理学全般にしても、誤解はまだまだ多いです。 そのほか社会学や倫理学、法学、医学、理工学、いずれも専攻せず、学んだことのないものは理論が理解しやすいものであっても浸透していません。 学問的にですが、確かに批判は強いです。しかし意味のないものではありませんし、理論として確立はしています。 冷や飯を~という表現の意味するところはわかりませんが、精神分析学だからといってどうこう言われるということはありません。 ただ、閉鎖的と言いますか、家元制度的な部分はあります。このことがさらに浸透しにくくしているのかもしれませんが。
お礼
確かに、心理学の精神分析だけが市民権を得るというわけにもいかないでしょう。ただ、化学とか物理とか天文数学よりは、よりポピュラーになってもいい題材かと。 心理学における分析学の地位と言うのも、ご説明のような状況かと思います。特に一般論として流通すると言うところには行かないのでしょうね。
お礼
学問的統一というのが、それほど重要なものでしょうか。もちろん、一般的には必要ないことで、文学的に遊んでいればいい、でもそういう流行は大衆レヴェルではない、と言う現状だと思います。 学問的となると、おっしゃるように実証的ではありませんから、たとえああそうなんだろうなあと言う実感があってもだめなんでしょうね。学問の壁と言うものでしょうか。