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フロイトの精神分析とインド哲学の関係について

フロイトの精神分析は、インド哲学(唯識思想など)を参考にして考えられたと聞いたことがあります。これは本当なのでしょうか?? 確かに、精神分析と唯識思想を比べると似ているところがあります。例えば、深層心理≒阿頼耶識などです。成立年代的にも、唯識思想は4世紀頃、フロイトは19世紀頃とつじつまが合います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#117439
noname#117439
回答No.2

A1です。 1つアドバイスです。 仏教文化は日本になじんでいますから心なり観念なりを説明する場合、たとえば心理学よりも唯識のほうがかんたんな言葉で説明し易いし納得もしやすいです。 でもこれで納得できるのは日本人の気質ゆえで本格的探求なら心理学のほうが発達しています。 中途半端な取り組みをすると、 唯識は迷信や妄信を生み、 心理学はおまじないに過ぎなくなります。 最低限でもこの二つはまったく別のものとして研究に取り込むほうが良いです。

westlife2
質問者

お礼

唯識は確かに仏教国にいる私たちには理解しやすい気がします。唯識も精神分析も少なからず似ているところがあるからといって同じもののように理解するのはやはり間違っているのでしょうか。自分が研究する場合には別のものとして取り組みたいと思います。 アドバイスありがとうございます。

noname#117439
noname#117439
回答No.1

私は頭を真っ白にして何も考えない状態になれる特技があります。 いろいろと特異な経験をつんでいますが、この心理状態の理解のために唯識も引用しました。 唯識と心理学は直接の関係はありません。 ただし同じように心の奥底を研究しているので結論は似たような物になっています。 唯識は仏教の聖典と言うよりも「われはあるかなしか」に取り組んだインドの古典的聖典の1つと解釈したほうがいいのですが、そこには信仰が関わっており、唯一神を信仰する西洋の文明ではそれらの聖典を再発見しようとする試みはありません。 唯識に限らず心理学分野の探求は仏教的観念とも一致する考え方が多々ありますが内容のすり合わせは実質的に出来ません。 試してみて懲りました。 私は当然日本人ですが民族性というかこの風土と文化に育まれた私の個性と言うのがあります。その中に異質な風土で育まれた思想が入ってくるのは「輸入思想」ですから概念の咀嚼が必要になります。哲学の分野では日本の哲学者は西洋かぶればっかりの輸入ブローカーで独自の研究がないとの批判もありますが小説の翻訳ではないのですから観念の類を輸入するときはその思想に中毒を起こさないための精密な解釈が必要となります。輸入ブローカーは日本人哲学者なら必ず必要な特技です。 これと同じように唯識と心理学の観念をちゃんぽんにして咀嚼すると発祥が異質な思想ですから中毒症状が起きます。

westlife2
質問者

お礼

確かに精神分析は唯識とは違い、宗教に帰結しないですよね。どちらとも目的が違うのでフロイトが唯識を参考にしたというのは違う気がしてきました。 回答ありがとうございます。

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