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溶姫はなんと読むのでしょうか、教えて下さい
ある本を読んでいて溶姫の記述があり、おきらくに「ようひめ」と言っていたのですが「ようひめ、やすひめ」とかあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%B6%E5%A7%AB とある小説(中村彰彦著)では「ときひめ」となっており、ようとして実態がつかめません。実際はひめとしか呼ばれていないと思いますが、自分以外には物事をはっきりさせないとすまない私なので実際はどうなのか教えていただきたいと思います。仮にも将軍家斉の娘ですからね。よろしく。
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溶姫 自体は本名ではなく愛称のようなものなので、別に読み方がひとつ、ということではありません。 ただ単純に講談社の日本人名大辞典をひくと「ようひめ」とはありますが、質問者様のおっしゃるとおり、仮にも将軍家のお姫様ですので、「溶」の漢字自体の使用さえ生誕時は忌まれたものと思いますから、主文献で振り仮名の判るものはないと考えて良いと思います。(一次史料となるべき公文書には、恐らく当時の慣例としてルビはなく、固有名詞にルビを振ることの多かった版本の類ではご公儀に障ることですから、その名前を出すわけがないので読みがわかる可能性はないでしょうね) 名は諧子(ともこ)です。これは異論の無いはずです。 どちらにしろ、通称ですからどんな読みをしようともある意味自由です。仮にも将軍家の、とおっしゃいますが、時代を遡れば平安時代、一条天皇の后であった定子は「ていし」と「さだこ」と二つの読みでどちらも罷り通ってますよ。 まあ、細かいことは気にしないでおくに越したことはないと言うことです。明治前なんて適当ですよ、いろいろと。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>溶姫はなんと読むのでしょうか、教えて下さい 一般的には、「ようひめ」で良いと思います。 日本には、古くから「諱(いみな)」というものがあり、これは、中国からもたらされたもので、日本に伝わった当時は「死者」に対する「敬意を込めた」呼び方でしたが、次第に、高貴な人を呼ぶ時に「本名」ではなく、「親しみを込めたり」「敬意を込めたり」しての呼び方をするようになりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1 また、色々な古文書などに「名前」が記されていますが、「ふり仮名」が記載されていない場合が多いため、歴史家などは、「音読み」をしたり「訓読み」をしたりしていますが、実際に「当時」、そう呼ばれたかは、たまたま「平かな」で書かれたような「手紙」などが発見されて、初めて分かる程度です。 そして、自分自身も名前をコロコロと変えたりしています。 さらに、公家の養女になったような時には、新たな名前をいただいたりしています。 今話題の「篤姫」にしても、「於一(おかつ)」「篤姫」「敬子(すみこ)」などと、色々「使い分け」をしています。 なお、男子の場合は、偉くなると色々な古文書に登場し、読み方も判明することも多いのですが、女子の場合は、あまり記録には残されてはおらず、庶民や下級武士などの娘は、ただ単に「○○左衛門女(または、娘)」などと書かれたものも多いですよね。 >>はっきりさせないとすまない私なので お気持ちは分かりますが・・・。 15代将軍「慶喜」にしても、「よしのぶ」が一般的ですが、「けいき」または「よしひさ」と呼んだ、との記録もあり、これを「有識読み」といい、極端な言い方をすると「アダナ」のようなものです。 ただし、慶喜については、本人のアルファベットの署名に「Yoshihisa」の記録も残っていますし、余生を送った静岡の署名には「けいき」と自ら「かな」をふったものも見られます。 将軍が大奥での夫婦の会話では、将軍自身でも「私は・・・」とか、正室を呼ぶ時にも「御前(おまえ)は・・・」と、いたって、庶民と同じような会話だったと言われています。 また、「遊ばせ言葉」と言って、大奥などでは将軍を呼ぶのに、お付の女中に「お上(おかみ)・・・」などと呼ばせています。 従って、将軍家の「姫」とは言っても、「溶姫」の場合も、例えば、幼少の折は「おようちゃん」とか「おときちゃん」などと呼ばれたかもしれません。 なお、将軍のことは、正式には「公方(くぼう)さま」または、「大樹(たいじゅ)さま」「御公儀(ごこうぎ)さま」と呼びました。 良くTVで「将軍さまのお成り~」などと叫びますが、これは、単なる視聴率を上げるための所業。
お礼
ありがとうございます。なんとなくなっとくがいきました。感謝。
お礼
さっそくありがとうございます。うーん、そうなんですか。