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高村光太郎の詩、「晩餐」と「樹下の二人」について

高村光太郎の詩集「智恵子抄」に収録されている詩、「晩餐」と「樹下の二人」の分析をしているのですが、内容がなかなかつかめません。解説や、作品の情報などを教えていただけると幸いです。

みんなの回答

  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.1

どこの出版社のどんな版でお読みでしょうか。 年譜のあるものだといいですね。 高村光太郎は詩の作成年月日をそれぞれの詩の末尾に書いているのが普通ですし、 巻末に年譜があると、それと照らしあわせることができて、 二人の生活がどんな状況のときに歌われたものであるのか、おおよそですが見当がつく場合があります。 また、智恵子が亡くなって二年後に書かれた『智恵子の半生』は短い一文であるものの、 二人のいきさつや、光太郎から見た智恵子、光太郎の心境などがコンパクトに記され、自作の詩も一部引用があって(じつは「樹下の二人」も引用されています)、いろいろ役立つと思います。 室生犀星の『わが愛する詩人の伝記』は彼と同時代の詩人たち十一人のうち、光太郎は二番目に評伝され、 やや屈折した視点から、智恵子たちの意外な一面をうかがっています。(この本自体は犀星最晩年期の、とてもいい一冊です) 総合的なものとしては、たくさんあるにちがいないんでしょうが、私の乏しく知るところでは 伊藤信吉『鑑賞智恵子抄』角川書店、昭和43年初版 がおすすめかな。詩六十余篇が収録されています。 伊藤氏はご自身も詩人であり、平明な文で、わかりやすい解説をし、詩の啓蒙に大きく貢献したかただったと思います。 ほかにももちろん、Web上を検索したり、あるいは図書館など利用されてはいかがでしょうか。 積極的にかかわってゆくと、思わぬ発見もあったり、たのしさが倍加しますよ。  ※ 『晩餐』は1914年4月25日の作。智恵子と婚約中のとき。 臨時収入がはいって、せいいっぱい食べ物を買ってきて「湯をたぎらして」たらふく食った。 そして「豪雨の中」しっかり愛しあった。そんな情景を思い浮かべました。 伊藤氏は前述の本で、窮状生活とはいうけれども、「生み立ての玉子、厚みのある海苔など」「その食事の仕方は高級で贅沢だ」といっています。  ※ 『樹下の二人』は1923年3月11日の日付。 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/koutarou.html 「みちのくの安達が原の二本松」うんぬんは光太郎自作の短歌でしょうか。つまびらかでないんですが、 平兼盛の「みちのくのあだちが原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」など、古来、歌まくらの地。 また、「あれが阿多多羅山、/あの光るのが阿武隈川。」の、リフレインは詩でよく用いられる技法。 光太郎はたいへんこれが得意だったと思います。 代表作の一つ『雨にうたるるカテドラル』では、交代して現れる音楽的主題のように複合的に用いられて圧倒的な効果を発揮します。 詩の前半は、二人でいることの喜び、不思議な魅力をもつ相手への驚き。 後半は、ふたたびはなればなれで暮らすことのやりきれなさが立ちのぼってくるかのようです。 あとは是非、ご自分のハートをもってお読みください。

Robur_58
質問者

お礼

ありがとうございます。教えていただいたとおり年譜を照らし合わせて見ます。解説書も推薦してくださり大変参考になりました。

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