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高村光太郎の生き方って??
高村光太郎さんの生き方について『道程』や『智恵子抄』を読みながら考えているのですが、なかなかつかめないのです。いろんな人の考えを知りたいです。お答えお待ちしています。
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『道程』も『智恵子抄』も読んだのははるか昔のことでして、具体的にはお答えできないのですが… 高村光太郎についての予備知識があるとまた違った読み方が出来るかもしれないと思い、書き込ませていただきます。 高村光太郎は一般に詩人としてよく知られていますが、その本質は彫刻家です。 近代彫刻の祖とも呼ばれています。 絵画も描きまして、それが智恵子と出会うきっかけになりました。 父は仏師であり彫刻家であり、のちに芸大名誉教授となった高村光雲です。 光太郎は光雲の影響を多大に受け、その親子間の葛藤もかなりのものだったようです。 光太郎の生涯とその作品に詳しいHPです。↓ http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/koutaro.html こちらはもうちょっと簡略され、しかも光太郎の内面に寄り添った文章なので、きっと役に立つと思います。↓ http://www.ifsa.jp/kiji-sekai-takamura.htm ところで、光太郎の智恵子に対する一途な愛情はほかの人にはとてもまねのできないものですね。 すごいなと思うと同時にどことなく不思議な思いがしていたのですが… 確か数年前、智恵子を主人公にした舞台があり(題名を忘れました)、それに対する評文を読みました。 そこでは智恵子を狂気に追いやった原因は光太郎にあると書かれていたと思います。 それを読んで納得がいきました。 感受性の強い芸術家同士のカップルなので、いろいろ精神的葛藤があったのでしょうね。 「智恵子は私との不如意な生活の中で、愛と芸術との板ばさみに苦しみ、その自己の異常性に犯されて、刀折れ矢尽きた感じである。精一杯に巻き切ったゼンマイがぷすんと弾けてしまったのだ」と光太郎自身も自伝の中で書いているのを上のHPで見つけました。 #2の方の「かわいそうなくらい不器用な人生」という言葉はアタリですね☆
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- elmoa
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これは、詩を読んで感じた、私の考えでしかないのですが・・・。 もちろん、詩の内容から感じる、本人の主観について、私個人の思うところでしかないという意味でですが。。 高村光太郎の『智恵子抄』を読むと、 『道程』で得た自己の芸術的に向かう道を見極めることができた境地というか、 自己の歩むべき方向性を、やっと見つけることができたという、 そういう心情がわかります。 そして、『道程』の基となっている詩には、 「同属を得ることの喜び」と書かれています。 これは、他の友人であるかもしれませんが、私は、智恵子さんではないかと思うのです。 そういった心境にありながら、しかし、他の詩には、まだ、心の乱れというか、暗雲としたものが目にとまります。 しかし、『智恵子抄』には、生への喜び、を感じることのできる、その心の乱れを感じさせず、精神的に非常に安定しています。 それは、智恵子さんによって得ていた力なのでしょう。そして、智恵子さんが亡くなってからも、智恵子さんを思うことによって、生き抜いています。 種田山頭火の言葉に、「所詮、句作の道は人の道だ。人のかがやきは句作のかがやきとなる。道は前にある、まっすぐ行こう。」というものがありますが、 高村光太郎は、まさに、そんな道を歩んだ人だと思います。 光太郎は、「自然」を、生を感じる美しいもの、尊いものだと考えているし、 そして、自分を支える者として、「智恵子」さんを感じていたと思います。 そして、周囲の目や価値観に捉われず、自分の持つ価値観を何より大事にし、貫いた人だと思います。 実際に、智恵子さんと結婚したとき、女の人だからといって、家事を強制することもないようにしていたりして、その生活が、当時、普通では考えられないことから、揶揄されたりしたようです。しかし、本人たちは、自由恋愛として、常識には捉われずに、自分たちの生き方を通していたことからも窺えます。(しかし、実際には、光太郎が仕事で忙しいときなどには、智恵子が家事をやらざるを得ず、その分、智恵子は自分の芸術に集中できなかったりなどして、精神的につらかったのではないか、というのもありますが・・・。)
- men-environment
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高村の生き方にフェミニズムの視点から述べた本として、駒尺喜美『高村光太郎のフェミニズム』(朝日文庫)があります。
こんにちは 智恵子の視点からみた小説に 津村節子著 「智恵子飛ぶ」 という本があります。 著名な彫刻家であった父親との関係なども 書いてあるので参考になるのではないでしょうか。
- walk-hawk
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こんばんは。#3さんの解答を拝見して、ふと昔読んだ本で、高村光太郎と妻・智恵子の交流を書いた小説があったのを思い出したので、ご参考までに貼っておきますね。 『小説・智恵子抄』佐藤春夫 これを読んだ印象は、芸術と自分の信念以外は何物も眼中にない人、という感じですね。純粋に芸術家、という感じです。
戦中の新聞にはやたら出てきます。 高村光太郎(すでにおじいさん)の苦笑してしまうような檄文?の数々。 「この怒り神州の怒り、二千六百年の怒りを見よ、大和島根いまぞ火を噴く」 こんな調子の文章が戦中の朝日新聞に高村光太郎の名前でやたら出てきます。 また高村光太郎か!ってくらい。 辟易する人もいるかと思いますが、私は不器用で純情なおじいさん、なのだと思いました。戦後の身のこなし方も重ね合わせるとかわいそうなくらい不器用な人生です。本人は括淡としていたんだろうと思いますが。
>高村光太郎さんの生き方について『道程』や『智恵子抄』を読みながら考えているのですが 対象は『道程』や『智恵子抄』などの文学作品に限るのでしょうか?
お礼
私が今読んでいるのはその2作品ですが、この2つに限っているわけではないです。