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高村光太郎の詩の作成日を教えてください
高村光太郎の詩集『典型』(1950)におさめられている下記の詩の それぞれの作成日をご存じありませんか。 「建艦費」 「真珠湾の日」 「終戦」 「暗愚」
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『典型(昭和25年10月25日)』序から昭和20年10月(17日)以降なのは間違いないとして… 雑誌『展望』を創刊(昭和21年1月)した臼井吉見が昭和21年(月日不詳)、 原稿依頼のため光太郎の山小屋を訪問。 「暗愚小伝」の題が浮かんだのが昭和22年1月7日、 「暗愚小伝」20編の決定清書を昭和22年6月15日郵送、 『展望<19号>(昭和22.7)「暗愚小伝」20編』掲載。 構想期間は昭和22年1月7日頃~昭和22年6月15日頃で、 「暗愚小伝」20編全体としては昭和22年6月15日頃の完成。 ◇『大阪教育大学紀要/第I部門/人文科学/阪教大紀I/巻19(71~83頁)』(1971.03.30) 「無機世界への傾斜-高村光太郎の『典型』について-角田敏郎」<4,6/13> http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/handle/123456789/9922 「暗愚小伝」20編は昭和22年1月7日に構想されたことが日記に見える。 <詩の題を考へる。「暗愚小伝」とせんかと思へど再考>というのがそれである。 6月15日の決定清書まで半年の期間があったわけである。 上記を前提に、個々の作成日を追求しようとしても… 「暗愚小伝」20編の決定稿の推敲21箇所、異稿又は断片の推敲7箇所、 目次題目だけを取り上げても、 「終戦」については「終戦→八月十五日→脱落→脱却→終戦」と4回の推敲がなされ、 他の19編中10編でも各1回の目次題目の推敲がなされている様子をみると、 個々に完成していったと言うよりは、 「暗愚小伝」20編全体を一つとして昭和22年6月15日頃までかかったと 考えざる得ないように思いますが如何でしょうか? ◇『研究紀要(奈良女子大学文学部附属中学校・高等学校)1969, vol. 11, pp.1-20』 http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/handle/123456789/2370 「高村光太郎」ノートその五: 詩稿検討-推敲について/井田康子<6,8~9/20>
お礼
非常に詳しいご回答および参考URLをご提示くださいまして、ありがとうございます。 大変勉強になりました。 個々の詩を集めた詩集というより、「暗愚小伝」20編全体で一つの作品なんだとあらためて感じました。