• ベストアンサー

調べてもわからないことを質問しない人

調べりゃわかるからここで質問しないという言い方はよく遭遇しますが、調べてもわからんこと、はっと頭に荒唐無稽的なことが浮かんでそれをどうしても聞きたい、という衝動が起こらない人というのは、どういう心理なのでしょうか?それこそ、ここで質問すべきことのように思っているわけですけど。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • snowize
  • ベストアンサー率27% (68/245)
回答No.5

#1ですが「共有する」というキーワードが出てきたので。 はっきり言えば知的好奇心は人よりずば抜けて旺盛だと思ってますので、頭の中に常に何かしらの疑問を抱えているとも言えます。なので質問し続ければきりがないという意味での「自重」ですね。 また、自分で調べられる範疇ならば、調べる仮定において新しい知識を吸収できるということで「積極的に質問するよりも、自己解決した方がお得」という意味では#4さんにも通ずると思います。 それと付け加えるのならば、知りたいと思ったらレスがあるまで待てないということもあるので、もし詳しい相手が目の前にいるのならば話は変わるかもしれません。 #3さんが指摘している「質問することが恥」というのは、その内容によっては確かに当てはまりますが、基本的には知的好奇心が勝るので、どちらかというと「興味はないけれども実用上の問題として知らなければ”ならない”」に限定される観がありますね。たとえば「初デートなんだけれどもどうすればいいのか分からない」とか、「脱オタしたいけどファッションとか分からない」というケースにのみ適用される気がします。あくまでも自分の場合ですが。 さてようやく共有の話ですが、これは不特定多数への質問(ここみたいなところですね)に対して自分が回答して、他の人の意見を参照(ときには議論)することで埋めている感じが強いですね。 質問者⇔回答者という単純構造であることはむしろ少なく、複雑な知的好奇心を刺激される、あるいは共有しがいがある質問ほど回答者同士がお互いを意識しあい、質問者の役割はむしろ話題の提示者に転じると理解しています。 少なくとも回答数が100を越えるような人たちは親切な人というよりも、ほとんどが「回答することで偉ぶりたい人」と「知識に貪欲な人」でしめられていると思います。このような無償で回答するというコミュニティが成立しているのも、アトランダムに新しい刺激が得られるという要素が大きいのではないでしょうか。 付け加えるならば、自分が質問する場合は「共有」は一切求めていないかと思います。質問者という立場にあるとやはりそれなりの配慮が必要となってしまうので、同じ土俵に立ちにくいということがありますね。なので対等でいられる場所で議題として提示するかと思います。 ちょっと調子が悪いもので乱文失礼。 そういう観点かと思ったらいつのまにか回答ボタンを押していました。思わず意見を述べずにはいられないのも、それによるレスポンスを欲求しているからということで、他人の意見をもっと知りたいという好奇心と、自分の思ったことについて考えてもらいたいというひとつの共有に対する欲求が入り交じったもんなんでしょーかね。

その他の回答 (6)

noname#82286
noname#82286
回答No.7

>そういう、固定観念、レッテル貼りっていうのは、こだわる人はこだわるんでしょうね。>  確かにそうですよ、まあみなそのような心理構造変化というかそういうのは誰にでもある話ですよ 追記ですが  こだわっているという感覚は当人にはあまりないと思います 多分爽快感やら満足感やらを感じるのだと思います。 >なんとも、やるせないあるいは意地汚い、あるいは頑迷で生産性のない、あるいは、偽プライドに固執するという、人間の醜さを感じます。 >  まあみながみなno3の回答に合致するから質問を聞けないというわけでもないわけですから、そう卑下なさらなくても良いと思いますよ  ただご自身の都合の良い回答ばかりが出てくるということはありえないのでそこは覚悟しておいた方がいいと思います。 >私の場合、そのレッテルがほとんど意識にないのに加えて、どうしても、頭の中の独創?を共有してもらいたいという希望が勝ってしまうので。>  これもその意図を無意識に読んでgarcon2000の質問の創作意図を壊すことを快感としている人もいるので気を付けた方がいいでしょう。 >そういう感性のない回答者がしゃしゃり出てきて、逆効果のほうが多いというつまらない事態に大体なっていく。>  これは多分ご自身の期待の形に沿わないからどうしても苛立ってしまうということになるんではないでしょうか?  もし逆効果が出てきたときその補足に一端説明書きとかすると逆効果を発した人が気が付いてまともな人なら「そのような答えを求めているんじゃないのか?」と気が付くと思いますからご自身の意図した回答が発生する可能性があがると思いますよ  もしただの傲慢の押し付けのみが目的であってその説明書きを無視するような攻撃欲バリバリタイプと分かればその後はそういう回答を飛せばよいわけです。 >その中に綺羅星のごとく光る回答もままあると言う感じでしょうか。>  それは相手が質問の意図を分かって書いてくる人ですからそういうのも混じってくるわけですよ、なんでもし本当に合戦したい訳でわけではなく創作意図の共有と意見という形を取りたいのであれば理解していない側を気づかせてやるということで解決すると思いますよ >それにしても、この「あ、これはちょっと感じてほしい考えだよ」 という問いかけに引っかかる、心の琴線を揺らす人っていうのは、本当に少ないものですねぇ。> 正直にこれに答えれば、「そりゃそうだろ、ご自身の都合よい綺麗な琴を鳴してくれる奴がそんなに出てくるわけないだろ」ということになりますかね?  これは数学的に考えても合点のいく内容で、ご自身の希望形と相手の回答形が毎回一致する訳はないです。

回答No.6

Danielです。 自分の考えや思いつきを、じっくり考えて「質問」という形ではなく「回答」という形で、外に出します。 思い付きを、たっぷり堪能してから、悩んでいる人に、さらっと回答します。 「アドバイス」、「一般人」、「参考意見」で。 これは、マイルールなんですが、緊急性が有れば、「回答」、「経験者」を選択しますが、それ以外は、いつもこれで、参考意見として出してみます。 なので、「参考になった」に投票があると、密かにガッツポーズです。 なにも、質問する事だけが、表現法じゃない。 じっくり考えて、自分の答えをだして、堪能してから、質問者に投げてます。 人間、視点は必ず「一つでなければならない」事はないんですよ。 他の回答者の視点を、自分の中に取り込んで、自分の視点、視野を広げて、問題を考える。 考えてから、回答という形で、外に出してみる。 今は、そんなスタンスです。

回答No.4

≫はっと頭に荒唐無稽的なことが浮かんでそれをどうしても聞きたい、という衝動が起こらない人。 自分で考える方が、楽しくないですか? 質問0です。 どうか、卑屈にならずに聞いて欲しいのですが… ≫それこそ、ここで質問すべきこと これこそ、自分で噛み砕いて、知識と付き合わせて、答えを出すものだと思います。 知識の実践!って、こう楽しくないですか? なんで、こんな楽しい事を、他人に投げれるかが、逆に解からん。いや何となくは解かるか。 素朴な疑問なんですが、質問する時、大体「どんな回答が来るか、予想」しないんですか? 何度か質問しようかなとは思いましたが 「まぁ、こんな回答が付くだろうな」って、質問する前から考えて 「質問しなきゃ、絶対解からない!!」なんて、未だ思えないんです。 問題に対して、「肯定案」「否定案」、色んな視点から見て、全体像を想像する。 とっても楽しい、作業だと思いませんか? 自分は、どんな視点に立つ事が出来るか? 自分の視野が、何処まで広いか? それを認識する事も出来る。 こんな楽しい事は、人に投げるなんて、勿体無い。 人は、未知な物に対して、恐れを抱きます。 それを克服する為に、人は名前を付けて、未知を既知に変えてきました。 名付ける。という作業は、とっても楽しいですよ。 まぁ、楽しい事は独り占め!って、心理かな。

garcon2000
質問者

お礼

その、創造的作業が、私には寂びしいと感じられるのです。この心のエネルギーを世界中で一人しか?知らない。それっていやですね。どうしても、意識共有して、あ、一人だけで考えてるじゃないという幻影か錯覚かでもいいですから、に浸って作業を始めたい。さびしがりやってことでしょうかね。 もっとも、どういう回答が来るかと予想すると、もう雑音のほうが多くなってしまうという逆効果、心の乱れを起こすようなことになるという控えめな予想で言ったほうがいいという現実もあるわけですが、それでも!な一種中毒症状なんでしょうかね。

noname#82286
noname#82286
回答No.3

 多分これはね質問することが恥だと思い込んでいるんじゃないかと思う  簡単にいうとかっこ悪いから質問しないということ つまり自尊心を傷つけられると勝手に錯覚するタイプ この手のタイプは多分質問しないと思う 逆に言うと自分がかっこ良く映りたいわけw なので些細な疑問を隠蔽するわけ 例えば優等生が自分の分からないところを他の生徒に聞けれないというあれと一緒 多分質問しない側からしてみれば『他の奴が知っているわけがない』『自分で調べれば分かる』etcということだと思うけどそんなのはただの言い訳、全員に聞いたわけじゃないんだから聞いてみて知ってる人が居る可能性だって大いにある、それをあえて聞かないということは多分そういうことだろうと思う  このメカニズムは多少難しいパラドックスで当人は半意識~無意識の反応で恥と感じているんだと思う、だから当人の意識では『自分で調べればわかる』などの言い訳として出てくるわけ 多分当人はどこかで自分がバカにされること、もしくはバカにされような偏見の目でみられることを怖がっていているんだろうね  なんでそうなるかというとそれは何処かでそのような人がバカにされたシーンなどを見たり、バカにされそうなその場の雰囲気があったり、バカにされた経験があったり、当人に人をバカにしようという意図があったりなどの背面心理構造があるんだと思う  だから 人に聞くこと=恥 というシステムになるわけ これが人に聞けない人の心理のメカニズムというわけ  ここでもう少し探ってみるとそこにはその人なりの自尊感情が眠っていてとりあえず自分を褒めてあげたいという気持ちがどこかにあるわけ それでその感情が屈折してあらわれくるというメカニズム(こういうのを劣等感コンプレックスと呼ぶ)  だからその劣等感コンプレックスがあるが故に人に聞くことができず その屈折した感情が故に調べるという行為に出るわけ、まあ調べる前にそのことを気にしないようにする人が大抵だろうけどなかには調べる人もいるわけです  じゃあなぜ調べるのかといえば自分の自尊感情を満足させたいが故に調べるわけw(まあなんともかわいらしい行為ですがw)ご自身が前質問の議題に出していたように偉い存在に立ちたわけ なので多分その手の回答者は質問者を迷える子羊と勘違いしているんだと思う、なぜそのように錯覚するかといえば逆に自分が偉い存在(洗礼者)の余韻に浸れるからだと思う  つまるところ図にすると 質問者(劣な存在(子羊)だと勘違いしている)⇔回答者(偉い存在(洗礼者)だと勘違いしている) というメカニズムになると思う

garcon2000
質問者

お礼

そういう、固定観念、レッテル貼りっていうのは、こだわる人はこだわるんでしょうね。なんとも、やるせないあるいは意地汚い、あるいは頑迷で生産性のない、あるいは、偽プライドに固執するという、人間の醜さを感じます。 私の場合、そのレッテルがほとんど意識にないのに加えて、どうしても、頭の中の独創?を共有してもらいたいという希望が勝ってしまうので。で、そういう感性のない回答者がしゃしゃり出てきて、逆効果のほうが多いというつまらない事態に大体なっていく。その中に綺羅星のごとく光る回答もままあると言う感じでしょうか。それにしても、この「あ、これはちょっと感じてほしい考えだよ」 という問いかけに引っかかる、心の琴線を揺らす人っていうのは、本当に少ないものですねぇ。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.2

質問をした事がない者です。 専門的な事はnetか本で解決する。 人間関係などは分かってそうな人に聞く。 荒唐無稽な事が浮かぶと自分の頭の中で広がり続けるので 質問する必要がない。 質問したいと思っても、過去に似た質問が見つかったり 人に聞いても仕方がない内容だったりするので 心理ではありませんが、こういう経緯で質問する内容がありません。

garcon2000
質問者

お礼

>荒唐無稽なことが頭に浮かぶと、自分の頭の中で広がり続ける それは自家中毒って感じします。共有するともっと生産的に慣れるのでは。

  • snowize
  • ベストアンサー率27% (68/245)
回答No.1

自分の場合ですと、 ・最近質問しっぱなしだから、癖をつけないように自重。 ・説明がしにくくて質問文を用意するのが面倒。 ・まだ調べる余地がありそう。(ここ以外で質問することも含む) な場合は、とりあえずメモだけ残しておいて質問に出すことは保留します。日を置いたらふと理解できたり、参考資料が見つかったりすることって結構多いです。 追記するならば、 ・なんかマイナーな話題で、回答がつかなかったら泣いちゃいそうw

garcon2000
質問者

お礼

質問しっぱなしで、自重 大事な心構えですよね。もちろん逆も真です。回答しっぱなしで自重→質問ってんね。バランスの問題もあります。 ご回答を読む限り、すごく理知的な心構えを貫けるんですね。私は、共有されることの誘惑に負けますね。

関連するQ&A